植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:徐庶

2011年02月21日 21時29分01秒 | ゲームシステム
所属:劉備→曹操
年齢:約22歳(200年の時)

 もっとも演義のイメージが定着してる人物です。正史では、若いときには剣術に打ち込み撃剣の使い手となり、その技で友人の敵を討つなどの義侠家でした。しかし、人を傷つけることに虚しさを覚えたのか、以後は学問の道を進みます。
 荊州に移り、諸葛亮と同じく司馬徽の門下生となります。そして荊州に有名な劉備が逃れてくると会見し、劉備の軍師として諸葛亮を推薦します。劉備がそれならと連れて来るように命じますが、徐庶は劉備自らが訪れるよう勧めたことで、三顧の礼が実現します。その後、曹操が劉備を追い払い荊州を支配するようになると、そのまま曹操の配下となります。以後は政治家として御史中丞にまでなります。
 これだけです。伝が立てられていないのでこれ以上が何も無いのです。それなのに演義では、劉備の最初の軍師として仕え、攻めてきた曹仁を計略で華麗に撃退し、その事で曹操に目を付けられ、程の策で偽の母の手紙によって母が人質になっていると知らさせ、泣く泣く劉備のところを去ります。その際に諸葛亮を紹介することと、曹操の為には一切献策をしないと誓いを立てます。さらに後に赤壁の戦い際にも登場し、ホウ統の連環の策を見破って見せます。
 演義でもその登場は僅かなのですが、あまりにも華麗で義理堅く描かれている為、ファンが多い1人です。
 
 その能力は、演義をまったく加味しなかれば×□のマークで1/2/3/3ぐらいでしょう。しかし、これだけ有名な徐庶をこんな凡庸な能力にしたくなかったので、徐庶については演義の記述を参考にしました。またファンの間では、徐庶は劉備との誓いを守り曹操陣営ではわざと活躍しなかったのは事実では? と言う熱望がありますので、それを是としました。
 統率は軍を率いるのにも問題ない武闘派軍師なので3、武力は撃剣の使い手ですが実戦は少ないので2、政治はほどほどで3、知力を文句なしの5としました。マークは、劉備だけに仕えることを望んでいたので、他のマークは付けず□□です。
コメント
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