植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:劉繇

2011年02月12日 10時20分37秒 | ゲームシステム
所属:後漢(独立)
年齢:約44歳(200年の時)

 マイナー君主、劉繇です。演義や某ゲームですと単なる孫策のやられ役の劉繇ですが、実はかなりマシな君主なのです。劉繇はどこかの誰かとことなり、劉邦から連なる直系の末裔です。しかも19歳の時盗賊に捕らわれた叔父を救出をやってのけ、仕官しては賄賂を行う上官を訴え、まさに血筋良し、頭良しで正義感もある人物です。
 茂才に推挙に推挙された時、既に兄も推挙されていたことから、2人もか?と渋られた際、推挙した者はこの2人の兄弟を推挙するのは2匹の龍を得るようなものとまで言ったそうです。

 そんな劉繇が戦国の世に登場するのは、193年前後に揚州刺史に任命されてからです。この時、揚州の治所である寿春には袁術が割拠して近隣に侵攻を繰り返し、民を苦しめている状況でした。そんな袁術を討伐しようと思った劉繇は、しかし今はその力が無いので、対岸の呉郡の曲阿に居を構えます。そこには袁術配下だった呉景と孫賁が居ましたが最初は友好な振りをして、その間に力を蓄えてそして2人を追い出してしまいます。怒った2人が攻めてくる際には樊能・張英・薛礼・笮融と言った豪族を配下にしており、寿春から対岸となる曲阿は攻め難く、1年経っても落ちない状況でした。
 この間、劉繇は対岸一帯を支配下に置き、守備を固めつつ良き統治を行い、さらに人材登用を行います。この中には太史慈や、後に呉の初代丞相となる孫邵らが居ました。これらの方策には人物鑑定家で有名な許劭が関わっていました。恐らく参謀的に数々の助言を行っていたものと思われます。そして劉繇は曹操(朝廷)に使者を出し、袁術を挟み打つ計画を立てます。

 順調な統治を見せる劉繇ですが、状況が一変する自体が置きます。袁術側から援軍として孫策が出陣し、呉景・孫賁軍と合流すると瞬く間に、張英らを各個撃破していきます。総兵力では劉繇軍の方が勝っていたのですが、劉繇軍は樊能・張英らがバラバラに軍を動かしていた為、そこを突かれてしまいます。これは劉繇自身や劉繇配下に軍全体を統率する者が居なかったからです。
 武勇誉れ高い太史慈も太史慈自身は1兵も兵を持っていないことと、許劭が嫌っていたため、劉繇は上手く扱うことが出来ず、ただ偵察の任務を与えるだけでした。

 かくして曲阿は陥落します。劉繇は最初、友人の王朗がいる会稽に逃げようとしますが、許劭が会稽が次に孫策が攻める場所になると考え、長江を遡って豫章に逃亡することにし、曹操や劉表の援助を期待します。しかし、豫章では笮融が反乱を起こし、劉繇はこれと戦い何とか追い出すことに成功したものの暫くして病死してしまいます。
 平安な世ならば良い政治家になったのでしょうが、乱世では成すすべがありませんでした。

 さて能力ですが、一応軍隊を率いて曲阿で孫策と戦っていること、そして笮融の反乱を鎮圧していることから最低限の2、武力はまったく体を動かせない文官ではなかったことから2、政治はマシな政治を行っており、有能であったことから3、知力も対袁術の戦略眼は確かだったことから3としました。悪くは無いのですがそれ以上では無い能力です。しかし、最も優れているのはマークです。もっともマーク数が多い×と、次にマーク数が多い○をマークをマークにしていることです。
コメント
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