植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:程普

2011年02月08日 20時49分32秒 | ゲームシステム
所属:孫堅→孫策→孫権
年齢:約50歳(200年の時)

 演義では孫堅四天王の筆頭人物です。最初は州郡の役人でかなりの知恵者だと評判でした。しかし黄巾の乱が起こるとその討伐に参加します。参加した軍が孫堅が居た朱儁で、以来程普は孫堅と共に各地で功績を挙げていきます。特に凄いのは苑城の戦いで孫堅と共に城壁をよじ登って城内部に入り込み陥落させたとあり、その奮戦ぶりが伺えます。その後、孫堅が反董卓連合に参加するとそれにも従って陽人の戦いでは、黄蓋や韓当らを抑えて唯一、野戦も城攻めも奮戦したと言う記述を残すほど一人活躍しています。当時、程普が孫堅軍にとって最も戦略や策略に通じていた為か、演義では孫堅の参謀的な役割として登場し、孫堅が洛陽で見つけたものが玉璽であることを説明したりしています。
 そんな程普ですが、孫堅が劉表攻めで亡くなると他の軍団メンバーと共に袁術配下となります。そして、その軍団を遺児 孫策が引き継いでから再び程普の活躍が始まります。
 程普は孫策と共に陸康攻めから劉ヨウ攻め、そして会稽の王朗攻めなど江東・江南の各地を転戦し戦果を挙げます。この孫策の電撃的なまでの勢力拡大戦においてその実行部隊として最も戦ったのが程普と言えるでしょう。特に祖朗との戦いにおいては孫策と共に敵軍の中に孤立してしまうと、味方に孫策の護衛をお願いすると、只一騎で矛を持ち大渇しながら敵兵に突っ込みます。あまりの奮戦振りに敵は恐れをなした為、退路が出来 孫策は脱出することが出来たとされます。
 そんな中、孫策が没すると崩壊しそうな軍団を取り纏め孫権に従わせ、またこれを機とみて各地で反乱を起こす諸勢力を鎮圧しており、この頃の周瑜の記述が無いので、実際に軍事面で孫権をサポートしたのは周瑜ではなく程普だったと思われます。そして赤壁の戦いでは復活した周瑜と共に総指揮官になります(右督なんで一応は次官)。この際、実際に孫権を支えていたと言うプライドからか、幾らか周瑜と衝突したようですが、周瑜が年長の程普を敬い礼を尽くした為、打ち解けたとあります。
 かくして、周瑜の戦略と、黄蓋の策略、そして程普の指揮によって赤壁に呉軍は勝利します。この赤壁の戦いを最後に年を取った為か程普の参戦の記述はなくなります。しかし、今度は統治者として貢献します。呉の荊州における重要拠点となる江夏郡の太守としてこの地を10年余り統治して没します。後に、皇太子の孫登が歩隲に有能な人材を問うと、荊州で活躍した人として陸遜や諸葛瑾、潘シュンと共に程普の名も挙げられるほど、この地の安定に寄与し、住民からも慕われたとされます。

 統率は孫堅配下中の数々の功績と、赤壁で右督を任されたことで4、武力は各戦いで常に先陣をきって勇猛果敢だったこと、孫策を助け出した逸話、それに演義で鉄脊蛇矛と言う武器を使っていたと武器名まで登場することから武力を4としました。政治はその統治能力が優れていることから3、知力も孫堅の参謀的な役割をしていたと思われることから3としました。
コメント
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