住んでいるビルに水道の大掃除が入るから、と言われました。
「あ、そ。どのくらいかかるの?」
「たぶん、1時間かそこらだろう。」
「はぁい。わかった。」
朝もはよからやってきたマンションの管理会社から派遣されてきた水道会社の人たち3人。
最初は、「じゃあ、ちょっと1時間ほど蛇口から水を出しっぱなしにさせてもらいますんで。」までは順調そうでしたが、なにやら雲行きが怪しくなってきた。
「あれ? 水が出なくなったぞ。」
「どういうことだ?」
「あ、止まった。」
など、こちらが不安になるような会話が飛び交います。
ついに昼までには終わらず、午後からもずっと作業は継続することとなりました。
その間、私は水が出たり、出なかったり、出ても汚い水だったりするので、お勝手はできない、顔は洗えない、トイレもままならないで往生しました。
途中でダーリンから「どうや? どんな様子だ?」と電話が入りましたが、職人さんたちの前ではいい顔をしていた私もダーリンには愚痴グチ・・・
「ちょっとお、こんなはずじゃなかったんじゃないのぉ。わたし、仕事があるのにどこにも出かけられないじゃん。おまけに何の説明もないしさ。ここのようにウチともう1軒しか住んでないようなマンションで、しかも管理会社が知り合いの人だからってことで甘えてるんじゃないの? こんな対応、普通の何世帯もあるようなマンションだったら、絶対どっかがクレームつけてるよ。」
そうです。
普通のマンションなら、最低でも1週間前ぐらいに掲示板に張り紙がされるか、1軒1軒に電話なり、投げ込みなどのチラシが入るかで、何時から何時まで断水するので事前に必要な分は汲んで置いてください、などの案内がくるはず。
その断水予定がまぁ、大目に見て1時間程度狂うのは仕方がないとしても、それ以上の狂いが生じれば、「ちょっと、どうなってんの?」とクレームが来るのは当然でしょう。
「知り合いだから文句つけないだろう、って甘く見られてるんじゃないの?」と怒りおさまらぬわたし。(この管理会社の社長さんとはダーリンは、仕事関係で知り合いなのです。)
私の中には、水道光熱ガスというような生活のインフラ整備のことについてはたいてい女房にまかせっきりで、「じゃあな。俺は仕事があるから。」とそそくさと逃げるように去っていくダーリンにも腹をたてていたのでした。
たまたま家で仕事をしているからって家のことを何もかも私に押し付けられるのは割りに合わない。
おまえも働いているんだから、家のことは共同でやっていこうな、って言ったのはダーリンのくせに。
「ふぅん。なんか不測の事態が起こったんだろうな。毎日の俺の仕事と一緒だよ。まぁ、俺に免じて許してやってくれ。」とダーリン。
そこでハッと気づきました。
確かに毎日毎日、ダーリンには朝から仕事の電話が入る。
その電話で起こされるといってもいいくらい。
たいていが「あれ、どうなってんだ?」「施主さんからクレームが来たぞ。おまえんとこ、何やってくれたんだ。」というような電話ばかり。
私はそういうのにいちいち耳を傾けていると自分のストレスになってしまうと思い、一切介入しないようにしているので、何がどうなってんだか知りませんが、毎日あまりにも同じような電話に、内心では「前の反省が生きてないのかよ?」とダーリンを疑問視していました。
けれど、毎日毎日、少しずつ顔を変えた不測の事態、ってやつが起こるんでしょうねぇ。
とくに中古の住宅の仕事ってやつは。
そしてそういうことが毎日続くうちに、そういうことは何かしら起こって当然のもの、となってゆくんでしょうねぇ。
確かに不測の事態や不慮の事態は、それ自体は予期せぬことでしょうが、それが積み重なると「予期せぬことが毎日起こることはほぼ予期できること」になっていくんでしょうね。
で、イライラもせず、神経も麻痺していく、と。
私は農業に従事している方たちのことを思いました。
お天気を相手にする、ってことは不測の事態、不慮の事態の究極ですよね。
丹精こめてつくった作物が、収穫時になったときに台風やら嵐やらのせいでふいになってしまっても彼らは怒らない。
もちろん、それは誰に対して怒ったらいいんだ、と怒りの矛先を向けようがない、ということもあるでしょうが、そもそもそういうものを相手にしているんだからという諦観とともに、何が起こってもそれを甘んじて受け容れよう、という度量が育っていくのではないでしょうか。
そしてそんなDNAが子孫に受け継がれていく。
昔のように大々的に農業をやっていない家に生まれ育っても、先祖がそういう生活をしていたら、そういう細胞が遺伝していくような気がします。
昨年受けたラハシャ博士のカウンセリングスキルコースでは、ラハシャ博士が、このコースを中国でおこなったときのエピソードを話してくださったことがありました。
何かよからぬ反体制分子が集会を行っている、というような間違った情報が伝わってしまったのか、あるときコースの最中に軍隊がどやどやと押しかけて入ってきたことがあったそうです。
そのときはどうなることか、と思ったそうですが、たとえどうなっても私はすべてを受け容れる、と、ラハシャは“自分自身の真ん中”にどっぷりとただ浸っていたそうです。
結果は、「これは素晴らしいコースだ。頑張ってくれたまえ。」と行って、軍隊は去っていったそうですが・・・
その話を聞いたとき私は、はぁ~、そんな心境になれたなら、どれほど心穏やかに生きていけることか、と思いました。
そう思う反面、「何モノにも揺るがない」と「何にも反応しなくなる」は同義語なのではないか? 私はその2つの違いがわからない、と思ったりもしました。
そんな心境になれるはずもなければ、なったとしたらそれはつまらない人生なのではないか、という疑念を抱いたりもしていました。
水道屋さんたちは、あ~でもない、こ~でもない、と誠実に仕事をし、決して「もういいやん。このくらいで」と手を抜くこともなく、常に一定の仕事への使命感と出来に対する水準を保ち、仕事をやり終えました。
・・・終わったのは、17時すぎでした。
丸1日私は彼らにつきあって、立ち会い(まぁ、居るだけのことで適当に仕事をさせてもらいましたけどね。)、自分の仕事を片付け終えることはできずその日は棒に振りましたが、いかに「人事をつくして天命を待つ」という境地が大切かということに気付かせていただきました。
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