ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

声をかけあう

2011-06-22 09:10:00 | 身辺雑事

先日の父の日、プレゼントを携えながら、ついでに久々の実家の串かつ屋「かつ勉」でダーリンと夕食をとりました。


私たちはまだ早い時間に行ったこともあり、私たちがテーブルについたときはほかには2,3人のお客さんがチラホラという程度でしたが、徐々に混んできて、あっという間に10人以上になりました。(安いので、年寄り2人がやっている店ですが結構流行っているんです。)

あちこちから飛び交う注文・・・

それに対して83歳になる父は、耳が遠いことともともと記憶力がたいしてよくないことと動きが緩慢なことがあいまって、ちぐはぐな対応になったり、注文が通っていないことになったり・・

「ねぇ、さっきあそこのおじさん、ウーロンハイって言ったよねぇ。あれ、絶対通ってないね。でも、あのおじさんは通ったつもりでいるよねぇ。」

「ほんとだな。ちょっとコワモテの人っぽいけど大丈夫かなぁ。」とひそひそ声でダーリンと話すわたし。

「はぁ~、こんな緊張する居酒屋ってないわ。人の注文が通ったか通ってないか気になって気になって。」とダーリン。

「ほんとだねぇ。」と私たちは笑いあいました。

するとあるテーブルから「お勘定して!」の声が飛びました。

「はい!」と答えた父親が振り向くと、そこに母の姿がない・・

注文でてんてこまいの父親はお勘定をしている暇がないので、それを母にやってくれ、と合図を送ろうとしたら母がいなかった、というわけです。

そして別のところからはまた注文が。

ここのお客さんはほとんどが常連さんばかりなので、皆さん、だいたいの事情は把握しています。

また別のお客さんが、「オカアチャン、いないの?」と言います。

自分も注文したいけれど、今のこの状況の父に言っても忘れられるか、聞き届けられないか、いずれにせよろくろくその注文が通らないことを知っているので、どうせならしっかりと注文が通る“オカアチャン”に注文はしたいのです。

「どこ行ってまったんだぁ。」とちょっとイライラを募らせた声の父が階段下から2階に向かって「オーイ!」と呼びます。

すると「ハーイ」という声が聞こえて、ほどなくして母が降りてきて、事なきを得ました。

「おっ、オカアチャン、来た来た。」とお客さんたちも言い合って、一気に皆さんの間にほっとした空気が流れたのがわかりました。

私は久々に実家にお客として食べに来て、この、さもありなんという光景を目の当たりにしながら、ある感慨にふけっていました。

今日のこの光景を純粋にお客目線からだけ見れば、「オカアチャン、知らん間にいなくなってまって、何やっとんだぁ? ちゃんと声かけていかんとあかんがな。」ということに尽きます。

しかし、これを私はずっと“この家の娘”目線から目の当たりにしてきました。

そのときに思っていたことは、「お母さん大変だな。お父さんのほうが動きが鈍いがゆえに。」でした。

あれくらいのこと、お母さんを呼ばなくてもお父さんがひとりで切り盛りすればいいじゃん、何怒ってお母さん呼んでるの?だったのです。

なにせ母親は父親と一緒に店をやりながら、家事の一切を引き受けています。

父親が何か家事の一端をになうということは何もありません。

それだけならともかく、店の仕事さえ五分五分ではありません。

父はもともと料理なんて何も出来ないので、店での父の担当は「串物」だけです。

串カツをあげる、どての味噌の具合をみる、レバーやつくねを焼く・・・

それに対して母親はそれ以外のいっさいをやります。

冷奴や枝豆などのさほど調理が必要でないものから、グリルでの焼き魚、鉄板での卵焼き、なすの中華風など少し手間のかかるものまですべての料理を担当し、さらに洗い場、飲み物の提供、電話をとる、お勘定まで。

これは割に合わない仕事量に違いありません。

父はこれらの調理が一切出来ないがゆえに、お客さんが混み合っていない状況のときでもたった1人のお客さんが「母親メニュー」を担当したら、そのときはどうしても母が必要となります。

だから、母は休まるときがありません。

父は注文がたてこもうが、自分が担当する串物の調理がないときは、ぽーっとあらぬ方向を見つめ、母のすることを手伝う気振りもありません。

母に言わせれば、「あんな簡単なメニュー、教えるも教えないも横で見ててやる気になれば、犬の子だって作れるようになるわ。」


「私が何時間、もうトイレにも行けないでいると思ってるの!」

母が声を荒げるところを何度見たことか。

だからわたしもせっかちになってしまったんでしょうね。


父と母は、夕方の16時ごろに遅い昼食をとってから店をあけます。

食べ終わってすぐに階下に行き、店を開ける父に対して、母はそれから今食べたものの洗い物をします。

しかし、時には店を開けると同時にすぐにお客さんがやってきて「母親メニュー」を注文することもあるので、そうすると母はすぐに階下に降りていかなければなりません。

そしてまたヒマになった頃を見計らって、上にあがって洗い物の続きをするのです。

このときの「あれ? オカアチャンの姿が見えなくなった。」もたぶん、そういうことだったと思います。

母に言わせれば、「お父さんだって状況はわかってるはずでしょ。いない、いないって、洗い物するために上がったに決まってるじゃないの。」

父に言わせれば、「ちょっと眼を離した隙にいない。どこに行ったのかわからん。」

母が決して息抜きのために2階にあがったわけではなく、家事も片付けながら、店もやりながら、常にくるくる動いていたのを私も知っていますから、「遊んでるわけじゃない人に対してそう声を荒げなくても・・」と思っていました。

そして「私が何をしているか察すればそれくらいのことわかるだろうに。」と腹を立てる母には、「そりゃあ、確かに一言声をかけなくちゃお父さんだってわからないじゃないの。毎回、毎回覚えるまで根気よく言い続けるしかないんだって。」と言っていました。

すると決まって母は、「言ったってあの人は一緒。すぐに忘れる。今までだって何度となくそうだったんだから。同じこと。」と切り捨てるように言います。

そりゃあまぁ、何十年と一緒に暮らしてきてそうだったのなら言っても言わなくても忘れちゃって一緒、というのは確かかもしれませんが、いくら忘れっぽい人、気付かない人でも必ず覚える瞬間というのはあるはずなんですからやはり言い続けるしかないと思うんですよねぇ・・・

でも、その根気が母には、ない。

「言うより自分でやったほうが早いから。」が口癖でした。

それをしてこなかったがゆえに母は自分で自分の首を絞めている、とも言えます。

根気よく自分にしか出来ないメニューを父に1つずつ教え、手放す。

そういうことをしてこなかったので、父は「串物担当」というポジションだけに収まってしまったわけです。

ま、私はいつも娘目線から母の仕事量の多さ、嘆きを聞かされてきましたので、母の言い分にどうしても偏り勝ちに見てきましたが、今日は純粋にお客目線となってみると、そりゃあ、一声もかけずにふっといなくなってしまう母も母だ、と改めて当然のことながら思いました。

「ちょっと空いてきたみたいだから私、上にいって洗い物の続きしてくるね。何かあったらすぐに呼んで。」と一言父に言い置いていきさえすれば、父も呼ぶことは同じであっても、「どこ行ってまったんだぁ!?」と声を荒げながら呼ぶ、ということをしなくても済むわけです。

そして、お客さんもはらはらしないで済む、と。

言っておいたって、それを忘れて「俺は聞いてない。」とか「そんなことあったっけ?」と言われるのでもう言う気がしなくなった、という母の気持ちもわからないではありませんが、とにかくお客さんの目線から見て、声をかけあわない調理場のふたり、というのは気分がよくありません。

一言、断りを入れる。

「あらかじめ言っておきますが、わたしは緊張するタイプなので、もしトチっちゃって聞き苦しかったらごめんなさいね。」

「ちょっと洗面所に行ってくるね。ついでに歯磨きもしてくるから5分くらいお待たせするかもしれないけど、心配しないでね。」

「今日は早く帰らなければいけないから、あと30分しかおしゃべりできないけどいいかしら?」

・・・などなどこういう「お断り」というフレーズを言っておくと、相手の心に心がまえというものが生まれます。

英語では、「クッションフレーズ」と言うそうです。

文字通り、背当てクッションのように、ストレートに言うと角が立つような言葉を和らげる効果。

これをしておくかしておかないかは相手に対する思いやりですよね。

「お断り」は、相手の心のスペースに自分が“不在”のときの、インフォメーションを入れ込む、ということでもあります。

自分の姿が見えないときでも、あなた、私がこう言って置いた、っていうこと覚えておいてね、という行為はある意味、相手にとって負担をかけることです。

だからお断りを入れるときには、言い方や内容にも気を使いたいものですね。

先ほどの例で言えば、「あらかじめ言っておきますが、私は緊張するタイプなので、トチっても許してね。」というのは、失敗することに対しての前もってのエクスキューズのように聞こえて気分がよくない、というふうに感じる人もいるかもしれません。

あんたがトチろうが、こっちには関係ないことを何を前もって許してね、とか言ってんだよ、と鼻白むかもしれないからです。

でも、あくまで相手目線になって、「聞き苦しかったらごめんなさいね。」と言うことで、あぁ、これは私のことを気遣ってくれてるんだな、と思えます。

難しいことですけれど、ちょっとしたことにその人の心栄えが現れます。

それは常に相手のことを思っての言葉になっているか、ひとりよがりか、なんですよねぇ。



父と母はあと何年店をやれるかわかりませんが、このまま声をかけあうということはないんでしょうかねぇ・・・




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