ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

風、水、火、地

2008-10-17 06:23:51 | 身辺雑事

東海地方にお住まいの皆様であれば、記憶に新しいところですが、9月に<msnctyst w:st="on" addresslist="23:愛知県岡崎市;" address="岡崎市">

岡崎市

</msnctyst>に水害がありました。(レイの麻生さんの問題発言になったところです。)

そして、これまた東海地方にお住まいの皆様であれば、ずっと気にしていらっしゃったと思うんですが、9月のとある日にちに岡崎を中心に大きな地震がある、とどこぞの誰かが予言していたそうです。

それは、TV番組かなにかで有名なサイキックの人が予言したとからしいのですが、残念ながら私はその番組を見ていませんでした。

そのせいで、その直後からやたら私の周りでは、「ねえ? 知ってる?

今度○日に地震あるって」みたいな言い方で、もはや地震が起こることは疑いの余地はない、ってなくらいの流布がなされていました。

結局、起こらなかったわけですけれど、あれが水害と成り代わったのかなあ・・・

政府が声高に地震に備えて普段から準備をしておけ、と口すっぱく報道するよりもたったひとりのよく当たると評判の預言者の言うことのほうが威力があったみたいですねえ。

だって、私でさえあのときは普段棚に並べて出してあるボトルをすべて片付けましたもん。ほかのものには何ひとつ備えの手をつけていないのに。

阪神大震災並みの震度7とかの大地震であればどのみち全てが崩壊だからあきらめもつくけれど、震度3とかのレベルで、ほかのものはどうってことないのに、ボトルだけが棚から滑り落ち、全て割れた、ということにでもなったら泣いても泣ききれませんもん。

ホームセンターで衣裳用ケースの小さいやつと果物用の発泡スチロールの網になったやつを購入してきて、せっせと1本ずつ発泡スチロール網に包んでケースにぴっちりと詰めて待機させておりました。

でも、ボトルが棚に並んでないと寂しいこと、寂しいこと。

ふだん、コンサルテーションがない時間や自分が選んだりするわけでもなくてもいかにボーっとボトルをなんとなく眺めて癒されていたか、よくわかりました。

というわけで、喉元すぎれば・・と10月になって、棚にボトルは戻しました。ボトルくんもなんとなく、落ち着くべきところに落ち着いた、という顔をして立っているようにみえます。

だけど不安だなぁ~。災害って忘れた頃にやってくるもんねぇ。

そもそもボトルを並べる棚ってものが各自のくふうによって作ったり、ありネタを使ったりして並べるだけで売ってないんだよね、アザイアクトからは。

キャリーケースというものは売っているけど。

多少の震度には耐えうるようなボトルひとつひとつをがっちり固定できるような、それでいて色も綺麗に映えるように照明で照らすことができる棚をお値打ちに売り出して欲しいな。(あるオーラソーマのスクールでは独自に売り出していたりするらしいけど)

ところで、先日、まったくスピリチュアル系のことなんて興味ない、という風にみえていた仕事関係の方が最近そういうことが好きだ、とおっしゃって結構話が進んじゃいました。

そのときに、災害についてその人が、

「今までに地球上に起こった災害は、『風』『水』『火』『地』に即して大きなものが起こっている。つまり、台風(ハリケーンなども含む)、大雨や津波による水害、火山の噴火、地震。それで、このあと残すは隕石の落下だけらしいよ。」と言ったので、私はその災害そのもののことより、風水火地がまたこれ生命の樹のステージと同じじゃないの!ということばかりに気を取られてしまいました。

何かに出会うと関連するように次々にアンテナに引っかかるようになる。

こういうことが起こるときというのは、自分の潜在意識や第三の目が開かれたようになってきたからだ、と言います。

宇宙のすべてのことは生命の樹によって解き明かされると、カバラに通じる人々はおっしゃるので驚くに値しないことなのかもしれませんが、私にはいちいち驚くことばかりです。

隕石の落下とは、フォトン・ベルトのことなんだろうか?・・

私は「魂の進化」にばかり興味があって、「人類滅亡の日はいつか」ということには全く興味がないので、この件に関してはあまり調べる気はしませんけど。

だって、その日がいつか来るなら、調べた人だって知らない人にだって平等に訪れちゃうわけでしょ。だったら、知らなくていいもん。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿