ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

2008-10-12 08:04:08 | 身辺雑事

昨夜、花奴の夢を見ました。

「花奴」とは、このブログの一番最初のほうでも紹介した、去年亡くなった猫のことです。

夢のなかでも花奴は亡くなったばかりのところから始まり、そしてなぜか元気で普通にしていました。

「おかあさん! 花奴生きてるじゃん!」と言うと、

「そうだよ。死にかけたけど息吹き返したんじゃないの。」となんでもないことのように母は言い、私はうれしくてうれしくて泣いてしまい、しらーっとしている母とお手伝いさん(なぜかそんな存在が夢のなかでは登場していました。ほんとうの我が家にはもちろんそんなリッチな存在はいませんでした。)の前ではこれ以上泣けないと思い、自分の部屋でもっと思い切り泣こうと階段を上がっている途中で、これまたなぜかその涙が悲しみの涙に変わり、しまいには「はなやっこぉ~!」と叫びながら、目を覚ましました。

花奴のことは今でもときどき思い出します。時々忘れます、と言ったほうがいいくらい思い出しています。

そして、「たとえ夢でもいいから出てきてくれないかなぁ」と常々願っており、やっと夢に出てきたと思ったらこの有様。

これではあの世で花奴も「やれやれ。出て行ってやったらこんなことになるんだったらやっぱり当分出番はないわね。」とか思っているに違いありません。

しかし、夢とはどこまでが「現実だと思ってみている夢」で、どこまでが「夢だとわかってみている夢」なのでしょうね。

私は、両方あるなあ。

昨夜の夢なんかは両方が一話のなかに混在してた感じだったけど。

以前、「現実だと思ってみている夢」をみるタイプの人より、「夢だとわかってみている夢」を見るタイプの人のほうが、潜在意識と繋がりやすい、と言うようなことを聞いたことがあるんだけど、それは、違う次元の世界を両立してもっていられるタイプだから、ということなんだろうか・・

夢といえば、昔グラフィックデザイナーの横尾忠則さんが「夢日記」という本を出していて、それをパラパラと本屋でめくったとき、それはほんとうにごく個人的な夢の覚書で、そんなもの一般読者が読んだってなんこっちゃ?という部分もあれば、とにかくおもしろくもなんともないだろーが! 有名人になるとこんなことでも金儲けできちゃうようになるわけぇ~と思った覚えがあります。

横尾さん独特のちょっとケバいような色づかいで目だった表紙だったから手に取ったというのはあるけれど、結局、買いはしなかったその本のことをこんなにも覚えているなんて、これはどういうことなんだろう??なんて自分でも今、不思議です。

ともあれ、私はその後、自分でも少しの間「夢日記」というものをつけてみたことがあります。

コツは、常に枕元にメモと鉛筆を置いておいて、夢を見た瞬間に意識的に起きるようにするんです。そしてメモする。また寝る。(今考えると、『屁の突っ張り』<話題の言葉なので使ってみました>にもならないそんなことをして、何をしたかったんだろうね、私は。)


こういうことをした結果、何がわかったかというと、

    朝起きるともう忘れてしまっている夢まで覚えていることができる。

    のちのちメモをみてもそのときの夢を鮮明に思い出すことが出来る。

ということぐらいです。


しかし、この②というのがすごく衝撃的で、今でも、「なんだ? あんな夢」というようなまったく無意味で、なんてことない情景の夢をそのメモを見ただけで、そのときに話していた人の背景やらテーブルに載っていた食べ物やらインテリアの質感やらこまごまとしたものまではっきりと思い出すことが出来るんです。

まったく、脳に問いかけたいくらいです。

こんな覚えててもなんのトクにもならないようなことは忘れ去ってもいいから、もっと重要なことが覚えていられますように、と思わないわけ?!、と。

それともどこかでその夢を覚えていたということはやはり重要で、何かしら意味があるってことなんだろうか・・

それにしても、ほんのちょっとのメモで、これほどまでに脳に鮮明に記憶を残すことができるならば、出来るだけ覚えていたいようなことはメモするに限る、ということになります。

以前にも書いたことがありますが、アザイアクトではコンサルテーションで話したことを記録にとってクライアントに渡すことを奨励していません。その理由としては、「日本人はどうも書いたものにとらわれすぎるから。」「もっと、そのときに生まれたライブ感を大事にすべきだ。」ということかららしいのですが、

現実のなかでのやり取りはともかく、夢のメモについて言うならばものすごくライブ感もリアルなまま思い出すわけですよ。

これは、「意識的に思い出すことにはあまり意味はない」けれど、「無意識でつながったものを思い出すことは意味がある」ということになるのかな?

だから、というわけではないんですが、少し前から私は、コンサルテーションで話したことを一言一句もらさず記録して渡す、と言うことに意味がないとは思うものの、何かしらその人を勇気付けることになる言葉のプレゼントはしたいな、と思うようになり、コンサルテーションで1番目に選ばれたボトル(つまり、その人にとってのソウル・ボトル)のアファメーションだけを書いて渡すようにしています。

オーラソーマの表現って、持って回ったような言い回しとか「もっと噛み砕いてどういう意味か教えてくれないと何が書いてあるのかわかんな~い」ということも多いのですが、そこは、その人が自分でこうではないかと思うことでいいのですよ、ということにさせていただいて、あえてこちらからは解説を加えません。

考えて、考えて、考えるのをあきらめてふっと入ってきた考え、っていうのを大事にしてほしいから。




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