ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

家族で福井に行ってまいりました2

2012-11-07 09:06:00 | 旅行記

さて、昨日は敦賀の「日本海おさかな街」に行った話をUPしましたが、その後、私たちは、レインボーラインというドライブウェイを抜けて、三方五湖が一望に見渡せる展望台に行きました。
まだ足が悪い父はそんなに歩き回ることはできないので、車に乗って景色を愛でるのが一番だろうと思ったからでもあります。

小さい頃、私は景色がごちそうだなんて思ったことはありませんでした。

団体のバスツアーなどで親に連れてこられる観光名所の景勝地というものにむしろ嫌気がさしていました。

昭和30年代~40年代の日本人なんて、戦争に負けた日本でもようやく旅行に行けるような身分になったんだ、ということだけで舞い上がっていたような時代ですから、名所にくるととにかくパシャパシャと写真をとりまくる。

欧米人がからかった頃の日本人そのものですね。

首からカメラをぶらさげ、分厚い底のメガネをかけて、旗をふる先導のツアーガイドについてぞろぞろとインプリンティングされたあひるの仔のごとく歩き回る・・

子どもながらにイヤで仕方がありませんでした。

なんの余裕もなく、ただわぁ~っと押し寄せて写真だけをパシャパシャとって、それでこの名所を堪能したとどうして言えるのか? 

精神的なゆとりのかけらもないようなせわしない大人たち。

私はちょっとませた子どもだったかもしれません。

“今”この瞬間、この景色と向かい合っている、ということに価値を見出せずに間接的にファインダーだけのぞいて帰るなら、自分の目で景色を見ていないんだからそんなもの何の意味もないじゃないか、と思っていました。

それでイライラして、自分も楽しくないのです。

でも、そんな周りの大人たちの様子を冷めた目で見ていた私だって、なんの精神的ゆとりもありゃしなかったんですよね。

しかし、今は景色をご馳走だと思える。

この日はまたとない快晴でした。

しかし遠くに浮かぶ島と水平線を眺めているとぼんやりとかすみがかかったように見えます。Photo_4

まるで仙人が住んでいるようなところだな~と思います。

そしてこのような景色とも一期一会だなぁ、と思い、このステキな自然の配色を目に焼き付けておこうと思う。

やっぱりこういう楽しみは大人のもんだね。

小さい子どもを連れてくるもんじゃない。

子どもが小さいうちは近所の公園でじゅうぶんなんだって。

あるいは、フィールドで虫取りをするとか、魚釣りをするとか、何かアクションがあるようなことをやらせてあげたほうがいいね。

つくづくそう思います。

さて、車でいける一番上まで行くと、そこからは1人用のリフトかケーブルカーに乗ってさらに山頂まで行きます。Photo_5

選択があってよかったわ~

1人用のリフトだけだったら、父にはちょっと無理だったかもしれないから。

けれど見ていると、父と同等の杖をついた老人でも結構1人用のリフトの方にトライなさっている。

そして、やはりタイミングがつかまえられず1台、2台やり過ごしたりしている。

それでも恐れず果敢に挑戦する姿勢はたいしたもんだ。

山頂はリーフレットで見るより意外に狭いスペースでした。

でもやはりその眺めは最高!Photo_6

ふと見やると柵という柵にいっぱい錠前がぶらさがっている。Photo_7

これはなんぞや?

たてかけてあった看板をみると、どうやら恋人たちが永遠の愛を誓うのに園内のどこかにこうして錠前をかけていくのだそうな。(錠前は園内で\400で売っていました。)


・・ま、私はちょっと興ざめでしたけれどね。

だってぇ、2人の愛をカギでつなぎとめておく、っていうのはちょっとストーカーじみている、っていうか重いよね。

こんなものここへ来てかけあわないでも私たちの愛は続くものね、って言ってるほうが健全じゃないっすかぁ?

それにやたらとこうした神社やら名所やらが生き残りをかけて商売ベースで、“恋人、カップル”を対象にして儲け始めたような気がしてならない。Photo_9

やぁ、これは今、私が結婚して幸せだから冷めたこと言うわけじゃなくて、私の感性には合わないね。

若くて、恋人同士でここへ来たってわたしゃ、こんなものにはカネを落としませんよ。

錠前ですからね、この人とは別れることになったという後のちもずーっとこの錠前はここに掛かってるんだ、と思うだけでも気が重い・・・

しかし、そんなおばさんの思いとは関係なく、鋲がついた革ジャンを着た一見ハードそうに見えるお兄さんと可愛い女の子のカップルとかもせっせとこの柵に新たな錠前を増やしておりましたよ。

私たち家族は錠前はやめて、「かわらけ投げ」をいたしましPhoto_10 た。

これは素焼きの小さなお皿に願いごとを書いて、山頂から湖の方向へ投げるのです。

湖に到達するわけはなくて、100mくらい先の森林のなかに落ちるだけなんですけどね。(そしてそのお皿は土に還ります)

ダーリンは、ゴルフのスコアアップをお願いしていました。

私は・・・  ひ・み・つ。

あとはちょっとしたバラ園とPhoto_11 、日中友好の鐘が皮肉にも(?)鳴り響いております。Photo_12

しかし先ほども申し上げましたように意外に狭いので、ほんの10分か15分ほども居ればこの山頂はもう隅から隅まで散策できてしまいます。

子どもの頃の私なら、なんだ~、つまんないとこ!って言ってただろうなぁ~ってところです。

でも今こうして年老いた両親を連れてくるのには、ちょうどいい規模だわ~って感じです。


私は今が一番幸せかもしれない、とふとこの瞬間をかみ締めました。

小さい頃は正直、両親にいろいろと連れまわされて旅行に行ってもたいして楽しくはありませんでした。

それは昨日も書きましたが、両親がマイカーをもたなかったため、いつも旅行と言えば、団体行動を強いられる見知らぬ人たちとのパック旅行でした。

そして今でも同じかもしれませんが、そういうものに応募してくる人というのはお年寄りが多いんですよね。

小さい子どもを連れたニューファミリー層なんていやしません。

そんななかで子どもの私とほかの人たちとの趣味が合うわけないじゃないですか。


それに比べたら今ではダーリンと一緒に自分で好きなところに好きなプランで行くことができる。

そしてそれに両親を連れてきてあげることができる。

「連れて来てあげたかった人」と「一緒に居たい人」と「連れてきてもらいたかった人」が一体となった愛情に包まれて同じ時を過ごす、というこのかけがえのなさ。

それこそがメインディッシュなのであり、景色や場所はつけ合わせの野菜程度のものかもしれません。

だから多少思ったより行ってみてがっかりするようなところだったりしてもなぁ~んの問題もないんですよね、今は。(今回の日帰りの旅ががっかりするようなところだった、という意味じゃありませんよ。仮にそうであったとしても、って仮定の話です。)

そして普段の日常のなかだとちくりと気に障る発言の多い我が母も、こういうところでは「連れてきてくれてありがとね。」と殊勝な感じなのもいいですね。

自然は人間を素直にしてくれるのかもしれません。





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