ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

広島ツアー やはり原爆のこと 2

2018-10-26 09:01:21 | 旅行記
秋のぴーちゃん祭り
詳細です。といっても、200%自由人のぴーちゃんなのでどんなアルケミーが起こるかか乞うご期待デス。

このところ、ワークショップを開催して来ましたが、ぴーちゃんのお話をじっくり深く聴きたいとのリクエストにお応えして又原点に立ち返り

一日中ずぅっとぴーちゃんのお話会
ぴーちゃん算命学、実はスゴイんです、
この算命学と開花したぴーちゃんのフラワーエッセンスをメインテーマに当日の参加者のリクエストに応えてぴーちゃんの無数の引き出しからお話をします。みつばちの話、人生観、コイバナ、フラダンス、オーラソーマ、テーマは限りなくハートx2この時間は貴女への素晴らしいギフトになる事は間違いアリマセン
   10月30日(火曜) 10月31日(水曜)
        11月1日(木曜)
いずれもおよそ10時から17時
参加費用 1日15000円 2日間29000円 3日間43000円
     モーニング、ランチタイム、ティータイムを含む
     ぴーちゃんからのナニカのお土産つきプレゼント 
     最寄り駅への送迎シマス
      
夜のぴーちゃんを囲む懇親会 3500円
     懇親会だけの参加もウェルカムですよ。
夜お泊り希望の方は、別途1泊1000円でお受けします。
     お風呂はスーパー銭湯利用で別途650円要

コンサルテーション 12000円(50分)
 ・オーラソーマ・イクイリブリアムボトル(50ml)5,616円をプレゼント
    連日の17時30分から1枠のみの限定
ぴーちゃんのコンサルテーションが受けれるのは激レアです。
     この機会にぜひ。

お問い合わせ、ご予約は お気軽に
ayachan@@apan.interq.or.jp ←こちら、主催者さんに直接ご連絡となります。
@を一つ減らして送信してくださいね。

私に申し込んでもらってもいいですよ~
chakra@aura-soma.name
  縄文の人、太陽の人、ぴーちゃんに逢いに来てね
       
  
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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

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今日も、広島ツアーの原爆のことについての続きです。
次の日の午前中は少し自由時間がありました。
そこで、平和記念公園のすぐそばにホテルをとっていたので、歩いて行ける原爆資料館に行ってみました。
原爆資料館はいま、耐震工事を行っているのですぐお隣の小さな館のほうだけで営業を行っています。
それでも、十分に見応えがありました。
なにせ、小さい頃に修学旅行で来たおぼろげな記憶しかないのです。
それはほんとに「展示室」というレベルでした。
しかし、今は当たり前と言えば当たり前ですが、もっと現代的な見せ方になっています。



3Dを駆使した映像で、綺麗な街が一瞬のうちに焼野原になってしまう映像・・。
その爆心地に自分が立っているかのようなパノラマでの展示。
そのリアルさは目で見て、とか文字を追って、だけではわからないまさに皮膚で感じるものでした。
無力感・・。
もし私がここに居たら、生き残り、それでも生き抜こうとする強さなんか虫けらほどにもないに違いない。
ただ呆然と立ち尽くし、感情もなくした、ただの箱のような肉体をたずさえてぼーっとしているだけだろうな、それほどに私は弱いだろうな、と思いました。
だからこそ、だからこそ、生き残っている人たちは尊い。
ただただ、生きているだけで尊い、そう思いました。



私が小学生の頃に見た原爆資料館では自分で選択する余地もなく、ひたすら展示がつづき、そのなかには悲惨な写真や現存する衣服なども見ざるを得ないようになっていましたが、今は多少の配慮でしょうか、それらは入口付近の別コーナーにまとめられており、見学に耐えられない人はそこをスルーすることもできるようになっていました。
実際に、帰ってきてからこの話をしたら親戚の人が、
「あ~、わかる。私の友人にものすごく感じやすい人がいて、そのコーナーに近寄るだけで頭が痛くなる、という人がいたわ」
と言っていました。
それでも私は日本人として見る義務がある、という気持ちになり、そのコーナーに足を踏み入れました。
被爆者の証言などにもよくあるように、そこに写っている人たちは人間とは思えない・・ もしいきなり町でこの人を見たら幽霊か、と思いドキッとする、というくらいのひどい火傷を負って収容所にかつぎこまれた人たちでした。
顔が石膏のようになってしまって男性か女性かも判別できないようになった人・・ 骨がみえるまで足の肉がえぐりとられている子ども・・ 腕をまげた状態になって焼け爛れ伸ばすこともできくなっている人・・
そしてパネルの下に小さくキャプションがついていて、それを見るとたいていそれらの人たちはその状態で2週間ほども生きてから亡くなっているのです。
この状態で、たぶんほとんど治療らしい治療をほどこされることもなく2週間も生きているなんて、文字通り生き地獄だ・・・!
まさにそれならすぐに殺してくれ、と言いたかったことだろう、と目を覆いたくなりました。



一緒に行った友人がこんな話をしてくれました。
彼女が小学生の頃、なぜそういう話しになったのかは忘れたけれど、担任の先生から、
「もし、絶対に自分が被爆する場所からは逃れられないことが1時間前からわかっていたとしたら何をするか?」
という命題を投げかけられたことがあると言うのです。
自分の命を1時間捧げるとしたら、それで何が出来るか?という道徳の授業だったのでしょうか・・・?
彼女は、生徒たちから出たいろんな意見はすべて忘れてしまったけれど、担任の先生が
「私なら・・」
と語ったことだけを覚えている、と言いました。
それは、
「より爆心地に近づくための移動時間に使う」
だったそうです。
もう助からない、と判っているなら一瞬のうちに死にたいから。
被爆してから、苦しんで、苦しんで死にたくないから。
そんな話でした。
私たち人間には、「死にたくない」という本能が備わっています。
それに向かって、意図しまいが神経や意識も働くように出来ています。
でも、どうしても死から逃れられないとわかったら、「楽に死にたい」ということがこの世での唯一の希望となるのか、と思ったらやりきれないことです。
そして、そんな広島の被爆した中心地で暮らしていた親戚やたまたま離れて暮らしていた家族を探して、被爆した次の日からどんどん他市や他府県から人が流入しました。
そして、そういう人たちも被爆しました。
こういう被爆を「入市被爆者」と言うそうです。
入市で被爆した、という方が結構いらっしゃるのだということ、そして「入市被爆者」という言い方も今回初めて知りました。



この資料館がいつごろからあるのかわかりませんが、被爆者の方でいまもなお生き残っていらっしゃる方がいるのだから、ひょっとしたらこの展示の中には「あれは私の知り合いだ」とか、「家族だ」ということがありえるのかもしれません。
そう想像しただけでそれは私なら耐えられないだろう、と思いました。
そういう意味での犠牲のうえに成り立っている貴重な資料なのだよなぁ、と改めて思いました。
この原爆資料館を訪れたいろんな国の、いろんな民族の方がたが、この事実に何を感じ、何を持ち帰るのだろう、ということを1人1人にインタビューしてみたいような衝動に駆られました。



資料館には大きな時計があります。
この時計は「平和監視時計」と名付けられ、広島に原爆が投下された日から今日まで何日が経過したのか、そして世界のどこかで原爆実験が最後に行われた日から何日が経過しているのか、が表示されています。
「監視」という言葉はちょっとエキセントリックに感じるかもしれませんが、時計はただ誰にとっても平等な時の流れを刻み続けるだけです。
この時計が原爆資料館にしかない、ということが原爆をいかに後世に伝えていかなくてはならないか、の私たちの意識の希薄さを象徴している、と思いました。
もっと日本国中の、いや、世界中のあちこちに「平和監視時計」があってもいいのではないか、と思ったのでした。

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