初めてのモザイクアート体験をしてから3週間ぶりほどになるかしらん。
久しぶりに次の作品のためのタイルを仕入れに多治見までえんやこらさ、と行ってまいりました。
何せこのお店は週末の「金・土・日」にしか開いていないため、ふっと時間が出来て「あ、今からなら行けるな。」と思ったとて、それがその日にち以外であればどうしようもないんです。
金~日にこちらに予定が入ってしまうと次の週末まで待たなければならない。
というわけで、ようやく念願かなって3週間ぶりほどに再びお店を訪れたのでした。
体験での鍋敷きを除いた、初めての作品は欲張ってお店にあったモザイクの本の中から「これを作ってみたい!」というものに挑戦したのですが、やってみるとそれはとても難しくて途中から作品をまったく違うものに変更してしまいました。
それは「とかげ」だったのですが、とかげの指の先端の細く尖った感じが出せなくて・・
モザイクはタイルを専用のニッパーのようなものでパチンと切って小さくするのですが、そんなに細くカットしようとしても割れてしまって思い通りの形にはならなかったんです。
それをどうやったら出来るのか? そのテクニックについても今一度店長さんに聞いてみたい、という思いもありました。
すると店長さん(「店長さん」って言っているのは、その方の名前を存じ上げないからでして。 店長さんと言っても店員さんがいるわけではありません・・ ひとりで店を切り盛りしてみえます。)は、
「ま、モザイクアートなんだから、そのとおりの細さでカットできなくても、小さいものを組み合わせてその形にすればいいんだから。」とおっしゃいます。
「あとは慣れ。」とも・・
・・芸術家肌の方に多いタイプかと思われます。
決してケチでそんな技術的なことを簡単に教えられっか、ということではなく、こういうものって人に聞いてどうこうっていうことではなくて、自分でやってるうちに何となく感覚でつかんでいくものだろう? 自分もそうやって出来るようになったんだから、言葉ではうまく教えられないなぁ、ってタイプ。
なので私もこれ以上突っ込んで聞いても、って気になって、
「あ、そですか・・」とあきらめました。
そして、「ま、いずれにしても経験ってことですね。だからそのためには失敗するタイルの分も踏まえて大目に持っておかなくちゃいけませんね。私も遠いので、そうたびたび気軽に訪れるわけにもいかないんで、今日は次の3つくらいの作品分を頂いていきたいと思います。」と言って、お店に置いてあった洋書のモザイクアートの本からまた挑戦してみたい作品を選んだりしていました。
そして「あ! これいいなぁ。」と思うものを見つけてまた店長さんに、
「これなんてステキですね。こういうのを作ってみたい。」と言うと、その作品をチラと一瞥した店長さんは、
「あぁ、これは色が微妙に違うタイルを色々と数多く使ってグラデーションに見せていますね。そういう風にグラデーションに見せるのにも、いろんなやり方がありまして・・ 例えばこちらの作品なんかだと色数は少なくても間に白を挟むなどして少し離れてみるとグラデーションを感じさせるようにしているんですよ。
あなたがいい、って言ったヤツは、少し離れて見たとき、絵に見えちゃうでしょ。
せっかくモザイクなんだから、粒の集合に見せたいわけですよ。」
とおっしゃいました。
どうやら店長さん、私が「これなんて、ステキ。」と言った作品には快く思っていないようです。
モザイクアートのモザイクアートらしさを活かしていない、って思ってるようですね。
なので、ちょっとムキになって別の手法でのグラデーション作品を見せてくれたようです。
このとき、わたくし、衝撃を受けました。
当たり前のことかもしれませんが、この店長さんはモザイクアートというアートにものすごく誇りを持っているんだなぁ、って。
「それだと絵に見えちゃうでしょ。」
「せっかくモザイクなんだから、粒の集合に見せたいわけですよ。」
というこの2つの発言からそう思ったのです。
正直、私自身はモザイクアートを製作する面白さに惹かれたとはいえ、そんな風には思っていませんでした。
モザイクアートって、つまり「何かの断片を貼り合わせること」なので、その断片がタイルを使うことが多いとはいえ、石でもいいし、金属でもいいし、ガラスでもいいし、何でもあり、ってところが自由で工夫しがいがあっていいなぁ、と思ったのでした。
貼りつける方の素材も、木でも陶器でもトタン板でも何でもいいし。
でもそれを「絵画」と比べた場合、やはり緻密に自分が「本当はここはこう表現したかった」ということを具象化できるのは絵のほうだろう、という思いもありました。
モザイクはそのもどかしさがまたいいんだ、という程度に思っていました。
つまり私は、そこに表現されているのものとしては絵のほうが高尚だ、というように思っていたのですね。
しかし、この店長さんが、
「せっかくモザイクなのに、それだと絵になっちゃうでしょ。」という表現で語ったとき、この人は本当にモザイクアートを愛しているのだなぁ、という本当に何かを愛している人がそのことを語るとき特有のムードをいいなぁ、っていう感じとともに、「それが“できない”んではなくて“そうしない”ことの良さ」っていうものを私は見落としていたかもしれない、と思いました。
これをオーラソーマに当てはめて考えたとき、どうだろう・・
私は長年、カラーセラピーというものが「治療」とは認められないことについて「セラピーは治療よりちょっと劣ったもの」というような卑屈な心を抱えていたことに気づきました。
でもセラピーやヒーリングだからこそ、出来ることというのもいっぱいある。
「治療」ではなくて「快方に向かう」ということで試せることもいっぱいあるはずだ。
そこに気付いたとき、私はこれまで自分自身がカラーセラピーに携わっていながら、ヘンにカラーセラピーの立場を貶めていたことに気付いたのでした。
「オーラソーマのボトルを塗ったからって、ポマンダーやクイントエッセンスの香りをかいだからといって私が今抱えている問題に“効く”ってわけじゃないんですよね?」なんて尋ねられたときに、
「“効く”だと治療になっちゃうでしょ。オーラソーマは治療だとできないもっと広い範囲をカバーすることができますよ。」と言ってあげたら、その可能性はもっともっとパア~ッと花開くような感じがするのではないでしょうか。
ひょんなことから私にとっては意外な視点に気付くことができました。
あ、ちなみに店長さんにもう1つまた別の作品を指差して、
「これなんかもいいですねぇ。」と言ったら、それに対しても、
「あぁ、それはホームセンターなんかで手に入る薄いタイルを使っているからそういうカッティングが出来るんですね。」と、まるでホームセンターで手に入るタイルなんて鼻にもひっかけない、という感じでおっしゃいました。
「ちなみに・・・ そういう薄いタイルはここでは取り扱ってらっしゃいますか?」と尋ねると、きっぱりと、
「置いていません!」とやはり想像したとおりの答えが返ってきました。
ふむふむ。
芸術家肌の人と付き合うのって大変ですね・・
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