昨日は本論を書く前に終わってしまい、失礼いたしました。
さて、今日こそのっけから私が「我が唯一の望み」の実物を見てどう感じたか、を書きますよ~
展示されているタペストリーの順は、1.「触覚」 2.「味覚」 3.「嗅覚」 4.「聴覚」 5.「視覚」の順でした。
これが実際の製作順なのか、発見順なのか、この順で飾るような指示が残されていたということなのか・・(人として生まれ、感覚がそなわる順でないことだけは確かみたいですね。)
それはちょっとわからないんですが、私には最後5番目の「視覚」が、オーラソーマタロットのB87のように見えて、そこから6番目である「我が唯一の望み」につながるのがとても思惑たっぷりに見えたのでした。
「視覚」のタペストリーはこんな感じです。 (※またまた画像はwikipediaからお借りしています。)
貴婦人が一角獣に「ほら、自分で自分をよぉく見てごらん。」と言わんばかりに手鏡をむけています。
そして私が想起したというB87のオーラソーマタロットはこんな感じです。
このアウトワードジャーニーであるB9、「隠者」のタロットでは、隠者が本当はすべて自分自身がすでに持っているのに“外側”に探しに行くために洞窟を出ていくところが描かれています。
そしてリターンジャーニーとして、このB87では「観照」がテーマとして描かれています。
人生の本質がわかって帰ってきた、そして自分の本質がわかった、外側を旅してきたけれど、自分の顔をよぉく眺めてみれば、なぁんだ、こんなところに元々あったんだ、というようなことが描かれています。
貴婦人は一角獣にそれを求めているかのように手鏡をかざしていますが、それが実は自分自身に対して言っていることだとしたら・・・
そしてそれが「我が唯一の望み」につながっているのだとしたら・・・
貴婦人はこれまでいろんな楽しみ、喜びを味わってきた。
五感を駆使して。
下々の人たちでは味わえないような贅沢によってそれを味わったこともあった。
例えば、自分の耳を喜ばせるのに手回し式オルガンというような貴族の世界でしか手に入らないようなものを使って・・
しかし、聴覚を喜ばせるために高価なオルガンが絶対に必要ということではない、ということに気付いた。
例えば、小川のせせらぎ、風の音、木立がそよぐ音・・
そんなものでさえ美しい。
そしてそれをもし自分の記憶にとどめおくことができたら・・・
自分の内側をそれによってより豊かなものにすることができたらなんてステキなんでしょう!
結局、自分の心さえ豊かであれば世間で見聞きするすべてのものは輝いて見えるのね。
お金にあかせて外側を飾り立てたり、ものを手に入れそれに頼って自分の感覚を磨こうなんてもう私には必要ない。
ほら、あなたも自分の内側は豊かなんだってことを見て御覧なさいよ。
貴婦人はそう言って、一角獣に手鏡をかざしているように思えたのです。
そう思った瞬間、私の眼にはその次の最後の6枚目、「我が唯一の望み」は、貴婦人がすべての豪奢なものは排除して私は裸一貫で生きて行けるのよ、そして同様にそんな考え方の人と私は結ばれたい、「それが私の唯一の望みよ。」と言っているように見えました。
このタペストリーでは宝石箱にある豪華なネックレスを貴婦人がこれから身につけるために取り上げようとしているところなのか、それとも宝石箱にしまおうとしているところなのか、どちらなんだろう?ということも謎の1つとされてどちらにもそれぞれ有力な説があるそうです。
私は最初、「身分の高い人が、これを身につけようと思ったときには自分の手で宝石箱から取り出すことはあるかもしれないけれど、これをしまおうとするときまで自分の手で行うだろうか?」といぶかしく思いました。
もうこれしまう、と決めているのならば、侍女は偉そうに宝石箱の蓋を開けて、
「はい、それじゃしまってくださいよ~」と箱を捧げ持ってただ待っている、ということをするだろうか?と。
「あ、これ収めるんですね。かしこまりました。それではわたくしがやっておきますので。」と言っていったん宝石を捧げ持って預かり、侍女がしまっておく、と考えるほうが普通じゃないのか、と思ったわけです。
だから、「このタペストリーに織られているシーンは貴婦人が宝石箱から身に着けるためにネックレスを取り出すところなのだ。」と考えるほうが自然だ、と思っていました。
しかし、そう考えると「私にはもう外側を飾り立てるような豪奢さは必要ありません。ありのままの自分で生きて行きます。そしてありのままの自分を愛してくれる、という方と共に生きていくことが唯一の望みです。」という解釈に対しては間尺があいませんよね。
う~ん、どういうことだろう・・?と思ってじっと「我が唯一の望み」を見ていると、私にはこの貴婦人がもの悲しそうな表情をしているように見えることに気づきました。(そう見えるのは私だけかもしれないけれど)
自分の本質は全部内側に持っている、と気付いた人がどうしてこんなに悲しそうな表情をしているのだろう?と不思議に思ったとき、私の頭の中にはこんなシーンが繰り広げられていました。
タペストリー作家(以下、タ作)「アンリ2世様、ご用命のタペストリーが出来上がりましたでございます。」
アンリ2世(以下、ア)「おぉ! どれ・・ 素晴らしい!! よくやってくれた!!! ところで・・ 『五感』まではよいが、この最後の『我が唯一の望み』とはこれは何を表しておるのかの?」
タ作「はい、これはですね。お嬢様がこれからステキな殿方のもとへ嫁がれることを表しておるんでございます。五感を磨き、貴婦人に必要なすべての素養を身に着けたお嬢様が、お父さまのアンリ2世様のもとで大事に育てられて無垢のままその恩恵のローブの元から旅立たれ、新たな宝石を身に着けて嫁ぐ、それが私の唯一の望みだったのよ、という図でございます。テントはアンリ2世様の広い御心を表しております。」
ア「なんと! そういうことか!! ふぉっつほっつほっつ!! デカした! 素晴らしい出来じゃ。たんと褒美をとらせようぞ。」
タ作「はっ、ありがたき幸せでございますぅ~~~」
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タ作心の声(けっ、ほんとは違うぜ。私は、このタペストリーを作るための下絵で何度かデッサンのためにお嬢様と時を過ごした。お嬢様はあんな、金があることだけを鼻にかけたうすらバカ息子とはほんとは結婚なんてしたくないっておっしゃってた。
私はこの屋敷のなかだけで育ちましたけれど、それでもいろんなことをこの中で学びました。一番の学びは、人には貴賎はない、私はたまたまお金持ちの家に生まれたけれど、それがなんなの。私はちやほやされ、美しいと褒めそやされて育ってきたけれどそんな外見だけじゃなくて、私の中身を美しいと言ってくれる人と本当は私は結婚したいの、とおっしゃってたぞ。
けれど、家の隆盛のためには仕方がない、私は嫁ぎます、と淋しげにまつげを伏せられたあの憂いのある表情を私は忘れない。ワシはそれに感銘を受けた。だから、このタペストリーにはちょいと仕掛けをしたのさ。お嬢様の表情が静かに恥らって嬉しさをたたえているようにも、寂しさをたたえているようにもどちらにも受け取れるようにね。そして宝石箱に手を伸ばしている手もしまうところのようにも、身に着けるところのようにもどちらにも見えるように。
そして当然、アンリ2世様には嬉しくて宝石を身に着けるところだ、と説明した。
本当はお嬢様の、すべての豪奢なものは私にはもう必要ではない、というお考えを表したものなんだがね。
しかし、ひそかにお嬢様にはお嬢様の本当の気持ちを最後の1枚、「我が唯一の望み」として織り上げました、とお伝え申した。
テントがアンリ2世様の広い御心を表した? んなこと、どうとでも言えるさ。口から出まかせだよ。
お嬢様は大層喜んでくだすったよ。
そして、これからの人生このタペストリーを眺めるだけでどんなに辛いことがあってもやっていけそうな気がします、とまでおっしゃってくださった。
ワシはこのタペストリーに二重の意味をこめた、ってわけさ。
タペストリー作家冥利につきるね。)
うぅ~ん、ファンタジー。
えっ? やりすぎですか・・?
いいじゃないですか、それがこの“謎解き”の楽しみですもん。
100人が見たら100様の解釈があっていいですよね。
そんな話を私がすると、ryokaさんは、
「そんな精神性を1500年ごろに持っていた、ってことがすごいよねぇ。日本は戦ばかりしていた、って頃に。」とおっしゃいました。
ほんとにそうだ。
第二次世界大戦のとき、日本が「1億総突撃」とか言って悲壮感ただよいまくりだったときに、アメリカでは「トムとジェリー」が製作されていた、と知ったときには「そら、勝てるわけないわ。そんな国に。」と思いましたが、この日も、「やっぱりヨーロッパの深い精神性の歴史にはかなわないわ。」と思ったのでした。
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