親戚の家に赤ちゃんが生まれたので、お祝いに行ってきました。
産まれてからもう5ヶ月になります。
「望音」と書いて「みおん」と読むそうです。
なんてステキな名前!
「オウム」という音がこの世の始まりともいわれていますから、この世の始まりを望む子・・
また、「命」とは叩く、という字が傘の下に入っていますから、まさに命の鼓動を刻む音。いのちそのものを名前にいただいている子。
いいねぇ!
私が行ったときは、すやすやと寝ていました。
大の字にひっくりかえって、なかなか女の子にしては大物の寝方ではないの?
起こすのは可哀相なので、自然に起きるまで待っていようとちょっと両親とお茶をいただきながらおしゃべりしていました。
私は実は、赤ちゃんは大の苦手。
小さいときから周りに自分より小さい子がいなかったせいか、扱い方がわからない。
小さいときからずっと続けて習っていたピアノの先生が出産されて、子育てで大変だから、ということでもう先生をやめることになったとき、先生の家にお邪魔したことがあります。
そのとき、私は小学校3,4年生だったと記憶していますが、まだ首も据わっていない赤ちゃんを、
「抱っこしてみる? してみたいでしょー」と言われて手渡され、ハイ、そのポーズで皆で記念写真を撮ろうかと言うことになったのですが、そのときの写真にはガチガチに凝り固まって「この物体をどう取り扱っていいのだ。」と困惑している私が写っています。
そのときに早や、子供心ながらに(女の子だからってすべての子に母性本能が備わっていると決め付けられちゃ困るんだよ~ 全然、赤ちゃんなんて抱っこしてみたくもなかったし、渡されても困るんだよ~)と思っていたことを思い出します。
このときに象徴されるように私は、本能的に女の人が「赤ちゃん」と見れば、「可愛い~」「抱っこしてみた~い」という感情をどこかにおいてきてしまったようだ、と思っていました。
動物とみれば、多少トウがたったようなじいちゃん、ばあちゃんの子でもすぐに「可愛い~」「抱っこしてみた~い」と思うのですが。
それはもう理屈じゃないんです。
だからこそ、赤ちゃんを見てもそういう気持ちが湧かないのも、理屈じゃないからもう仕方がないや、と思っていました。
それどころか、電車のなかなどで「おぎゃーっ!!!」と泣き出す子がいると、「あら、赤ちゃんがいるのね。きっと可愛いんだろうなぁ。」なんて思うより先に、「あー、カンに触る声だなぁ。」と思ってしまうので、ひょっとして私は“嫌児症”なのではないかな、と思っていたくらいでした。
そして、全然、自分の子どもが欲しい、という願望も沸いたことがなかったし。
でも、話しているうちに望音ちゃんが起きて、そんなに人見知りする子でもないのでちょっと抱っこしてみる、と渡されても、多少、経験がないだけに「どこ持ってればいいの?」とは思うものの、困惑してしまう、ということはなく、その柔らかさに触れていたい、とは思うようになっている自分に気づきました。
赤ちゃんというのは、多少育児本をあさっている親であっても、毎日毎日が「こんなことするんだ!」とかの発見と驚きの連続だそうです。
今の時期の望音ちゃんは、まだハイハイはできないけれど、ゴロゴロっと自分の体を回転させて移動するらしいんですが、それがなぜか一定方向ばかり。
そこからUターンすることはできないらしい。
どうしてなんだろう?と思うだけでも楽しい。
おもちゃを与えてもすぐに飽きてしまうのに、オトナが使うリモコンや携帯には異常に興味を示すらしい。
どうしてなんだろう? 楽しい。
すぐに泣いたり、笑ったりする。
きっと彼女なりの理由がちゃんとあるんだろうな。どんな理由だったんだろう? 推測するのは楽しい。
こりゃあ、楽しいことだらけだ。
父親である私のまたいとこ(甥っ子みたいなもんですかね?)は、結婚前もしてからも、「俺が父親になるなんて想像もつかないな。」とか「こどもなんていらないよ。」なんて言ってたくせに、今や望音ちゃんにメロメロ。
私に「ねぇ、上司が部下に見せる写真、って感じのやつ見る?」とか言っちゃって、産まれてからの望音ちゃんの記録写真を見せてくれました。
ちょっと遊びつかれてまたおねむになった望音ちゃんのにぎりしめた手を見て、3スターズのシェアリングデーに行ったときのことを思い出しました。
ある人生の旅のなかにあるボトルを紹介するときに、先生はこうおっしゃいました。
「オーラソーマではよく、手放しなさい、っていうけれどそれはこういうことなの。私達は、川の流れのなかに手を入れて、ぎゅっと握り締め、ここは私の部分だ、などと言うことはできない。けれど、手のひらをふわっと広げたら、そこには宇宙さえも乗っかっていることがわかる。」と。
赤ちゃんがこんなにもいつも手を握り締めているのはなぜだろう・・?
一生懸命、ここは私のものだ、と所有を訴えたいものがあるのだろうか?
人はみな、産まれたとき、一生懸命手放したくはない、と握り締めているものがあるけれど、それをいかに手放せるようになるのか、という旅がオトナになっていく、ということなのだろうか? それが魂の旅なのだろうか?
この子が自分の手のひらには宇宙さえも乗っけられると気づく日はいつ来るのだろう?
と、そんなことを考えてしまいました。
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