ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ただしいお盆の過ごし方

2008-08-19 08:34:36 | 身辺雑事

 暑いですねえ。こう暑いとお休みでも、なーんもする気になりませんよねえ。

それでも日本のお父さん、お母さん方はせっせと子供をつれて旅行に、里帰りにと大変なこってす。

私は、というと、16日、17日の2日間だけお休みでした。

で、何をするともなくオリンピックをみながら、だらだら過ごし(と言うより、正確に言うとテレビをつけっぱなしにしておくとすべてのことの効率がさがり、結果的に何をした、ということもなく1日が終わってしまうんですね・・)、17日にダーリンとわたしのおばあちゃんのお墓参りに行ってきました。

おばあちゃんのお墓は比較的近くにあります。

車ならほんの5,6分、行こうと頑張れば15分か20分くらいかければ自転車でも行ける所です。

私は今までにもお盆やお彼岸などに関係なく、ときどきおばあちゃんに会いに行っていました。

でも、今回ようやく結婚してはじめてダーリンを連れていくことができて、おばあちゃんにダーリンを紹介することができました。

「どう? おばあちゃん、いい人でしょ。」と私。

「はじめまして。おばあちゃん。EKKOちゃんを幸せにしますからね。」とダーリン。

この前、手相をみてもらったときに私は「先祖に守られている」といわれましたので、墓参りにも力が入ります。(笑)

しかし、墓参りは、しょせん墓参り。どんなに丁寧にしようとしても以上で終わりですよね。


いつも思うんですが、お墓参りといってもそれほどすることがあるわけではなく、お墓に水をかけてたわしでこすりながら掃除して、お供え物をしてもものの10分もあれば終わってしまいます。

で、「じゃ、おばあちゃんまたね。」といってお墓を後にするとき、いつも後ろ髪を引かれるような思いをするんです。

「もういっちまうのかい?」とおばあちゃんが言っているようで・・・


心残りってやつでしょうか・・・

これはおばあちゃんの思念がほんとうにそう言っているのか、私がそう思うのがおばあちゃんに投影しておばあちゃんから言われているような気がするのか、よくわかりませんが、きっと両方なのでしょう。

「心残り」とは、文字通り、「その場所に心を残してくる」ことです。

そこに心を残してくるけれど、今、ここにいる私に心がないわけではない。

つまり、心のキャパシティは意外に大きくて、あちこちに少しずつおすそ分けできるようになっているのではないでしょうか。

よく、亡くなった人にあまりに心をはせると、
「あっちにいけないから成仏させてあげないと。」といいますが、一度成仏したあとは、きっとあっちにもこっちにもいろんなところに心を持ってこられるんだと思うんです。

私の心がおばあちゃんのお墓にちょっととどまって、

おばあちゃんの心がちょっと私と一緒についてきて・・

こういうことを「心の交流」っていうんじゃないでしょうか。

心残り、大いに結構。

あちこちに心を残しまくって、私という肉体の存在のないところでもいろんな人と交流しよっと。

なーんていうと、ちょっとなんだかいろんな霊を呼び寄せそうですよねえ。それもなあ。

ま、やっぱりおばあちゃんだけでいいや。

というつれづれなることを思って、私の「ただしいお盆」は終わったのでした。


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