ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

自分の知らない世界

2013-09-19 09:12:00 | 本と雑誌

昨日はコミック「進撃の巨人」を借りてきた、と書きましたが、そのときに「銀の匙」の最新刊(8巻のことです。)もあったので、「あ、これまだ読んでいない。」と思い、ついでに借りました。


「銀の匙」のことは、ずっと前に知人から借りて読んでみたらとても面白かった、ということでそこから感じたことなどをこのブログでも書いたことがあります。

受験戦争に敗れた八軒くんという1人の男子が、自分のこれまでのフィールドとは全然違う蝦夷農業高校という全寮制の高校にやってきて、農業やら酪農やらの農家の跡取り息子や娘たちといっしょに学びそこからいろんなことを感じていく、というお話です。

さてここからは少々8巻のネタバレになりますので、もし「銀の匙」のストーリーに興味がありまだ8巻は読んでいない、という方はお気をつけくださいませ。


ここではある1人の生徒の家が離農することになります。

つまり、破産です。

と、ここまではいくら農業や酪農の世界に疎い私でも、「あぁ、そういうこともあるだろうなぁ。」「厳しいよなぁ・・」「これまでにも牛の病気が(たとえ日本で発生というわけでなくても)発見されただけでもすぐに市場に出すことを禁じられたりして経営がたちゆかなくなるところがあったもんなぁ。」と、わかります。

そして規模の大きい農場や牧場ほど、刈り取りやら搾乳やらに大型の特殊機械を導入しなければなりませんから、多大な投資が必要となり、その際にはJAやら金融公庫やらから借金をすることになるというのも、わかる。

しかし、この先に起こること、というのは私の想定外でした。

というか、しょせん部外者にとっては「あぁ、言われてみればそうなるんだろうけれど、そこまでの続きのストーリーを頭のなかだけで想像することは出来ませんでした。」って感じ。


さて、借金ですが、借金の際には連帯保証人というものが必要となる。

それが家族や親せきだけではまかなえない場合、同じ農業に従事していてご近所で何世代にもわたって付き合いがあって、懐事情もほぼわかっていて、同じ悩みを持っているというところ同士で連帯保証人になりあうことも生じるみたいです、この業界では。

それはもう互助会のようなもので、この業界ではいたしかたないことなのでしょう。

するとどういうことになるかと言えば、1つの家が破産するとその一家だけではなく、いろんなところに波紋が広がることになるわけです。

8巻の冒頭では、「あそこんち、破産で離農らしいぞ。」ということになったとき、教室のあちこちで、

「この話、家でしたらよぉ、うちにも借金あったわぁ。」

「うちも、うちも。」

と生徒たちは話し、ほとんどの家庭で、何億、下手すると何十億という借金を負っていることがわかります。

こんな多額の借金、サラリーマンの家であればよほど旦那がギャンブルに狂ったとかでもないとありえませんよね。

一番大きな金額というのが実感としてわかるのが、家を買い、そのローンを組んだときに残っている何千万までじゃないでしょうか。

それもたいていの場合なら、1千万、2千万、3千万という下のほうの千万ですよね。

それが農家に生まれた、というだけで生まれたときから当然のように何億というような借金が家にある・・

そしてそれはその跡取り息子、跡取り娘として生業を受け継いでいくのが当たり前なら、当然のように借金も受け継いでいくという事。

家族の人数で頭割りしてみても、高校生にしてすでに何千万という借金を負っているのと同じこと。

それは学校に行って勉強するだけが仕事の年齢で実感のあることでしょうか。

ないからこそ彼らはそんなこと考えたって仕方のないことだし意味のないことだ、とひたすら生業を受け継ぐための勉学に励む。

それが将来のためになることを信じて。

教室では芸能人のダレそれがそれ、熱愛だ、と報道されているのと同じような次元で「ダレそれの家が破産したそうだぞ。」と語られる。

それはいつわが身のこととなるか知れたことではない。

そして実際に家を継ぐことだけが自分の人生、夢と信じて高校もそういう専門の高校を選んだのに、いきなりそのはしごをすと~んと外されるかのように家が破産した、となったらその生徒のそれからの人生はどうなるのだろう・・

この漫画をご存知の方にはおわかりでしょうが、この漫画は私が今書いているような暗いトーンのものではありません。

もっと登場人物は明るくあっけらかんとしていますし、実際、何億という借金があろうとも高校生くらいの年齢では「はぁ? そんだけあるからってどういう顔してりゃいいっていうんだ?」と自分には関係ないこと、って顔しててほしい気もします。

私の父は「ふつう」「標準」「日本の平均」というデータが大好きな人でした。

毎年政府から発表される「○歳での平均貯蓄額」「世帯平均年収」などというものを見ては、せめてその水準かその少し上でいたい、と願う人でした。

願うだけではなく努力もしました。

うちはサラリーマンではなく大衆食堂ですから、日々の努力によって自分の目標に近づけるというのは良いことだと思います。

しかし、父は自分のその考え方を人にも押し付けました。

「せめて平均並みでいたい、というように努力するのが人間のまっとうな姿だろう!」


私はどこかしら黒々とした思いを胸に溜め込みながらも、その考えを一網打尽に打ち砕く、ということはできませんでした。

しかしこの年齢になって「銀の匙」を読んで、ごくふつうに「農家の息子に生まれたから家を継ぐ」「すると自分のあずかり知らぬところで何千万、何億という借金を背負い込むことになる」「自分の努力とは無関係のところで商売が立ち行かなくなることがある」「すると借金だけが残る・・」という人生もあるということ。

たまたま農家に生まれなかっただけでそれは私だったかもしれないこと。

そのとき父は、

「そうは言ったってそれはやっぱり借りたものは返さなくちゃいけないのは道理だろう。借りるときにリスクも考えた上で事業というものは大きくしていかなくてはならないのにそれをしなかったからだ。」「連帯保証人というものに軽々しく判をついてはならない。」という正論を吐くんだろうか。

父なら、農家の息子に生まれても自分が見たことも取り扱ったこともないような金額の借金は背負わずにやっていけるんだろうか。

そんなことをつらつら考えましたね。

自分の知らない世界はいくつもあるもんだ。

そしてそれらの世界のなかではまた、その世界を当たり前と思って、そのほかの世界のことなどは知らないという人がいるもんだ。

だから「平均値」とか「ふつう」とかなんてほんとに意味をなさないものなんだよな~と実感しました。

だからこそ私はいろんな自分の知らない世界のことをもっともっと知りたいし、そういうことを知ることによって自分の“思い込み”の鎧をどんどん外したい。


・・・なんてことを美容院で世間話として話していたら、

「へぇ~、なんか坪内さんてすごいですね~ アニマルコミュニケーションにしてもそうですけど、自分に興味のあることはすぐに勉強しに行っちゃうじゃないですか。普通はそこまでしませんものね。」と言われました。

え?

ふつうは興味のあるものをもっと知ろう、とはしないの?

どういうこと、それ・・

よくわからないんですけど。

っていうかまた“ふつうは”とか言っちゃってるよ、わたし。

いかん、いかん。

意味ないんだって、「ふつう」なんて持ち出したって。

「なんか難しいことはいいですよ。ハイ、できましたよ~」と私は美容院から追い出されたのでした・・・






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