ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「失敗図鑑」を読んで 2

2019-03-14 09:01:47 | 本と雑誌
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さて、昨日は偉人たちの失敗をコレクションした本、「失敗図鑑」を読んで、シャネルと夏目漱石をご紹介しました。
そして、夏目漱石のときに“ひとりめ”と申し上げましたが、今日も、「これはさすがにアカンやろ・・」という失敗と「う~ん、これを失敗と呼ぶかなぁ。私もこうするなぁ」と思ったことをご紹介させていただきます。



「これはさすがにアカンやろ・・」と思ったのは、ライト兄弟。
そう、人類で初めて空を飛んだと言われるあのライト兄弟です。
このライト兄弟の「失敗」は、「失敗」と呼ぶより、あまりに真面目で常識人で自分たちの発明に自信をもっていたがゆえに起こった「顛末」です。
ライト兄弟は自分たちの飛行機の技術に「特許」をとっていました。
これはわかる気がしますよね。
自分たちが時間と労力と誇りと情熱を注ぎこんで創りあげたものをやすやすと簡単には使われたくない、というのはしごくごもっともな気持ちだと思います。
しかし、飛行機はライト兄弟以外にも多くの人が研究していました。
そこでライト兄弟の技術を“参考”に作られた飛行機も次々と現れます。
するとライト兄弟はすかさず裁判を起こすわけです。
ライト兄弟はこのような裁判をいくつも抱え、裁判に時間をとられるようになり、本来の飛行機を改良したりより研究したりする時間がもてなくなってしまいます。
そうこうするうちに、他のライバルたちによって飛行機の技術はどんどんあがっていき、ライト兄弟の技術は時代遅れになってしまいました。



これはひとつの成功にあまりに固執すると結局、自分もソンをしてしまう、ということだと思います。
成功とは「守るもの」ではなく、次のさらなる「成功」や「発展」のために「使うもの」。
そのためにはある程度他人に技術を与えることも必要だった、ということになります。
でも、この見極めどころっていうのは難しいだろうな~と思いますね。
最終的には人間性かもしれませんが、開発だけにものすごい才能を発揮して、人とシェアしたり分かち合ったりなどということは苦手、という偉人はゴマンといますから。
そこを責めてもなぁ・・・というなんだか切ない気持ちになると同時に、本来の仕事よりも裁判に汲々とするような毎日を送るのはやっぱり「アカンやろ・・」とも思うのでした。



そして、同様に切ない気持ちになったのがベートーベン。
ベートーベンってよく使われる肖像画が眉根にしわよせて何やら怒ったような顔をしているので、「たいそう気難しい人だった」という印象を抱いていませんか?
実際、当時でもそう思われていたようです。
それはなぜかと言うと、ご存じのようにベートーベンは28歳ごろから耳が聞こえなくなってしまいます。
それを知られまい、として彼はなるべく人に会わないように暮らしたのでした。
彼は幼少期から注目された演奏家、作曲家でしたから、彼の耳が聞こえないのだ、と知られたら世間は、
「おぉ、それは可哀想に」とか、
「これでベートーベンの音楽家人生も終わりだな」
と噂したことでしょう。
そういった同情されることをベートーベンは嫌ったのでした。
しかし、そんな彼の思いは世間には通じませんでした。
彼はただ、「世間嫌い、人嫌いのベートーベン」と言われてしまったのです。



さて、ここで、「もっと人に助けを求めることをすればよかったのに」と言うのがこの本でのベートーベンの「失敗」です。
でも私は、「・・・それって“失敗”かぁ?」と思います。
耳が聞こえなくなったことでベートーベンは、歯でピアノの振動を感じ取るしくみを自ら作り上げ、それで作曲活動を続けた、と言います。
立派なもんですね。
んで、それでいいじゃないか、って思いません?
音を自ら感じ取れるしくみを作ったなら、あとは何が不自由なのでしょう?
そりゃ日常生活でいっぱいいろんな不自由があるとは思いますが、ベートーベンが求めていたことは音楽活動だけだったでしょうから、それで人の助けを借りなくても自分で出来る仕組みを作り、そしてあとは耳が不自由なことを知られないようにした、と。
それのどこが失敗? と思ってしまいました。
私がベートーベンだったら、やはり彼と同じ道を選択するだろうなぁ、と思います。
どこかが不自由になっても、それを補って支障がないようにできるだけ自分で努力する。
そしてできるだけ人の力を借りない。
そうしたいものだ、と常々思っています。



ただ、ベートーベンは自ら選んだ孤独に耐えきれずに自殺しようとしています。
でも、実際には思いとどまって、自分の命ある限り、音楽にこの命を捧げることが自分の使命なのだ、と思って病気で亡くなるまで自分の生をまっとうします。
この途中で孤独に耐えきれず自殺しようとした遺書が残されていることから、
「そこまで思い詰めていたなら、もっとオープンになればよかったのに」
ということをこの本では「失敗」と言っているのだと思います。
でも、こんな良いことも書かれていました。
『そもそも孤独ってそんなに悪いことでしょうか?
確かにベートーベンのように自分の命を終わらせてしまいたいと思うほど孤独になってしまうのは危険です。
しかし、人生には孤独にならないと見つけられないものがあります。
暗い場所にいるとわずかな光でも明るく感じられるように、心も暗くなるほど、そこに差し込む一筋の光を見つけやすくなります。』
その通りだと思います。
逆説的にいえば、もう死にたい、と思うほどの孤独を経験しないとほんとうの自分の情熱や夢には気付きにくいものかもしれない、とさえ思います。
現代では孤独だからこそSNSに走るのだ、という言われ方もされますが、都合の良いときだけ都合のいい方法でちょっとだけ知らない人とでもつながろうとするのではなく、孤独にじっくりと浸ってみるのもいいかもしれません。
一筋の光が救世主のように思えることでしょう。

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