巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

バジルソース(マコーミック)

2004-06-27 14:17:51 | 映画・小説etc.
basil_sause.jpg1日3食365日パスタでも大丈夫な人間が家族のなかにいるので、週に1度ぐらいはパスタを食べる。トマト系のソースが好きだが、それ以外の1押しはこのマコーミックバジルソースだ。税込み400円弱で、スーパーのパスタソースのコーナーに並んでいる。1ビン95g入り。

最初から、オリーブオイル、パルメザンチーズ、松の実、にんにくなどが入っているので、ゆでたてのパスタにあえれば、瞬時にしてジェノベーゼのできあがり。ビンにはオリーブオイルと塩を加えて味を調えるように書いてあるが、そのままでも良い。また、好みでチーズや、松の実を増量しても。

ピザトーストにしたり、薄切りのフランスパンに薄く塗ってオーブントースターで焼いても良いし(焼けてくると、キッチンにとても良いにおいが漂って幸せな気分になれる)、ソテーのソースに加えたり、サラダのドレッシングに加えたりと、調味料の一部としても使える。ただし、かなり塩分が強いので、最初は使用量を控えめに。

バジル (basil) は英名でイタリア名はバジリコ (basilico)。かつて日本に「バジリコ・スパゲッティ」なるものがはじめて紹介されたときに、レシピには常に「バジリコが手に入らなければ、青ジソで代用」と、書かれていた。同じシソ科だからそうなったのだろうが、バジルと青ジソは全然違うじゃないの! 

ところで、昔翻訳で読んだキーツ(John Keats) (1795?1821) の詩に、「イザベラ、あるいはメボウキの鉢」というのがある。ボッカチオの『メボウキの鉢』という物語を詩にしたものだ。(わたしはこうみえても、大学では英文学を専攻したのだ。)

イザベラという若く女性が、兄たちに殺されてしまった恋人ロレンゾの死体を掘り返し、死体の頭の部分だけ持ち帰る。その頭を大きな鉢に入れ、土をかけてメボウキ(目箒)を育てる。彼女はメボウキの鉢から片時も離れず、メボウキは異常なほど勢い良く青々と育つ。

不信に思った兄たちが、鉢を盗んで割ってみると、ロレンゾの頭が出てくる。自分たちのやったことばばれたとわかった兄たちは逃げ出し、イザベラのほうは愛する人の頭の鉢を盗まれ苦痛で死んでしまう。おそろしく美しく、おそろしくグロテスクで悲しい詩だった。

で、この「メボウキ」って、どんな恐ろしげな植物なのかと思っていたのだが、のちにオリジナル英語版を読んで拍子抜け。なんとこの詩の原題は 'Isabella; or, The Pot of Basil' だった。なんだ、バジルじゃん。


「わたしは若く見られる」は本当か

2004-06-26 21:44:39 | インターネット (CMC)
唐突だが、わたしは実年齢よりも若く見られる。

わたしがそういったら、この記事を読んでいる皆さんは信じるだろうか。何しろネットであるから証明のしようがない。本当若くみえるのかもしれないが、もしかしたらせめてネット上ではみんなに、「自分の外見は若い」と思われたいだけのかもしれない。

「本当に若く見えるというのなら、証拠写真をアップしろ」と言うかもしれない。でも「自分の写真」をアップしたところで、それはPhotoshopでお直しをしたものかもしれないし、お直しはしていなくても数年前の写真かもしれないし、もしかしたら他人のきれいな若い女性の写真を使って、「これがわたし」と言い張っているだけかもしれない。残念ながらネット上では、証明するのは難しい。

reality.gifさて、本人が「自分は若く見られている」と思っているとき、これには2種類ある。その人物が他人の目からみて、本当に実年齢より若く見える場合と、他人の目からは別に若くは見えないのだが、自分ではそう思い込んでいる場合だ。この記事で取り上げられるのは、後者のケース、つまり「本人の脳内でのみ、自分が若く見えている」場合だ。

どうして、後者の可能性を考えなければいけないかというと、最近、同世代の同性の知り合いの中に、「わたしは若く見えるから」と主張する人間が増えてきたのだ。彼女たちの主張の根拠は、「若く見える」とひんぱんに言われるからだという。

しかし、その人たちが本当に若く見えるかというと、彼女たちの実年齢を知っているまわりの仲間からみて、そうは思えないケースが多いのだ。そして彼女たちが根拠とする「若く見える」は、わたしもしょっちゅう言われていることばなのだ。

そこで自分を俎上に乗せてみよう。

わたしはしばしば「ふくしまさんは40代だったのですか? とってもそんな風には見えないですよ。いやぁ、お若いですねぇ。」と、言われることがある。たいていの状況では、これを言われて悪い気はしない。多くの女性は、20代も後半になったぐらいから、若く見られたいという願望が、徐々に大きくなっていくものだから。そしてわたしも多くの女性の1人だからだ。

しかしここで冷静に考えてみよう。わたしぐらいの世代の女性に対して、あまりほめるところがないときに、とりあえずお世辞として、なにを言だろうかと。わたしだったら、相手がよっぽど老けて見えない限り、「お若く見えますね」というだろう。容貌とか服装とかには言及しない当たりさわりのないことばだし、相手に嫌がられる危険性は少ない。だから、わたしの世代に対する「若く見える」は、単なる挨拶のことばにすぎないのかもしれない。

それに「若く見える」は、時には皮肉や当てこすりとして使われるはずだ。年甲斐もなく10代の女性と同じような格好をしているとき、化粧が若づくりを意識してハデなとき、行動や態度が年齢のわりに子供じみているとき、ときにそれを婉曲に指摘することばが、「若い」だ。でもわたしが真意をとりそこね、良きに解釈して「わぁ、やっぱりわたしは若く見えるんだ。わーいわーい!」になっているかもしれないのだ。

人間というものは、自分自身の顔や体型を客観的に評価することができない。自分の自画像や自己イメージは、脳内では多かれ少なかれゆがんだ形で認識される。あまりゆがんだ形になると、ルイソウ(脂肪組織が消失して極度にやせること、やせ衰えること)なのに自分はものすごく太っていると思いこんだり、どうみても無理なのに、「みんながわたしを『井上和香に似ている』といっている」と周りに言ってまわることになる。

が、ときには偶然に、自分の姿を客観的に見て評価してしまう瞬間がある。ショーウィンドウや地下鉄の窓ガラスに映る自分の姿を、「自分のものだ」と気づかずに眺めたときだ。大体は1秒以内に自分の姿だと気づいてはっとするのだが、そのときまでに感じていた「ガラスに映る人物」に対する印象が、わたしが自分の外見に対して下した客観的な評価だ。どういうものかは、ここには書くまい。

さて、冒頭に「わたしは若く見られる」と書いた。でも本当に若く見えるのだろうか。

そうそう。最近わたしは「若々しい」という形容詞も使われた。「若々しい」ということばは若いものには、使わないようだ。それに「若い」と「お若い」も違うようだし…


ハンドルネームでなにがわかる?

2004-06-25 23:17:18 | インターネット (CMC)
HNs.gifネットのコミュニケーションについての研究の中に、「ハンドルネームには、本人のアイデンティティや願望が反映されている確率が高い」というものがある。一方、「ハンドルネームは、それが実際の本人のアイデンティティを現してはいないものが多いにも関わらず、ネットでは相手を人となりを判断する有力な手がかりとして使用されている」という調査もある。

たとえば、だれかが「ヨンさまのメガネ」というハンドルネームで、日中の時間帯を中心に、特定のBBSに連続して投稿しているとする。ここで多くの人は、この人間が熱狂的なペ・ヨンジュンのファンの女性だと思うかもしれない。

ペ・ヨンジュンを「ヨンさま」と呼んでいるし、「メガネ」は彼がいつも身につけているものであるから、このハンドルネームに「ヨンさまといつもいっしょにいたい」という願望が出ている。昼間の投稿が多いところから、働いていないのだろう。ペ・ヨンジュンのファンには既婚女性が多いから、おそらく「ヨンさまのメガネ」は専業主婦に違いない!

頭の中で「ペ・ヨンジュンの熱狂的なファンの専業主婦」という、この「ヨンさまのメガネ」氏の人物像がいったん出来上がると、その後のこの人物からの発言は、すべて「主婦が発言した」という色眼鏡で見られて判断される。

こういう判断のしかたは、とても危険なことだ。

かつて、ジェイムズ・ティプトリーJr. (1915 ? 1987)という、非常に質の高い作品を書くアメリカ人のSF作家がいた。ペンネームが男性名だったことと、この作家の経歴が「男性的」??探検家と作家の間に生まれ、CIAに勤務経験がある博士号取得者??だったために、当初は男性だと思われていたが、実は女性だったのである。

あまりにも固く「男性作家だ」と信じられていたおかげで、バリバリのフェミニズムSF(1970年代にアメリカで流行した、フェミニズムの影響を受けたSF。女流作家が主な書き手だった)を書いているのにもかかわらず、男性作家たちからは「さすがに、ティプトリーJr.だ。男がフェミニズムSFと書くと、女が書くものとは異なって完成度が高い。」「さすが男だ。どうだ。女性にあのようなフェミニズムSFは書けないだろう。」と賞賛され、女流SF作家からのティプトリーJr.作品への批判は、ますます厳しくなるという、後になってみれば笑える状況が長らく続いた。

最初から彼女が女性だとわかって、その作品を読んでみると、いかにも女性ならではの作品だ。しかし、「男だ」という信じ込みが、作品に対する評価にバイアスをかけてしまったのだ。

ネットも同じだ。実は「ヨンさまのメガネ」が、女性だという証拠は何もない。昼間に書き込みが集中しているということも、50代の男性が、失業中に暇をもてあまして書いているのかもしれないし、仕事で夜勤シフトの多いだけなのかもしれないし、会社からネットに接続して、こそこそと書きこみをしているのかもしれない。

また、ネットでの自己紹介は、それが本当だとは限らない。わたしも「ふくしまゆみ」と名のっているが、本当は女ではないかもしれない。研究者なんかではなく、女房の稼ぎで食っている、ただのタワケかも…って、いまさら言ってみても、遅いか。

とにかく、自分のハンドルネームを創るときは慎重になろう。ハンドルネームがあなたに対する思いもよらない誤解を、他人に与えてしまうかもしれないから。そして、ハンドルネームから相手の人となりを判断するときは、気をつけよう。必ずしもそれが、その人間のアイデンティティや願望を表しているとは限らないし、ときには実際の自分とは異なる人物の印象をわざと与るべく、考えられたものかもしれないからだ。


「ネコ」ポリス その33

2004-06-25 01:31:45 | ノラネコ
「ネコ」ポリス その32の美しさにいまだ酔いしれ、その余韻にひたっている皆さまには、誠に申しわけないのだが…ホレ! 見てみぃ!

cat_33a.jpg

cat_33b.jpg既出のネコだが、最近顔をあわせるたびに挨拶をしてくるようになったので、「撮ってくれ」という合図にちがいないと思い、撮影。

その挨拶だが、いつも低いハスキーボイスで、短く「ギャン」と言うだけ。中途半端に長い毛並みや、全体的な顔つきや体つきから、血統書つきの洋ネコと筋金入りのノラの間に生まれたのではないかと、推測する。(まぁ、ネコの愛は猫種を楽に超えるからなぁ。)

3132、そしてこの33を見みると、「キミたちは本当に、同じネコの仲間なのか?」と、思わず問いつめてみたくなる。


選挙の「一見協力・実は罠」

2004-06-24 19:52:00 | 政治と選挙
ちまたには選挙に関心がない人間が多い。しかし公示日である本日は、サーチエンジンから選挙関連のキーワードで、このサイトにアクセスしてくる件数が、いつもより多い。

今回の選挙期間中に、このサイトをのぞく選挙事務所のスタッフが、いるかどうかはわからないが、一応そういう方々のために、そしてわたし自身の覚書として、少し注意点を書いておこう。

■ 選挙期間中に「後援会に入りたいので申込書を…」というのには要注意

選挙期間になってから「おたくの候補の後援会に入りたいので、申込書を送ってほしい」と、選挙事務所に電話が入ることがある。が、この期間に個人の後援会の入会申込書を送ってしまうと、公職選挙法違反になるらしい。これが選挙期間中の政治活動の制限というやつである。

こういう電話を選挙期間中にかけてくる人間の多くは、本当にこの候補を本当に支援したいのだと思う。しかし残念ながら、選挙事務所が公職選挙法を犯すことを狙って、だれかがこんな連絡をしてくることもあるのだ。知らないで電話を受けたスタッフが、こういうわなに引っかかってしまわないように気をつけなければならない。

■ 嫌がらせで、公共物にポスターを貼られてしまうこともある

選挙期間中、候補者の選挙ポスターは貼ることは、だれでもできる。(ただし、公共物には貼らないこと。そして他人の家の塀に貼るときには、その家の許可をいただくこと。)

が、選挙期間中にポスターをはがすことができるのは、選管に登録された運動員だけだ。つまり、ヘンなところに貼られてしまった場合、それが違法な場所であっても、一般の人間ははがすことができない。

選挙期間の時期に、貼ってはいけない場所にポスターが貼られていると、その候補の選挙事務所には、すぐに「○○駅前の電柱におたくの候補のポスターが貼ってある。見苦しい! すぐにはがせ!」と、お怒りの電話が入る。こうなると正規の運動員が、登録された選挙運動員であるという証明の腕章をつけて、はがしにいくことになる。

ヘンな場所にポスターが貼られているのは、貼ってはいけない場所があるのを知らずに、善意の誰かが貼ってしまった場合がほとんどだ。しかしときには、選挙事務所に余計な作業をさせるために、だれかが嫌がらせのために、そういう場所に貼ることもあるのだ。

以下は3年前、わたしが関わった比例区のA候補の、選挙事務所での話だ。

公示日の午前中に電話が入った。中年の男性の声で「A候補の後援会に入りたい」と告げた。その声は不機嫌そうで、どう聞いても「応援してくれる」ようには聞こえなかったが、わたしは候補を支援している企業の、納入業者からの電話だろうと思った。

「選挙期間中に、後援会の申込書を送るとまずいことになる」と、事前に聞いていたため、「選挙中は、公職選挙法の定めにより、後援会の入会申込書は送れない」と答えた。

すると、その男性は、「それではポスターを貼るので、5枚ほど送ってほしい。」と、都内の住所を告げた。ポスターを貼ってくれる好意に感謝し、わたしは自分の名前をなのり、電話を切った。

2日後、選挙事務所のわたし宛に、不きげんな顔の脅し口調の中年男性が現れた。彼はA候補が所属する政党の都連の者だとなのり、「東京都の比例区で、都連は一致してB候補を推すことがきまっていたのに、A候補が割りこんで出馬するのはけしからん」と怒った。そして、「いまからでも遅くはないから、党のためにA候補は立候補を取りさげろ」主張しつづけた。わたしは、あの「後援会の申込書を送ってほしい」が、ワナだったと悟った。

結局、この男性はわたし1人に自説を2時間ぶって、気がおさまったらしい。そして、帰りぎわにこう言った。「わたしは、あんたが送ってきたポスター5枚を、江戸川区に貼っておきましたからね。悪いと思う気があるなら、探しだしてはがしなさい。」わたしは慇懃無礼に「ポスターを貼っていただき、ありがとうございます。そのうち伺うかもしれません。」と答えて一礼した。

もちろんわたしは、件のポスター探し出すようなことはしなかった。何しろ「江戸川区」とだけしか聞いていないのだから、探しようがない。それに、本当に貼ってはいけない場所に貼られているのなら、こちらが探さなくてもクレームが来るはずだ。そして、選挙が終わるまで、江戸川区方面からの「バカヤロー! こんなところにポスターを貼るんじゃねぇ!」という電話は、ついにこなかった。

選挙の結果、A候補は小泉旋風と桝添人気で予想外の当選をした。するとこの男性は、候補とわたしに連名で祝電をくれた。「勝てば官軍」なのか、あるいは彼が本当はそれほど悪い人間ではなかったのかは、わたしは知らない。