巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

「ネコ」ポリス その28

2004-06-13 15:38:02 | ノラネコ
「何を見ているの?」

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伸びあがって、何かを目で追っている。ずっと伸びあがったままだ。

ネコはときどき、ヒトには見えないものを見ているらしい。ネコの視線の先をみたが、なにも見えなかった。




住宅地の公立小学校の廃校

2004-06-13 12:57:37 | 日記・エッセイ・コラム
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「公立小学校の廃校」といえば、かつては過疎化する地方の話か、大都会の商業地で住民登録のある住民が少ない地域の話だった。ところが最近は少子化の影響で、住宅地の小学校でも廃校になるところが、かなりあるらしい。

たとえば、わたしの住む東京都板橋区では、すでに区立の高島平第四小学校、板橋第三小学校が廃校になっている。そして最近ついに、わたしが卒業した板橋区立若葉小学校にも、廃校計画が持ち上がり、廃校に反対する「若葉小を守る会」が立ち上がったようだ。

実はわたしは若葉小学校の第1回の卒業生で、この小学校が設立された1971年には5年生だったのだが、この廃校計画を聞いたときのわたしの感想は、「ついにきたか」だった。わたしが「ついに」と思ったのには、3つの理由がある。

まずはこの小学校が、1970年代の板橋区民の人口急増にあわせて、雨後のタケノコのように作られた小学校のひとつであること。2つ目は、児童の通学の利便性を考えた場合、近隣の若木小学校と志村第五小学校へ分散しても、不自由はないこと。そして3つ目は、先の区長選でこの財政難が争点になったことからもわかるように、板橋区が著しい財政難に苦しんでいることだ。

最初の理由について考えてみよう。板橋区の、特に埼玉寄りの地域は、戦前は「農村」だった。戦後になって高島平団地などが作られ、ほぼ全域が宅地化された。この周辺は東京23区内であり、都心への通勤にも便利な地域であるため、定住型の人たちが流れ込んだ。(その後、住民がそのまま年をとり、住民が高齢化しつつある。)実際に当時は「○○小学校では教室が足りないらしい」「もうすぐXX団地ができるのだが、小学校の建設が間に合わず、このままでは引っ越してきた小学生を受け入れるところがない」などの話が、結構聞かれた。

2番目の理由については、若葉小学校設立当時のゴタゴタをあげれば、どういう位置に小学校を建てたのかがよくわかると思う。

当時、近隣の二つの小学校では、近い将来に教室数が足りなくなることが予想されていた。板橋区はそれぞれの小学校の校舎を増設する代わりに、この小学校の中間地点にひとつ小学校を作る選択をした。これが、若葉小学校だ。こうしてこの小学校の位置を決め、その位置の周りに通学区を設定した。

そのため、2年生から5年生については、若木小学校と志村第五小学校からわざわざ児童を借り集めることになった。6年生は「あと1年で小学校を卒業するので、転校するに及ばず」だった。

ところが、この新たに決められた若葉小学校の通学区の中で、志村第五小学校側の親の一部から転校反対運動が起こった。この転校反対運動の真の理由は、実は一部の住民の権力欲によるところが大きいのだが、「5分で志村第五小学校へ通える子供たちを、わざわざクラスメートたちから引き離して若葉小学校へ転校させるのはかわいそうだし、教育的にもよくない」というのが、その大きな理由だった。

わたしは、若葉小学校の通学区に指定されたあと、「住民運動」により指定が撤回された地域に住んでいたため、暫定的に「志村第五小学校と若葉小学校のどちらを選択してもよい」ということになった。当時から新しもの好きだったわたしは「新しい友達」「新しい先生」「新しい施設」にワクワクして、さっさと若葉小学校を選択した。

3つ目の理由については、言うまでもないだろう。最近、区役所で働く人たちの努力に関わらず、区の住民へのサービス質が低下してきているが、それは多くの場合「予算がない」というところからきている。

この財政難の影響は、一見気づかないところまで及んできている。例えば、最近の区立の公園の樹木の手入れの方法などを見てほしい。毎年きれいな花を咲かせていた公園のサクラの樹の枝を、ある日「これはあんまりだろう」というぐらい、丸刈りのごとくすべて切り落としてしまう。こうなると翌年、この樹はあまり花をつけない。しかし区にとっては「手入れする回数」を減らせるので、予算の節約にはなるのだ。

こういうことを考えるとき、学校のように存在するだけでかなりの保守・管理費用がかかる施設は、児童数が少なければ統合して財政赤字を縮小すべきという考えが出るのは当然だ。

しかし、学校というものは「校舎」という器ではない。最初から「末永く続く存在」と考えられて作られ、人々もそう思って学校に関わってきている。いったん作るれば、在校生、卒業生が次々と生まれ、地元の住民を巻き込んだ輪が生まれ、年を経るにつれて歴史や伝統ができ…。「板橋区役所」が「区役所の建物」だけではなく、そこで働く人々や、利用する人々の認知、区政の歴史や伝統で成り立っているように、だ。こういうものはいったん作ってしまったら、ある意味では作るより壊すほうが難しい。

今後、区側があくまで廃校計画を進めていくとしたら、そういったことを踏まえて、多少予算はかかってもソフトランディングするために、当事者たちと納得の行くまで話し合いをするべきだろう。廃校という難事業を軽く考えるべきではない。

ところで、若葉小学校設立計画が持ち上がったときに、志村第五小学校側の親たちが起こした転校反対運動の理由のひとつに、「通学路に環状8号線の建設予定地があり、環八ができれば子供たちの通学が危険になる」というのがあった。このままいくと、環八のできる前に廃校になってしまうかもしれない。