『無限の住人』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)本作の原作漫画を以前に半分くらい読んだことがあるので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の最初の方では、切り合いがあって人が倒れた後、主人公の万次(木村拓哉)が妹の町(杉咲花)を見ると、町が「兄さま、おはぎ拾った」と手にしたものを見せるので、万次は「馬のクソだ。捨てろ!」と叫び、「河の水で手を洗って」と言います。
町は、川に入って手を洗い、手にした風車をかざして「兄さま」と万次に見せます。
そこへ大勢の浪人たちがやってきて町を捕まえ、その中のリーダー格の司戸菱安(金子賢)が万次に、「あの旗本を殺した同心だな」「やっと見つけたぜ。同心6人も殺すとは酷い男だ」と言うと、万次は「6人目があいつの亭主だった」「町を放せば、見逃してやる」と応じます。
これに対し、菱安が「見逃してくれる?じゃあ帰ろうか、と逃げるわけないだろう」「さっさと刀を捨てろ」と言うので、万次は刀を投げ出します。
すると、菱安は「お主の気持ちはわからんでもない」と言って、部下に「放してやれ」と命じます。
部下が町を放すと、町は万次のもとに「兄さま」と走り出しますが、菱安は町を斬り殺してしまいます。これを見た万次は、憤怒の形相で「テメエら全員ぶっ殺す!」と言い、万次と浪人たちとの間で大規模で壮絶なチャンバラが始まります(注2)。
菱安の部下は全て倒され、万次も、左手首が切り捨てられ右目も傷つきますが、最後は菱安が万次と対決します。
菱案が「やるじゃないか、さっさと妹のところへ行きやがれ」と挑み万次を刺すものの、万次は死なずに菱安を倒します。
万次は横たわる町のところへ行き、「すまねえ」と謝り、その場にぶっ倒れます。
そして、このチャンバラを見ていた八百比丘尼(山本陽子)に向かって、「バアさんよ、その刀でひと思いにやってくれ。もう生きる意味がない」と頼みますが、八百比丘尼は「これだけ人を殺めておいて」、「これはラマ僧が生み出した血仙蟲。これをお前の体に埋め込んだ」と言います(注3)。すると、切られていた手首が腕につながってしまいます。
ここで、タイトルが流れ、さらに「50年後」の字幕。
場面は、無天一流の浅野道場。
一人娘の凛(杉咲花)が、道場の門下生たちと稽古に励んでいます。
母親(真飛聖)が「凛、少しは料理や裁縫を覚えてほしいんだけど」と言うと、凛は「一日も休む訳にはいきません」と答えます。
そんな道場に天津影久(福士蒼汰)の一団が乗り込んできて、道場主の父親(勝村政信)を斬り殺すところから、本作の物語が動き出します。さあ、どのような展開になるのでしょうか、………?
本作は、不死身の体となった主人公が、父母を奪われ復讐を誓った少女の用心棒となって、襲いかかる大勢の侍を斬って斬って斬りまくるというお話。ただ、30巻にも及ぶ大長編の原作漫画を140分余りの作品の中に収めているために、どんどん相手が入れ替わり、チャンバラの場面がしつこく繰り返されて退屈な感じもするところです。それでも、主演の木村拓哉は、片目の着流し姿(注4)で腕などを切られたりもしていて、新境地を見せているようにも思いました(彼の映画は、全く見ておりませんが)。
(2)本作を見ると、本作の監督が以前制作した『十三人の刺客』がすぐに思い出されるでしょう。といっても、300人以上の敵に対し同作の13人でも少ないと思われたところに、本作では、主人公の万次が主に一人で大勢の敵と対峙するのですから、その凄まじさはただごとではありません。
ただ、それはラストでの話。ラストの大チャンバラに至るまでに、本作では、凛の用心棒となった万次が様々の剣士と対決します。
例えば、最初に対決したのは、黒衣鯖人(クロイ サバト:北村一輝)。
鯖人は、凛の両親を殺して、母親の生首を肩に縫い付けていながらも、恋い焦がれる凛に向けて歌(注5)を送りつけてくるような酷く変わった男。万次は、鯖人に刺されるも、それで死んだと思い油断した鯖人を背後から刺殺します(注6)。
次いで闘うのは、浅野道場から伝来の刀を奪った凶載斗(マガツ サイト:満島真之介)。載斗は、自分が百姓の出であり、侍の万次は敵だと決めつけます(注7)。
万次は、載斗のよく知る沼に引きずり込まれ、刺されるものの、これも逆に相手を刺殺します。
この後も、万次は、閑馬永空(シズマ エイクウ:市川海老蔵)、乙橘槇絵(オトノタチバナ マキエ:戸田恵梨香)、尺良(シラ:市原隼人)、百琳(ヒャクリン:栗山千明)と対決していきます(注8)。
その挙句に、ラストでは、万次がおよそ300人の敵と対峙します(注9)。
ただ、『十三人の刺客』と違って、上に記したように、万次のチャンバラ場面が、この戦闘に至るまでに何度も繰り返されて描き出されています(特に、最初の方では百人斬りのシーンが映し出されます)。
そればかりか、天津についても、大勢の相手と対決する場面が、最後の大チャンバラの前に用意されているのです。
1本の映画の中でこうもたくさんチャンバラシーンが描かれると、見ている方もさすがに飽きてしまいます。
それで、最後の最後に、万次と天津との対決シーンがあるのですが、そしてそれは本作のクライマックスになるはずなのでしょうが(凛の復讐が成就するのですから)、もう沢山だといった感じになってしまいます。
それでも、なんとかラストまで観客を画面に惹きつけてしまうのですから、三池監督の力量も見上げたものといえるでしょうし、主役を演じる木村拓哉の頑張りも凄いものがあると思ったところです。
それと、興味を惹かれたのは、本作が、復讐心に燃える凛の用心棒である万次が善玉で、万次が対決する天津らの逸刀流派のメンバーが悪玉であり、その善玉と悪玉の戦いだ、というような単純な構図で綴られてはいない点です。
それぞれの登場人物が、決して一筋縄では捉えきれないような性格付けを施されています。
特に、主人公の万次は、一方で、凛の復讐の達成のためには死ねないと思っているものの、他方で、死ねたらどんなに楽になるだろうとも思っています。
天津にしても、自分たち以外の流派をすべて潰して逸刀流で統一するという野望に燃えているとはいえ、その基点には、祖父の無念(注10)を晴らしたいという思いがあるのです。
それに、そうした天津らを凌ぐ幕府の策士の吐鉤群(カギムラ ハバキ:田中泯)がいて、ラストの大チャンバラも彼が仕掛けたものです(注11)。
また、例えば、閑馬永空は万次と斬り合い、万次をギリギリまで追い詰めながらも(注12)、最後は「もう生きるのに疲れた」と言って(注13)、万次に切り刻まれて死ぬのです(注14)。
こうした複雑な性格付けが登場人物に対してなされているために、多すぎるチャンバラシーンに辟易はするものの、観客は最後まで本作を見てしまうのではないか、と思われます。
なお、杉咲花は、万次の妹の町と凛との2役ですが、大層魅力的に撮られているなと思いました。
ただ、本作では、戸田恵梨香がヌンチャクと長刀をあわせたような武器で万次と闘う凄いシーンが描かれているとはいえ、大人の女優が万次とか天津とかと絡むシーンが見当たらず、残念なことだと思います(まあ、チャンバラが主眼の作品ですから、仕方がないことですが)。
(3)渡まち子氏は、「ほぼ全編、殺陣が続くが、バラエティに富んだ武器や、キャラ毎のイメージカラーなどで映像的にもメリハリがあって飽きさせない。顔に傷を持ち片目だけの眼力で熱演する木村拓哉、可憐な杉咲花、初の悪役ながらどこかさわやかな福士蒼汰と、俳優たちは皆好演だ」として70点を付けています。
宇田川幸洋氏は、「自分を殺せる強敵に会えるかも、という期待と「妹」をまもりたい、というのが修羅の場へ万次を向かわせる動機と思われるが」、「300人をぶった斬る大殺陣の動機としては、よわく、甘いと感じられる」として、★3つ(「見応えあり」)を付けています。
(注1)監督は、『土竜の唄 香港狂騒曲』などの三池崇史。
脚本は大石哲也。
原作は、沙村広明著『無限の住人』(講談社)。
なお、出演者の内、最近では、杉咲花は『湯を沸かすほどの熱い愛』、福士蒼汰は『イン・ザ・ヒーロー』、市原隼人は『ブルーハーツが聴こえる』、北村一輝は『寄生獣 完結編』、戸田恵梨香は『ぼくのおじさん』、満島真之介は『オーバー・フェンス』、市川海老蔵は『一命』、田中泯は『るろうに剣心 京都大火編』、山崎努は『殿、利息でござる!』、栗山千明は『秘密 THE TOP SECRET』、勝村政信は『だれかの木琴』で、それぞれ見ました。
(注2)万次は、このチャンバラで、100人の敵を倒したとされています。
(注3)本作では、この時初めて八百比丘尼が血仙蟲を万次に埋め込みますが、原作漫画(第1巻)では、この戦いの前から万次の体には血仙蟲が埋め込まれています。
なお、これで、万次は“無限の命”を与えられたことになるとされます。
ただ、下記「注12」で触れる「血仙殺」を使えば血仙蟲は無力になりますし、また閑馬永空のように切り刻まれると、いくら血仙蟲を埋め込まれていても死んでしまうのです。とすれば、“無限の命”を与えられたことにはならないようにも思われます〔そうであれば、原作漫画にあるように、血仙蟲は「延命術」といった方がいいかもしれません。とはいえ、原作漫画の最後に描かれているように、万次が明治維新後までも生きながらえてしまうのであれば、八百比丘尼と取り決めた「1000人を斬れば死ねる」という約束は、いつまでたっても達成できるとは思えず(万次は、殺人罪で捕らえられて、刑務所にずっと入ったままになるのではないでしょうか?)、その意味では“無限の命”なのでしょう〕。
(注4)本作の万次が着ている着物の背中には、「万」の字が染められていますが、原作では「卍」です。
(注5)原作漫画によれば、「砂のやう 黒髪のやうに 海越ゆる 蝶の儚き 悲しみを啜りつつ 空を巡らば 今は唯 望郷も夢と果て」。
(注6)その際、万次は鯖人に、「死ぬるお前は幸せだ」と言います。
(注7)載斗は、幼い妹の遊んでいた毬が参勤交代の列に飛んでいき、妹が侍に斬り殺されたという出来事を万次に語ります。
(注8)ただし、槇絵は、「闘っている時は忘れているのに、一瞬でも気を抜くと恐ろしくなる。私の剣は人を不幸にする」「あの人(天津影久)の望みが正しいのか疑わしくなる」と疑念に囚われ、最後には万次に「あの子(凛)を守ってあげてください」といって立ち去ります。
また、尺良と百琳は、天津影久の逸刀流のメンバーを殺す側で、一時は万次と凛も手を組みます〔尺良と百琳の出番は少ないのですが(特に百琳は)、公式サイトのこの記事において、三池監督は「(尺良については)実は撮った半分しか映画のシーンに入っていないんです(笑)。日本以外の北米やヨーロッパなどで公開する本編では、尺良ノーカットバージョンを復活させています。尺良を観たい人は、海外バージョンでぜひ観てください」と述べています〕。
(注9)例えば、劇場用パンフレット掲載の「Introduction」では、「クライマックスでは300名にも及ぶエキストラが集結」とあり、またこの記事にも「クライマックスの300人斬りは約15日間かけて撮影」と述べられています。
(注10)凛の曽祖父・浅野虎秀が、天津の祖父・天津三郎を随分と理不尽な理由で破門したのだ、と孫の影久は言います。
(注11)吐鉤群は、一方で、天津の逸刀流による武芸の統一を推し進めますが、他方で、無骸流の尺良と百琳らを使って、逸刀流の剣士を殺害させてもいるのです。
(注12)閑馬永空は、血仙蟲を無力にする「血仙殺」という秘薬を持っていて、それを刀に塗りつけて万次を斬ります。
(注13)閑馬永空は、「200年前に血仙蟲を埋め込まれた。以来、5人の妻と、それ以上の友を持ったが、すべて先立たれた。死は無慈悲だ。だが死ぬというのは、もっと酷いことだ」とも言います。
(注14)閑馬永空以外でも、本文で見るように、黒衣鯖人は凛に恋い焦がれていますし、凶載斗の侍嫌いにも理由があります。また、乙橘槇絵については、上記「注8」をご覧ください。
★★★☆☆☆
象のロケット:無限の住人
(1)本作の原作漫画を以前に半分くらい読んだことがあるので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の最初の方では、切り合いがあって人が倒れた後、主人公の万次(木村拓哉)が妹の町(杉咲花)を見ると、町が「兄さま、おはぎ拾った」と手にしたものを見せるので、万次は「馬のクソだ。捨てろ!」と叫び、「河の水で手を洗って」と言います。
町は、川に入って手を洗い、手にした風車をかざして「兄さま」と万次に見せます。
そこへ大勢の浪人たちがやってきて町を捕まえ、その中のリーダー格の司戸菱安(金子賢)が万次に、「あの旗本を殺した同心だな」「やっと見つけたぜ。同心6人も殺すとは酷い男だ」と言うと、万次は「6人目があいつの亭主だった」「町を放せば、見逃してやる」と応じます。
これに対し、菱安が「見逃してくれる?じゃあ帰ろうか、と逃げるわけないだろう」「さっさと刀を捨てろ」と言うので、万次は刀を投げ出します。
すると、菱安は「お主の気持ちはわからんでもない」と言って、部下に「放してやれ」と命じます。
部下が町を放すと、町は万次のもとに「兄さま」と走り出しますが、菱安は町を斬り殺してしまいます。これを見た万次は、憤怒の形相で「テメエら全員ぶっ殺す!」と言い、万次と浪人たちとの間で大規模で壮絶なチャンバラが始まります(注2)。
菱安の部下は全て倒され、万次も、左手首が切り捨てられ右目も傷つきますが、最後は菱安が万次と対決します。
菱案が「やるじゃないか、さっさと妹のところへ行きやがれ」と挑み万次を刺すものの、万次は死なずに菱安を倒します。
万次は横たわる町のところへ行き、「すまねえ」と謝り、その場にぶっ倒れます。
そして、このチャンバラを見ていた八百比丘尼(山本陽子)に向かって、「バアさんよ、その刀でひと思いにやってくれ。もう生きる意味がない」と頼みますが、八百比丘尼は「これだけ人を殺めておいて」、「これはラマ僧が生み出した血仙蟲。これをお前の体に埋め込んだ」と言います(注3)。すると、切られていた手首が腕につながってしまいます。
ここで、タイトルが流れ、さらに「50年後」の字幕。
場面は、無天一流の浅野道場。
一人娘の凛(杉咲花)が、道場の門下生たちと稽古に励んでいます。
母親(真飛聖)が「凛、少しは料理や裁縫を覚えてほしいんだけど」と言うと、凛は「一日も休む訳にはいきません」と答えます。
そんな道場に天津影久(福士蒼汰)の一団が乗り込んできて、道場主の父親(勝村政信)を斬り殺すところから、本作の物語が動き出します。さあ、どのような展開になるのでしょうか、………?
本作は、不死身の体となった主人公が、父母を奪われ復讐を誓った少女の用心棒となって、襲いかかる大勢の侍を斬って斬って斬りまくるというお話。ただ、30巻にも及ぶ大長編の原作漫画を140分余りの作品の中に収めているために、どんどん相手が入れ替わり、チャンバラの場面がしつこく繰り返されて退屈な感じもするところです。それでも、主演の木村拓哉は、片目の着流し姿(注4)で腕などを切られたりもしていて、新境地を見せているようにも思いました(彼の映画は、全く見ておりませんが)。
(2)本作を見ると、本作の監督が以前制作した『十三人の刺客』がすぐに思い出されるでしょう。といっても、300人以上の敵に対し同作の13人でも少ないと思われたところに、本作では、主人公の万次が主に一人で大勢の敵と対峙するのですから、その凄まじさはただごとではありません。
ただ、それはラストでの話。ラストの大チャンバラに至るまでに、本作では、凛の用心棒となった万次が様々の剣士と対決します。
例えば、最初に対決したのは、黒衣鯖人(クロイ サバト:北村一輝)。
鯖人は、凛の両親を殺して、母親の生首を肩に縫い付けていながらも、恋い焦がれる凛に向けて歌(注5)を送りつけてくるような酷く変わった男。万次は、鯖人に刺されるも、それで死んだと思い油断した鯖人を背後から刺殺します(注6)。
次いで闘うのは、浅野道場から伝来の刀を奪った凶載斗(マガツ サイト:満島真之介)。載斗は、自分が百姓の出であり、侍の万次は敵だと決めつけます(注7)。
万次は、載斗のよく知る沼に引きずり込まれ、刺されるものの、これも逆に相手を刺殺します。
この後も、万次は、閑馬永空(シズマ エイクウ:市川海老蔵)、乙橘槇絵(オトノタチバナ マキエ:戸田恵梨香)、尺良(シラ:市原隼人)、百琳(ヒャクリン:栗山千明)と対決していきます(注8)。
その挙句に、ラストでは、万次がおよそ300人の敵と対峙します(注9)。
ただ、『十三人の刺客』と違って、上に記したように、万次のチャンバラ場面が、この戦闘に至るまでに何度も繰り返されて描き出されています(特に、最初の方では百人斬りのシーンが映し出されます)。
そればかりか、天津についても、大勢の相手と対決する場面が、最後の大チャンバラの前に用意されているのです。
1本の映画の中でこうもたくさんチャンバラシーンが描かれると、見ている方もさすがに飽きてしまいます。
それで、最後の最後に、万次と天津との対決シーンがあるのですが、そしてそれは本作のクライマックスになるはずなのでしょうが(凛の復讐が成就するのですから)、もう沢山だといった感じになってしまいます。
それでも、なんとかラストまで観客を画面に惹きつけてしまうのですから、三池監督の力量も見上げたものといえるでしょうし、主役を演じる木村拓哉の頑張りも凄いものがあると思ったところです。
それと、興味を惹かれたのは、本作が、復讐心に燃える凛の用心棒である万次が善玉で、万次が対決する天津らの逸刀流派のメンバーが悪玉であり、その善玉と悪玉の戦いだ、というような単純な構図で綴られてはいない点です。
それぞれの登場人物が、決して一筋縄では捉えきれないような性格付けを施されています。
特に、主人公の万次は、一方で、凛の復讐の達成のためには死ねないと思っているものの、他方で、死ねたらどんなに楽になるだろうとも思っています。
天津にしても、自分たち以外の流派をすべて潰して逸刀流で統一するという野望に燃えているとはいえ、その基点には、祖父の無念(注10)を晴らしたいという思いがあるのです。
それに、そうした天津らを凌ぐ幕府の策士の吐鉤群(カギムラ ハバキ:田中泯)がいて、ラストの大チャンバラも彼が仕掛けたものです(注11)。
また、例えば、閑馬永空は万次と斬り合い、万次をギリギリまで追い詰めながらも(注12)、最後は「もう生きるのに疲れた」と言って(注13)、万次に切り刻まれて死ぬのです(注14)。
こうした複雑な性格付けが登場人物に対してなされているために、多すぎるチャンバラシーンに辟易はするものの、観客は最後まで本作を見てしまうのではないか、と思われます。
なお、杉咲花は、万次の妹の町と凛との2役ですが、大層魅力的に撮られているなと思いました。
ただ、本作では、戸田恵梨香がヌンチャクと長刀をあわせたような武器で万次と闘う凄いシーンが描かれているとはいえ、大人の女優が万次とか天津とかと絡むシーンが見当たらず、残念なことだと思います(まあ、チャンバラが主眼の作品ですから、仕方がないことですが)。
(3)渡まち子氏は、「ほぼ全編、殺陣が続くが、バラエティに富んだ武器や、キャラ毎のイメージカラーなどで映像的にもメリハリがあって飽きさせない。顔に傷を持ち片目だけの眼力で熱演する木村拓哉、可憐な杉咲花、初の悪役ながらどこかさわやかな福士蒼汰と、俳優たちは皆好演だ」として70点を付けています。
宇田川幸洋氏は、「自分を殺せる強敵に会えるかも、という期待と「妹」をまもりたい、というのが修羅の場へ万次を向かわせる動機と思われるが」、「300人をぶった斬る大殺陣の動機としては、よわく、甘いと感じられる」として、★3つ(「見応えあり」)を付けています。
(注1)監督は、『土竜の唄 香港狂騒曲』などの三池崇史。
脚本は大石哲也。
原作は、沙村広明著『無限の住人』(講談社)。
なお、出演者の内、最近では、杉咲花は『湯を沸かすほどの熱い愛』、福士蒼汰は『イン・ザ・ヒーロー』、市原隼人は『ブルーハーツが聴こえる』、北村一輝は『寄生獣 完結編』、戸田恵梨香は『ぼくのおじさん』、満島真之介は『オーバー・フェンス』、市川海老蔵は『一命』、田中泯は『るろうに剣心 京都大火編』、山崎努は『殿、利息でござる!』、栗山千明は『秘密 THE TOP SECRET』、勝村政信は『だれかの木琴』で、それぞれ見ました。
(注2)万次は、このチャンバラで、100人の敵を倒したとされています。
(注3)本作では、この時初めて八百比丘尼が血仙蟲を万次に埋め込みますが、原作漫画(第1巻)では、この戦いの前から万次の体には血仙蟲が埋め込まれています。
なお、これで、万次は“無限の命”を与えられたことになるとされます。
ただ、下記「注12」で触れる「血仙殺」を使えば血仙蟲は無力になりますし、また閑馬永空のように切り刻まれると、いくら血仙蟲を埋め込まれていても死んでしまうのです。とすれば、“無限の命”を与えられたことにはならないようにも思われます〔そうであれば、原作漫画にあるように、血仙蟲は「延命術」といった方がいいかもしれません。とはいえ、原作漫画の最後に描かれているように、万次が明治維新後までも生きながらえてしまうのであれば、八百比丘尼と取り決めた「1000人を斬れば死ねる」という約束は、いつまでたっても達成できるとは思えず(万次は、殺人罪で捕らえられて、刑務所にずっと入ったままになるのではないでしょうか?)、その意味では“無限の命”なのでしょう〕。
(注4)本作の万次が着ている着物の背中には、「万」の字が染められていますが、原作では「卍」です。
(注5)原作漫画によれば、「砂のやう 黒髪のやうに 海越ゆる 蝶の儚き 悲しみを啜りつつ 空を巡らば 今は唯 望郷も夢と果て」。
(注6)その際、万次は鯖人に、「死ぬるお前は幸せだ」と言います。
(注7)載斗は、幼い妹の遊んでいた毬が参勤交代の列に飛んでいき、妹が侍に斬り殺されたという出来事を万次に語ります。
(注8)ただし、槇絵は、「闘っている時は忘れているのに、一瞬でも気を抜くと恐ろしくなる。私の剣は人を不幸にする」「あの人(天津影久)の望みが正しいのか疑わしくなる」と疑念に囚われ、最後には万次に「あの子(凛)を守ってあげてください」といって立ち去ります。
また、尺良と百琳は、天津影久の逸刀流のメンバーを殺す側で、一時は万次と凛も手を組みます〔尺良と百琳の出番は少ないのですが(特に百琳は)、公式サイトのこの記事において、三池監督は「(尺良については)実は撮った半分しか映画のシーンに入っていないんです(笑)。日本以外の北米やヨーロッパなどで公開する本編では、尺良ノーカットバージョンを復活させています。尺良を観たい人は、海外バージョンでぜひ観てください」と述べています〕。
(注9)例えば、劇場用パンフレット掲載の「Introduction」では、「クライマックスでは300名にも及ぶエキストラが集結」とあり、またこの記事にも「クライマックスの300人斬りは約15日間かけて撮影」と述べられています。
(注10)凛の曽祖父・浅野虎秀が、天津の祖父・天津三郎を随分と理不尽な理由で破門したのだ、と孫の影久は言います。
(注11)吐鉤群は、一方で、天津の逸刀流による武芸の統一を推し進めますが、他方で、無骸流の尺良と百琳らを使って、逸刀流の剣士を殺害させてもいるのです。
(注12)閑馬永空は、血仙蟲を無力にする「血仙殺」という秘薬を持っていて、それを刀に塗りつけて万次を斬ります。
(注13)閑馬永空は、「200年前に血仙蟲を埋め込まれた。以来、5人の妻と、それ以上の友を持ったが、すべて先立たれた。死は無慈悲だ。だが死ぬというのは、もっと酷いことだ」とも言います。
(注14)閑馬永空以外でも、本文で見るように、黒衣鯖人は凛に恋い焦がれていますし、凶載斗の侍嫌いにも理由があります。また、乙橘槇絵については、上記「注8」をご覧ください。
★★★☆☆☆
象のロケット:無限の住人