映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ザ・ファイター

2011年04月09日 | 洋画(11年)
 『ザ・ファイター』を渋谷シネパレスで見てきました。

(1)本作品のようなボクシング物は、これまで随分とたくさん制作されています。つい最近では、見てはおりませんが『あしたのジョー』がありますし、古くはシルヴェスター・スタローンの『ロッキー』(1977年)とか赤井英和の『どついたるねん』(1989年)などがあるでしょう。
 本作品は、そうした中に置くと、主人公ミッキーマーク・ウォールバーグ)のボクシングに関し、次のような点が面白いと思いました。

イ)ボクシング物におけるトレーニング風景のお定まりは、ランニングでしょう。シャドウボクシングをしながらとか、インターバルをしながらとか、方法は様々ながら、必ずと言っていいほどランニングが行われます(注1)。
 ですが、本作品においては、吊るされたパンチングボールとかトレーナーが構えるパンチングミットを相手にしてパンチを繰り出すこととか、スパーリングとかが専ら描き出されていて、長時間のランニング光景は見かけません。



ロ)試合本番では、日本のプロレスでよく見たように(このところはプロレス自体を全然見てませんので、どのような試合展開なのか知りませんが)、随分と長時間一方的にやられっぱなしで、このままでは負けてしまうというギリギリのところで強いパンチをヒットさせて、相手をマットに沈めてしまうのです(こうした試合展開が受けるのは日本だけだと思っていましたが、外国でも似たようなものなのでしょうか?)。

 ミッキーをここまで育て上げるのに大きく与ったのが兄のディッキークリスチャン・ベール)です。
 自身も実力のあるボクサーでしたが、アルコールと麻薬に溺れているところから、すっかり身を持ち崩しています。



 特に、麻薬の入手先がカンボジア難民というように描かれているのも興味深いところです(デッキーは、その家族が暮らす家に入り込み、そこの若い女性と親しくなったりします)。
 イーストウッド監督の『グラン・トリノ』でも、「ラオス高地に住むモン族」が描かれていましたが、今やアメリカ人は、中南米人のみならず、アジアの様々の民族と隣り合わせで暮らしているように見えます。
 それはともかく、ディッキーのボクシングに関する知識・経験・勘は抜きんでており、さらにはそれにかける情熱も大変なものなので、離反したりしたミッキーも最後は彼を頼るようになります。

 また、ミッキーのマネージャー役を務めているのが母親のアリスメリッサ・レオ)です。



 むろん、ミッキーのことは十分に気にかけてはいて、また頭脳の回転が素早いのでマネージャー役としてはうってつけながら、他方で、家の暮らし向きのことも配慮せねばならず、その結果酷い相手をミッキーに宛がったりしてしまいます。
 そうしたところから、ミッキーの恋人であるシャーリーンエイミー・アダムス)は、兄を含めて、家族をミッキーから引き離そうとします。



 それに、あろうことかミッキーには兄の他に7人もの異父姉妹がいて、皆現在の両親と一緒に暮らしているようなのです。
 これでは騒動が持ち上がらないのが不思議と言えるでしょう。
 あれやこれやの騒ぎがあったのちに、ついにミッキーは世界タイトルマッチに挑戦することになります。果たしてその結果は、……。

 主人公のミッキーを演じたマーク・ウォールバーグも素晴らしいのですが、やはりこの映画は、アカデミー賞助演男優賞のクリスチャン・ベールと助演女優賞のメリッサ・レオの瞠目すべき演技によって、随分と見ごたえのある作品に仕上がっていると思いました。
 それに、シャーリーンを演じたエイミー・アダムスは、このところ、『ダウト』、『サンシャイン・クリーニング』、それに『ジュリー&ジュリア』といったところで見かけていますが、持ち前の頑張り屋の感じがこの映画でもよく活かされているなと思いました。


(注1)ランニング重視は日本だけのものではないのかもしれませんが、邦画では若者を鍛えるという場面になると、必ずランニングシーンが飛び出します。驚いたのは、『書道ガールズ』とか『書の道』といった運動部ではない部活動を扱っている作品でも、まず最初に行われるのがランニングなのです!


(2) 本作品は、兄弟の関係を専ら取り上げているところから、『マイ・ブラザー』が思い出されます。
 ただ、『マイ・ブラザー』では、本作品とは逆に、兄サムの方が家(特に父親)の期待を一心に受けて、真っ直ぐに育っているものの、弟トミーの方が、強盗の罪で服役し最近出所したばかり、という設定になっています。
 しかしながら、サムは、アフガニスタンでの戦争で筆舌に尽くしがたい経験をして、帰国後の生活は酷く荒んだものとなってしまいます。こうなると、今度は、トミーの方がまともになってしまい、逆に兄夫婦の子どもの面倒を見たりするようになります。

 こうした兄弟の間に入って重要な役割を演じるのが、どちらの作品でも若い女性です。
 本作品においては、ミッキーの恋人のシャーリーンですが、『マイ・ブラザー』にあっては、兄嫁のグレース(アカデミー賞主演女優賞のナタリー・ポートマン)です。
 ただ、シャーリーンは、ミッキーのことを思って、強い態度で彼を家族から引き離そうとしますが(とはいえ、結局は受け入れてしまいます)、グレースの場合は、次第に心が弟のトミーに傾くものの、結局は夫のサムの立ち直りを一緒になって手助けしようとします。

 なお、親の描き方も両作品では微妙に異なるようです。本作品では、母親アリスの存在感が非常に大きく(それに反比例して、父親は影の薄い存在)(注2)、ミッキのマネージャー役として彼の一切を取り仕切ろうとします。他方、『マイ・ブラザー』にあっては、父親の存在が重くのしかかってきて、非行に走る弟トミーは、どんなことをしても自分は父親に嫌わると思い込んでしまっているのです。

 アメリカの家族の一端が、こんなところに垣間見れるのかも知れません。

(注2)男性とその母親的存在との関係については、『ノーウェアボーイ』が思い浮かぶでしょう。この作品の場合、実の父親は最後まで登場せず、父親的存在であった叔父も冒頭で死んでしまいますから、映画では、主人公のジョンと、母親的存在である叔母、それに実の母親との関係が専ら描き出されることになります。
 モット母親の存在が大きく取り扱われているのは、韓国映画『母なる証明』でしょう。これを基点に、母親像に見られる欧米と東洋との違いにまで話を持って行くことは出来そうですが、あまり大風呂敷を広げても意味はありませんから、ここまでと致しましょう。


(3)映画評論家は総じて好意的です。
 渡まち子氏は、「ボクシング映画にハズレなしというが、本作でもまたそのことが証明された。ボクシングというストイックなスポーツの魅力と、労働者階級出身のボクサーが抱える問題だらけの人生が見事にシンクロし、深い感動を呼ぶ」、「体重を13kgも落とし髪を抜き歯並びまで変えて怪演するクリスチャン・ベイルと、子供を愛しすぎるがゆえに束縛してしまう母を演じたメリッサ・レオが見事にオスカーを受賞したが、恋人シャーリーンを演じるエイミー・アダムスやミッキー役のマーク・ウォルバーグも文句なしに素晴らしい。ボクシング映画というと主人公一人が際立つのが普通だが、本作は俳優たちの名演技のアンサンブルによって、忘れがたい作品になっている」として75点をつけています。
 また、福本次郎氏は、「そばに置くにはあまりにも厄介な存在、ボクシングを続ける上では不可欠な参謀。己の夢と兄弟愛に板挟みになるミッキーもまた結論を出せない。このあたりの、人間のふがいなさをとことんまでさらけ出そうとする演出が胸にしみる」し、「人生をあきらめた低所得者が暮らす街の空気がこの一家に濃厚に凝縮されていた。それでも彼らはミッキーという希望にすがろうとする。その負け犬たちが放つ強烈な体臭を、躍動感あふれる映像が見事に再現していた」として70点をつけています。





★★★★☆





象のロケット:ザ・ファイター