映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

津軽百年食堂

2011年04月13日 | 邦画(11年)
 『津軽百年食堂』をシネマート新宿で見てきました。

(1)弘前城の桜が描かれていると聞き込み、またオリエンタルラジオの2人が出演するとも耳にしたので映画館に行ってみたわけです。

 確かに、弘前城満開の桜はたっぷりと映し出されていましたし、そしてオリエンタルラジオも登場していました。ですが、まさかこんな映画だとは思ってもいませんでした。
 途中の雰囲気から薄々わかり出しましたが、最後のクレジットロールの冒頭に発起人の名前と肩書がズラズラ記載されていて、その殆どが国会議員とわかり、ナールホドと了解できた次第です。
 要すれば、3月5日の「はやぶさ開業」と合わせ、5月のゴールデンウィークにかけて青森県、特に弘前市を大いに売り出そうとするキャンペーン事業の一環としてこの映画が作られた、ということでしょう〔ただ、残念ながら、3月11日の東日本大震災によって、そうした目論見は頓挫してしまったように見受けられます〕(注1)。
 ソウだとわかっていれば、弘前市とは山一つ越えた秋田県大館市に1年間生活し、何度も弘前までに出かけて行って、弘前城の桜を見て日本一だと信じて、皆にそのことを吹聴してきた者としては、何もこうした映画をいまさら見ずとも好かったのに、という気持ちになってしまいます。




 加えて、オリラジの2人が弘前(あるいは東北)出身だというのならまだしも、東日本とは縁も所縁もない地方の出身者(長野県と大阪府)であり、かつ加えて、映画ではコメディアンらしさは完全に封じ込められてしまっていて、それならどうしてこの2人が映画に登場するの、という気にもなってしまいます(オリラジ藤森が弘前に戻ってバイクに乗って市内を走る場面があり、昔からの建物などが映しだされて“やっぱ弘前はいいな”とつぶやくのですが、どうも実感が込められていないように感じてしまいます)。

 さらに、ご都合主義が何度も出てくるのですから!
 東京の結婚式場での仕事の縁で、オリラジ藤森が、幼馴染みの福田沙紀と偶然に出会うというのは許せます。
 ですがなぜ、オリラジ藤森の父親・伊武雅人が交通事故に遭って彼が弘前に戻らなくてはならなくなると、それと時を同じくして福田沙紀の師匠のカメラマン・大杉連までが脳梗塞で倒れてしまい、やはり彼女もまた弘前に戻ってくる仕儀になるのでしょうか?
 また、百年前の初代の大森食堂の店主(オリラジ中田)と妻トヨとを娶せた男の子孫が、またぞろ藤森が弘前祭りに出店するのを手助けするというのも、巡り合わせと言えば巡り合わせでしょうが(食堂のメインメニューの「津軽そば」にちなんで、細いながらも長く続く縁というわけでしょうか)、なんともはやという思いになります。
 それに、若い女性が東京に出てくると、なぜカメラマンになろうとするのでしょうか(最近はパティシエ?)?たとえば、『おのぼり物語』でも、漫画家志望の主人公の彼女(高校の同級生)が、プロカメラマンになるべくアシスタントとしてかけずり回っています(そういえば『ハナミズキ』の新垣結衣もそうでした!)。

 マア、そういう点をいろいろ論ってみても何の意味もないでしょう。様々の事柄が様々に結びつけられて思いもかけないところで絡み合っているというのも、また人生でよく見かけるところですから(注2)。
 としても、登場人物が、すべて好人物であり、前向きに物事に取り組む人間として皆造形されている点は、こうした御当地映画では致し方がないものの、見ている方としては次第に白けてくるものです。

 最後に一つだけ申し上げれば、昔、弘前の桜祭りに行って大変印象的だったのは、舞台が設けられていて、津軽三味線の大会が開催されていたことです。ところが、本作品においては、津軽三味線は、徹底的に映像や音響から排除されているように思われましたが、何か理由があるのでしょうか(弘前市で行われる「ねぷた祭」は時期が違いますから、映画で取り上げられずとも許せるとして。また、寺町〔例えば、最勝院五重塔〕の風景も、名所巡り映画ではないのですから、ことさら映し出されなくても結構でしょう〔注3〕)?

 とはいえ、オリラジの2人は、映画初主演ながら、なかなかよくやっていると思います。なかでも、中田敦彦は、百年前の人物ということで、モロに津軽弁で話さなくてはならず、さぞかし大変だったと思います。それに、足に問題があってビッコを引きながら歩くということまでしなくてはならないのですから(この設定の意味がどこにあるのか不明です。あるいは、そのために日露戦争に出征せずとも済んだのかもしれません。何しろ、弘前に置かれた第八師団から約2万名が出征したとのこと。映画の中でも、彼を支える人たちは日露戦争関係者になっています)。



(注1)無論、この映画の原作である森沢明夫氏の同名の小説は、そんなキャンペーンとは無縁でしょう。

(注2)食堂初代のオリラジ中田から4代目のオリラジ藤森への流れはタテの動きで、オリラジ藤森と福田沙紀が東京から弘前へ戻るというのはヨコの動きであって、そうした2つのベクトルでこの映画が立体的に構成されているといえるかもしれません。

(注3)逆に、雪を抱いた岩木山が何度も映画に登場しますが、これは『人間失格』のラストシーンのように、ここぞという時の画像の方が印象を強くするのでは、と思いました。


(2)この映画で、地元の全面的な協力を得て制作された映画は3本見たことになります。
 すなわち、『桜田門外ノ変』と『海炭市叙景』、それに本作品。
 その中では、『海炭市叙景』の出来栄えが優れているように思われます。『桜田門外ノ変』は、歴史上の名だたる人物(少なくも、茨城県民にとっては)を描くために、そして本作品は「はやぶさ開業」とタイアップしているせいなのか、それぞれ問題性のある人物は一人も登場しません。他方、『海炭市叙景』は、緩いオムニバス形式をとった文芸物であるためなのでしょう、登場人物は皆様々の問題を抱えていて、それが映画を膨らみのあるものにしているように思われます。

(3)福本次郎氏は、「映画は、満開の桜と眼前に迫る岩木山という弘前の美しい風景を背景に、夢を抱いて東京に出た青年が行き詰り、故郷で新たな人生を踏み出す姿を描」いているが、彼が「家業に未来を見出す決意がさわやかだった」として50点を付けています。




★★☆☆☆


象のロケット:津軽百年食堂