『戦火のナージャ』を銀座シネスイッチで見てきました。
(1)2時間半もの長尺を見てグッタリしたにもかかわらず、何だか唐突な始り方だし、結局何も解決せずに終わった感じがして、変だなと思って劇場用パンフレットを見ましたら、この作品は3部作の真ん中のものだとのこと!
事前に分かっていれば、まず第1部の『太陽に灼かれて』を見てからにしたのにと思ったものの、後の祭り(注1)。
この映画をどう評価するのかについては、やはり3部作全部を見てからと言うしかありません(第3部『The Citadel(要塞)』は、現在制作中)。
とはいえ、なにしろ半端でない長さの作品を見たのですから、とりあえずのものに過ぎませんが、以下にレビューを書き記すことにいたしましょう。
映画は、基本的には、別れ別れになった父親コトフ大佐(監督のニキータ・ミハルコフ)と娘ナージャ(従軍看護師:監督の娘のナージャ・ミハルコフ)とが、お互いを求めて様々の危機に出会うという物語と言えるでしょう。
ただ、そこに、スターリンによる大粛清と独ソ戦という歴史的な要素が入ってくるため、話がかなり複雑になってきます(と言っても、決して純然たる歴史物ではありません)。
まず、スターリンの大粛清に関しては、映画の冒頭に驚くべき場面があります。すなわち、スターリンの誕生日を祝うために作られた巨大なケーキに、コトフ大佐は、あろうことかスターリンの顔を押し付けてしまうのです。
そのためでしょう、彼は政治犯とされて銃殺される運命にあったらしいのですが、収容所に入れられているときに、何かの手違いからなのでしょうか、経済犯に罪状が改められます。
ただ、コトフ大佐は、映像からはスターリンの側近のようであり、一体何の為にスターリンに対してそんなふざけたまねをしたのか、よく理解できないところです(スターリンの粛清の犠牲になった者の罪状と言っても、こんな類いの詰らないものであり、それをスターリンは誇大に取り上げて銃殺してしまった、という事情をこれで象徴させているのかもしれません)。
他方、スターリンは、銃殺されたと思っていたコトフ大佐が生きているらしいとの情報を掴み、真相を探るよう諜報機関幹部のドミートリに命じます(1943年)。ですが、ドミートリは、コトフ大佐とは旧知の間柄のようで、またナージャの逃亡を助けたりもしているようなのです(当時は、政治犯の家族も粛清されたようです)。たぶん、スターリンは、そこまで知った上でドミートリに調査を命じたのでしょう、ドミートリ専用の運転手は、密かに彼と彼の妻との会話を盗聴したりします。
ドミートリが調査を始める時点は、スターリングラードの戦いも終わって、ドイツ軍の敗走が現実化し出した1943年5月以降で、ドミートリ等には余裕が感じられます。ですが、調査から明らかになったように描かれるコトフ大佐やナージャの行動は、すべて1941年の独ソ戦開始当時のことで、まだドイツ軍の攻勢が厳しかった頃です。
ですから、ソ連軍は決して格好良くは描かれていません。
例えば、
ドイツ軍の進撃を阻止すべく、大量の避難民が溢れる橋に爆弾が仕掛けられますが、途中でその命令が取り消されたにもかかわらず、連絡の手違いで突然爆破が実行されてしまいます(この有様を、コトフ大佐は、逃れた川の中から見守っています。というのも、上記の政治犯として押し込められていた強制収容所がドイツ空軍機によって爆撃された際に、コトフ大佐は、屋根から逃れ、川に飛び込んで助かるのです)。
また、ドイツ軍を待ち受けているある前線は、コトフ大佐が所属する懲罰部隊が守備していますが、何かの手違いからか、赤軍の士官候補生の精鋭部隊が増派されてきます。
ただ、精鋭と言っても、実戦経験のない若者にすぎず(敵を味方と取り違えてしまうくらいの)、また十分な装備も支給されないために、後方から出現したドイツ軍の戦車部隊に、それこそアッという間に蹂躙されてしまうのです。
それでも、コトフ大佐は何とか生き延びてしまうのですが。
他方、ナージャは、従軍看護師として赤十字病院船に乗り合わせているところ、ドイツ空軍機の攻撃を受けてしまいます。いくらなんでも病院船ですから、何もしなければ飛び去ったはずながら、戦闘機の乗員が傍若無人な振る舞い(その乗員が、船に向けて空から脱糞しようとしたのです!)をしたことに堪え切れなくなった傷病兵が、銃でその乗員を撃ち殺してしまいます。その結果、赤十字病院船にもかかわらず、戦闘機の攻撃によって簡単に沈没してしまいます。
ただ、ナージャは、浮かんでいる大きな機雷に掴まることで、この窮地を脱することができました(注2)。
さらに、本作品にはもう一つ特異と思われる点が見受けられます。
既に社会主義体制は崩壊してしまったとはいえ、ロシアは、元はソヴィエト連邦であり、国民は一応はマルクス・レーニン主義を奉じていたはずです。ですが、この作品は、そうした点は微塵も感じさせず、逆に宗教的な要素がことさらあからさまに描かれている印象を受けてしまいます。
例えば、
コトフ大佐の所属する懲罰部隊が今にもドイツ軍の攻撃を受けるという間際になって、仲間の一人がイスラム教の礼拝をし、その礼拝に派遣されてきた士官候補生も加わったりします。
また、コトフ大佐が潜り込んでいたロシア正教の教会を、ドイツ空軍機から落とされた爆弾が直撃するのですが、偶々爆弾が、教会のドームに吊るされていたシャンデリアに引っ掛かったおかげで、教会の外に逃れ出る時間が稼げて、難を逃れます。代わりに、聖母マリアとか聖人が描かれていた協会ドームが吹き飛ばされます。
ナージャの方では、上で述べましたように、乗り合わせた病院船で爆撃を受けるのですが、機雷に掴って助かった際、その機雷にはもう一人神父が掴っていたのです。そして、ナージャは、その神父によって洗礼を受け、合わせてロザリオを貰い受けます。
また、モスクワの攻防戦において、胸の十字架を見て、重傷を負った青年に祈りの言葉を教えてもらえないかと頼まれます(その際に、胸を見せてくれと懇願され、ナージャは上半身裸になりますが、青年は息絶えてしまいます)。
以上の簡単な記述からお分かり願えるかもしれませんが、本作品は、全体を見渡してみると、さすがお金と時間をかけているだけのことはあるなと思わせる迫力を感じさせます。とはいえ、個々の描写を見ると、むろんナチスの残虐性を強調する場面も忘れられてはいないものの(注3)、どれもなんだかオカシナ雰囲気が付きまとい、座りの悪さを感じさせるのです。
(2)本作品では独ソ戦が取り上げられているところ、戦闘場面としては、専らソ連軍がドイツ軍によって蹂躙される戦争初期の光景が描き出されています(注4)。
そこで、手近にあった『モスクワ攻防1941』(ロドリク・プレースウェート著:川上洸訳、白水社、2008年)を見てみますと、大雑把には次のような感じです。
1941年6月22日の独ソ戦開始の前の「冬から春にかけて、諜報資料はますます詳細、精密になり、時宜をえたものとなってきた。しかし、ナマの情報がどんなにすぐれていたものであろうと、すべてを左右するのはその解析と活用の仕方」なのです(P.80)。
そうした「ナマの諜報資料」については、「ヒトラーはただちにソ連を攻撃するつもり」だとする解釈と、「ソ連を恐喝して今後とも経済的、政治的譲歩を引き出し、そのあいだに対英戦争に片をつけるつもり」だとする解釈が可能であり、後者については、「スターリンにとってもおおいに魅力的」でした。そして、「ドイツの脅迫的な態度は、すくなくともその一部は、こけおどしであって、最後通告なしに攻撃してくることはありえないし、自分がドイツの要求を拒否しないかぎり攻撃をうけることはありえない、とスターリンは判断した」ようです(P.82)。
こうして、ソ連側は大層不十分な防備体制しかとっていなかったときに、「300万以上の兵員、2000機近い航空機、3000両以上の戦車、75万頭の馬」からなる「3個の軍集団」が「6月21日の真夜中にソ連国境に投入された」わけです(P.102)。
その結果、ソ連軍は壊滅状態となり、「ドイツの意図について途方もなく誤った判断を下し、自らの固定観念にそぐわない助言を拒否したことで」、スターリンの「権威は酷く失墜し」、「側近たちがこの機会を利用して長年にわたるテロルと屈辱の報復をこころみるのを恐れたに違いな」く、スターリンは「虚脱状態になって「近い別荘」にひきこもってしまった」のです(P.136)。
むろん、スターリンを権力の座から引きずり下ろそうとする者は出現せず、暫くしてソ連軍は盛り返すのですが、こうした独ソ戦初期の敗戦の状況がこの映画でことさらに取り上げられたのは、監督のスターリン批判の表れなのでしょう。
なお、ソ連中枢部の有様は、ある意味で、福島原発事故に対する菅総理の行動として伝えられているところと類似する点が多々あるように思われて仕方がないところです。
(注1)驚いたことに本作品は、2009年に映画シナリオが脚色されて、ロンドン・ナショナルシアターで上演されているのですが、その日本版が、鹿賀丈史や成宮寛貴らの出演で上演される運びとなったようです(本年7月24日~8月9日、天王洲銀河劇場にて )。
(注2)こうしたナージャに関する物語は、誰が語っていることになるのでしょうか?
少なくとも、コトフ大佐に関する物語は、ドミートリの調査によって明らかになったことのように描かれています。ところが、いくらなんでも、ドミートリはナージャまでも調査しているわけではないでしょう。とすると、いったい誰が話しているのでしょうか?
(注3)ある村に侵攻したドイツ軍が、大勢の村人を農家の馬小屋に押し込めた上で、火をつけて焼き殺してしまうところ、その行為を、ナージャは遠くから目撃する羽目になります。というのも、これは、偶々入り込んでしまった村でナージャがドイツ兵にレイプされそうになるのですが、彼女を救うために村の娘がドイツ兵を殺してしまったことから引き起こされた惨劇なのです。
ナージャは狂乱状態に陥るものの、村の娘は、これも神の定めたことだと説得し、ナージャも、自分には父親を探し出す使命があるのだと納得します。
ここにも宗教的な要素が入り込んでいるわけながら、ただ、この惨劇よりも父親との再会の方を上位に置いてしまう描き方は、観客としてよく理解できないところです。
(注4)映画『スターリングラード』(2001年)は、今回の映画が舞台としている二つの年代、1941年と1943年の中間の1942年の出来事を扱っている作品ながら、『レポゼッション・メン』のジュード・ロウがソ連軍の狙撃兵を演じ、ラストでドイツ軍の狙撃兵と対決するという印象的なシーンがあり(ドイツ軍の内情をソ連軍に通報していた少年を、ドイツ軍がむごたらしく処刑してしまったのを見て、ジュード・ロウは怒りに駆られるのです)、また『アレクサンドリア』で好演したレイチェル・ワイズが演じる女兵士を巡って、同僚のソ連軍兵士とも対立したりします。
〔追記:2011.11.25〕
本作の冒頭部分に関するクマネズミの記述につき、余りにも何回も同内容の詰まらない無意味なコメント(それも自分のサイトを明かさない卑劣なやり方で)が繰り返し寄せられるので、そんな必要はないとは思いつつも、最近レンタル可能になった本作のDVDを見てみました。
映画の冒頭は、犯罪人が収容されている収容所の光景で、兵士がその広場に展開します。その場面から、いきなりコトフ大佐の私邸へ飛んで→大きな池の側に設けられた東屋で寛ぐスターリン→スターリン誕生日記念に作った肖像が象られたケーキを、コトフの妻マトルーシャが運び込む→コトフ大佐が、スターリンの顔をケーキに押しつける→マトルーシャが、「コトフ、ナージャはどこ?」と叫ぶ→叫び声に、収容所で寝ていた囚人の一人が目覚める→コトフ大佐が起きて「ナージャ!」と叫ぶ→周りの者が「ただの夢だよ」などと言って、コトフ大佐を抑える→コトフ大佐は、「私の意志ではなかった」とか「やりたくなかった」などと叫ぶ→収容所長が入ってきて、「政治犯は製材所に集合せよ」と言う、……という具合に展開します。
さて、ここまでを見て、コトフ大佐がスターリンの顔をケーキに押しつけるシーンは、「映画の中の現実の事柄」なのか、それとも「単なる夢の中のお話」なのか、というわけです。
確かに、コトフ大佐は、収容所で「ナージャ」と叫んで飛び起きますから、何かナージャに関する夢を見て飛び起きたのでしょう。
そして、その夢の内容は、その前まで映画で描かれていたコトフ大佐の私邸での出来事だったのでしょう(ナージャはその場面に全然現れないので、変なのですが)。
でも、だからといって、それが「単なる夢の中のお話」に過ぎないものとはトテモ思えないのです。
むしろクマネズミは、コトフ大佐の私邸での出来事は、夢の中の単なる話しではなく、「この映画における現実」として受け取ることが可能ではないか、と思っているところです。
なによりコトフ大佐は、目覚めてから、「私の意志ではなかった」とか「やりたくなかった」と叫ぶのですから!
目的語が書かれていないので確定は出来ないものの、コトフ大佐がやりたくなかったこととは、スターリンの顔をケーキに押しつけた事件だと考えられます。そして、それが「単なる夢の中のお話」であれば、目覚めてからそんなことをわざわざ言い出さないでしょう!
ですから、コトフ大佐の私邸での出来事は、この映画においては「現実にあった出来事」とされ、それをコトフ大佐は夢の中でリアルに回想したのだと考えることは十分可能ではないでしょうか?
それに、この映画のその後の展開からすれば、仮に「私の意志ではなかった」などのコトフ大佐の発言がなくとも、スターリンの顔をケーキに押しつけた事件は「現実のこと」と考えた方が、遙かに面白いのではないでしょうか?
というのも、その後の展開の中では、例えば、ドイツ軍の戦闘機の搭乗員が、ナージャが乗る赤十字船に向かって空から脱糞しようとして尻を露出する場面とか、同じ機雷につかまっていて生き延びた牧師に、ナージャが洗礼を受ける場面など、とんでもない描写が幾つも見られるからです。
ですから、これらの場面と同じレベルで冒頭のシーンを捉えて、それが本作においては「現実的なこと」として描かれていると考えた方が、この映画全体の雰囲気(スターリン批判!)にも合致するのではないでしょうか?
★★★☆☆
(1)2時間半もの長尺を見てグッタリしたにもかかわらず、何だか唐突な始り方だし、結局何も解決せずに終わった感じがして、変だなと思って劇場用パンフレットを見ましたら、この作品は3部作の真ん中のものだとのこと!
事前に分かっていれば、まず第1部の『太陽に灼かれて』を見てからにしたのにと思ったものの、後の祭り(注1)。
この映画をどう評価するのかについては、やはり3部作全部を見てからと言うしかありません(第3部『The Citadel(要塞)』は、現在制作中)。
とはいえ、なにしろ半端でない長さの作品を見たのですから、とりあえずのものに過ぎませんが、以下にレビューを書き記すことにいたしましょう。
映画は、基本的には、別れ別れになった父親コトフ大佐(監督のニキータ・ミハルコフ)と娘ナージャ(従軍看護師:監督の娘のナージャ・ミハルコフ)とが、お互いを求めて様々の危機に出会うという物語と言えるでしょう。
ただ、そこに、スターリンによる大粛清と独ソ戦という歴史的な要素が入ってくるため、話がかなり複雑になってきます(と言っても、決して純然たる歴史物ではありません)。
まず、スターリンの大粛清に関しては、映画の冒頭に驚くべき場面があります。すなわち、スターリンの誕生日を祝うために作られた巨大なケーキに、コトフ大佐は、あろうことかスターリンの顔を押し付けてしまうのです。
そのためでしょう、彼は政治犯とされて銃殺される運命にあったらしいのですが、収容所に入れられているときに、何かの手違いからなのでしょうか、経済犯に罪状が改められます。
ただ、コトフ大佐は、映像からはスターリンの側近のようであり、一体何の為にスターリンに対してそんなふざけたまねをしたのか、よく理解できないところです(スターリンの粛清の犠牲になった者の罪状と言っても、こんな類いの詰らないものであり、それをスターリンは誇大に取り上げて銃殺してしまった、という事情をこれで象徴させているのかもしれません)。
他方、スターリンは、銃殺されたと思っていたコトフ大佐が生きているらしいとの情報を掴み、真相を探るよう諜報機関幹部のドミートリに命じます(1943年)。ですが、ドミートリは、コトフ大佐とは旧知の間柄のようで、またナージャの逃亡を助けたりもしているようなのです(当時は、政治犯の家族も粛清されたようです)。たぶん、スターリンは、そこまで知った上でドミートリに調査を命じたのでしょう、ドミートリ専用の運転手は、密かに彼と彼の妻との会話を盗聴したりします。
ドミートリが調査を始める時点は、スターリングラードの戦いも終わって、ドイツ軍の敗走が現実化し出した1943年5月以降で、ドミートリ等には余裕が感じられます。ですが、調査から明らかになったように描かれるコトフ大佐やナージャの行動は、すべて1941年の独ソ戦開始当時のことで、まだドイツ軍の攻勢が厳しかった頃です。
ですから、ソ連軍は決して格好良くは描かれていません。
例えば、
ドイツ軍の進撃を阻止すべく、大量の避難民が溢れる橋に爆弾が仕掛けられますが、途中でその命令が取り消されたにもかかわらず、連絡の手違いで突然爆破が実行されてしまいます(この有様を、コトフ大佐は、逃れた川の中から見守っています。というのも、上記の政治犯として押し込められていた強制収容所がドイツ空軍機によって爆撃された際に、コトフ大佐は、屋根から逃れ、川に飛び込んで助かるのです)。
また、ドイツ軍を待ち受けているある前線は、コトフ大佐が所属する懲罰部隊が守備していますが、何かの手違いからか、赤軍の士官候補生の精鋭部隊が増派されてきます。
ただ、精鋭と言っても、実戦経験のない若者にすぎず(敵を味方と取り違えてしまうくらいの)、また十分な装備も支給されないために、後方から出現したドイツ軍の戦車部隊に、それこそアッという間に蹂躙されてしまうのです。
それでも、コトフ大佐は何とか生き延びてしまうのですが。
他方、ナージャは、従軍看護師として赤十字病院船に乗り合わせているところ、ドイツ空軍機の攻撃を受けてしまいます。いくらなんでも病院船ですから、何もしなければ飛び去ったはずながら、戦闘機の乗員が傍若無人な振る舞い(その乗員が、船に向けて空から脱糞しようとしたのです!)をしたことに堪え切れなくなった傷病兵が、銃でその乗員を撃ち殺してしまいます。その結果、赤十字病院船にもかかわらず、戦闘機の攻撃によって簡単に沈没してしまいます。
ただ、ナージャは、浮かんでいる大きな機雷に掴まることで、この窮地を脱することができました(注2)。
さらに、本作品にはもう一つ特異と思われる点が見受けられます。
既に社会主義体制は崩壊してしまったとはいえ、ロシアは、元はソヴィエト連邦であり、国民は一応はマルクス・レーニン主義を奉じていたはずです。ですが、この作品は、そうした点は微塵も感じさせず、逆に宗教的な要素がことさらあからさまに描かれている印象を受けてしまいます。
例えば、
コトフ大佐の所属する懲罰部隊が今にもドイツ軍の攻撃を受けるという間際になって、仲間の一人がイスラム教の礼拝をし、その礼拝に派遣されてきた士官候補生も加わったりします。
また、コトフ大佐が潜り込んでいたロシア正教の教会を、ドイツ空軍機から落とされた爆弾が直撃するのですが、偶々爆弾が、教会のドームに吊るされていたシャンデリアに引っ掛かったおかげで、教会の外に逃れ出る時間が稼げて、難を逃れます。代わりに、聖母マリアとか聖人が描かれていた協会ドームが吹き飛ばされます。
ナージャの方では、上で述べましたように、乗り合わせた病院船で爆撃を受けるのですが、機雷に掴って助かった際、その機雷にはもう一人神父が掴っていたのです。そして、ナージャは、その神父によって洗礼を受け、合わせてロザリオを貰い受けます。
また、モスクワの攻防戦において、胸の十字架を見て、重傷を負った青年に祈りの言葉を教えてもらえないかと頼まれます(その際に、胸を見せてくれと懇願され、ナージャは上半身裸になりますが、青年は息絶えてしまいます)。
以上の簡単な記述からお分かり願えるかもしれませんが、本作品は、全体を見渡してみると、さすがお金と時間をかけているだけのことはあるなと思わせる迫力を感じさせます。とはいえ、個々の描写を見ると、むろんナチスの残虐性を強調する場面も忘れられてはいないものの(注3)、どれもなんだかオカシナ雰囲気が付きまとい、座りの悪さを感じさせるのです。
(2)本作品では独ソ戦が取り上げられているところ、戦闘場面としては、専らソ連軍がドイツ軍によって蹂躙される戦争初期の光景が描き出されています(注4)。
そこで、手近にあった『モスクワ攻防1941』(ロドリク・プレースウェート著:川上洸訳、白水社、2008年)を見てみますと、大雑把には次のような感じです。
1941年6月22日の独ソ戦開始の前の「冬から春にかけて、諜報資料はますます詳細、精密になり、時宜をえたものとなってきた。しかし、ナマの情報がどんなにすぐれていたものであろうと、すべてを左右するのはその解析と活用の仕方」なのです(P.80)。
そうした「ナマの諜報資料」については、「ヒトラーはただちにソ連を攻撃するつもり」だとする解釈と、「ソ連を恐喝して今後とも経済的、政治的譲歩を引き出し、そのあいだに対英戦争に片をつけるつもり」だとする解釈が可能であり、後者については、「スターリンにとってもおおいに魅力的」でした。そして、「ドイツの脅迫的な態度は、すくなくともその一部は、こけおどしであって、最後通告なしに攻撃してくることはありえないし、自分がドイツの要求を拒否しないかぎり攻撃をうけることはありえない、とスターリンは判断した」ようです(P.82)。
こうして、ソ連側は大層不十分な防備体制しかとっていなかったときに、「300万以上の兵員、2000機近い航空機、3000両以上の戦車、75万頭の馬」からなる「3個の軍集団」が「6月21日の真夜中にソ連国境に投入された」わけです(P.102)。
その結果、ソ連軍は壊滅状態となり、「ドイツの意図について途方もなく誤った判断を下し、自らの固定観念にそぐわない助言を拒否したことで」、スターリンの「権威は酷く失墜し」、「側近たちがこの機会を利用して長年にわたるテロルと屈辱の報復をこころみるのを恐れたに違いな」く、スターリンは「虚脱状態になって「近い別荘」にひきこもってしまった」のです(P.136)。
むろん、スターリンを権力の座から引きずり下ろそうとする者は出現せず、暫くしてソ連軍は盛り返すのですが、こうした独ソ戦初期の敗戦の状況がこの映画でことさらに取り上げられたのは、監督のスターリン批判の表れなのでしょう。
なお、ソ連中枢部の有様は、ある意味で、福島原発事故に対する菅総理の行動として伝えられているところと類似する点が多々あるように思われて仕方がないところです。
(注1)驚いたことに本作品は、2009年に映画シナリオが脚色されて、ロンドン・ナショナルシアターで上演されているのですが、その日本版が、鹿賀丈史や成宮寛貴らの出演で上演される運びとなったようです(本年7月24日~8月9日、天王洲銀河劇場にて )。
(注2)こうしたナージャに関する物語は、誰が語っていることになるのでしょうか?
少なくとも、コトフ大佐に関する物語は、ドミートリの調査によって明らかになったことのように描かれています。ところが、いくらなんでも、ドミートリはナージャまでも調査しているわけではないでしょう。とすると、いったい誰が話しているのでしょうか?
(注3)ある村に侵攻したドイツ軍が、大勢の村人を農家の馬小屋に押し込めた上で、火をつけて焼き殺してしまうところ、その行為を、ナージャは遠くから目撃する羽目になります。というのも、これは、偶々入り込んでしまった村でナージャがドイツ兵にレイプされそうになるのですが、彼女を救うために村の娘がドイツ兵を殺してしまったことから引き起こされた惨劇なのです。
ナージャは狂乱状態に陥るものの、村の娘は、これも神の定めたことだと説得し、ナージャも、自分には父親を探し出す使命があるのだと納得します。
ここにも宗教的な要素が入り込んでいるわけながら、ただ、この惨劇よりも父親との再会の方を上位に置いてしまう描き方は、観客としてよく理解できないところです。
(注4)映画『スターリングラード』(2001年)は、今回の映画が舞台としている二つの年代、1941年と1943年の中間の1942年の出来事を扱っている作品ながら、『レポゼッション・メン』のジュード・ロウがソ連軍の狙撃兵を演じ、ラストでドイツ軍の狙撃兵と対決するという印象的なシーンがあり(ドイツ軍の内情をソ連軍に通報していた少年を、ドイツ軍がむごたらしく処刑してしまったのを見て、ジュード・ロウは怒りに駆られるのです)、また『アレクサンドリア』で好演したレイチェル・ワイズが演じる女兵士を巡って、同僚のソ連軍兵士とも対立したりします。
〔追記:2011.11.25〕
本作の冒頭部分に関するクマネズミの記述につき、余りにも何回も同内容の詰まらない無意味なコメント(それも自分のサイトを明かさない卑劣なやり方で)が繰り返し寄せられるので、そんな必要はないとは思いつつも、最近レンタル可能になった本作のDVDを見てみました。
映画の冒頭は、犯罪人が収容されている収容所の光景で、兵士がその広場に展開します。その場面から、いきなりコトフ大佐の私邸へ飛んで→大きな池の側に設けられた東屋で寛ぐスターリン→スターリン誕生日記念に作った肖像が象られたケーキを、コトフの妻マトルーシャが運び込む→コトフ大佐が、スターリンの顔をケーキに押しつける→マトルーシャが、「コトフ、ナージャはどこ?」と叫ぶ→叫び声に、収容所で寝ていた囚人の一人が目覚める→コトフ大佐が起きて「ナージャ!」と叫ぶ→周りの者が「ただの夢だよ」などと言って、コトフ大佐を抑える→コトフ大佐は、「私の意志ではなかった」とか「やりたくなかった」などと叫ぶ→収容所長が入ってきて、「政治犯は製材所に集合せよ」と言う、……という具合に展開します。
さて、ここまでを見て、コトフ大佐がスターリンの顔をケーキに押しつけるシーンは、「映画の中の現実の事柄」なのか、それとも「単なる夢の中のお話」なのか、というわけです。
確かに、コトフ大佐は、収容所で「ナージャ」と叫んで飛び起きますから、何かナージャに関する夢を見て飛び起きたのでしょう。
そして、その夢の内容は、その前まで映画で描かれていたコトフ大佐の私邸での出来事だったのでしょう(ナージャはその場面に全然現れないので、変なのですが)。
でも、だからといって、それが「単なる夢の中のお話」に過ぎないものとはトテモ思えないのです。
むしろクマネズミは、コトフ大佐の私邸での出来事は、夢の中の単なる話しではなく、「この映画における現実」として受け取ることが可能ではないか、と思っているところです。
なによりコトフ大佐は、目覚めてから、「私の意志ではなかった」とか「やりたくなかった」と叫ぶのですから!
目的語が書かれていないので確定は出来ないものの、コトフ大佐がやりたくなかったこととは、スターリンの顔をケーキに押しつけた事件だと考えられます。そして、それが「単なる夢の中のお話」であれば、目覚めてからそんなことをわざわざ言い出さないでしょう!
ですから、コトフ大佐の私邸での出来事は、この映画においては「現実にあった出来事」とされ、それをコトフ大佐は夢の中でリアルに回想したのだと考えることは十分可能ではないでしょうか?
それに、この映画のその後の展開からすれば、仮に「私の意志ではなかった」などのコトフ大佐の発言がなくとも、スターリンの顔をケーキに押しつけた事件は「現実のこと」と考えた方が、遙かに面白いのではないでしょうか?
というのも、その後の展開の中では、例えば、ドイツ軍の戦闘機の搭乗員が、ナージャが乗る赤十字船に向かって空から脱糞しようとして尻を露出する場面とか、同じ機雷につかまっていて生き延びた牧師に、ナージャが洗礼を受ける場面など、とんでもない描写が幾つも見られるからです。
ですから、これらの場面と同じレベルで冒頭のシーンを捉えて、それが本作においては「現実的なこと」として描かれていると考えた方が、この映画全体の雰囲気(スターリン批判!)にも合致するのではないでしょうか?
★★★☆☆