『レポゼッション・メン』を新宿武蔵野館で見ました。といっても、単に、待ち合わせの時間まで2時間近くあって、うまく当てはまるのがこれしかないという理由で見たにすぎませんが。
(1)ちょっとした近未来物ではないかと思ったのですが、そうには違いないものの、かなり社会性も帯びているようです。
すなわち、この作品では、ほとんどあらゆる種類の人工臓器が作られている近未来において、それを製造・販売する企業・ユニオン社が、移植にかかる高額の費用を患者に融資しながら営業を拡大しているとされます。
ただ、他方で、融資した資金の返済が一定期間滞ると、直ちに回収人(レポゼッション・メン:Repo Men)が出動して、抵抗する場合には麻酔銃で大人しくさせてから、人工心臓とか人工肺などを顧客の体内から取り出して回収するとされています(この点は、移植にかかるローンの契約を行う際には、あまり触れないようにしている、とされています)。
この映画の主人公は、回収に練達した手腕を発揮するレミーであり、『シャーロック・ホームズ』での活躍ぶりを見たばかりのジュード・ロウが扮しています。また、その同僚のジェイクも重要な役割を果たしますが、『ラスト・キング・オブ・スコットランド』で印象的なフォレスト・ウィティカーが演じています。こうした芸達者な俳優が登場しますし、ふんだんにアクション場面も取り入れられていて(ジュード・ロウのナイフさばきは実に見事なものです!)、面白いことは折り紙つきといえるでしょう。
ただここには様々な問題がありそうです。
イ)直ちに連想されるのが住宅ローンであり、この映画の背景にあるのが、下記の前田有一氏に言われるまでもなく、世界的な金融危機を引き起こした米国におけるサブプライムローンであるのは誰でもスグニわかることでしょう。
ロ)とはいえ、サブプライムローンの場合は、返済が滞ると住宅が差し押さえられて競売に付されますが、こちらの方では人工臓器そのものが回収されてしまうのです。いずれも、ローンの対象となった物件が取り上げられてしまうものの、人工臓器の場合はそんなことをしたら顧客の命も同時に失われてしまいます(ただ、眼、耳など生命維持に直接関係しない部位については、そんなことに直ちにはなりませんが)。
従って、常識的には、いくら近未来物とはいえ、このような映画が成立するとはとても思えないところです。
回収人が人工臓器を回収するとしても、そのあとには元の臓器に戻す必要があるのではないでしょうか?そうしなければ原状復帰とは言えないでしょう。
あるいは、人工臓器の提供を受けた患者は、ローンの返済が難しくなった場合には、自己破産をすればいいのではないでしょうか?
いずれにせよ、ジュード・ロウらのレポ・メンが、格好良くぶっ放した麻酔銃で眠らせた人の胸をメスで切り裂いて手際よく人工臓器を取り出すなんてことは、それこそ“ありえない映像”としか思えないところです。
ハ)むろん、SF映画なのですから、別の可能的世界にあってはそうなっているのだ、“ありえないこと”を描くのがSFなのだ、としているのかもしれません。でも、そんな無茶苦茶な世界のことを知りたいとは誰も思わないことでしょう!
劇場用パンフレットの「イントロダクション」で、「本作は人間の尊厳を問い、人命の価値を軽くする営利主義の実態をもリアルかつシニカルに暴き出す」と述べていますが、そんなご託宣の前に、この映画の設定自体が成り立つのかどうかをまずもって十分に検討すべきではなかったのではないでしょうか?
(2)ジュード・ロウの作品は、何のかんの言いながら結構見ています。
最近では、『シャーロック・ホームズ』や『Dr.パルナサスの鏡』ですし、少し前では、『スルース』、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』、『ホリディ』や『こわれゆく世界の中で』といったところでしょうか。
単なるクマネズミの偏見なのでしょうが、ジュード・ロウは、『リプリー』(1999年)や『コールドマウンテン』(2003年)などからしても、どちらかといえば主演するよりも脇で登場する方が生き生きとしてその真価を発揮しているのでは、と思ったりしています。
『スルース』(2008年)は全編二人の俳優によって演じられていて、ジュード・ロウは主役といってもいい活躍ぶりですが、なんだか演劇を見ているような感じを受けましたし、『こわれゆく世界の中で』(2007年)は悪くはないものの、酷く地味で深刻な印象の映画で彼の良さが生きてはいないような印象でした(共演したジュリエット・ビノシュの影響があるのかもしれません)。
(3)映画評論家の論評はまずまずといったところでしょう。
前田有一氏は、「いかにもいまどきのアメリカ人向きブラックジョークに満ちたSF映画」であり、「斬新な世界観、中国語があふれる近未来のアメリカの風景、容赦ない回収から、必死に逃げ回るハードアクションなど見所はたくさん」として70点を、
渡まち子氏は、「ミュージック・ビデオ出身という新鋭ミゲル・サポチニク監督のテンポのいい演出が、ダーティな“ハッピーエンド”も含めて、シャープな印象を醸し出していた」などとして60点を、
福本次郎氏は、映画は主人公の「男の心境の変化と、彼に降りかかる危険を振り払いつつ真実に近づいていく過程を通じて、肉体の機能は機械に代替させると同時に、人格を損なわずに心を入れ替えることも可能なのかを問う。しかし、歪んだ世界では正義や良識が排除の対象になるのだ」として50点を、
それぞれ与えています。
どの評者もSF物に野暮なことは言わぬが花と決め込んでいる感じですが、しかしクマネズミとしては、この作品の設定自体が気になってしまうのです。
★★☆☆☆
象のロケット:レポゼッション・メン
(1)ちょっとした近未来物ではないかと思ったのですが、そうには違いないものの、かなり社会性も帯びているようです。
すなわち、この作品では、ほとんどあらゆる種類の人工臓器が作られている近未来において、それを製造・販売する企業・ユニオン社が、移植にかかる高額の費用を患者に融資しながら営業を拡大しているとされます。
ただ、他方で、融資した資金の返済が一定期間滞ると、直ちに回収人(レポゼッション・メン:Repo Men)が出動して、抵抗する場合には麻酔銃で大人しくさせてから、人工心臓とか人工肺などを顧客の体内から取り出して回収するとされています(この点は、移植にかかるローンの契約を行う際には、あまり触れないようにしている、とされています)。
この映画の主人公は、回収に練達した手腕を発揮するレミーであり、『シャーロック・ホームズ』での活躍ぶりを見たばかりのジュード・ロウが扮しています。また、その同僚のジェイクも重要な役割を果たしますが、『ラスト・キング・オブ・スコットランド』で印象的なフォレスト・ウィティカーが演じています。こうした芸達者な俳優が登場しますし、ふんだんにアクション場面も取り入れられていて(ジュード・ロウのナイフさばきは実に見事なものです!)、面白いことは折り紙つきといえるでしょう。
ただここには様々な問題がありそうです。
イ)直ちに連想されるのが住宅ローンであり、この映画の背景にあるのが、下記の前田有一氏に言われるまでもなく、世界的な金融危機を引き起こした米国におけるサブプライムローンであるのは誰でもスグニわかることでしょう。
ロ)とはいえ、サブプライムローンの場合は、返済が滞ると住宅が差し押さえられて競売に付されますが、こちらの方では人工臓器そのものが回収されてしまうのです。いずれも、ローンの対象となった物件が取り上げられてしまうものの、人工臓器の場合はそんなことをしたら顧客の命も同時に失われてしまいます(ただ、眼、耳など生命維持に直接関係しない部位については、そんなことに直ちにはなりませんが)。
従って、常識的には、いくら近未来物とはいえ、このような映画が成立するとはとても思えないところです。
回収人が人工臓器を回収するとしても、そのあとには元の臓器に戻す必要があるのではないでしょうか?そうしなければ原状復帰とは言えないでしょう。
あるいは、人工臓器の提供を受けた患者は、ローンの返済が難しくなった場合には、自己破産をすればいいのではないでしょうか?
いずれにせよ、ジュード・ロウらのレポ・メンが、格好良くぶっ放した麻酔銃で眠らせた人の胸をメスで切り裂いて手際よく人工臓器を取り出すなんてことは、それこそ“ありえない映像”としか思えないところです。
ハ)むろん、SF映画なのですから、別の可能的世界にあってはそうなっているのだ、“ありえないこと”を描くのがSFなのだ、としているのかもしれません。でも、そんな無茶苦茶な世界のことを知りたいとは誰も思わないことでしょう!
劇場用パンフレットの「イントロダクション」で、「本作は人間の尊厳を問い、人命の価値を軽くする営利主義の実態をもリアルかつシニカルに暴き出す」と述べていますが、そんなご託宣の前に、この映画の設定自体が成り立つのかどうかをまずもって十分に検討すべきではなかったのではないでしょうか?
(2)ジュード・ロウの作品は、何のかんの言いながら結構見ています。
最近では、『シャーロック・ホームズ』や『Dr.パルナサスの鏡』ですし、少し前では、『スルース』、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』、『ホリディ』や『こわれゆく世界の中で』といったところでしょうか。
単なるクマネズミの偏見なのでしょうが、ジュード・ロウは、『リプリー』(1999年)や『コールドマウンテン』(2003年)などからしても、どちらかといえば主演するよりも脇で登場する方が生き生きとしてその真価を発揮しているのでは、と思ったりしています。
『スルース』(2008年)は全編二人の俳優によって演じられていて、ジュード・ロウは主役といってもいい活躍ぶりですが、なんだか演劇を見ているような感じを受けましたし、『こわれゆく世界の中で』(2007年)は悪くはないものの、酷く地味で深刻な印象の映画で彼の良さが生きてはいないような印象でした(共演したジュリエット・ビノシュの影響があるのかもしれません)。
(3)映画評論家の論評はまずまずといったところでしょう。
前田有一氏は、「いかにもいまどきのアメリカ人向きブラックジョークに満ちたSF映画」であり、「斬新な世界観、中国語があふれる近未来のアメリカの風景、容赦ない回収から、必死に逃げ回るハードアクションなど見所はたくさん」として70点を、
渡まち子氏は、「ミュージック・ビデオ出身という新鋭ミゲル・サポチニク監督のテンポのいい演出が、ダーティな“ハッピーエンド”も含めて、シャープな印象を醸し出していた」などとして60点を、
福本次郎氏は、映画は主人公の「男の心境の変化と、彼に降りかかる危険を振り払いつつ真実に近づいていく過程を通じて、肉体の機能は機械に代替させると同時に、人格を損なわずに心を入れ替えることも可能なのかを問う。しかし、歪んだ世界では正義や良識が排除の対象になるのだ」として50点を、
それぞれ与えています。
どの評者もSF物に野暮なことは言わぬが花と決め込んでいる感じですが、しかしクマネズミとしては、この作品の設定自体が気になってしまうのです。
★★☆☆☆
象のロケット:レポゼッション・メン