(Galle in Sri Lanka 12/30)
【植民地の歴史を今に残す街 ゴール】
スリランカを旅行中です。
29日、福岡を午前10時半に発ち、台北でトランジット、香港で乗り換え、バンコクで再びトランジット、コロンボに着いたのは真夜中12時前。
時差が3時間半ありますので、16時間半もかかった“各駅停車”の長旅でした。
空港からニゴンボのホテルへ。チェックインをすませたのは深夜1時過ぎでした。
翌30日、早朝ニゴンボの海外を散策した後、車をチャーターして南西海岸沿いに南下。
「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)との内戦が5月に終結したスリランカですが、最大都市コロンボや空港の警備は厳重です。
コロンボ市内では自動小銃を持った兵士が100mおきと言ってもいいぐらいに、街中に配備されています。
また、空港の出入り口や重要な橋などには、土嚢を積み上げた監視所みたいな小屋が配置され、中の兵士が外に向かって銃を構えています。
4時間半のドライブ(コロンボの渋滞を抜けるのに時間がかかりました)で、今回の目的地、世界遺産の街、ゴールへやってきました。
16世紀末にポルトガルが砦を築き、17世紀中頃にはオランダが砦を拡張し、その後イギリスの支配下に入り・・・と、スリランカの植民地としての歴史を今に残す街です。
ただ、正直なところ、疲れました。
長旅の疲れだけでなく,腕時計を車の中に忘れてしまったみたいとか、曇り空で海岸の景色がいまいちとか、部屋からネットが無線で繋がるという話だったのに実際は繋がらなかった(無線が弱すぎて、私のPCでは検知できないようです)とか、お昼のシーフード・フライドライスがおいしくなかったとか、ホテルの門で手を軽く怪我したとか・・・いろんなことが重なって、“今回の旅行は失敗だったかも・・・”と気も沈みがち。
【LTTEからの戦利品】
そんな思いも引きずりながら、海に突き出た砦の城壁沿いに街を歩くと、時計塔付近の旧市街と新市街を隔てる城壁の上にたくさんの兵士がいます。
城壁から外を見下ろすと、隣接する広場で何やら催し物をやっているようで、夥しい数の人が集まっています。
広場には、軍関係のボートや飛行機、兵器なども置かれており、それらをバックに子供たちの写真を親たちが撮ったりしています。
日本でも自衛隊主催の催しなどがありますので、その類だろうか・・・とも思いました。
ただ、LTTEも海軍と称するスピードボートや、空軍と称する飛行機を有していたのを思い出し、“もしかして、LTTEの武器を市民に見せていたりして・・・まあ、それはないか・・・・多分、年末・年始の催しだろう”なんて考えたりも。
それにしても、すごい人だかりでした。
城壁を降りて、少し歩くと長い行列が。
なんだろう・・・と思いつつ先に進むと、冒頭の写真の光景。
横断幕には「テロリストから捕獲した兵器・装備」とあります。
城壁の上で冗談として思った想像があたりでした。
LTTEからの戦利品を展示した催しだったようです。
政府や多数派シンハラ人からすれば、LTTEはテロリストそのものですから、LTTEとの内戦勝利がお祭り騒ぎになるのは当然と言えば当然です。
ただ、少数派タミル人はこれをどのように見るのでしょうか?
そもそも、タミル人がLTTEをどのように思っているのかわかりません。
一般のタミル人にとっては、子供を誘拐して兵士に強制徴用したり、金品を脅迫まがいに集めたりと、厄介な存在であったようにも思います。
しかし、そうは言っても、タミル人国家建設を目指してシンハラ人政府と戦ったLTTEの兵器がこのようにさらされるのは、あまり快いものではないようにも思えます。
スリランカは、これからシンハラ・タミル両民族の共存を目指して取り組むべき大切なときです。
LTTEからの戦利品を公開してお祭り騒ぎするというのは、あまりに無邪気に過ぎるように思えました。
LTTEのような過激な集団を生んだ大きな原因のひとつは、政府のシンハラ至上主義にあったとも言われています。
こうした思いは、実情を知らぬよそ者の勝手な憶測でしょうか。
そんなことを言いつつも、LTTEの装備、特に飛行機には興味があります。
“空軍”とは言っても、反政府武装勢力のそれですから、実戦能力というより、政府軍施設に爆弾を落とすことで政府軍の鼻をあかす、プロパガンダ的な役割でした。
明日、会場をのぞいてみようかとも思っています。
言ってることと違うじゃないか!と怒られますが。
言動不一致はいつものことです。