孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ロシア  プーチン政権下の大規模テロで「またか・・・」の既視感

2024-03-25 22:50:20 | ロシア

(【3月23日 日経】 炎上するコンサート会場)

【IS系「イスラム国ホラサン州」が犯行声明 プーチン大統領はウクライナの関与示唆】
133人の死者を出した22日に起きたモスクワ郊外コンサート会場で起きたテロ事件は、IS(イスラム国)の「イスラム国ホラサン州」による犯行とのこと。

****「イスラム国」が犯行の詳細公表 モスクワのテロ死者133人に****
モスクワ郊外でのテロ事件について、プーチン大統領がウクライナの関与を示唆する一方、過激派組織イスラム国が改めて犯行声明を発表しました。

22日にモスクワ郊外のコンサート会場で起きたテロ事件による死者は133人に上っています。

ロシアメディアによりますと、犯行声明には襲撃を実行した4人の写真が添付され、機関銃や火炎瓶で武装していたことや焼夷(しょうい)弾を使って放火したなどと犯行の詳細が記されているということです。

声明を出したのはイラン東部やアフガニスタンを拠点とするイスラム国でも最も残忍な集団として知られる「イスラム国ホラサン州」です。

およそ2年前からロシアがイスラム教徒を日常的に抑圧する行為に加担しているとして、プーチン大統領を批判していたということです。【3月24日 テレ朝news】
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実行犯として勾留されている容疑者は、旧ソ連のタジキスタン出身の10~30代であるとも。

イスラム過激派ISとロシア・プーチン政権の確執は、ISがイラク・シリアを支配していた当時からのものです。

****ISは、プーチンを憎んでいる****
2011年にシリア内戦が起こった時、ISは、「反アサド派」に属していました。それが2014年6月、イラク第2の都市で油田のあるモスルを陥落させ、シリア、イラクにまたがる広大な領域を支配するようになった。

2014年8月、オバマ・アメリカは、IS空爆を開始。しかし、ISはアメリカと同じく「反アサド」なので、本気で空爆できない。

そこに登場したのがプーチンです。プーチンの目的は「アサド政権を守ること」ですから、IS殲滅に容赦がありません。2015年9月から、熾烈な空爆を繰り返し、ISに壊滅的な打撃を与えたのです。

まさにロシア軍によって、ISは衰退したのです。それで、ISはプーチンを憎んでいます。【3月25日 北野幸伯氏 MAG2NEWS】
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また、近年では、西アフリカのマリなどではイスラム過激派とロシアの民間軍事会社が激しく戦っている状況もあります。

プーチン大統領はこのISによるテロをウクライナに結び付けようと画策しています。

****モスクワ郊外銃乱射で死亡は133人に プーチン大統領大統領はウクライナ側の関与示唆 ゼレンスキー大統領は「責任転嫁」と非難****
133人が死亡したロシアの首都モスクワ郊外での銃乱射テロをめぐり、プーチン大統領がウクライナ側の関与を示唆したのに対し、ゼレンスキー大統領は「責任転嫁しようとしている」と非難しています。(中略)

プーチン大統領は「野蛮なテロ行為だ」と非難。実行犯4人を含む11人を拘束したとしたうえで、「ウクライナに逃げようとした」と主張し、ウクライナ側の関与を示唆しました。

ロシア・プーチン大統領 「テロリストの背後にいる者、われわれ国民への攻撃を準備した者、全員を見つけ出して処罰する」(中略)

また、ウクライナのゼレンスキー大統領は事件への関与を否定しプーチン氏が「他の誰かに責任転嫁しようとしている」と非難しました。

ウクライナ・ゼレンスキー大統領 「プーチンはロシア国民と向き合い、演説する代わりに、一日中沈黙し、事件をどうウクライナと結びつけるかを考えていた。すべては完全に予測できたことだ」

アメリカ政府は「『イスラム国』が単独で責任を負うものでウクライナは一切関与していない」と強調しています。【3月24日 TBS NEWS DIG】
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【事前に伝えられていたテロ情報】
このプーチン大統領のウクライナへの責任転嫁の試みは、事前にアメリカからISによるテロ情報をしらされていたにも関わらず事件を許してしまった失態を覆い隠し、併せて、ウクライナとの戦争に向けた国内統制を強化したいという思惑でしょう。

****プーチンの失態。アメリカからの「テロ警告」を笑い飛ばした独裁者が流す「卑怯なフェイク情報」****
(中略)まず3月7日。アメリカは、クレムリンに、「モスクワでテロの可能性がある」と警告しました。(中略)

これ、ロシアメディアが3月8日に報道していたので、間違いありません。たとえば『プロエクティ』3月8日付。
元記事をざっくり訳してみましょう。
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3月7日夜、在ロシア米国大使館は今後2日間にモスクワでテロ攻撃の脅威があると警告した。
「大使館は、コンサートを含むモスクワの大規模な集会を襲撃する過激派の計画に関する報告を監視している。米国国民は今後48時間、人混みを避けるよう勧告される」と米国大使館のウェブサイトには記載されている。
さらに、国務省はロシアへの渡航の危険レベルを最大4に引き上げたとコメルサント紙は指摘した。(中略)
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(中略)つまり、アメリカは、確かにロシア政府に「大きなテロの準備が行われていること」を警告していたのです。そして、イギリス、ラトビア、韓国、カナダ、ドイツ、チェコ、スウェーデンがこの警告を真剣に受け止め、自国民に注意を促していました。

ところが、3月8日、9日にテロは起こりませんでした。理由はわかりませんが、「アメリカの警告が報道された」ことで、テロリストたちは、「ヤバイ!ばれてるぞ。延期だ!」となったのかもしれません。

一方、予告されたテロが起こらなかったことで、プーチンは何を感じたのでしょうか? これは、私の主観的な意見です。

アメリカが、「テロが起きる可能性がある」と警告したのは、3月8日、9日です。そして3月15日〜17日には、ロシア大統領選挙が迫っている。テロは起きなかった。

プーチンは、「大統領選前に、アメリカがフェイク情報でロシア国内を不安定化させたかった」と考えたことでしょう。 3月17日、プーチンは大統領選挙で圧勝しました。

そして、3月19日。プーチンは、アメリカからの警告について発言しました。『タス通信』3月19日付。ざっくり訳してみましょう。
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(中略)ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ロシア連邦におけるテロの可能性に関する西側諸国の発言は完全な脅迫だと非難した。(中略)
「これはすべてあからさまな脅迫であり、社会を脅迫して不安定化させようとする意図に似ている」とプーチン大統領は確信している。
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ところが、プーチンが「フェイクだ」と確信したアメリカ諜報機関の情報は、「本物」だった。テロリストは、攻撃を延期しただけで、中止はしていなかった。そして3月22日、テロが起こったのです。(中略)

誰の責任ですか?そう、アメリカ諜報の警告を笑い飛ばしたプーチンの失態です。
ですが、大丈夫。プーチンは、国内メディアを完全に支配しているので、自分の権威が失墜しないよう、どうにでもすることができるのです。

それだけでなく、プーチンは、今回のテロを、自分の政治目的達成のために利用すらします。どうやって?
ISが、「俺たちがやった!」と宣言し、証拠動画を提示しているにもかかわらず、「あれは、ウクライナがやった!」と根拠のない主張をしています。(中略)

なんというか。真の諜報員というか、彼にとって事実は、どうでもいいのです。重要なのは、「いかに現状を、自分の都合のいいように利用するか」です。

これから起こってくること
クレムリンは、これからどう動くのでしょうか? 国内では、「IS説」を意図的に隠し、「ウクライナ説」を拡散していきます。そして、外国においても、「ウクライナ説」と「ISの背後にアメリカがいる説」を拡散していくことでしょう。(後略)
(無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』2024年3月25日号より一部抜粋)【3月25日 北野幸伯氏 MAG2NEWS】
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【プーチン政権の基盤を作った1999年ロシア高層アパート連続爆破事件】
プーチン大統領と大規模テロ事件はこれまでも深い関りがります。プーチン大統領及びその周辺による「自作自演」説といったものも含めて。

実際、「自作自演」「偽旗作戦」かどうかは別として、大規模テロが起きるとそれを逆に利用して政権固めを行ってきたプーチン政権の過去があります。

1999年に起きたロシア高層アパート連続爆破事件・・・・ソ連崩壊後の混乱するロシアにあって、無名の元スパイ・プーチン氏はエリツィン大統領(当時)に首相に抜擢されたものの「プーチンって何者?」といった状況でした。

チェチェン独立派によるとされるこの爆破事件を契機にプーチン首相はチェチェン侵攻を強行し、それによって国民支持が一気に高まり、大統領就任、そして現在の長期政権の基礎となりました。

****ロシア高層アパート連続爆破事件*****
1999年にロシアで発生した爆弾テロ事件。一部のジャーナリストや歴史家はロシア政府による自作自演の可能性を指摘している。

概要
同年8月終わりから9月にかけて、首都モスクワなどロシア国内3都市で爆発が発生し、計300人近い死者を出した。

8月に首相となったウラジーミル・プーチンは、チェチェン独立派武装勢力のテロと断定。本事件と、チェチェン独立派のダゲスタン侵攻を理由にチェチェンへの侵攻を再開し、第二次チェチェン戦争の発端となった。

プーチンの強硬路線は反チェチェンに傾いた国民の支持を大きく集め、彼を大統領の座に押し上げた。

一連の爆破事件はチェチェンのテロリストによって引き起こされたと一般に考えられているが、彼らによる犯行は決定的に証明されたものではなく、一部のジャーナリストと歴史家は事件がプーチンを大統領職へと押し上げるためにロシア政府機関によって仕組まれたものだと主張している。【ウィキペディア】
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【治安当局の強硬策で多くの犠牲者を出した2002年モスクワ劇場占拠事件と、その後の不審な展開】
そして、2002年のモスクワ劇場占拠事件・・・やはりチェチェン独立派の起こした人質事件ですが、テロへの強硬姿勢を貫くプーチン大統領(2000年に大統領就任)のもと、治安当局の無力化ガスを使用した強硬策によって人質129名、犯人42名が死亡(ウィキペディア)する結果となりました。

この事件をプーチン大統領は「テロに対する勝利」と総括しています。

****20年間も消えぬプーチン氏への怒り モスクワ劇場占拠事件の遺族ら…特殊部隊突入時に200人犠牲****
ロシアの首都モスクワで2002年、テロリストによって劇場が占拠され、観客を含む約200人が政府の特殊部隊の掃討作戦で死亡する事件があった。

世界の耳目を集めたこの「モスクワ劇場占拠事件」から20年を迎えた今、一部の遺族の怒りの矛先はプーチン大統領に向いている。

◆「犠牲は減らせた」
26日、占拠事件の劇場で追悼式が営まれた。遺影に見入っていたのが、13歳の娘を亡くした年金生活者スベトラーナさん(65)。「市民の犠牲はもっと減らせたはずなのに」と無念さをにじませた。

プーチン政権は事件当時、ロシアからの分離独立を目指すイスラム系チェチェン人と泥沼の戦いを続けていた。チェチェンの武装集団は劇場に爆弾を持ち込み、観客ら900人余を人質にチェチェン共和国からの軍撤退を要求した。

「戦争をやめろ」「人質の命を救って」。市内の赤の広場でデモが起きたが、プーチン氏は妥協を拒んだ。立てこもり開始から57時間後、特殊部隊が軍用ガスを投入して劇場に突入、公式発表では140人の観客、劇場関係者と30人のテロ実行犯が死んだ。実際の犠牲者はさらに多いとの見方もある。

事件を取材した反政権記者ポリトコフスカヤ氏によると、死亡した観客らにも特殊部隊が放ったと思われる銃弾の傷が発見された。

スベトラーナさんの娘は意識がないまま劇場の外に運び出され、その上には32人の意識のない観客らが積み上げられた。

掃討作戦は「テロリスト排除」に主眼が置かれた。プーチン氏は「テロに対する勝利」と総括した。

◆「現場に足を運んでいない」
一部の遺族には割り切れない思いが残る。偶然、劇場でミュージカルを観劇していただけで、実行犯らとともに殺されたとの意識があるためだ。

12歳の孫娘を亡くしたビクトルさん(86)は「(結果を顧みない)特殊部隊の突入は裁かれなければ」ときっぱり。「プーチンはこの事件現場に足を運んだことがない。彼を大統領とは認められない」と憤った。

一方、ロシア社会ではテロとの戦いには犠牲が付き物として、占拠事件でのプーチン政権の対応は適切とする声もある。国営ロシア通信は事件から20年に合わせて、掃討作戦に参加した特殊部隊員へのインタビューを配信し「事件への対処は極めて適切だった」と結論づけた。

事件を追及してきたポリトコフスカヤ記者は06年に暗殺され、所属していた独立系新聞ノーバヤ・ガゼータは今年に入り、廃刊に追い込まれた。現在のチェチェン共和国はプーチン氏と親しいカディロフ氏が統治している。【2022年10月31日 読売】
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死者が増加した原因として、当局が使用したガスを明らかにしなかったため、適切な処置ができなかったことがあるとされています。
“当局が使用したガスの成分など詳細を救助隊に秘匿したため、適切な処置が施されなかった。多くの人質は劇場から運び出された後、仰向けに寝かされ、喉に嘔吐物が詰まり窒息死した。”【ウィキペディア】

更に事件後も、犯行グループとロシア連邦保安庁(FSB プーチン大統領の出身母体KGBの後継組織)のつながりを示す情報の浮上、事件に近づく人物の殺害など、いかにも“ロシア的”な展開に。

****事件の謎****
武装勢力は一人残らず射殺されたと報道されたが、ただ一人死を免れたハンパシ・テルキバエフという男がいたことは極秘にされた。

2003年、ロンドン在住の元FSB大佐アレクサンドル・リトビネンコは、ロシアの政党自由ロシア副議長、セルゲイ・ユシェンコフに、テルキバエフに関する情報を手渡した。直後の4月17日、ユシェンコフ議員はモスクワの自宅前で射殺された。

リトビネンコによれば、テルキバエフはチェチェン武装勢力に浸透し、挑発するための訓練を受けていたという。

テルキバエフはチェチェンのアスラン・マスハドフ大統領(当時)のプレスサービスに勤めていた過去を持ち、また、(劇場占拠事件後の2003年3月)ストラスブルグで開かれた欧州評議会議員総会(PACE)のセッションに、ロシア議会外交委員長のドミトリー・ロゴージンの随員として参加していた。テルキバエフは国営紙「ロシア新聞」の記者証を所持していたとされる。

その後、この事件について調べていたアンナ・ポリトコフスカヤの前にテルキバエフが現れ、自分は劇場占拠時、内部にいた囮工作員で、武装勢力をそそのかした主犯だったとアンナ・ポリトコフスカヤに明かした。またロシア連邦保安庁(FSB)の捜査官でもあり、クレムリンの顧問であると証言した。

テルキバエフが、なぜ命を差し出すような証言をしたのかは不明だが、取材したアンナ・ポリトコフスカヤがインタビューを公開した後、2003年12月15日、テルキバエフはチェチェンで自動車事故により死亡した。

アンナ・ポリトコフスカヤも、2006年10月7日午後、自宅エレベーター内で射殺体で発見された。ちなみに10月7日はプーチン大統領の誕生日である。【ウィキペディア】
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今回事件に関する情報に接すると、こうした謎に包まれた過去の歴史が蘇り、「またか・・・」という既視感も。
プーチン大統領にとっては、今回事件をウクライナに結びつけるなど造作もないことでしょう。真相はわかりませんが。

なお、ロシアでは上記テロの他、2004年9月にはロシア南部の北オセチア共和国のベスランの学校で、武装グループが児童や生徒など1200人以上を人質にとって立てこもり、治安部隊との銃撃戦のすえ、子どもを含む300人以上が犠牲となるなど、チェチェン独立派などのイスラム過激派による犯行と思われるテロ事件が多発しています
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