孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

民主主義の現状  「民主主義サミット」、侵食される自由主義(リベラリズム) 中国の「民主集中制」

2023-04-23 23:03:34 | 民主主義・社会問題

(米ワシントンのホワイトハウスで3月29日、民主主義サミットでバイデン米大統領が演説する中、オンライン参加する各国首脳=AP 【3月31日 東京】)

【トークショーに終わった感もある米主導「民主主義サミット」】
あまり大きな話題にもなりませんでしたが、3月29日、30日の二日間にわたり、アメリカ・バイデン大統領が主導し、約120カ国・地域の首脳らが民主主義の強化について議論する「民主主義サミット」なる国際会議がオンライン形式で開催されました。

ロシア・中国といった「専制主義国家」に対抗して「民主主義国家」の団結・強化を図る狙いとされています。

****米主導の民主主義サミットが開幕 「時代の課題に対応のため結集」****
米国主導で約120カ国・地域の首脳らが民主主義の強化について議論する第2回民主主義サミットが29日、2日間の日程で開幕した。

バイデン米大統領は世界で民主主義再生の取り組みを支援するとして、最大6億9000万ドル(約903億円)を拠出する方針を表明。国際社会で存在感を増す中国や、ウクライナに侵攻するロシアといった専制主義国家に対する危機感も共有したい考えだ。

サミット開催は、米国が主催した2021年12月以来で2回目。今回は米国、オランダ、韓国、コスタリカ、ザンビアが共催し、オンラインを中心に各地で会合が開かれる。

初日の全体会合では、バイデン氏やオランダのルッテ首相、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領らが冒頭でサミットの意義を強調。交互に発言する形で「時代の課題に対応するために我々は結集した」「民主的国家が協力すれば達成できないことはない」と訴えた。

その後、共催国の首脳らが交代で司会役を務め、「経済成長と繁栄の共有」「多様性の受け入れと平等」などをテーマに各国が自国の取り組みを紹介。バイデン氏が担当の「地球規模の課題」では、ウクライナのゼレンスキー大統領がオンラインで演説する予定になっている。

米政府は世界各国の「報道の自由と独立」「汚職の撲滅」「自由で公正な選挙」などを支援するために資金を拠出する意向を表明。また、先端技術が民主主義促進のために使用されるようにする措置も公表した。

米韓首脳は29日、共同声明を出し、第3回の民主主義サミットは韓国が主催すると発表した。【3月29日 毎日】
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“米国が「専制主義」と批判する中国やロシアに対抗して民主主義を掲げる友好国との結束強化を狙ったものの、民主主義が後退しているケースもあり、共同宣言への賛同は73カ国・地域にとどまるなど手詰まり感が漂う。”【3月31日 東京】

こうした試みに対しては、“グローバル・サウスの取り込みが重要な時に、非民主的とされて呼ばれなかった国々をアメリカ主導の“民主主義陣営”から遠ざけてしまう” “参加の基準が不透明で、民主主義に逆行している参加国がある” “世界の分断を深めるものだ” といった批判もあります。

****「民主主義サミット」の評価は? 求められる柔軟性****
 英フィナンシャル・タイムズ紙の米国エディターのエドワード・ルースが、3月29日付の論説‘Biden’s awkward democracy summit’で、バイデンの民主主義サミットの目的は崇高であるが、成功させるためにはその手法に問題があると論じている。主要点は次の通りである。

・民主主義サミットには、インド、イスラエル、メキシコなど、疑問のある国々が数多く参加する。他方、ハンガリーもトルコも招待されていないことは注目される。

・バイデンの意図は崇高であるが、バイデンの手法には疑問の余地がある。

・民主主義を広めることが米国の国益だと考えることは合理的だが、問題は、米国はこのことにあまり得意ではないことだ。

・米国の民主化推進で文句なしの成功を収めたのは、戦後の欧州に対する「マーシャルプラン」だけである。民主主義の運命は、いわゆるグローバル・サウス(西側でも中露枢軸でもない世界の一部)で概ね決着することになる。彼らの考えを聞いてみるのが現実的であろう。

・国連での投票記録から判断するに、グローバル・サウスの多くはウクライナの運命にほとんど関心がない。彼らの言い分は、西側諸国は自分たちの紛争にあまり関心がないではないかというものだ。

・西側が耳を傾けると、グローバル・サウスは一貫して、クリーンエネルギーへの移行、より良いインフラ、近代的な医療のための資金支援を要望する。中国と米国、2つの大国のうち、どちらの助けが多いかで彼らの政治的将来や外交的な同盟関係が決まることになる。

・バイデン政権は、グローバル・サウスに米国の一貫したアプローチを打ち出そうとしているが、それがまだ作業中だ。中国はこれまで、西側諸国を全て合わせたよりも多くの資金を開発途上国に投入しており、良い結果も悪い結果も出ている。

・マリ、カンボジア、ボリビアといったグローバル・サウスの国々が民主国家になるか否かは彼らが決めることだ。その道を歩ませる最善の方法は、説教を減らし、傾聴を増やすことだ。

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(中略)バイデンは、21世紀を民主主義と権威主義の対立の世紀と位置付けており、このサミットは、民主主義国の結束と中国の封じ込めを狙ったイニシアティブであるが、内外からは様々な批判がある。

中露の枢軸に対抗する地政学的観点からは、非民主主義国の協力を必要とする時、あるいは、グローバル・サウスの取り込みが重要な時に、これらの国々を米国から遠ざけてしまうという批判がある。

人権派の観点からは、民主主義に逆行している参加国があり、参加の基準が不透明で恣意的だとの批判がある。

また、融和主義者からは、このサミットは世界の分断を深めるものだとの批判がある。ただ、これは中国の主張でもある。

上記のルースの論説は、人権派の立場からバイデンの狙いは評価しつつも、参加国の選択に一貫性がないことに苦言を呈すると共に、その手法に問題があるとして、むしろグローバル・サウスの主張や要望に耳を傾け、そのニーズに沿った支援をすることが結局はこれらの国々が民主主義を選ぶことに繋がると言いたいようである。

そして、これらの批判派が一致するのは、このサミットはトークショーに過ぎず意味ある成果は生まないだろうという点であろう。

しかし、このバイデン・イニシアティブは、もう少し肯定的に評価しても良いように思われる。ルースの主張にも一理あるが、やはり民主主義国が結束を示すことは必要であり、このサミット・イニシアティブとルースの提唱する手法とは両立可能であろう。(後略)【4月20日 WEDGE】
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【劣化する民主主義 社会の多様性を前提にした自由主義(リベラリズム)の変質】
上記記事は、最初にあげた“批判”に対する反論や対応策も論じていますが、省略しました。

省略したのはスペースの都合だけでなく、国際政治のパワーゲームとしては「専制主義国家」に対抗して「民主主義国家」の団結・強化を図るというのは意味のあることですが、もっと重要なのは、欧米や日本が掲げる「民主主義」が劣化して“極端な岩盤勢力の対立”やポピュリズム的政治手法がまかり通り、偽情報の拡散などでそうした事態が更に深刻化しているのでは・・・という「民主主義の現状」の方のように思われるからです。

冷戦後の世界については、“自由で開放的な国際秩序が望ましい基本原理とされ、その下での具体的な方向性として、国際的にはグローバル化、国内的には民主化が追求されてきた。根底にあった理念は、自由主義(リベラリズム)であった。”と言えますが、その根底にあった自由主義(リベラリズム)が侵食され、変質しつつあるとの指摘が。

****現代における中庸の大切さと困難さを考える――フランシス・フクヤマ『リベラリズムへの不満』(新潮社)****
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』が、冷戦を終えた世界に大ベストセラーとして迎えられ30年が過ぎた。そこで示された自由民主主義が恒久的な平和と安定を実現する「ポスト冷戦」の世界像は、しかし、いまやロシア・ウクライナ戦争やキャンセル・カルチャーなど混乱の中で完全に否定されたようにも見える。

かつてフクヤマが見たのは幻想なのか。それともこの混乱は、やはり歴史が“終わりつつある”過程の光景なのか。フクヤマの最新刊『リベラリズムへの不満』を待鳥聡史氏が読み解く。
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「ポスト冷戦」の後に
2016年のブレグジット(イギリスのEU脱退)決定、ドナルド・トランプのアメリカ大統領当選、2020年に始まる新型コロナウイルス感染症のパンデミック、米中対立のさらなる深刻化、そして2022年からのロシア・ウクライナ戦争――私たちは近年、明らかに世界の様相が変化し、何らかの意味で新しい時代に入りつつあることを実感しているのではないだろうか。

次の時代がどのような特徴を持つのか、それがいつ頃に明確な輪郭を示すようになるのかはまだ分からないが、一つの時代が終わったという印象は拭いがたい。

終わったと思われる時代は、(中略)それ以前の冷戦期に比べると明瞭な対立軸はなかったかもしれないが、特徴を欠いていたわけではない。

自由で開放的な国際秩序が望ましい基本原理とされ、その下での具体的な方向性として、国際的にはグローバル化、国内的には民主化が追求されてきた。根底にあった理念は、自由主義(リベラリズム)であった。(中略)

リベラリズムの内なる課題とは
ポスト冷戦期の世界において、間違いなく指導理念であったリベラリズムには、現在どのような課題があるのだろうか。

フクヤマは、17世紀半ばのヨーロッパにおける宗教戦争終結の時期に起源を持ち、フランス革命・アメリカ独立革命・産業革命の経験、共産主義・ファシズムなどとの対決を通じて形成された「古典的リベラリズム」に対して、今日大きく3つの方向からの侵食が生じていることを指摘する。

1つはネオリベラリズムによるものである。
古典的リベラリズムの主要な構成要素であった経済的自由や個人主義に基づく自己責任原則が過剰に重視され、政府による社会経済的介入を拒絶するようになると、リベラリズムに立脚した社会には不平等が広がり、連帯は失われてしまう。

フクヤマは、『リベラリズムへの不満』第1章でイギリスの政治哲学者ジョン・グレイを引用しつつ、古典的リベラリズムは個人主義的ではあるが、平等主義、普遍主義、改革主義の要素も持つこと、社会の多様性や複雑性を前提にしていることに注意を促す。

もう1つはアイデンティティ政治によるものである。
すべての人が平等な扱いを受け、尊重されるべきであるという考え方は、宗教戦争や革命などを契機に発展してきた古典的リベラリズムにとって、もともと中核的な要素だといえる。

ところが、平等や尊厳の単位が個人ではなく人種・宗教・ジェンダーなどの属性で括られる集団へと変わり、さらにはそれらの集団が持つアイデンティティを重視しない他の人々を排除(キャンセル)する傾向や、特定集団を不利に扱う構造がリベラリズムに基づく政治制度に存在すると主張されるようになると、古典的リベラリズムの基盤となる寛容は弱まり、多様性は損なわれる。

さらに、第3の侵食は情報技術の進展によって生じている。
インターネットを駆使した言論の自由への監視やフェイクニュースなどの情報操作は、主に権威主義国家をはじめとしたリベラリズムが対抗する勢力によって行われてきた。

しかし今日、リベラリズムの申し子ともいえる民間企業によって、人々は整序されない情報洪水に巻き込まれて、左右のポピュリズムに動員され、さらには自らのプライヴァシーも守られない状況に置かれている。

それが上に述べた2つの侵食と結びつくとき、古典的リベラリズムの原則からは守られるべき個々人の自由が商品化されたり、私的な失言によってキャンセルされてしまうといった事態につながる。

私たちにできることは何か
リベラリズムにとって、現状は極めて苦しいものといわねばならない。今日直面する課題は、従来の共産主義や権威主義との対抗とは性質が大きく異なるためである。

共産主義や権威主義、さらに遡れば宗教権力による支配などは、いずれもリベラリズムとは異なる要素からもっぱら成り立っており、リベラリズムの側は自らの優位性を主張することで対抗できた。

だが、ネオリベラリズム、アイデンティティ政治、そして情報技術の進展に伴う個々人の自由の侵害は、リベラリズムの主要な構成要素の一部が過剰に強まったことによって生じており、いずれもリベラリズムにとっては獅子身中の虫なのである。

この状況を打開する方策はないのだろうか。フクヤマが提唱するのは、古典的リベラリズムへの回帰、より具体的には、古典的リベラリズムを構成する諸要素のバランスをとることである。

彼は『リベラリズムへの不満』の末尾において、古代ギリシア哲学の用語を引きつつ「中庸」の必要性を説く。先にふれたグレイによる定義は、リベラリズムが個人主義、平等主義、普遍主義、改革主義という特徴を持つとしていたが、これらのバランスを巧みにとり、特定の要素が突出しないようにすることが、最も大切になるというわけである。中庸あるいは適切なバランスが確保されれば、確かにその効果は大きいであろう。(後略)【4月22日 フォーサイト】
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【中国における「民主集中制」 その帰結】
一方、話を「専制主義国家」vs.「民主主義国家」というところに引き戻すと、日本では「非民主的」で「専制主義」とみなされる中国においては、中国にこそ本当の「民主」が存在し、欧米の言うところの「民主」はまやかしであると考えられています。

中国共産党は、複数政党が選挙で政権を競い合う西側の民主主義を、一部の勝者しか代表できない「少数の民主」と批判し、幅広い国民の利益をすくい取る共産党が国家のかじを取ることが、中国の「民主」のあり方だとしています。

共産党は「人民の前衛」と位置づけられ、人々にさきがけ、導く存在だとされています。党は決定の過程で様々な意見をすくい取るものの、一度決めた党の決定には服従を求める・・・「民主集中制」という体制です。

党が「社会の安定のため」として決定したことには、異論のある少数者も従わなければならない・・・「西側が重視するのは個人の権利、中国が重視するのは大多数の権利だ。個人のために社会の利益が損なわれるべきではない」という考えで、社会の安定のためには少数の犠牲をいとわないということにもなります。

こうした政治システムはコロナ禍のような危機的状況にあって、初期段階の封じ込め成功のような成果を極めて効率的に生むことがありますが、感染拡大期にあったような無慈悲な隔離措置のような、西側から見ると甚だしい人権侵害をも惹起します。

中国共産党の掲げる思想や政策を支持する人たちが「人民」であり、それを支持しないで批判や反対する国民は人民ではなく「人民の敵」とみなされます。

こうした政治システムがもたらすものは・・・

****コロナ対応批判で実刑判決 武漢の市民記者、秘密裁判****
新型コロナウイルスの大規模感染が初めて確認された中国湖北省武漢で、流行初期の実態を発信した市民記者、方斌氏が秘密裁判により実刑判決を受けていたことが分かった。懲役3年程度とみられる。

当局に連行され、消息不明となっていた。近く刑期を終えて出所するという。罪名は不明。米政府系のラジオ自由アジア(RFA)が20日までに伝えた。

方氏は2020年2月、都市封鎖(ロックダウン)された武漢で医療現場の混乱や死者が急増する様子を取材し、動画で発信。政府の対応を「人災」と批判していた。

RFAによると家族が最近、今月30日に出所するとの通知を当局から受けた。【4月20日 共同】
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****中国、デモ参加者「集団リンチ」 コロナ白紙運動の拘束者が証言****
中国上海市で昨年11月、新型コロナウイルス対策に白い紙を掲げて抗議する「白紙運動」に参加し、一時拘束された男性が23日までに、留学先のドイツから共同通信のオンライン取材に実名で応じた。

警察がデモ参加者を無差別に連行し、集団リンチのような形で排除したと証言。拘束中の参加者全員の釈放へ向け中国に圧力をかけるよう、国際社会に訴えた。(後略)【4月23日 共同】
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「民主主義」か否かは「民主」という言葉の定義にもよりますが、中国の現状は日本的常識からすれば、受け入れがたい政治システムです。

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