孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ソマリア情勢の2011年の急変とリビア・カダフィ政権崩壊

2013-09-03 22:42:40 | ソマリア

(ソマリアの首都モガディシオ 8月8日のラマダン明け 通りで元気に遊ぶ子供たち 手にはおもちゃのピストル ”flickr”より By AU/UN IST http://www.flickr.com/photos/61765479@N08/9468877223/in/photolist-fqJtiR-fzVLx4-fmzggG-fmk7iH-fmk7LV-fmzgQf-fmzfZE-fmk7LB-fmzgns-fmk7Yp-fzVMdc-fpJ9qj-fDzZh5-fDzWrJ-fDzWpN-fDimaX-fDimjK-fDimnr-fDimeP-fDzWod-foceQz-foccWP-forvgC-focfvi-fochSc-forx2L-fortpf-focgYZ-forwFL-fzVLM6-fERNAo-fEnryE-fERS1Y-fERKMC-fEzcpi-fEzge2-fEzfgB-fEzfZR-fEzfxV-fERPi9-fERQ1U-fEzbZ4-fEzcBB-fHjHHj-fH35ia-fH3ahn-fH3jCp-fH3kt8-fxFmp2-fAb6WE-fxVFoN)

飢饉によってシャバブが弱体化、ケニア・エチオピアの相次ぐ侵攻
“無政府状態が続く”という表現がついてまわるソマリアの情勢については、最近はほとんど記事を目にしませんので、どうなっているのかよくわかりません。

“国際医療支援団体「国境なき医師団(MSF)」は14日、政情が不安定なアフリカ東部ソマリアで1991年以来22年間続けてきた活動を停止し、撤退すると発表した。武装勢力による職員殺害や誘拐などが相次ぎ、活動の継続が難しいと判断した。”【8月15日 時事】とのことですので、相変わらず全土的には“無政府状態”が続いているようです。

かつて、ソマリアではアルカイダともつながるイスラム過激派「アル・シャバブ」がほぼ全土を制圧し、名ばかりの暫定政府を守るアフリカ連合(AU)の「アフリカ連合ソマリア平和維持部隊(AMISOM)」(実際に派兵したのはウガンダとブルンジのみ)は首都モガディシオの大統領府周辺のみに追い込まれていました。

そうした情勢が変化したのが2011年で、ソマリアの干ばつ・飢饉が注目されていた時期です。

****干ばつ・戦闘、続く苦しみ 弱る武装勢力「和平の好機」 ソマリア飢饉****
・・・・一方、飢饉によってシャバブが弱体化し、和平の好機が生まれているとの皮肉な指摘もある。

07年から台頭してきたシャバブの勢いは、ここ数カ月間弱まり、かつてモガディシオでも6割を支配したが、今では3割程度に過ぎない。

「シャバブの資金源の一つは地元住民から徴収する『税金』だが、近年の干ばつで激減した。略奪を始めており、士気も落ちた。今後の戦略をめぐる内部分裂もある。結果的に和平実現の機運が到来している」。暫定政府の治安関係者は、そうした見方を示した。(後略)【2011年7月27日 朝日】
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アル・シャバブの勢力が後退し始めたのが、7月報道で“ここ数カ月間”ということですから、2011年前半ということになります。
2011年8月には、アル・シャバブは首都モガディシオから撤退します。

後退するアル・シャバブを追うように、10月には隣国ケニアが、11月にはもうひとつの隣国エチオピアがソマリアに侵攻し、アル・シャバブを掃討する情勢となりました。

そのあたりの情勢については、下記のように報じられています。

****ソマリア:エチオピア軍侵攻 過激派への包囲網強化****
アフリカ東部ソマリアに隣国エチオピア軍が侵攻し、国際テロ組織アルカイダ系とされるイスラム過激派組織「アルシャバブ」への包囲網が強化されつつある。

アルシャバブは、首都モガディシオでソマリア暫定政府を防衛する「アフリカ連合」(AU)の派遣部隊との戦闘も継続しており、勢力が分散化しだした可能性もある。

ケニア軍は10月中旬、ソマリア南部へと侵攻。今月20日までにエチオピア軍がソマリア中部ベレドウェインなどに進軍した。ロイター通信によると25日、エチオピア政府は越境を認めた。

今月半ばにはケニアとウガンダ、ソマリア暫定政府首脳がケニアの首都ナイロビで非公式会合を開き、アルシャバブ掃討に向けた軍事作戦の協力を確認した。

AU部隊の主体となっているウガンダ、ブルンジなどの首脳は部隊増強に向け、緊急的援助をアフリカ各国へと呼びかけた。AU部隊との戦闘でアルシャバブが弱体化しているのを好機とみたケニア、エチオピア両軍が米国など国際社会の意向を受ける形で相次いで侵攻している可能性もある。

ソマリアは中央政府の崩壊した91年以降、事実上の無政府状態にあり、暫定政府が首都モガディシオの一部を統治しているが中・南部はアルシャバブが実効支配してきた。しかし、ここにきて各地での戦闘でアルシャバブ勢力が分散化し、内部抗争や資金不足に直面しているとの観測も流れ始めている。

一方、AUも資金難に直面しており、アルシャバブ掃討に向けて、AUが一枚岩となれるかは不透明なままだ。

エチオピア軍は06年、米国の支持を受け、イスラム原理主義勢力が首都モガディシオを掌握していたソマリアに軍事介入し、エチオピア軍が支援する暫定政府が全土をほぼ制圧したが治安は悪化し、09年に撤退した経緯がある。【2011年 11月26日 毎日】
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アル・シャバブの勢力後退の背景に、飢饉による資金不足、住民の困窮を無視した強権支配による民意の離反などが挙げられていますが、いまひとつさだかではない感もありました。

ケニア参戦の理由として、頻発したアル・シャバブによる外国人誘拐が挙げられていました。
“ケニア国内から外国人が相次いで誘拐され、ソマリアに連れ去られたことを受け、ケニア政府はソマリア側に軍隊を派遣し、16日に国境を越えた。現地からの報道によると、誘拐に関わった疑いがあるソマリア中南部を支配するイスラム武装勢力シャバブを追うためだという。”【2011年10月16日 朝日】

ただ、外国人が誘拐されたぐらいで、軍事行動を起こすだろうか? アメリカから強い依頼と援助をうけたのだろうか?という印象はありました。

エチオピアは上記記事にもあるように、かつてソマリアに侵攻した経緯もあり、またソマリアとの国境・オガ違法デン地方にはソマリ人が居住してエチオピア政府に対する反政府活動を行っていることなどで、ソマリアに対して強い利害・関心を有しています。

カダフィ政権が倒れるとアル・シャバブは一気に形勢を逆転された
この2011年のソマリア情勢の急変は、リビア・カダフィ政権の崩壊によるものだとの指摘があります。
カダフィ政権は、エリトリアを通じてアル・シャバブを支援していましたが、リビア政変でこの援助が断たれたためにアル・シャバブが勢力を後退させ、これを好機とみたケニア・エチオピアが空白を埋めるように参戦してきた・・・というものです。


****混迷の「アフリカ連合」 「盟主」失い求心力低下****
今年五月、アフリカ連合(AU)は前身のアフリカ統一機構(OAU)設立から五十周年を迎えた。
しかし、カダフィという「盟主」を失ったAUは統制を失うだけでなく、各国が対立し加盟国内での紛争やテロが頻発している。

アフリカ諸国で取材を続ける英国人ジャーナリストはこう語る。
「リビアのカダフィ政権が倒れてから二年が経過し、アフリカ大陸におけるカダフィの存在の大きさが再認識されている」

ソマリアを巡り対立激化カダフィ亡き後、その影響が如実に表れAU崩壊が浮き彫りになっているのが、ソマリアを巡る各国の対立だ。
ソマリアでのイスラム過激派によるテロは七月にも発生し、国連機関が襲撃され死亡者が出ている。

そもそも一九九〇年代から無政府状態となったこの国では、二〇〇七年以降にイスラムテロ組織「アル・シャバブ」が隆盛を誇り、アルカーイダとも手を組んで全土制圧目前まで迫った。

アル・シャバブの勢力拡大に対してAUは「アフリカ連合ソマリア平和維持部隊(AMISOM)」の展開を図ったが、当初兵力提供に応じたのはウガンダとブルンジの二カ国に過ぎなかった。両国はAU各国に対して増援を訴えたが、応じる国はなかった。

一時、両国部隊は、ソマリアの首都モガディシオの一画に追い込まれる有様だったが、リビアのカダフィ政権が倒れた一一年に一転して反撃に出た。

アル・シャバブを物心両面で支援していたのはアフリカ北東部の「破綻国家」エリトリアだった。
しかし「エリトリアには資金も人材もない。周りの国は誰でも知っている」(ハイレマリアム・エチオピア首相)と言われ、同国に資金を与えて間接的にソマリアのイスラム過激派を支援していたのがリビアであることは公然の秘密であった。

結果として、カダフィ政権が倒れるとアル・シャバブは一気に形勢を逆転されたのだ。

しかし、AMISOMが優勢になった途端、ケニアが突如としてソマリアに侵攻した。
その後AU本部があるエチオピアの首都アディスアベバを中心に、ケニアは積極的な「ロビー活動」(外交筋)を展開し、AMISOMの主導権を奪ってしまったのである。

憤懣やるかたないのがウガンダだ。昨年ケニアで発生したウガンダ軍のヘリコプター墜落事故で、ケニア側が「ウガンダ軍のミスが原因」と発表した際には、ウガンダ軍最高司令官が「何があってもケニア軍だけは助けない」と感情的な発言をした。
以来両者の溝は埋まっておらず、絶縁状態が続いている。

現在、ケニアを横目にもう一つの軍事大国エチオピアがソマリアの分割統治を狙っている。
AU本部を首都に戴きながら、エチオピアはAMISOMと一貫して距離を置き続け、断続的にソマリア侵攻を繰り返している。
ハイレマリアム首相は「空白を埋めるのは誰なのか」と発言し、ケニア軍の消耗を待つ構えだ。

カダフィは手前勝手に他国のテロ組織を支援していたに過ぎない。
しかし、結果として当時は周辺国がソマリアに手出しできなかった。カダフィを失ったことで重石がなくなり、パワーバランスが崩れたのである。

これと反対のことが起きたのはマリだろう。今年一月、同国の遊牧民トゥアレグ族がアルカーイダと連携して武装強化しフランス軍の介入を招いたことは記憶に新しい。
カダフィ健在時、リビアはマリ政府を支援する一方でトゥアレグ族を傭兵として養っていた。

政権崩壊前年の一〇年、リビアはアフリカ各国に九百億ドル以上の支援をしている。そこには独裁国家も多く含まれるが、良くも悪くもそれによって紛争が抑え込まれていた。

最近では、アフリカ中部のコンゴ(旧ザイール)で政府と反政府軍との戦闘が激化しているが、同国もリビアから支援を受けてきた国の一つだ。
七月に入って反政府勢力「M23」の兵士が東部の村を襲撃するなど、複数の地域で政府軍と戦闘に入り百人以上の死者が出ており、六万人以上の難民が隣国ウガンダに逃れたという。

国連安全保障理事会は三月に平和維持活動(PKO)に武力部隊の派遣を決めており、南アフリカなど参加国が部隊を送り込んでいるが解決は遠い。

「カダフィが正しいことをしていたとは考えないが、結果を見るとカダフィ健在時のほうがましだった」 前出英国人ジャーナリストはこう語った。(後略)【選択 9月号】
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リビアで政変が始まったのが2011年2月、首都トリポリが陥落してカダフィ政権が崩壊したのが同年8月ですから、確かにちょうどソマリア情勢が急変した時期です。

【「正しくはないが、結果としてはましだった」】
「カダフィが正しいことをしていたとは考えないが、結果を見るとカダフィ健在時のほうがましだった」・・・カダフィは資金力で良くも悪くも紛争を抑え込む状況を保っていました。

エジプトでは軍部を背景とした暫定政権が力でムスリム同胞団を抑え込み、最近ではイスラム主義に限らず反政府・反軍部的な言動を抑え込んでいます。
国民の間に、こうした軍部の力による安定をアラブの春以降の混乱よりはましだ・・・と感じている向きも多々あります。

シリア・アサド政権はこれまでの弾圧、最近の化学兵器使用疑惑で非難を浴びていますが、一方で、アサド後の混乱を考えるとアサド政権の方がましではないか・・・という思いも一部国際社会にはあります。

いろいろな問題はあるが、現実に混乱を抑え込んでくれるなら、混乱よりはましだ・・・「それを言っちゃおしまいよ」という感もあって、なかなか難しい判断です。

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