孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

スーダン  ダルフール紛争の和平合意調印 「テロ支援国家」指定の解除のために米が求めるものは

2020-10-05 23:06:42 | スーダン

(南スーダンの首都ジュバで3日、和平合意書を前に拳を突き上げるスーダン統治評議会のブルハン議長(左)。中央は南スーダンのキール大統領、右はチャドのデビ大統領=ロイター【10月5日 朝日】)

 

【2016年ダルフール住民投票】

次から次に新たな「最悪の人道危機」が起きる世界にあって、もはや忘れ去られた感もあるのがアフリカ・スーダンのダルフール紛争。

 

****世界最悪の人道危機****

2003年2月、アラブ系中心の政府に不満を募らせたダルフール地方の黒人系住民が「スーダン解放軍」(Sudan Liberation Army)、「正義と平等運動」(Justice and Equality Movement)などの反政府勢力を組織して蜂起、紛争が勃発した。

 

その後、スーダン政府軍と政府軍を支援する民兵組織「ジャンジャウィード」(Janjaweed、"馬に乗った悪魔"を意味する)により黒人居住の村々が襲撃され、地元の農民や一般市民はジャンジャウィードの手による無差別殺戮・強制移住の犠牲となった。

 

正式な人数は把握されていないものの、これまでに30万人以上が死亡、250万人以上が避難民になり(今年だけでも10万人以上の避難民が生まれたと推定されている)、440万人が人道支援を必要としている。

 

スーダン政府はジャンジャウィードとの繋がりを否定している。

 

なお、ダルフール紛争での無差別殺戮や強制移住は正式にジェノサイド(集団殺害)の認定は行われてはいないものの、元アメリカ国務長官のコリン・パウエル氏は当時これをジェノサイドと表現している(2004年)。

 

なおダルフール地方では1956年のスーダン独立以来紛争が頻発しており、1972年から1983年の11年間を除く期間に、200万人の死者、400万人の国内避難民、60万人の難民が発生したと考えられている。【2016年04月15日 原貫太氏 HUFFPOST】

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さしものダルフール紛争も2016年には下火となり、2010年10月23日カタールの首都ドーハで、カタール政府などの仲介により、スーダン政府と主要反政府勢力「正義と平等運動」が即時停戦を含む「ダルフール問題解決のための枠組み合意」に調印。また、2013年2月10日にはスーダン政府と「正義と平等運動」が、カタールの首都ドーハで停戦協定に調印しました。

 

このドーハ和平合意を受けて2016年にはダルフールの統治形態について住民投票が行われました。

 

****スーダン・ダルフール地方で住民投票が実施 「世界最悪の人道危機」に終止符は打たれるか****

投票は、スーダン政府とダルフール反政府勢力との間で締結されているドーハ和平合意の最終段階として行われる。

北アフリカに位置するスーダン共和国のダルフール地方で、行政形態を決めるための住民投票が今月11日(月)から始まり、昨日13日(水)をもって終了した。(中略)

 

本投票では、北・西・中央・南・東ダルフールへと5つに分割されているダルフール地方を、現在の分割形態を残すかもしくは一つの地域へ統合するかに関して争われており、スーダン政府は、今回の投票が長年続く紛争の根本的問題を解決することに繋がっていくとの見解を示している。

 

その一方、反政府軍やその他の反対派は今回の投票は公平ではないと訴えており、投票のボイコットを呼び掛けている。

 

またアメリカ国務省は、「現在のルールや状況下で投票が行われれば、それはダルフールの人々の意志を確かに表したものだと考える事は出来ない。」と声明を出している。(中略)

 

なお、ダルフール地方が一つに統合されることは反政府軍が独立を求めるための追い風となるため、スーダン政府は同地方の統合に反対していると考えられている。

 

投票の結果は予定では来週発表される。今の状態から察するに、ダルフール地方は分割されたまま残る可能性が高いが、その場合は選挙の不公平さなどを理由とし、政府側・反対派との間での更なる紛争に繋がっていく懸念もある。

 

しかしながら、その反対に仮にダルフール地域が統一された場合を考えても、その後、独立の機運の高まりへと繋がり、政府側との間で更なる軋轢が生まれるかもしれない。長年続く紛争の政治的解決の着地点がどこになるのか、今後の動向に注目したい。【同上】

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この住民投票実施については、このブログでも以前取り上げた記憶がありますが、正直なところ、その後の展開については把握していません。(当時は世界の耳目は南スーダンの紛争に集まっており、スーダンの動向にはほとんど関心が向けられていなかったという事情もあります。)

 

【2019年クーデターでバシル失脚 「民主化」へ】

その後、スーダンでは2019年4月、クーデターによってバシル大統領(当時)が拘束されましたが、この混乱時に、ダルフールで悪名をはせたジャンジャウィードの名前を目にすることに(下記記事の“ダルフール紛争で住民虐殺を行った民兵組織”)。

 

****「どうなる スーダンの民主化」****

「特集ワールドEYES」、けさは、アフリカのスーダン情勢についてです。30年にわたる独裁政権を築いたバシール前大統領が、2か月前、民主化を求める民衆のデモと、軍のクーデターにより失脚しました。

 

実権を握った軍に対し、民主化勢力は、民政への移行を求めて、今週、ストライキなど「不服従」の抗議行動を開始しました。緊迫の度を加えるスーダンの民主化について考えます。スタジオには、出川解説委員です。

 

Q1:こうした事態に至った原因は何でしょうか。

 

A1:
今回のスーダンの政変、2つの要素があります。「民衆革命」と「軍によるクーデター」です。

 

バシール前大統領は、もともと軍人で、1989年、クーデターで政権を握りました。軍による支配と「国民イスラム戦線」というイスラム主義政党による支配を結合させた特異な独裁体制を築き、30年にわたって君臨したのです。

 

反対勢力を徹底的に抑え込み、2003年、西部のダルフール地方で起きた紛争では、およそ30万人が犠牲になりました。バシール前大統領は、大量虐殺を命じた容疑で、国際刑事裁判所から逮捕状が出されています。

 

8年前、スーダンの南部が、「南スーダン」として分離独立すると、スーダン政府は、石油収入の4分の3を失い、財政難に陥りました。去年12月、補助金のカットで、主食のパンの値段が3倍に跳ね上がって、人々の怒りが爆発し、バシール前大統領の退陣を求める抗議デモが、3か月以上続きました。

 

そして、4月11日、国防相など軍の幹部らが、バシール大統領の身柄を拘束し、軍事評議会を設立し、暫定統治の主導権を握りました。これに対し、民主化勢力は、「軍人が支配する暫定政権は認められない」として、速やかに民政に移行するよう強く要求。首都ハルツームにある軍の本部前で、抗議の座り込みを続けました。

 

先月15日、軍事評議会と民主化勢力の代表が、協議の結果、3年後に選挙を実施し、民政に移行することで基本合意しました。

 

ところが、軍事評議会は、選挙までの期間、主導権を手放さない姿勢を示したため、両者の協議は行き詰まりました。

 

こうした中、今月3日、軍事評議会が、武力によるデモ隊の強制排除に乗り出したのです。民主化勢力によりますと、ダルフール紛争で住民虐殺を行った民兵組織を母体にした部隊が、銃や刃物でデモの参加者を次々と殺害し、遺体をナイル川に投げ込んだということで、120人以上が犠牲になり、500人以上がけがをしたと見られています。(後略)【2019年06月12日 NHK「特集ワールドEYES」 出川展恒解説委員】

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軍事評議会と民主化勢力の対立はなんとか収まり、(ダルフール紛争のイメージからすると信じがたい感もありますが)「民主化」スーダンが船出しています。

 

【暫定政府の最優先事項 ダルフール内戦終結】

ダルフール紛争については、最終的な和平合意はこれまでなされていなかったようで、今月3日にスーダン暫定政府と反政府勢力の間で合意が調印されました。

 

****スーダン暫定政府と反政府勢力、和平合意に調印****

スーダン暫定政府と反政府勢力は3日、隣国南スーダンの首都ジュバで、数十年にわたって多数の死者を出した内戦の終結を目指し、画期的な和平合意に調印した。

 

調印は暫定政府と「スーダン革命戦線」の代表により、和平交渉が始まってから1年後のタイミングで行われた。SRFは激しい紛争があった西部ダルフール地方に加え、南部の青ナイル州や南コルドファン州の武装勢力で構成されている。

 

和平合意は、土地の所有権、損害賠償、権力の分担、難民および国内避難民の帰還といった数々の難しい問題をカバーしている。反政府勢力はスーダンが政教分離を保障する新憲法を制定するまで、「自衛」のため武器を持つことが認められている。

 

南コルドファン州と青ナイル州には相当数のキリスト教徒がおり、首都ハルツームの政権によるイスラム法の適用停止を求め、数十年にわたって闘争を続けてきた。

 

スーダン暫定政府のトップであるアブデル・ファタハ・ブルハン最高評議会議長とアブダラ・ハムドク首相は、欧州連合と国連とともに、今回和平合意に調印しなかった有力な2反政府勢力に和平プロセスへの参加を呼びかけた。

 

これらの反政府勢力は、ダルフールを拠点とする「スーダン解放運動」の分派と、南コルドファン州を拠点とする「スーダン人民解放運動北部勢力」の分派。軍によると前者は9月28日に攻撃を行ったという。後者は別の停戦合意に調印した。

 

スーダンでは強権的な体制を敷いたオマル・ハッサン・アハメド・バシル前大統領が一連の民主化デモを受けて2019年に政権の座を追われて以来、内戦終結が暫定政府の最優先事項に位置づけられている。

 

和平交渉は、その指導者らが反政府勢力としてスーダン政府と数十年闘い、2011年に独立を果たした南スーダンが仲介した。南スーダンも自国内の和平実現に向けて苦戦を強いられている。

 

スーダンは、米政府からテロ支援国家に指定されていることに加え、長年続いた米政府による経済制裁や、産油地帯がある南スーダンの独立によって国内原油埋蔵量の4分の3を失ったことが響き、経済が低迷。約83万人が被災した最近の水害で、状況はさらに悪化している。 【10月4日 AFP】

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調印が南スーダンの首都ジュバで行われたということで、スーダンから分離独立した南スーダンとスーダンの関係、内戦が続いていた南スーダンの現状も気になるところですが、そこはまた別機会に。

 

****合意実現、課題は経済 外国に支援呼びかけ スーダン****

(中略)署名式は南スーダンの首都ジュバで3日に開かれた。暫定政権トップのスーダン統治評議会のブルハン議長は「この合意がスーダンを正義、自由、民主主義の国へ転換する一助となる」と語った。(中略)

 

合意では、反政府勢力の戦闘員が暫定政権の治安部隊に合流するほか、紛争地から避難した人々が元の土地に戻る機会を保証した。

 

南スーダンのキール大統領は「現在の経済状況では、合意内容の実現は簡単なことではない」と国際社会に支援を呼びかけた。和平合意にこぎつけた暫定政権だが、バシル政権から引き継いだ経済危機は悪化しているのが実情だ。

 

経済危機から脱し、外国からの投資を呼び込むために暫定政権が求めているのが、米国による「テロ支援国家」指定の解除だ。バシル政権時代の1993年、イスラム過激派への支援を理由に指定された。

 

ハムドク首相も9月の国連総会で「国際社会と協力し、テロと戦う努力をする」と演説。「私たちはテロ支援国家のリストから外されるべきだ」と理解を求めた。【10月5日 朝日】

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【暫定政府が求める「テロ支援国家」指定の解除 アメリカはイスラエルとの国交正常化を求める】

上記記事にあるように、スーダンが求めているのがアメリカの「テロ支援国家」指定の解除ですが、アメリカはこの解除を梃にスーダン側に圧力をかけているようです。

 

その圧力の具体例のひとつが、UAE・バーレーンに続く、イスラエルとの国交正常化。

スーダン内部には慎重姿勢があることが8月段階では報じられていました。

 

****対イスラエル正常化で「勇み足」?=外務報道官解任―スーダン****

スーダンで(8月)19日、イスラエルとの国交正常化に前向きと受け止められる発言を一方的に行い混乱を招いたとして、外務省報道官が解任された。国営メディアが伝えた。

 

スーダンはイスラエルとの外交関係はないが、イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)の国交正常化合意に追随する可能性が取り沙汰されている。

 

同報道官は18日、ロイター通信などに対し、イスラエルとUAEの合意を「地域の平和に寄与する大胆な一歩」などと評価。スーダンもイスラエルと接触を重ねていると述べていた。

 

これに対し、外務省は声明で、報道官の発言に「驚いた」とした上で「省内で対イスラエル関係は議論されていない」と強調した。

 

スーダンのブルハン統治評議会議長は2月、ウガンダでネタニヤフ・イスラエル首相と会談し、関係正常化への協力開始で合意。ネタニヤフ氏は今月18日にツイッターで「イスラエル、スーダンと地域全体は和平合意から利益を得て、より良い未来をつくることができる」と秋波を送っていた。【8月20日 時事】 

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****イスラエルと国交正常化「困難」 米国務長官訪問のスーダン****

ポンペオ米国務長官は(8月)25日、スーダンを訪問し、ハムドク首相と会談した。ハムドク氏は米国が求めるイスラエルとの国交正常化について、現在は暫定政権下にあり「決定の権限がない」として、当面困難との考えを示した。スーダン政府が発表した。

 

スーダンでは昨年、約30年間続いたバシル政権が崩壊して軍民共同統治中で、民政移管までの3年3カ月、暫定政権が置かれる。スーダンはイスラエルと目立った対立がないことから、国交正常化で合意したアラブ首長国連邦(UAE)に追従するとの観測もある。【8月25日 共同】

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ただ、トランプ再選にむけた「成果」が欲しいアメリカ側はあきらめたわけではなく、「圧力」というか、協力要請は続いているようです。

 

****イスラエル・スーダン関係正常化?****

先日、最近UAEとバハレンに次ぐイスラエルとの関係正常化はクウェイトととかスーダンとかの名前が挙がっているが、どうやらスーダンと言うことになりそうだとお伝えしたかと思いますが、al qods al arabi net は、イスラエル放送等によると、スーダンのブルハン主権評議会議長が近日中にウガンダで、ネタニアフ首相と会談するが、協議の主題は関係正常化であろうと伝えています。

またスーダン筋によると、両者の会談の日時は26日が予定されている模様。

他方スーダン外相は24日、スーダンをテロ支援国家のリストから除外する交渉は(1993年からアルカイダの指導者オサマビンラーデンはスーダン滞在を認められていたが、1998年ケニア等でのアルカイダによる米大使館爆破事件等に関連して、スーダンがテロ支援国家のリストに載せられていた。その犠牲者に対する補償問題とリストからの除外問題が話し合われていた模様)、合意にごく近いと語っていて、その意味でもスーダンのイスラエルとの関係正常化の条件が整ってきたと思われる

但し、スーダン内には正常化反対の勢力も強いとされているので、公式の発表までは慎重に見た方がいいかもしれません。【9月25日 「中東の窓」】

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本来、「テロ支援国家」指定の解除とイスラエルとの国交問題は全く別物ですが、そこらが「取引」されるのが国際政治の実態なのでしょう。

 

【アメリカの要求 イエメン派兵も?】

アメリカの「圧力」に関しては、もうひとつ。

 

****スーダン兵のイエメンへの派遣****

al jazeera net とal qods al arabi netは、英国のMiddle east eye誌が、スーダンがサウディ経由で、1000名以上の兵士をイエメンに送っていると報じています。

それによると、9月22日に1018名からなるスーダン部隊が、海路サウディに入り、イエメン国境に近いジャザーンに到着したたが、その2日前には輸送機2機が先遣部隊をジャザーンに送り込んでいるよし、

記事は更にスーダンはバシール政権の下で、イエメンに対するアラブ連合軍に参加し、一時は15000名の兵士をイエメン各地に派遣していたが、その後その大部分を撤収し、650名程度が残存していた由

スーダンの現政権に対しては、米、UAE等からスラエルとの関係正常化の圧力がかけられ(米国はその対価としてスーダンをテロ支援国家のリストから除くとしていた模様)、このスーダン兵のイエメンへの再派遣もその一環である可能性があるところ、取りあえず。【10月3日 「中東の窓」】

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テロ支援国家」指定の解除を約束するかわりに、イエメンへの派兵を求める・・・事実であれば、ますます奇妙な話ですが、これまた国際政治の実態なのでしょう。

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