(火災は22日にロヒンギャの難民キャンプをのみ込んだ 【3月23日 CNN】)
【難民キャンプ大火災 漂う絶望感】
ミャンマー西部ラカイン州で暮らしていたイスラム系少数民族ロヒンギャが、ミャンマー国軍などにる殺害・レイプ・放火などの民族浄化的な暴力によって追われ、70万人超の難民が隣国バングラデシュのキャンプで生活していることはこれまでも再三取り上げてきました。
そのロヒンギャの難民キャンプで3月に、約1万戸が焼失する大火災が起きました。
****ロヒンギャ難民キャンプで大規模火災、数万人の命に危険 バングラデシュ****
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“出火原因について(バングラデシュの難民問題当局の)ハヤト氏は(3月)24日、難民が使用していたコンロが火元で、強風にあおられて調理用のガスボンベに次々と引火した可能性があるとの初期調査結果を明らかにしている。”【3月26日 AFP】
難民らは故郷ラカイン州での悪夢から抜け出し、キャンプで新たな生活に立ち上げていこうとしていた矢先の大火で、現地には絶望感が広がっているとも。
****キャンプ大火災 ロヒンギャ難民のいま****
今年3月、バングラデシュ南東部・コックスバザールにあるロヒンギャ難民キャンプで大規模な火災が発生し、約4万人が住む家を失った。火災発生当時現地を取材したジャーナリストの小西遊馬さんに、被害の様子とロヒンギャ難民の今後について話を聞いた。
■約86万人が難民キャンプで生活
(中略)
――ロヒンギャ難民は今どんな状況に置かれているのでしょうか?
元々はミャンマーで生活していたのですが、ロヒンギャの人々はイスラム教徒であるため、人口の9割が仏教徒とされるミャンマー国内では「バングラデシュからの不法移民」とされてしまいました。
ミャンマー国籍が与えられず、治安部隊から迫害を受け、国を追われました。しかし隣国のバングラデシュにも入国を認めてもらえず、今も86万人近くが特別に設けられた難民キャンプで生活している状況です。
■一面の焼け野原で子どもが…
――そんな中で起きた今回の火災。(中略)難民の人々の被害は?
元々キャンプにはシェルターが密集していましたが、火災の翌日には一面焼け野原になり、遠くの景色が見える開けた平地になっていました。
布団や毛布などの生活必需品や、なけなしのお金で買った家財道具も燃えてしまい、幼い子供が、まだ使える皿やソファの骨組みなどを拾い集めていました。(中略)
■キャンプに充満する“絶望感”
――現地を取材して、どんなことを感じましたか?
2年前にも現地を取材しました。当時は2017年にミャンマーの治安当局が数千人のロヒンギャを虐殺するという事案があった直後でした。キャンプには新たにたくさんの難民がなだれ込み、家を建て、NGOの人が走り回り、難民キャンプには痛みと叫びが充満していました。
今回数年が経って、少ないながら家具が揃ったり、以前よりはシェルターを綺麗にしたり大きくしたりして、キャンプ内がある程度落ち着き始めていました。そんな中で起きた火災でしたので、振り出しに戻されたという絶望感が、まるで火災の煙のようにキャンプ全体に充満したように感じました。
■先行き見えず、現地民との軋轢も
――難民キャンプで生活するロヒンギャの人たちは、今後どうなるのでしょうか?
現在のミャンマー国内の混乱や、バングラディッシュ政府によるバシャン・チョール島という島への難民移住計画などさまざまなことがありますが、端的に言えば行き先は決まっておらず、先が見えていない状況です。
ホストコミュニティとの軋轢という問題を懸念しています。難民の彼らが支援を受けている一方、バングラデシュ国内には、難民の彼らよりも貧しい生活を強いられている人々がいて、「なぜ彼らだけ支援を受けるのか」という意見があります。
また、ロヒンギャ難民がドラッグの運び屋として使われ国内にドラッグを持ち込まされていたり、キャンプ外で不法に現地民より安い賃金で働いて雇用を奪ったりするなど、現地民には不満も溜まっています。深まる軋轢によって、難民の彼らが今の居場所さえ失ってしまう可能性もあると思います。
■小さなことでも、できることから
――ロヒンギャの問題。日本の私たちができることは?
小さくて意味がないと思うことでも、是非やってほしいと思います。
2年前にロヒンギャ難民キャンプに行ったのが、僕の初めての取材でした。カメラの使い方もよく分からない状態で足を運び、現実の厳しさに圧倒され、自分には何もできないかもしれないと思ってしまったんです。その時ロヒンギャの方に、「君が来てくれたという実存によって、『僕たちはまだ忘れられていない。僕たちを思ってくれる人がどこかにいる』と思える。自分たちの存在の承認や希望になるんだ」と言われました。
■鉛筆を受け取る難民の子どもたち
以前、北星鉛筆さんという老舗の鉛筆屋さんにご協力いただき、難民キャンプの学校に鉛筆を送らせていただきました。鉛筆代よりも送料の方が高かったのですが、“機能”とか“費用対効果”という問題ではありません。やはり人は心で生きていると思うんです。ささいなことでも、彼らの希望になります。ぜひどんなことでも、できることから始めていただけたらと思います。【5月22日 日テレNEWS24】
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【「新天地」を求めてキャンプを脱出するも、待ち受ける現実】
これまでも厳しい生活を強いられていましたが、大火で更に・・・
当然ながら、このキャンプを脱出して「新天地」(そういうものがあれば・・・ですが)に向かう難民も。
しかし、悪質な密航業者、向かった先での入国拒否など、難民にとって「新天地への旅」が命がけのものであることは、ロヒンギャでも、その他の地域の難民でも同じです。
****ロヒンギャ難民81人、マレーシアに上陸拒否され113日漂流 インドネシアで救出へ****
<コロナ禍やクーデターなどで世界の関心は減ったが、難民たちは今日も生き延びようとしている>
インドネシアのスマトラ島最北部にあるアチェ州の無人島に6月4日、ミャンマーの少数民族イスラム教徒のロヒンギャ族の難民81人が乗った船が漂着。付近のインドネシア人漁民が通報して明らかになった。
アチェ州当局者などがロヒンギャ族難民から事情を聴取したところ、81人はミャンマー南部からマレーシアを目指して船で脱出したものの、マレーシア当局がコロナ禍を理由に受け入れを拒否。
再びマラッカ海峡北部のアンダマン海周辺を航行、船の故障などでほぼ漂流状態でアチェ州東アチェ地方の沖合にある無人のイダマン島に漂着したという。近くのアチェ人漁民が発見したロヒンギャ族は女性49人、男性21人、子供11人で食料、飲料水が枯渇状態だったという。
ミャンマーではなくバングラデシュから
アチェ州当局者に対して漂着したロヒンギャ族の人々は「ミャンマー南部から来た」と述べているというが、国連難民高等弁務官事務所の関係者などは「たぶん彼らはミャンマーから隣国バングラデシュ南東部にある難民キャンプに逃れ、そこから船でマレーシアを目指したものと思われる」としている。
ミャンマー西部ラカイン州などに定住していたロヒンギャ族は仏教徒が多数の同国では少数派のイスラム教徒であることや、ミャンマー政府から正式の市民権や国籍を付与されず、長年社会的経済的な差別を受けていた。
2016年10月にロヒンギャ族武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」がラカイン州にあるミャンマー警察施設3カ所を襲撃したことをきっかけにミャンマー軍が治安維持名目でロヒンギャ族の武装組織壊滅に乗り出した。
その過程で多くのロヒンギャ族の市民が軍兵士に虐殺、暴行、家屋放火、女性はレイプなどの人権侵害される事件が発生。多数が隣国バングラデシュに難を逃れた。
バングラデシュ南東部チッタゴン管区にあるコックスバザールなどに設けられたロヒンギャ族の難民キャンプでは約70万人が避難所生活を送っている。
アチェ州はロヒンギャ族難民拒否せず
バングラデシュのロヒンギャ族難民キャンプはほぼ飽和状態で政府による人道支援はあるものの、食料は慢性的に不足。医療事情が悪くコロナ感染防止が不十分であること、さらに居住区では顔役による暴力や物品の奪取などがあるとされ、必ずしも平穏なキャンプ生活が維持できないのが実状といわれている。
こうした状況から逃れるために多くのロヒンギャ族難民が新たな生活拠点を求めて、イスラム教徒が多いマレーシアやインドネシア、地理的に近いタイなどを目指して船で脱出を図るケースが絶えない。
当初はロヒンギャ族の難民船を受け入れていたマレーシアやタイは自国のコロナ感染拡大もあり、海上で発見した場合、最近は食料や水を与えて受け入れ上陸を拒否するケースが増えているという。
これに対し、ロヒンギャ族難民が漂着することが多いインドネシアのアチェ州は住民の多数が厳格なイスラム教徒で唯一イスラム法(シャーリア)に基づく統治が認められていることもあり、同じイスラム教徒であるロヒンギャ族難民を原則として受け入れてきた。
2020年6月にはコロナ感染を懸念するあまり、ロヒンギャ族の漂着を拒否したアチェ州当局の判断に地元アチェ人漁民が反発して、独自に難民を上陸させる事態も起きている。
アチェ州にはロヒンギャ族を収容する施設もあり、多数が収容されているものの、なぜか最終的にはマレーシアを目指すロヒンギャ族難民が多く、知らない間にマラッカ海峡を横断してマレーシアに密航するケースも増えているという。インドネシア人の密航請負人が船を用立ててこうした密航を支援しているとされている。
漂流中に9人が死亡
今回漂着したロヒンギャ族漂着民がインドネシアメディアに語ったところによると、海に乗り出した際は合計90人が船上にいたが、長い航海中に男性4人、女性5人の合計9人が船上で死亡したという。
また海に乗り出した直後に乗りこんでいた船がインド沖合で故障したが、付近にいたインド人漁民ら駆けつけてくれ、水漏れなどが激しいことから新たな船を提供してくれたために航海が続けられたとしている。
漂着した81人は、アチェ州ロスマウェにある収容施設などには2020年の6月と9月に漂着した合計約400人のロヒンギャ族難民に続く集団漂着という。
アチェ州では2021年1月に収容施設からロヒンギャ族難民100人以上が行方不明になる事件が発生。その後の調査で難民は密航を支援する代理人によってマラッカ海峡を横断、マレーシア密入国したものとみられている。
難民の間では、マレーシアにはコロナ禍以前から渡航したロヒンギャ族のコミュニティーがあること、不法ではあるが就業機会があることが密航の理由とされている。
ミャンマーでは2月1日の軍政によるクーデター発生後、難を逃れたバングラデシュの難民キャンプでは生活困窮とコロナ禍と厳しい環境の中、多くのロヒンギャ族が新たな自由の天地を求めて粗末な船で海に乗り出している。国際社会の支援が不可欠になっているのは間違いない。【6月7日 大塚智彦氏 Newsweek】
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“なぜか最終的にはマレーシアを目指すロヒンギャ族難民が多く・・・”
これは私の全くの想像ですが、インドネシア当局にとってロヒンギャは“招かざる客”“お荷物”であり、どこかに消えてくれたら助かる・・・ということで、密航業者の活動などはあまりきつく取り締まっていないのでは・・・・全くの想像です。
【ミャンマーの民主派勢力でつくる「国家統一政府」がロヒンギャに協力要請 市民権付与も】
“ミャンマー政府から正式の市民権や国籍を付与されず、長年社会的経済的な差別を受けていた”ロヒンギャ。
国軍の暴力だけでなく、スー・チー政権も結局国軍を擁護し、ロヒンギャに手を差し出すことはありませんでした。
そのスー・チー政権が国軍のクーデターで崩壊し、民主派勢力は少数民族武装勢力と手を結んで国軍への抵抗を続けていることは周知のところ。
その民主派勢力でつくる「国家統一政府」はロヒンギャにも協力要請し、市民権を付与し、帰還を実現させるとの申し出。
****ミャンマー「民主派政府」、ロヒンギャに軍政打倒への協力要請 帰還約束****
ミャンマーの民主派勢力でつくる「国家統一政府」は3日、同国で迫害されているイスラム系少数民族ロヒンギャに対し、軍事政権打倒への協力を求め、政権奪回後の市民権付与とミャンマーへの帰還を約束した。
ミャンマーでは、2月1日の国軍クーデターで、アウン・サン・スー・チー国家顧問と国民民主連盟政権が倒れて以来混乱が続き、反体制派に対する弾圧で800人以上が死亡している。
政権から追い出されたNLDの議員らは、反クーデター派をまとめてNUGを発足させた。軍事政権はNUGを「テロ組織」に指定しており、ジャーナリストを含めNUGに接触した人物は、テロ対策法に基づいて起訴される恐れがある。
スーチー氏のNLD政権は、ミャンマーの多数派である仏教徒を刺激しないよう「ロヒンギャ」という言葉の使用を避け、「ラカイン州に住むイスラム教徒」と呼んでいた。だが、NUGの今回の声明は、「ロヒンギャの人々に、われわれや他の人々と協力し、軍事独裁政権に対抗する『春の革命』に参加するよう呼び掛ける」と述べている。
ミャンマーでロヒンギャは、バングラデシュからの侵入者とみなされ、市民権や行政サービスへのアクセス権などを何十年間も否定されてきた。その状況を、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、アパルトヘイトさながらと形容している。
NUGは同じ声明で、ロヒンギャを差別する1982年の国籍法の廃止も約束。ミャンマー生まれ、あるいはミャンマー人との間に生まれた全員に市民権を与えるとしている。
また、バングラデシュの難民キャンプにいるロヒンギャ全員が「自発的かつ安全に、尊厳を持って帰還できるようになり次第」、ミャンマーへの帰還を実現するとしている。
国連が民族浄化だと非難した2017年の軍事作戦以後、74万人以上のロヒンギャが国境を越えてバングラデシュに避難した。
一方、今でもラカイン州に残っている60万人以上のロヒンギャは市民権を持たず、行動範囲はキャンプや村の中に制限され、多くが医療を受けられずにいる。 【6月4日 AFP】
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今の段階では、「国家統一政府」の国軍への抵抗は圧倒的な国軍の武力の前では厳しい立場にありますので、その申し出が実現される可能性は現実問題としては小さいと言わざるを得ません。
それはそうとして、「スーチー氏のNLD政権の流れをくむ「国家統一政府」がロヒンギャ容認・・・単なる状況打開の便法でしょうか?
それとも、自分たちが迫害される側に回って、考えも変わったのか?
後者であることを願います。
(現実的な話をすれば、仮に「国家統一政府」が国軍を退けて権力を掌握したとしても、ロヒンギャ嫌悪はミャンマー国民の間で根強く、市民権云々を実行することができるかは疑問ですが)