銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

松元庸子さんには、10代と60代の、二度にわたって、強烈にいじめられた。しかし、それがあったからこそ、罠に引っかからないで、済んだのだった△

2019-05-28 23:20:07 | 政治

 最初に置いた写真を説明をさせてくださいませ。京都のどこかです。5人で、写っていますが、欲しい顔は、二人だけなので、後は、オレンジ色で、伏せてあります。オレンジ色ではなくて、白で、伏せたかったのですが、corelのカラーパレットが開きません。そして、ただ、自動的にオレンジ色になってしまいます。それは、これから、何をするかをわかっている連中(=CIA)が妨害をしているのでしょう。で、オレンジ色のまま、此処で、使います。その次に、別のもっと単純な、ソフト(アプリ)=ペイントへ、移動をして、松元庸子さんの方だけを、黄色のラインで、伏せました。何も、伏せていない後列右の中腰の人間が、私で、その前が松元庸子さんです。

  松元庸子さんとは、今は、結婚をして姓が変わっていますので、本当は、そちらの姓を使いたいぐらいですが、お子さんが、ひとり亡くなっていると聞いているので、現在の姓は、伏せました。そこが、私の憐憫または、惻隠の情の表れているところですが。

 彼女については、後注1に置いた前報で、だいたい語っていますが、最初に虐められたのは、修学旅行の、時のバスの中での、三日間でした。左側の、一番前の席で、女性のガイドさんが度々、振り返って、私を見たほどでした。・・・・これ程に、いじめられ続けていて、この子、大丈夫かしら?・・・・と思ったのでしょう。でも、私は、ただ、唯、黙って、聞いていて、反論もしなければ、ほかの友達に愚痴ることも、ガイドさんにウィンクして感謝することもありませんでした。名門私学、または、名門国立大学付属に入っても、いじめ問題は、起きるのでした。でも、非常に性格のいいお友達もいるのですよ。そして、大体が、いい性格のお友達ですがね。時々、庸子さんみたいな人が混じっている。悪女というよりも弱い人間だし、価値が、一元化している、単純な、思考の人だと、思います。余裕がないと、言うべきかな?

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副題1、『私は庸子さんに虐められながら、心の中で、エーリッヒ・ケストナーの、【わたしが子どもだったころ】を思い出していた。そして、きっと、お母さんの方に悪いところがあるんだわ。と考えた。で、そのいけない性格を持っているお母さんと、庸子さんは、似ているから、修学旅行のバスの中の決められた配置で、隣であると、いう絶対に、私が、逃げられない環境の中で、私をいじめまくるのですねと、思って居た。したがって、三日間、いじめられ続けたが、結構、平気だった。それが、上の写真にも出ていると、思う。で、上の写真をここに置いた』

 エーリッヒ・ケストナーのものはたくさん読みました。【飛ぶ教室】が、一番、上等だと、思いますが、【私が子供だった頃】も、忘れられない印象を残しました。大人になった女性として、其れを読むと、そこには、女の業みたいなものを感じ取ることができるし、幼い一人っ子、そして、男の子が、どれ程、母親と、べったりなのかと、フロイトの理論をも、思い出させるし、しかも、大人になった、ケストナーが、父親に対して、申し訳なかったと、述懐するところ(しかし、もう、間に合わないのだが)など、ほろっと来ますし。なかなか、複雑な内容が込められている書物です。

::::::::::::::::ただね。ここで、挿入ですが、次の日の29日にちょっと、気にかかることが出てきました。それは、私が子供だった頃が、いつの時代に、日本で、出版をされたかです。私は、子供のころに其れを、まだ読んでおらず、たぶん大人になって読んだからです。でも、修学旅行のバスの中で、庸子さんが、こういう風に私をいじめるのは、両親の夫婦仲が悪くて、したがって、お金が、父親から、母へ、渡らず、したがって、奨学金をもらわないと、いけないというコンプレックスがあって、それが、補償作用と、なって、私をいじめるのだと、いう概念は持っておりました。

  庸子さんは、母親の方は、肯定し、父親を否定していました。しかし、私は、違うだろうと、子供心に思って居たのです。・・・・・本当の、ところを言えば、お母さんの方にも、悪いポイントがあるはずだ・・・・・と、思っておりました。

  私は、既に、高校時期にして、抜群の、人間観察力と、人間性への、分析力を持っていたと、いう事が、証明されます。今、ケストナーの、wikipedia を開いているのですが、何と、この本がいつ、ドイツで、出版されたかは、出ておらず、かつ、この本をアマゾンで買おうとしても出ていないのです。『全くなあ! 私の力の大きい事よ!』と、思いますが、影からの勢力によって、妨害をされているのでしょう。でも、1960年に賞を得たと、書いてありました。すると、ドイツ語版は、その前の1958年から、1959年に出た可能性があります。という挿入を入れて、元へ戻ります。:::::::::::::

 ドイツは、日本と違って、第一次大戦を、経験しているので、男性の数が、19世紀から、不足していたのか? ケストナーのお母さんは、お父さんが、自分には、ふさわしくない(釣り合わない、低位)の、人間だと、考えていました。お父さんの職業は、靴修理業でした。これはね。水上勉が妻を捨てた後で、その、実子を、もらって、実際に養育した、養・両親が、靴屋さんだったエピソードと、ちょっと似ています。

 それから、この雪ノ下二丁目のアジサイ畑欺罔事件とも関係があります。私が、今、現在被り続けている、総額、10億円に喃々とする被害は、引っ越してきたときに、既に、北隣の、藤本禎子夫人と、前田清子さんが、徹底的に、喧嘩をしていた事が原因です。

 私は、このブログ内では、70%以上で、藤本禎子夫人の方の肩を持っています。しかし、藤本夫人の方にも欠点はあったのです。その点を中谷共二氏が、あまりにも、強調するので、私は、自分の花畑部分を、コンクリート打ちにすることを、同意したのですが、その後、その中谷氏が、藤本夫人の方に寝返ってもいて、彼女の言う通りの地境石(それは、地境の、四分の三ほども、藤本夫人側が、大きく、私有地を持っていると、いう石となる)を生かすために、私達が、持っていた、自然な山を無許可で、崩したので、怒った私が、すべての許可を取り消すと、言って居るわけです。当時、主人は、松坂へ単身赴任をしているので、私の考えが重要ですが、彼等は、あくどいので、主人を巻き込んで、あたかも、私だけが悪者であるかの如く、設定をもって行って居ます。

 そして、そのことが、まさしく、藤本夫人が、夫と、激しく喧嘩をする原因でもあったのです。男というものは、弱いのですね。それで、近所の人間等に、迎合するのです。それで、藤本家では、夫婦が、不仲であって、土日でも、南側の居間へ、ご主人は出てこられないのでした。東北の裏側にある、一室に閉じ込められていると、いう感じです。ご主人は、パーキンソン氏病を患って居ました。足の運びが、不自由でした。でも、生ごみを、一人で、山ノ下へ、降ろしていって居ました。お嬢さんが学校の先生をしていて毎日山ノ下へ降りて行くのですから、お嬢さんが、ひとこと、「お父さん、何か、用がありますか?」と、問い合わせれば、「これを下へ、もっていってくれ」と頼むでしょう。だけど、30坪程度の木造平屋では、音がすべて、通じますね。だから、お父さんと、会話することが、できなかったのだと、推察しています。それほどに、お母さんは、お父さんを孤立化させていたのでした。まあね。それが、100%の原因ではないと言っても、どれ程に、強欲な安野智沙夫人とか、前田清子さんに、藤本家が、家庭内を、ずたずたにされてしまって居たかが、わかります。しかし、2005年には、驚くべきことに安野夫妻は、藤本夫人と仲良くなっているのですよ。調子がいい事。そして、藤本夫人も、また、おだてられると、すぐ乗ってしまって、私が長年、示してきた誠意など、全くどっちでもいいのでした。

 特にCIAエージェントが三菱銀行を使ってきましたのでね。すっかり富裕層夫人として、扱われる快感に酔ってしまったのでした。唯ね。お嬢さんは、結婚をしていないし、坊ちゃまも、大変な美人の奥様と、結婚をされたのですが、フェイスブック紙上では、二人は、離婚をしたと出ていました。モダンミュージックの方では、結構、有名な夫婦なのです。お嫁さんは、若いときは、特に美貌が冴えていた、橋本一子さんです。私が離婚と書いたら、二人は、フェイスブック紙上で、対談記事を載せました。昔、人気が高かった時期の思い出をです。YMOなどと、一緒にコンサートをする間柄だったみたいですね。

 私は、藤本家を見ているので、其の二の舞を踏みたくないので、主人が町内会へ出たいと、いったら、仕方がないと、いう態度を取っています。おお損をすることがわかっていても、家庭内がズタズタになったら、どうしようもないので、そこは、ご自由にと言って居ます。

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副題2、『私は六種類の本を作った。以下にjpeg fileを、挙げるのは、6冊目の本だ。

  きっこさんにあげたのは、これではないと、思って居ます。しかし、その後、あまりにも劇的な展開があったので、どれを挙げたかを忘れてしまいました。この本は、このブログ固有の、画像ファイルの中で、もっとも、直近の場所で、見つかったので、使って居ます。6冊目(=6種類目)の本で、手抜きをした、表紙(カバー)が、ついてます。

 手抜きをしたといっても、大変な妨害の中で、本文も書き、内容を編集し、カバーデザインも頁デザインもするのですから、きっこさんみたいに、社員を使って、それらをやる人でも、・・・・それを、全部私がひとりでやったと聞けば、・・・・・「しろちゃんは、実力があるからね」と、ほめてくれるのでした。しろちゃんとは、当時のわたくしのあだ名です。

 そして、お祝い金、一万円をくださって、かつ、彼女が、設立した、本社ビル内に在る、高級な喫茶店の、これまた、高級な「書棚に、推薦図書として、おいてあげます」と、言ってもらえました。だから、名字は、書きません。実家の姓も、結婚後の姓も書きません。

 ところが、それを多分、このブログのどこかで描いたのでしょう。で、さっそく、きっこさんが、敵陣営に取り込まれることとなりました。それを、私は、鎌倉駅の地下道の、展示物を見ることで、其のクラス会の、当日より、ずいぶん前に、すでに、察知をしていたのです。

 で、司会者が、「今日は珍しく、庸子さんが来ています。きっこさんの、お招きで、いらしたのよ」と、言ったとたんに、私は、其の30分後に起きることの予測が付いたのでした。で、パニックにも陥らないで、切り抜けられて、二次会にも一緒に出たのですよ。それから、きっこさんの、お洋服が、素晴らしいことを、当人にも、一次会終了の時点で、告げています。

 というのも、庸子さんは、どれかの本を送ったときに、・・・・・一筆箋、五枚の長さで、けなし、ののしる、言葉の羅列のある・・・・・お手紙をくれたからでした。其れを、やはり、敵さんは、知っているのでした。私は、このブログでは書いた覚えがないものの、庸子さんの方が、誰かに悪口を言って居て、それが、中学のクラス会を通じて、きっこさんの耳に入っていたか? ともかく、私を暗い気持ちにさせるために、庸子さんが招かれていたのでした。

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副題3、『罠の第一歩として、突然の、座席の変更があったのだが、その前に、座席を決定するくじに細工をして置かないと行けない。今、思うに、五人分には、すべて、ハの2と番号が打ってあったと、考えている』

 その後の展開を、少し語ります。その罠には、座席の変更が、重要で、其の図だけは、此処に示しておきましょう。ミステリーを解くためには、室内配置図は、とても重要です。次回にも繰り返して使いますが、本日も、まず、使いましょう。私に大恥を掻かせた当人である、かなこさんが、動いた跡が、赤い線で示してあります。

 そのころのわたくしですが、ブログで、必死に敵に、応戦をしている最中で、いつも、真夜中遅くまで、パソコンにへばりついておりました。そして、自分にとっての、優先順位を言えば、クラス会なんて、後ろの方だったのです。だって、お料理を食べて、友人の近況を聞くと、いう作業よりも、子供の職が奪われるなどという切迫していたことが、たくさんあって、最優先事項は、ブログを書く事でした。だから、遅刻をしてしまいました。だけど、そういう遅刻の常習犯であるという行動スタイルも、すべて読み取られていて、席のトリックが準備されていたのでした。

 私が、到着した時には、すべての、人が、着席済みでした。しかし、後、四~五枚、くじが残っていたのです。

 今、わかっていることは、・・・・・其の残ったくじには、すべて、同じ記号が書いてあっただろう・・・・・という事です。これが、最初の関門でした。上の図に、長テーブルが二つあります。その座席数については、正確ではありません。私は到着後、30分で、罠に気が付いたから、それ以降は、罠の事で頭がいっぱいだったので、その長テーブルに何人着席していたかなどとは、覚えておりません。

 ただ、長いテーブルの左側が、カタカナのイ、ハイフォン・数字という形であり、右側の、方が、ローハイフォンー数字という形で、番号が振られていたと、思います。で、私は、どれを引いても、ハの2番だったはずです。左隣は、ハの1番でしょう。そして、じゅうもんが、既に、座っていました。

 【じゅうもん】とは愛称で、今の姓は、違いますが、十文字学園の、一族の、出生です。で、この間、十文字学園で、子宮頸ガンの、講演会が、開かれたと、いうニュースがありましたが、それこそ、私が、この罠のエピソードを書くであろうと、予測をした、鎌倉エージェント(=CIAエージェント)が、書く事を阻止させようとして、流した、脅かし用ニュースでした。ただ、じゅうもんについては、あまり触れたくありません。それは、食がとても細いのです。食生活において、相当に、注意深い繊細さがあって、それを知っているので、肉体的に弱い可能性があるので、深くは触れません。唯ね。この時の、対私いじめを行ったという功績が、あるので、きっこさんの後を引き継いで、同窓会の、理事になりました。なるほど、なるほどと、なっとくです。

 私はトリックスターを自認はしていますが、それでも、大変に、大変です。唯ね。私は、じゅうもんに言いたいのですが、「あなたよりも、私の生活の方が、はるかに複雑で実質的には、豊潤ですよ。だって、園芸もやっているし、子供も二人もいるし、孫は、四人もいるし、ただ、お茶大付属高校同窓会理事なんていう名誉職は、ありませんけれど」と。そこについては、自信があります。

 で、そのじゅうもんがどうしてか、席を変えたのです。ただし、この時は合理的な説明が付与されました。誰からかというと、私の右側に座っていた、宇都宮和代さんからです。「ねえ、先生のお隣が空いているでしょう。あなた、あそこへ、移動をして、先生のお相手をしてくださる?」と。すると、じゅうもんが、「ええ、いいわ」といって、上の図の青い動線に沿って、席を変えました。

 で、私は不思議な形で、島の様に独立している、末席の第三のテーブルに残されたのです。後で、思うと、そこには、それまでたってうろうろしていた幹事さんが、座ったので、くじの番号は、そこだけは、無意味だったのです。それで、土のくじを引いても、ハー2だったはずです。

 しかし、この日の、三か月前の段階では、宇都宮さんが、幹事として、非常にやさしかったので、『今日は大丈夫、寂しくはないはずよ』と、思って居ました。ところが、その日の宇都宮さんって、よそよそしいのです。準備段階で見せてくれた、あの学校の卒業生らしい、親切さが、無いのです。それは、2番目に、気が付いた、変だなあと、いう点でした。

 しかし、もっと異様な事は、どうしてか、じゅうもんの後釜として、何の説明も、宇都宮さんから、出ないままに、急に【かなこ】さんが、私の左隣に移動をしてきたのです。上の図で、えがいた 赤い動線を、通って、だろうと、思って居ますが、どこから、彼女が、現れたのかは、気が付かないほどの、素早さで、私の左隣に座ったのでした。

 で、これから、【かなこさん】についての説明に入ります。かなこさんって、下手に出る人でした。だから、私は、ひそかに同情をしていたのです。私もその種の下手に出る方の、一人です。しかし、私の場合は、いざとなると、度胸がいいという事があって、下手に出ながらも、純粋な、下手風マナーの人とは違って居たと、思います。母がいつも感心していました。「あんたって、全く上がらないのね。私だったら、舞台の上に立つと、手のひらに冷や汗が出るし、言葉は、つっかえてしまうし、ほほが真っ赤になるものよ。でも、あんたは、シャーシャーとして、舞台上で、取り仕切っちゃうのよね。顔を赤らめることもなくて」と。母は、その両親が、養子縁組解除によって、一種の離婚に至って、その後、実の母親が死んだので、孤児であって、親戚で育てられました。しかし、富裕層だったので、母の兄(=男子)は、大学へ行ったし、母も今でいう短大まで、行ったのですが、女学校の時に、別の学校で、既に、校長になっていた、実父が、会いに来たそうです。校長用、客室で、実父と、10年ぶりにあったのだけれど、恥ずかしくてたまらなかったそうです。が、実父は、別の中学(旧制)の校長ですから、母が学んでいる女学校の校長に頼んで、ひそかに、会いに来てくれたそうです。で、そういうバックグラウンドがあるので、母は、常に、級長とか副級長をやらせられていました。が、「檀上に立って、発表をするのが、いやで、恥ずかしくてたまらなかった」と、言って居ました。

 しかし、私は、それは、平気なのです。入学式総代とか、卒業式総代で、上がることはありません。しかし、日常生活では、おとなしい人です。だから、庸子さんは、見くびって、苛め抜いてきたわけです。だけど冷静な私は、高校時代からすでに、・・・・・庸子さんは、未熟な人間である。お母さんべったりで、お父さんを許していないのだから。まだまだですね・・・・・と、考えたりするわけです。そして、後日、此処にそれを書きますね。だから、本当は、弱くないのです。すごく強い人なのです。しかし、態度の様式として、下手に出る人だったのでした。

 私は、そういう下手に、出る人の内面や、人格を理解できるくせに、あえて、近寄りませんでした。なぜか、自分を見ている様で、いやだったのでしょう。当時同期生であって、お茶大に進学したのかな? 優秀な人であったのに、のちに、早世した【日向奈津子】さんという女性がいて、すべての問題で、下手に出るので、実は、大っ嫌いだというほどでした。ほめる人が多いのに、私は、いやだなあと、内心で、嫌って居て、近寄りませんでした。で、同じ様に、下手に出るタイプの、かなこさんとは、過去に、一回も個人的な会話を交わしたことがなかったのです。

 しかし、私も、もう。70を過ぎています。・・・・・ここで、好き嫌いを言って居る場合ではない。老い先短いのだから、この縁を大切にして、仲良くなろう・・・・・と、思って、話しかけるのですが、変なのです。下手に出るはずのかなこさんが、まるで、鎧を着ているかのごとく固いのです。ありえないほどに、傲慢な姿勢で、こちらを無視するのでした。

 かなこさんは、後日、北久里浜の、石川さんという家に隠れていて、待ち伏せをして、モーツァルトの【フィガロの結婚】から、【ケルビーノのアリア】を歌うほどで、この2014年の豆腐屋うかいでの、罠には、非常に大きな役割を果たした人ですが、その前の、その罠の当日でも、其の前兆が、15分も前から、私には、彼女の堅い拒否の姿勢から、感じ取ることができたのでした。

 さて、スピーチをする順番が来ると、司会者が、異様に丁寧に、かなこさんを紹介するのでした。「かなこさんは、お歌を作曲することができます。それで、本日は、かなこさんが、作曲したお歌を歌っていただきましょう」と。

 かなこさんは、立ち上がると、まず、仕事についての説明をし始めました。私は、前から知っていましたが、お受験塾を経営している、理事長さんです。母親の代から行って居る仕事で、実質日本一みたいでした。で、下手に出るわけは、富裕層ちゅうの富裕層と、付き合って居るので、世の中には、上には上があると、いう事を知っているので、下手に出るという形でした。それは、説明をされたわけではないが、私には『なるほど』と、いうほどに、よく、わかりました。自分の住まいのある鎌倉・雪ノ下で、井の中の蛙という種類の女性たちに悩まされていた私は、かなこさんが、その対極に座している女性だと、理解をしました。

 そういう説明をした後で、お歌を歌い始めました。相当に、複雑な歌で、しかも、彼女は、三番まで歌いました。それが、罠だったのです。間に何人もの別の人を挟まないで、直前に、彼女を置く。そして、・・・・・彼女の歌のうまさに、・・・・・度肝を抜かれた私が、パニックに陥って、おろおろ、よたよたして、うまく歌えない。そうなると、かなこさんよりも、低位だと、みんなにわかるわけです。それが、狙いの、罠でした。

 で、私は正直に、「かなこさんには、びっくりさせられました。あまりに驚かされたので、今日のわたくしは、うまく、声が出るかどうかわかりませんが、荒川静香が、トリノオリンピックで、使った、トゥランドットから【誰も寝てはならぬ】を歌います。と、前置きを置いて、歌い始めました。

 いつもどおり、40秒ぐらい、旋律を歌って、終わりとしておきました。勿論、歌詞は、覚えておりません。だから、そういう意味でも、しろうとっぽいのです。それから、自分自身、琵琶湖周航歌を、今関一馬先生の大個展の、オープニングパーティで、旧制・一高卒の男性が主に出席している場所で、歌ったら、やんやの喝さいを受けたことがあるので、歌詞があった方が、歌の効果が上がると、いう事には、気が付いていました。だから、その日は、歌詞付きで、しかも、三番まで、三分以上歌ったかなこさんには、圧倒的に負けました。そして、何よりも、大きな違いは、かなこさんは、幹事さんとか、司会者の、提言によって、万座に、受容されながら、歌って居るのに、こっちは、万座の嘲笑を、浴びるはずの立場として、歌って居るのでした。歌う事を許容されておらず、辱めを、受けることを、待たれていたわけです。なんという恐ろしい罠が張られていたことでしょう。

 私が、母に褒められている舞台度胸というのは図々しいから獲得しているものではなくて、ただ、単に、無心になることができるからでした。自意識を捨てるのが、簡単にできるのです。しかし、こんなに心理的に、揺さぶられては、無心になるどころではありませんね。だから、相当に、みじめな失敗として、パフォーマンスが終わりました。

 後日、かなこさんが、北久里浜まで、遠征してきて、ケルビーノのアリアを歌ったのは、誰かが「あなたも、オペラアリアが歌えるっていう事を、川崎千恵子に示すべきよ。でないと、彼女は、相変わらず、自分の方が上だと、思い続けるわ」と、提言したからでしょう。彼女が豆腐屋うかいの、クラス会の当日歌った歌は、オリジナル曲(=日本の歌曲風)の、お歌でした。複雑でしたよ、童謡よりは、複雑です。でも、それは、メロディラインとしては、オペラアリアよりは、単純だから、オペラアリアも歌えるっていう事を、聞かせて、100%やっつけてしまいなさい」と、勧められたのでしょう。誰からかなあ。きっこさんからかなあ?

 この北久里浜の件は、後で、敷衍していきます。豆腐屋うかいでの。当日の二次会に戻ります。

 しかし、私はね。お茶大の付属高校卒の、この四人、と、それに、数人、もしくは数十人が、事前に知っていたとしても、この罠を、初期の段階から、彼女たちが思いついて、企画をしたとは、思って居ませんでした。遠くから、特に気の毒そうに見ている人がいたので、事前に、みんなが、知っていたことかもしれません。でも、それほどの、残酷な罠を、昭和36年卒の同期生が、内部だけで、企画したとは、思っておりませんでした。ここが、最重要なところなのです。

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副題4、『宇都宮和代さんは、語るに落ちる態度を取った。電話内で、どなったのだ。あなたは、栗田玲子さんを知っていますか?と、言う私からの質問に対して、「しらないっ!」と、強い言葉で、どなったのだった。立正佼成会が、運営している私学で、長年歴史の先生をしていた女性が取る態度ではなかった。で、其の乱暴な態度は、結局のところ、「栗田玲子と、知遇はない」というセリフが、嘘であると、自分で、告白しているのと同じだった。彼女は、栗田玲子さんから、教唆命令を受けて、この罠を、はったと、私は、理解した。

 一方で、きっこさんが、伊藤玄二郎と親しいのは、鎌倉駅の地下道の、展示物を見て、すでに知っていた。ので、当夜、も、それ以降も電話をかけていない。伊藤玄二郎は、悪人すぎるし、じつは、きっこさんも、上流人で、ありながら、どこかに、悪の要素を、抱えているのだった。「きっこさんは、やり手だからねえ。きっと、ご主人(=名門出版社の三代目の筈)を尻に敷いているわよ」などという、セリフを口にする同期生も居たし』

 ここからは、又、会話体へ戻ります。

 まあ、しかし、私としては、その時にできる最善の処置はとったと、感じていたので、やがて、傷もいえました。遅く来たので、もっと話し合いたいと思って居て、二次会にも参加しました。二次会には、かなこさんも、じゅうもんも、きっこさんも、参加をしていませんでしたが、裏側を、知っているのか、知らないでいるのか、ともかく、自分は、その罠の、主役ではないと、思っている人が、二次会に居て、私はそれなりの、会話を楽しんで、夜の、7時ごろ、みんなと、一緒にメトロの駅に向かいました。宇都宮和代さんも、むろん一緒ですよ。そして、家に帰りついて、夕食を軽く、とってから、時計を見ると、夜のくじ半程度でした。私は、宇都宮さんは、離婚をしているのではないかと、思って居ます。

 離婚をするという事は相手に対して、きつい、決断を放ったという事になります。宇都宮さんの方が相手に捨てられたとは思いません。とてもきれいな人で、かつ、有能な人なのです。だから、自活ができるし、イタリア一年間留学もできるわけです。宇都宮さんが相手を捨てた形だと、思って居ます。

 ・・・・・だから、きつい態度も、とれるのだ。本日のことは、宇都宮さんが、主役の謀略だ。で、どういう風に質問をしたら、いいだろう?・・・・・と、考え抜きました。

 イタリア留学が、キモです。その結果、栗田玲子さんと、イタリア大使館ほかの催し物で、頻繁に会う間柄と、なっていて、それで、そこには、池田利代子さん等も、出席して居たら、そちらの方が、私より社会階層的に、上ですね。だから、栗田玲子さんに頼まれた結果、私を虫けらのごとく扱うことができたのです。でもね。宇都宮さんが、離婚をして居なくて、お子さんもいたら、此処までのことはできないと、思います。あまりにもひどいです。あまりにも残酷です。それでね。どうしても、宇都宮さんと、きっこさんだけが考え出したとは、思われないのです。

 で、単刀直入に、「ねえ。あなたって、栗田玲子さんを、知っていますか?」と、問いかけました。もし、二人の間に、密約がなかったら、和代さんは、私に対して、「うっ。何のこと、それ?」とか、「えっ。誰、それ」とか、いうでしょう。または、「ええ、知っているわよ」と答えるでしょう。しかし、その夜の彼女の答えは、「知らない」と、どなることだったのです。

 雪ノ下二丁目の、住人の間に入ってきて、勝手に、人々を道具としてこき使う例の鎌倉エージェントの、構成員は、男です。だから、こちらの豆腐屋うかいでの、出来事も、当然に、彼等の発案だと、考えております。全くそっくりです。

 ここで、午前四時になりました。この続きは、29日に書きます。お待ちいただきたく存じます。

 

 

 

後注1、

山田浩二、控訴取り下げー3・・・・・2014年秋の高校の同窓会で、行われたことをまず語りたい。それは、川名昭宣君が発案した可能性が高いが  2019-05-23 19:46:40 | 政治

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