銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

新聞は気取りすぎては、だめなのです。例の事件から。

2010-06-17 07:27:21 | Weblog
サッカーで日本が勝ったという気持ちのよい文章の後で、非常に後味の悪い例の女子高生コンクリート詰め殺人事件に戻って、申し訳ございませんが。

 この事件がおきたときに、私は、朝日新聞と毎日新聞をたまたま二紙、取っていたのですが、事件の報道が、朝日はまるで、だめで、伏せてあるのです。もしかしたら、この舞台となった家庭のご夫婦が共産党員だったのではないかと、いう推定もなされるようになって、きます。そして、それを、かばったのかなあ?と思いました。もちろん、上品な朝日新聞にはとても、載せられませんよ。まるで、三流週刊誌の記事みたいですからという気持ちもあったと思いますが・・・・・

 今、念のために、インターネットサーフィンをしてみたら、私が当時推定したことが堂々と、明らかにされていました。両親が労働運動で忙しくて、トイレ等で拉致された初期に一階に降りてきた少女を、助けられなかったそうです。という記事だけを見て、推定したことは当たっていました。それもあってか、朝日新聞には、この事件に関する報道がほとんどなかったです。

 特に酸鼻極まりない事件の被害の、サディスティックな詳細は告げられませんでした。このときに、実名報道があったり、また、新聞社がしっかりと、追求すれば、その後で、頻発した、少年少女による、リンチ殺人事件は、ほとんどが、抑えられたと思います。

 ところで、驚いたことに、現在は実名がインターネットの世界でも、報道されています。ただ、それを、追求するほど、彼らの実態には興味がなくて、ただ、心理学的にいろいろ、考えるだけですが・・・・・

 事件は、無辜の少女をいたぶりぬいて、死に至らしめたということと、トイレの件で、その家の両親と出会っているのですから、その両親の責任は問われるべきで、もっともっと、詳細に報道されるべきでした。

 あまりにも忌まわしいから報道をしないという姿勢が合ったとも思いますが、その後模倣犯が、多発したのですから、最初に厳しく、追及するべきでした。
 当時、存在したフォーカスで、事件の現場の家の写真が載ったぐらいでしたね。もちろんその後、関係者はそれぞれ、引っ越したり、して、その現場の家、は、すでに取り壊されている模様です。

 よく、受験のプレッシャー関係で、親が子供に殺される事件も続きましたし、いじめっ子がいじめられっこの反逆にあい、殺される事件も大阪で初発しました。が、この最初の『少女コンクリート詰め殺人事件』はあくまでも、いたずらの延長と言う発想で行われ、事前の、加害・被害の条件が一切ない間柄ですから、絶対に、社会問題として、大きく研究されなければならなかった問題です。

 宮崎勉事件は、最大限に研究されたが、あれは、特殊な例で、模倣犯もそれほど、現れなかったのに、少年少女による、リンチ殺人事件は、その後、多発のきわみを見ました。

 そして、この日本に住んでいる人々の精神を暗くしました。シーシェパードに攻め立てられるのも、この日本に住んでいる人々の精神を暗くしますが、この種の少年・少女リンチ事件の数々の内容に接するたびに、どんなに、心が暗くなり、

 無責任という言葉と、そういう人間を生み出す組織の恐ろしさを、あらためて感じさせられるのでした。数はちからですが、私のように一人で生きている人間からみると、いやな役目をするものでしかないです。そしてそれらに利用されて、人間性を失った両親の家で、あの衝撃的な事件は起きたのでした。その場所を提供しなければ、ある意味で、事件は起きなかったのです。あらゆるサディスティックないたずらを思いついた主犯の両親の責任も重いけれど、事件現場となった家の両親の責任も、そして、彼らをそういう風に育てた組織も恐ろしいことでした。               2010年6月17日   雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田監督の献灯(鶴岡八幡宮)と、加藤佑子の ゆるふわサッカー報告

2010-06-16 00:09:21 | Weblog
 私は、加藤佑子の暇だね英語というのが、goo news で、紹介されると、一応保存をしておくのです。紹介は時々なのですが、本文は毎週更新されているのでしょう。

 最近の彼女はサッカーについて、三連発の文章を載せたらしいのです。
その三回目が、goo news のトップ頁(OCN ニュースも同じものらしいが)に紹介をされていました。それは、15日ですが、私は本日16日に、それを、さらに紹介をさせていただきます。世界が、岡田ジャパンのアウエイ初勝利について、どう報道したかを紹介しています。

 普段、政治について、解説、論調するときには彼女は紙のメディアを検討するらしいのですが、今回は同時進行的に、ウエブ上で公開されたウエブ・実況中継を比較、論考しているみたいです。

 彼女の文章の中の、最後のほうに紹介をされている、ウエブサイトがとても面白いです。しかも全試合の結果を一画面で把握できますので、得点差などが、容易にわかります。ので、皆様もそこへお入りになったらいかがでしょうか?
 今のところ、引き分けが多いこともわかりました。だから、岡田ジャパンの勝利が、余計に、世界を驚かせたのでしょう。 
 
 私自身はパソコンで、実況中継がみられるほど、パソコン技術が高くはないので、日本の試合だけでも、テレビで見るつもりです。と書いて、五分もたたないうちに、私のパソコンの上のほうの、ツールバーに、サテライトテレビの広告が載ったのでびっくり仰天、料金が80ドルだそうなので、申し込みはしませんが、その手際のよさには、びっくりしました。

 ところで、勝っていただいたのは非常にありがたいのですが、
 加藤佑子さんはじめ、海外にいらっしゃる方へ伝えたいことは、

 日本人って、そんなにはしゃいでいないですよ。ということです。不思議かもしれないけれど、照れ屋で静けさを好む国民性があるからかもしれません。昨日、14日の深夜12時過ぎNHKが実況放送をしている最中に、主人が猫を外へ出したのです。おしっこをしたいし、夜の雰囲気味わいをしたがるからです。猫って、夜元気なのですよ。

 そのついでに、山の様子(=ご近所様の、灯りの様子)を見たら、「みなさん寝ておられるみたいだ」といっていました。人気ドラマ『北の国』からの、特別篇があるときなど、それが、いわゆるゴールデンアワー(夜の八時前後)に放映されることも理由のひとつでしょうが、どこの家でもテレビをつけていました。特に真夏に放映をされたので、それに、気がつきました。が、昨日深夜は、本当にみなさん、静かでした。勝った後でも、山ノ下の、鎌倉の町の方から、ゴーっという音声が聞こえるわけでもないし・・・・・

 昔、大学の寮が東側にあったころは、コンパでもやっているのか、寮歌・放吟みたいな蛮声が聞こえてきたこともあるし、土曜日の深夜には、暴走族が爆音を、轟音に近く立てながら通り過ぎます。そういう夜に比べると、静か極まりなかったです。

 そして、次の日に、山手線に乗っても、銀座を歩いても、誰も、それを、話題にしているわけでもないし・・・・・でもね、私をはじめ、国民は静かに、かつ、しみじみと喜んでいると思います。

 岡ちゃんこと、岡田武史監督は逗子が自宅らしいので、鶴岡八幡宮の雪洞祭りには、毎年献灯をなさっておられて、その文面を読むのは楽しみです。
 失礼な言い方だけど、字はあんまり上手ではないです。それに、絵もついていません。だけど、選ばれる言葉が素敵です。

 数年前には、『神は細部に宿る』だったと思いますが、

 去年だったかな?
 『世界を驚かす、覚悟はある』でした。

 今回も、絶対に負けるだろうと日本国内からも、世界からも予測をされていたのに、初戦に、勝ったので、世界を驚かしたわけです。おめでとうござます。覚悟の預言が、ともかくあたって。
 大風呂敷で、ご自分を鼓舞なさっておられるのでしょう。控えめに予測をして驚かすという手もあるが、大げさに言っておいて、いったん、『馬鹿じゃあないの』と周りから突き放されておいて、さらに、もう一回逆転して、驚かす。

 それも、素敵ではないですか?

日本勝利に海外は太文字で驚愕 日本メディアの全敗予想乗り越え <ゆるふわサッカー☆感戦記>(gooニュース) - goo ニュース

                   では、2010年6月16日   雨宮舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上流夫人が、子育てを、軽視したから起きた、女子高生殺人事件

2010-06-15 16:32:41 | Weblog
 前回で、雑誌CREAの企画をほめています。人間関係の悩みの中にママトモづきあいからおきる、悩みも入れていたことです。会社でのこと、恋愛のこともありましたけれどね。

 それは、子供をきちんと育てようとするときには避けられない人間関係なのです。でも、そこには、お金が絡んでいないし、社会的な上下関係も規範も絡んでいないので、今までは軽視されてきたのです。学問的に研究されているものでもないし、したがって、教科書に載っているわけでもないし、テレビで識者が、薀蓄を傾けるものでもありません。

 そして、社会が経済的に発展をしているときは、そういう、お金に換算できない物事は軽視されました。

 その結果、現在社会で、子供を育てることが、難しいという認識が親側になくて、それで、普通に学校にいかせていれば、なんとかなるさと、いう感じで、大切な中学時代→

・・・・・これは、物理的には、楽な時代です。別に子供のほうがべたべた親に引っ付いてくるわけでもないし、食事だって、なんとか、用意しておけば自分で食べてくれるし、果ては、お金さえ置いておけば、何かを買って済ませてくれるでしょう。・・・・・

 → に、放っておかれるようになりました。放っておかれても、子供はたいていの場合は反抗をしません。特に親側に愛情がないと見ると、かえって反抗をしないのです。親に捨てられるという恐怖が小さいときからあるので、その延長で、子供は反抗しないのです。親が厳しいから反抗するのではなくて、優しいから、反抗するのです。捨てられないと安心しているから、反抗します。が、家の中で、反抗しない子ほど、結果として怖いものはありません。普通の形で、育たない部分は、社会的に外へ向かえば少年犯罪となるし、うちに向かえば、自殺やら、引きこもりへなります。

 それが、他者への加害となります。で、その典型として、女子高生コンクリート詰め殺人事件というのが起こりました。

 40日間も何も因果関係のない、女子高生をさらってきて痛め続けたのです。特に性的に痛めつけたのでした。今日、復習のためにインターネットを開いたら、あるサイトで、「日本犯罪史上、最悪の事件」と規定されていましたが、私もその意見に賛成します。

 こういうサディスティックなことをするのは、必ず、自らの性的な興奮を喚起するためですから、この少年グループには主犯の愛人格の少女も含まれていたのでした。なんとおぞましいことでしょう。被害者は、目の前にいる別の少女の欲望喚起の、道具として、サディスティックな被害を与え続けられたのです。

 でも、社会の人が、この事件を聞いて、一番震撼したのは、主犯の両親が、いわば中流家庭の上の階級の人だったからです。別に社長であるとか、重役であるとか言うわけではありませんが、証券会社(当時の証券会社は人気職種でした)づとめの父親と、ピアノ教師をする母親の元に育ったと聞いたからです。今回のブログのタイトルが、上流夫人となっています。それはちょっとした誇張が含まれています。

 が、ピアノ教師になるためには、音大を出る必要があり、この少年の年齢から考えて、そのお母さんは、1940~45年あたりまでに生まれた人ですから、音大へ進学できるのは、実家が裕福であったと思われます。芸術系の大学は学費も高いし、そこへ入学するまでの準備にも多大な、お稽古料がかかります。途中で発表会等もあって、それも贅沢な世界です。

 並みの家庭では、当時はまだ無理だったのです。そんな恵まれた家に育ったお母さんの子が、こんなことをしでかすなどと、誰も想像もしていなかったことだったからです。

 しかも主犯、または、従犯の少年たちの親の誰かが、警察の調べに対してでしょうか「うちの子に限って(そんなことをするはずがありません」といったそうで、それは、流行語になりました。でも、単に面白がって、人々が流行語にしたわけではなくて、社会中が、震え上がったから、流行語になったのだと思います。自分の子供を、親の方がきちんと把握していないことに、みんながびっくりして、『もしかしたら、わが子も影で悪いことをしているのではないか』と思って震え上がったのでした。

 私は心理学や哲学のことに興味があるので、このお母さんと主犯の少年の間に実際にあったことを、数限りなく想像をいたします。そして、それを、例の見てきたようなうそをいいで再構築をしてみたいのですが、今日は長くなりますのでやめましょう。

 ともかくも、CREAという派手な雑誌が、育児の悩み(親同士の付き合いもその中にふくまれています)を正面きって取り上げるのは、非常によいことだと思います。本当に、大切なことに、みんなできちんと向き合うのは、拍手したい姿勢です。あのリンチ事件がおきたのは、1988~9年にかけてで、その裏には、女性の社会進出と、女性の間に、格差をつける風潮が、隠されていたと感じます。つまり、かっこいい、仕事についている女性は優れていてえらくて、平凡な主婦はみっともないのだという価値観。それについても述べたいのですが、それも後で。
     2010年6月15日   雨宮舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CREA、でも、大活躍の室井佑月、(その4)、彼女は本当の母でした。

2010-06-14 13:10:32 | Weblog
 今週、六月の第一週は、室井佑月さんが、私にとっては、相当大きい存在として目に映り、心に引っかかってきました。それで、文章を書き続けたわけですが、第一回目には、「室井さんは手元に、お子さんを置いて育てていらっしゃるから、その点で、瀬戸内寂聴さんとは違う。

 そして、そのほかのポイントでも相当に違うが、
 これから、伸びていって、同じ程度のポジション(社会的有名度)を獲得するでしょう」と、推定しています。

 この場合ですが、手元においているとは、親権を夫側には、渡さなかったということを意味していて、実際に彼女が手塩にかけて育てているとは思っていなかったのです。それを第三回目に述べています。
 ご自分の実の両親が都内、または、近県に住んでいて、そちらからの支援があるはずだと見ていました。しかし、そうではなくて、同じ屋根の下(または同じドアのうち、)にお子さんと二人でお住まいのようです。お子さんは、9歳とのこと。今、安定期に入り、これから、反抗期が始まるまで、4,5年余裕があります。ただ、学校から帰ったときに、お母さんがいないとか、おかあさんがいつも、忙しくしていて、無駄話につきあってくれないとか、いう状況が続きすぎると、後で問題が出てきます。

 お母さんを独り占めできる、落ち着いた静かな時間がないと、子供は、自分がひそかに抱えている、その時期の根源的な悩み、男性としての機能が始まってくること、とか、その程度の早い、遅いのこと。友達関係の中にある小さな悩みなど・・・・・を、話してこころを開放することができません。それが、あとで、引きこもりなどを生んだりします。
~~~~~~~~~~~~

 しかし、室井さんのえらいところは、それらが、おきることを、大体予測しておられるところです。で、さまざまな工夫をするべきだと考えておられるところです。

 雑誌は、『人間関係の悩み解決特集号』と、銘打ってあって、彼女と千秋(小さいお嬢さんがいて、手芸も得意であるということで有名なタレント)が、会話を交わしながら、読者から寄せられた人間関係上の悩みに答えるという形式になっています。

 CREAの読者は、25歳以上の女性だと思いますが、これくらいの年齢だと早い人は、お子さんがあって、いわゆるママ友と、称される、地域社会のお母さん連中の付き合いが始まります。それがなかなか大変なのです。

 昔日の感があって、一種の感無量状態に陥ります。

 今、は、こういう問題があることが、顕現しています。そして、売ることを優先している、ムックに近い派手な雑誌(CREA)内で、堂々とそれが、問題にされていることに。CREAとか、FRAUという雑誌は、冒頭にカルティエ、とか、エルメス、とか、ヴィトン、とか、シャネルの大広告が続く、華やかな雑誌なのです。

 版型がより小さくて、頁数も少なくて、広告も少なくて、読む部分の多い、『婦人之友』ではない。そして、時々は若くてかつ働いている女性に役に立つ記事を載せるAERAでもない。

 そこに、この手の、記事が乗ることの、現代・・・・・

 それには、やはり、進歩というものを感じます。

 私の子供は、40ですが、彼らが子供時代は、新興住宅地の勃興期で、かつ、マンションの数が少なく、生活のルールが確立していませんでした。主婦が外へ働きに出るケースも少なく、幼児を抱えた主婦は、ほとんどが、専業主婦として、自分の子供を育てることにかかりっきりでした。

 だから、雑誌の世界も男性が、主体として作っていて、そこに、数少なく存在する女性編集者も、子持ちであっても、ご自分を特殊な存在としてとらえることも少なく、こどもがもたらす厄介ごと、(つまり、心を暗くするような問題)を取り上げることはなかったのです。ただ、彼女たちには大きな誇りはありましたよ。私が、こどもが小学生になったので、再び世に出たがったら、三人の子供を育て注であるという編集者から大叱られをしました。いったん家庭に入って、楽をしながら子育てをしている女性が再び社会へでようなどとは、贅沢で甘えていると・・・・・今、再びお会いしてみたいですけれどね。ふ、ふ、ふ。

 ともかく、大昔30年ほど前に戻れば、マンションの生活ルールは確立しておらず、地域社会では、新しく引っ越してきた見知らぬ人同士で、新しい村を作り上げるわけで、住民間の過去がわからないわけですから、そこで、うまくやって、上の存在として振る舞い、自らの自己存在証明の欲求(つまり、見える範囲の間で、『自分は偉いのだ。あんたより上なんだよ』と、いばり、役得を占めること)を狙う人種は男であれ、女であれ、必ず出てくるのです。

 ですから、幼児を地域社会の中で、育てるのは、相当大変なことなのでした。都心に近い住民が、小学校時代から、お受験に励むのは、育ちのよいお嬢ちゃまタイプのママが、近隣交渉を避けたくて、お受験用の塾に逃げ込む、そういう逃げの姿勢も加味していると思います。または、そういう生き方でしか、自分を守れないほど、彼女たちは弱いというか。

 同じ目的を持っている、同じ程度の社会的階層の人と付き合うのは、過去の育ちなんかも似ているので、とても、楽なことなのです。

 しかし、普通の場合は、小学校から私立へ通わせることは考えられず、いろいろなママ友に付き合う中で、時には、番長風主婦に牛耳られながら、それなりに、気の合う人同士が、ママ友グループを作り上げていくわけですが、その過程で、悩みはおきやすいものなのです。

 お母さん自身が、そこから、落ちこぼれるということで、やがて、付き合いをやめてしまうケースもあるでしょう。こどもは子供なりに、保育所、幼稚園・学校等の組織内で友達を得られる増すからね。見かけ上は大丈夫です。そこで、できる子ども自身の友人関係だけにまかせて、それ以上のママ友との、付き合いをしない、のは、実は、小学校時代前までは、避けなければならない模様です。

 その手の、ご家庭から、引きこもりの問題が、10年後ぐらいに出てくると思います。

 この厄介な、そして、一見すると、生産性の低い(誰も、ほとんどの場合は、お金では、お礼というものをしてくれない関係ですからね。賢い主婦同士ですと、あい見たがいとなって、今回はお世話になったから、今度はこちらで、となるのですが、わたくしなど、人がよいとみなされていて、かつ、ガキ大将だともみなされていたからかな? 365にち、朝の8時15分から、夜の6時まで、ほかのお母さんから、預けられっぱなしでした。午前中は、五,六人でも、幼稚園が終わると、それらも混じって、七、八人になりますが、結構無関係なご家庭の塀や、植木にいたずらもするので、目が離せず、四、六時中の重労働でした。本当に死ぬ思いをしました。人がいいから、「あなたに任せておけば、平等に扱ってくれるし、おお安心だ』と面と向かっていわれましたけれど、「あなたも交代して」といえないほど、当時は、おとなしかった私は、まさに、シンデレラ状態で、自分の子と、ご近所の子合わせて、7、8人を一緒に面倒を見ていたものです。

 中学時代から、前歯に金を入れているほど、歯が弱かった私は、この時期、3、4本さらにだめにして、インプラントを、やりました。エネルギーいっぱいの幼児たちを自由に動かしあそばせながら面倒を見るのは、現在社会では、本当に大変です。車がなくて、地域社会のどこにでも、こどもが遊んでいた時代ではないから。

 そのころ、こういうポイントで、大きな問題があり、特に主婦間で、いじめ、いじめられもあり、これは、社会を暗くする問題だと、確信した私は、メディア等で、改善に向けて、特集啓蒙記事を作り上げてほしい。でないと、少年たちが起こしている、リンチ殺人事件問題は、このママ間、競争の反省でもあるのだからと、考えました。そのころは、今に比べて、幼時を育てている母親の抱えている問題など、どこも取り上げてはいなかったのです。

 そして、カッコウの託卵ではないが、育児というか、しつけの大切さに、社会全体がまったく気づいていない時代だったのです。リンチ策人事権などの多発も、そこに、起因をしている。人に子供を預けっぱなしにして、大切なことをやっていないママのこどもの間から、将来、親の生活態度をまねして、他人をいじめたり、集団で、弱い人間をリンチしたりする人間が出る・・・・・と確信をしたので、

 大学時代、同期であり、大新聞社に勤めている、男性に、電話で提言したら、「あんた、俺に職を、失わせるつもりか?」と怒鳴られてしまいました。あれから、25年以上が過ぎ、かれも、67歳で退職済みだと思うので、新聞社名を明かせば、朝日新聞です。

 朝日新聞って、ほとんどの、記事が啓蒙主義なのに、大切な問題に、『ふたをする新聞だなあ』と感じました。

 このことで、女子高生コンクリート詰め殺人事件に、私の発想が進んでいくのですが、それに触れると長くなりますので、その事件は、別の機会に述べるとして、元に戻れば、

 CREAがこのような記事を書いて載せたことには、びっくりですが、ありがたいことで、進歩だと思いました。こういう場所にいる編集者は有名大学を出た人が多いのです。それは、似たような雑誌のFRAUの猫編集長レナという頁があって、それを、読むとFRAUは東大卒オンパレードですから、類推が可能です。でも、本当に大切な記事を企画すれば、読者には受けるでしょう。で、部数も伸びるでしょうから、それは、一見すると地味で、昔からの雑誌の気風には、合わなくても、この方向は、編集方針としては正しいと思います。

 で、そこで、室井さんは、ママ友同士の付き合い方として、ママ友とまで行かなくても、『ママつきあい』程度でいいのではないかと提案しておられます。室井さんらしい。特に室井さんは誰の目にも見えるほど忙しい人だから、それで、パスされて許されるかもしれないけれど、実際の現場では、腰掛程度の気持ちだと、グループから追い出されちゃいますよね。

 だけど、限界ぎりぎりいっぱいでも、そして、不十分でも、付き合ったほうがよいのです。賢い彼女は、・・・・「いじめられていたりしたら、ママ友から、知らせてもらえる可能性があるしね」といっていますが、それは、本当に重要なことです。子供は親にすべてを伝えるわけではありません。特にお母さんを心配させることだと思えば、黙っている可能性はあります。

 でも、いじめの当事者ではない子が、見ていて切なくて、お母さんに告げる。そのお母さんが、これは大変だと思って、ママ友どうしで、いじめられている当事者に、知らせてあげることはあるでしょう。育児とは本から学んだりすることよりも、事実を、見つめて、対処することが必要で、そのためには、情報は大切です。生の情報を、しかも愛情を持って教えてもらうことが必要です。

 それには、ママ友を、利用する気持ちだけではなく、信頼する気持ちで、仲良くしなければならないのですが、それでも、そこに難しいところがあるのも事実です。でも、それが大切だと、いっている室井さんの感性は、その点では、とても正しくて、男の子のお母さんとして、頼もしく信頼ができます。

 ほかに、親子二人だけの人間関係では煮詰まるというのもあって、両親(祖父母)の大切さや、ママ友や母そのものの友達との交流を、大切だと、いっておられるのも、非常に健康的です。

 さらに、二人の話題は転じていきますが、長くなるので、ここで、きりましょう。

 私が室井佑月の三で、彼女は実の両親にお子さんを育ててもらっているのであろうと、いったのが、間違いだったのが、わかりましたので、ここで、それを訂正しておきます。
しかもそれは、偶然ですが、立ち読みしたことでわかり、しかも、たった、一日以内で、わかったのも奇跡でした。相当室井佑月さんに、こころが集中していたせいでしょう。だって、婦人雑誌を書店で立ち読みするなんて、ほご、一年ぶりぐらいのことなのです。
 最近、体力が落ちてきたので、以前だったら、画廊めぐりの帰りに必ず寄った書店にもあまり寄らなくなりましたので。それなのに、室井さんの意見に接することができたわけですから、不思議、不思議。      では、2010年6月14日      雨宮舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一流は、スポーツでも哲学に通じる、・・・・・杉山愛

2010-06-13 09:43:50 | Weblog
 本日、2010-6-13のNHK『ようこそ、先輩』は、杉山愛さんでした。

よい意味で裏切られて、そして、結論としては、『やはり、一流の人が到達する地点は哲学だ』です。

 杉山愛さんは、テニス選手としてはベテランです。ギネスから連続、出場記録(グランドスラムに、63?、回)を認定されているそうです。

 しかし、普通の人間として言えば、まだ、お若い女性です。試合中よりも、普段のお顔===特に母校に後輩を訪ねた、この番組内での===はきれいですね。緊張感が取れているから、清潔な美貌が、こちらにしみじみと伝わってきます。

 さて、湘南白百合が彼女の母校です。
 生徒たちは、制服姿の間は、大人びて見え、『あれ、今日の母校は中学かしら?』と一瞬思いますが、運動着に着替えると、やはり、小学生であることのあどけなさが伝わってきます。

 さて、驚かされたのは、一日目に杉山愛さんが生徒たちに与えた課題です。

 後で、正確な意味がわかれば、ほっとする課題ですが、最初は、本当にあれっと、いぶかしく思いました。それは、生徒を四グループに分けて、サーブの成功度を、グループ間で競わせる、試みだったからです。

 よく、お笑い系の番組で、サドンデスで、ゴールを目指す企画がありますが、ああいう狙いかしら?と思っていたのに、それは、過程にしか過ぎず、

 まず、生徒たちに失敗に経験をさせる、たくらみがあったのです。この際のたくらみとは悪いイメージでは捉えないでください。よいイメージで、深謀遠慮というべきでしょう。

 子供たちに四時間ほど、サーブの練習をさせた後で、「グループ間競争です」と、教えて、目標を設定させます。子供たちは無邪気に、90%の成功率を目標としますが、実際には10%程度でした。

 そこに、勝負(または、パフォーマンス)の難しさがあります。予定していた、または、想像していたほどにうまくいかないのはなぜか・・・・・

 それを、子供たちに考えさせるために、この企画は行われたのでした。

 これは、あらゆる分野に通底する真実です。どうしたら、本当によい成果が、あがるかは、慣れてこないと、わかりません。つまり、人に結果を問う仕事の場合、一種の身を捨てる精神を獲得するということが必要なのです。というか、自意識を捨て去る、ことが、大切です。

 それを、とても、わかりやすく、子供たちに伝えていらっしゃいました。

 教えることはそれだけでしたが、非常に重いことだったと思います。子供たちは、こと、サーブを成功させるというポイントに関しては、わかったと思います。

 ところで、菅総理大臣が宮崎県を慰問されたみたいで、そういう行動と姿には、国民は、ほっとしますね。では、今日は短いお話でしたが、これで、失礼をさせていただきます。

     2010-6-13               雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

室井佑月ー2、これから、女性を味方にしていかれるかな?

2010-06-12 14:07:53 | Weblog
 さて、せっかくご紹介したのに、夏木マリさんが、司会をするオペラの紹介番組は、昨日、11日の金曜日は面白くなかったですね。それは、蝶々夫人という存在に、出演者が三人とも、感情移入ができなかった模様で、それゆえに、盛り上がらなかったのです。

 ただ、大評判のオペラだから、はずせなかったという感じでした。メトロポリタンオペラの、マダムバタフライが、NHKで、放映されたときに、案内役が、フレミングでしたが、彼女が、この役が難曲の連続で、ソプラノにとって、非常に難しい演目であると、いうことを、主役と一緒になって、視聴者に説明してくれましたが、

 有名なアリア、『ある晴れた日に』が、美しくかつドラマチックなことも、このオペラを有名にしているのでしょう。同じ、NHKでロッシーニの『ランスへの旅』というのが放映されましたが、そちらなど、あまり上演をされない演目だそうです。

 ひとつには、そちらは、フランス王の戴冠への祝祭が主な公演目的であったので、王族、家来、客人格・役としての出演歌手が多くて、14人ぐらいがほぼ、平等に重んじられるのだそうです。絢爛豪華なことは、豪華なのですが、お客さんは、集中ができにくいですね。それに比べると、つらいし、切ないが、蝶々夫人など、主役二人(ヒロインとその女中)に目をひきつけること、疑いなしです。

 ただ、私としては、トスカよりは、見るに耐える、演目です。トスカは筋がつら過ぎる話です。しかも蝶々夫人よりはるかにリアリティがあります。だから、余計につらいです。
~~~~~~~~~~~
 ところで、先週の『アイーダ』の回は、大変盛り上がりました。トークも勢いがあって、間髪を入れぬやり取りで、面白いこと、このシリーズの中では、随一でした。

 よく、男女の関係で、化学変化が生まれるというでしょう。恋が生まれる瞬間をさします。それが、その回の出演者、女三人の間でも、生まれたのではないかと感じるほどでした。この番組は脚本はなくて、進行します。すべて、夏木マリさんが、頭の中で組み立てながら話題を進めるのですが、それでも、収録の前にお茶のみ程度の打ち合わせはあって、そこで、論客の間で、ヒロインへの肯定役と否定役程度の、役割分担はするのだと思います。その準備段階で、夏木マリさんは、今夜のお客とは、『馬が合うな』と感じたのでしょうね。
 
 彼女自身が乗りに乗って、驚天動地の質問を最初に二人のゲストに向けたのです。「オペラを見たことあります」って。すると、ゲストが異口同音に「見たことありません」と答えたのです。山口もえさんという、天然ボケキャラを売りにしている若いタレントさんだと、それは頷けます。子供のときから忙しかったでしょう。しかも今はお母さんですって。なおさら忙しいでしょう・・・・「舞台へ、往復の時間を合わせて、6,7時間も束縛をされている余裕はないでしょうね」と感じます。

 だけど、教養が命の作家である室井佑月さんが、「見たことない」と断言したのには、本当に驚いて、この時点では、例の、『臆面のない人だわ』と言う彼女に対する、嫌悪感は増幅されたのですよ。世代の違いといってもよいが、私(後注1)の周辺にいる人だったら、もし、海外で、10回名公演を見ていたとしても、「私は、まだ、その任ではありませんので・・・・・」と断るはずなのです。それが、「テレビでは見ていますけれど、」とか、東劇で、映画になったオペラを見ています」と言うような弁解ひとつなくて、しゃーしゃーと、「見ていません」ですから、それにも違和感を持ちました。

 ところが、室井さんの発言は、番組が進むにつれて、本音の連続で生き生きとしていること限りがないのです。それには好感を抱きました。番組シリーズ中屈指の面白さに盛り上げたのは、彼女の素直な発言の鉄砲だまのような連続だったからです。

 ただし、彼女の発言は、女性全般を代表するものではありません。お子さんがあるそうですが、どうも、ご自身では育てていないでしょう。ご自分の両親が都内に住んでいて、そこに24時間預けっぱなしにしていて、時間が空いたときだけ、お母さんとして接触すると言うような、バリキャリ向けスタイルで生きていらっしゃる模様です。
 こうなると、かえって、子供に足を引っ張られません。ご自分の手で、育てている場合は、たとえ保育所を使っても、なんらかの労力が、心身ともに、求められるものなのです。
 現在進行形で、それを、表現しているのが、西原理江子さんと、柳美里さんです。そして、思春期の難しさを明らかにしているのが、勝間和代さんと、田部井淳子さんです。母であるということと、仕事をする女性であるということは、両立しがたい時期が、ある。必ずあるはずなのです。

 室井佑月さんにその子供があるゆえの、縛りとか、束縛とか、がないということは、一種の特権階級で、あることを証明しているので、そこが女性視聴者とか、一般の女性読者からの、好感度を、得られないポイントとなるのではないかと、感じるときがありましたし、今もあります。

 それに思い出してみましょう。そもそも、そのお子さんの誕生にいたる結婚そのものも略奪婚だったのですよね。それは、相手の、高橋源一郎氏の性格やら生き様が50%反映していることだから、室井さんの罪だけではないけれど、でも、単純に言えば、女性の敵の一人です。俵万智さんとか、柳美里さんとは違う。

 その点で、特殊極まりない、環境にあるので、そこが私なんか懸念の的で、男性に受けがよいから、これほど、もてはやされているのだ・・・・・だけど、将来何らかの形で、挫折とか、ネックが訪れるのではないかという風に捕らえていたのです。この日までは。

 つまり、現代日本でも、メディアの現場で製作を担当している裏方は、ほとんどが男性で占められています。それらの男性陣にとって、動きが軽やかで、番組に花を添え、穴を開けないタレントは貴重です。彼女の方が、時間が自由に使える人だから、打ち合わせ等もお茶のみ、お酒入り、とうとう、自由に設定できる。その点で同じくテレビの世界に長くいて、誰とでも、おくめんなく付き合った瀬戸内寂聴さんの二代目を張れる立ち場に、進歩していく可能性のある人だ。とも感じました。

 最先端の立場になると、書物から情報を得るわけでもないのです。人付き合いが大切です。会話による学び、と、切磋琢磨が、人を育てていきます。その条件に彼女は恵まれている。もちろん、二人の個性は相当に違います。室井さんの方がより健康で、ひなたっぽい、それゆえに、エロチック度はより少ない。だから、小説を書く作家として大成するのはどうかな? だけど評論家系のライターへと、進むのなら、現在の生活はぴったりです。世間全般に、重石がきく、文化人となっていく可能性は大きいです。

 だけど、失礼ながら『若いうちが花なのよ。それで、終わりでしょう』と、今まで見ていた私が、今週の月曜日と、火曜日(録画をしておいた、オペラ『アイーダ』の啓蒙番組を見たとたん)に、ちょっとおいうか大いに、考えを変えたのでした。

 ひとつには彼女の衣装選びのセンスに、参ったからです。形としては若者向けのTシャツが上半身です。ニット系のものは、小柄(たぶんですが、そうです。そして、)でむっちりした肉付きをかわいく見せます。そして、スカート部分は埴輪スタイルで、足はこれもニット系のタイツで、これまた、細からず太からずの足をきれいに見せます。いつもと、形としては同じです。

 しかし、その日だけは、値段が高いことが見事に察せられる一そろいでした。質がよいということが、靴まで、スカートと、同じプリント模様の生地が使われていることでわかりました。知る人ぞ知る、わかる人だけにはわかる、高価さ。だけど、一見すると普段着。

 オペラ紹介番組だから、一種の贅沢さが裏にあるわけです。その番組の目的やら、種子を見事に捕らえて、その方向にあわせているのです。一見すると、自分の普段の様式を失わず、かつ、番組に敬意を表した、衣装選びなのです。うまいし、頭がよいです。『あれ。彼女って、これからの、息が長いかもしれない。そして、女性、特に現代に生きる女性の、一種の指標となっていくのかな?』とは思いましたよ。憧れの対象としてもね。

 ただ、平凡な立ち位置にいて、平凡な意識と才能の女性にとっては、一種の毒としての見本でもあるのですけれど。というのも誰にでも、まねすることができる立場ではない。ご本人の努力や才能・いかんもあるが、回りの人の引き立てやら、選択が大いに寄与している生活だと思われますし。・・・・・

(後注1)世代が違うので、あまりいうと、意地悪ばあさんとみなされるはずです。ただし、横浜の丘の上の公立小(私学進学率が長らく、全国一だったそうですが)をでて、横浜国立大学付属中学、御茶ノ水女子大付属高校、国際キリスト教大学を道を経た私には、知人の間のどこを見回しても、こういう発想で、こういう断言をする人はいないのです。常に客観性を伴って、自分を見る人が多いので、自分に対する評価は低いです。オペラを見たこともないのに、オペラの紹介番組に出て、しかもあっけらかんと、「見たことないです」と、断言するほど、ご自分への評価が高くて、自信に満ちた表現をする人はいないです。                        2010年6月12日    雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏木マリと、『愛の劇場』(NHK・ETV)(今夜は蝶々夫人です)

2010-06-11 09:27:25 | Weblog
 NHK教育テレビ(最近の通称はETV)で、金曜日の夜、『愛の劇場』というオペラへの啓蒙番組があります。夜の10時半から。司会者は、夏木マリさんで、番組そのものは大変面白いです。教養ある方には、『え、あんなのを見ていて、面白いっていっているなんて、あなたも底が浅いわね』といわれてしまうでしょうが、私は別にスノッブ(上流階級だと自分を思っている人たち)ではないから、あっさりと、それを面白いと、言い切ります。

 その面白さを作り上げているのが、司会者の夏木マリさんの気風のよさと、身を捨てる精神です。ここに、彼女は相当のエネルギーをかけていますね。それが、こちらに伝わってきます。

 ところで、例のごとく、海外にいる人のために、夏木マリさんという女性について、短く解説をすると、最初は、歌手としてデビューした人らしいのですが、今では女優として、自他ともに、認識をされている人です。

 日本人の女性の顔が、大きく分類すると、おかめ系と般若系に分かれるそうですが、彼女など、まさしくもって、般若系の美女で、やせておられるから、怖いほどの顔にみえますが、それを、自覚しておられるのか、脇役(もしくは悪役)で活躍していて、味のある表現のできる人です。上手だと思うし、このオペラ紹介・啓蒙番組を見ていると、とても頭のよい人でもあると思います。別に政治について発言する人ではないが、自分ができる分野で最高の仕事ができる人です。

 歌手としてのデビューは、クラシックではなかったと思います(もしかするとロックンロール?)。が、オペラ好きなのでしょう。音楽の幅広い分野に精通しているのは、すばらしいことです。別に芸大出身ではないと思いますが、音楽のセンスとか、教養において優れている人であることは確かです。

 NHKは、イタリアオペラの導入をしたころから、何度も、この手のオペラ入門番組を作っていると思いますが、思い切って初心者向けにした気取らない、番組としてこれを、つくり、抜群に成功しています。

 今夜、は、蝶々夫人をまな板に上げ、安めぐみさん(NHKのこれもETVのサイエンスゼロの司会をしたことで中年男性に圧倒的な人気を得た、ふんわりした美女)がトーク部分の出演者です。

 この番組をほめまくりますが、

 NHKにひとつ注文があります。中に、オペラの実際の画面が採用されていますが、その出演者について、説明がないのです。

 これは、不親切です。
 私など、林真理子さんやら、江川詔子さんのように、自分の収入がある人間ではないので、実物のオペラをたくさん見ているわけではありません。

 ただし、バスティーユ劇場(パリ)で、『リゴレット(1998年)』を、メトロポリタン劇場(NY)で、『アイーダ(1999)』を、シティホール(NY)で魔笛(1999年)を、メトロポリタン劇場で、『トゥランドット(2000年)』を見ているオペラ大好き人間です。
 日本では切符が高すぎるので、見ないのですが、それは、装置や時には、オーケストラまで伴ってくるので仕方がないのでしょう。劇場内に装置が保管されていて、そして、寄付が多く、サポーターが多い、メトロポリタンなどでは、大体一万円で、適当なレベルの席の切符が取れるので、見やすいのです。

 オペラ見物のために旅行するわけではなく、版画修行の傍ら、ついでに、見ただけですが、今思えば、もっと、見に行っておけばよかったなあ、とおもいます。文化の秋には丸まる三ヶ月三度も、滞在していたのですから、秋の演目はすべて見ることができたのに、惜しかったとは、思います。が、当時は版画にだけ専念していたから、それは、それでいいのですが、いずれ、もう一度、海外暮らしもできるとは、思っています。別に目安があるわけではないのですが、そういう意味では不思議と恵まれていて、心の中で望んでいることは、必ず実現してきた人生なので、きっとそうなるでしょう。
 今は、満を持して静かにしているところかな。(補遺の2へ続く)

 で、NHKへの要望に戻れば、私程度の、ファンとしては、ぜったに歌手名、公演の行われた年度とか、劇場名、などは、テロップとして、下に流してほしいところです。それをしないのは、不親切です。教養番組を作っているのですから、作り手側だけで、その情報を握っていたり、『お前ら、知っているか、これって、有名な歌手なんだぞ』という姿勢だったとしたら、視聴者蔑視もはなはだしいことですし・・・・・
~~~~~~~~~~
 さて、その番組で、先週、室井佑月(さん)が出たのです。

 そこでの、彼女の言動にびっくりしたのですが、それは、のちほど、書き表し、アップさせてくださいませ。特に、月曜日に週刊朝日内の、彼女の上杉隆(補遺1)に関するコラムに感激したあとで、録画を火曜日の午前中に見たので、衝撃的でした。

 結論を言えば、いまどきの旬のコメンテーターというか、マスコミセレブの特質が見事に現れていたのです。では、今日は夏木マリさんだけでおゆるしを。 

(補遺1)
、今週号の週刊文春の上杉隆氏の文章は、私が今まで読んだ氏の、週刊文春内の記事としては、もっとも、(政治の核心に触れた)面白いものでした。特に『さけきがけ』という政党に最近、注目をしていたので、この文章は、タイミングがよく、役に立ちました。そして、『へえ、上杉隆さんって、鳩山邦夫の秘書をしていたことが、あったのだ』と、新事実を得て、それにも感謝しました。 

(補遺2)
 この10年間を見渡せば、数限りない損失が続いてきたと感じています。もっと長いスパンで見ても、40年間近く理不尽な損失を、例の国際的軍産共同体から与えられてきたでしょう。私はそのことに対して、いわゆる、一般的な温和極まりない日本人の一人として、ほとんど、戦わないできました。損失を補修するための戦いをしてこなくて、ただ、泣き寝入りをしてきたのです。

 しかし、人生全般を見渡すと結構よいこともあるしあったのです。別に「鎌倉市会議員にでなさいよ====それは、継続すれば、小沢一郎さんと直接対峙する場所まで上り詰められる道かもしれませんが===)」と、他人に言われるわけでもないし、どこそこの出版社から「本を出版してください」と頼まれるわけでもないので、書いていることからくる損失を埋め合わせるという形での、補填ではないのですが、

 私の人生やら、生活を、大体知っている方々から、「あなたほど、恵まれている人はいない」といわれるほど、まったく、方向違いのポイントで、『天の恩沢を受けているかもしれないなあ』と思うことはあって、そのひとつが海外(版画修行)暮らしの経験を何度も得られたことです。そして、それは、願い続けていれば、また、将来、かなえられるでしょう。そういう不思議な人生でもあります。ただし、捨てているものも多くありますよ。何もかも、得酔よとしているわけではありません。欲張ってはだめなのです。芥川龍之介作の、『蜘蛛の糸』はある種の真実を言っています。天は誰に対しても、その余得と損失において、平等です。

 私に恵まれている点があるとすれば、一方で、損失が大きいからだとも言えます。
        では。       2010年6月11日     雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

室井佑月は、将来、瀬戸内寂聴クラスへと、化けるかな?

2010-06-10 03:20:08 | Weblog
 今週の私は室井佑月(さん?)と、三連発で出会って、びっくりしていて、そこから何らかの意味を感じているところです。といっても、直接会ったわけではなくて、メディアの世界でのことです。週刊朝日で、月曜日に出会って、火曜日には朝の主婦向けNHKのダイエットが話題の番組に、彼女がコメンテーターとして呼ばれていて、画面上で会いました。その後で、録画をしていた、オペラの番組(これも、NHK教育チャンネルですが)を見たら、コメンテーターとして彼女が出ていたので、今週の前半、三回も彼女を、しかも強烈に、意識させられたのです。

 私は彼女を決して好きではないのです。ものすごくしたたかな感じがします。だけど、それゆえに、大物であると言えば、大物であり、一種の女流文化人として、のし上がっていき、将来は、今の瀬戸内寂聴さんが占めている位置を、占めるかもしれないと、今週(つまり、2010年の六月の第一週)に思いました。もちろん、そこにいたるまでには、もっと、何らかの苦労が必要かもしれません。でも、手元において、お子さんを育てていらっしゃるから、そこは強いです。

 西原理恵子さんも、最近大当たりの人ですが、ちょっと、ニュアンスが違います。西原さんの方が、より純粋で繊細な感じがする。西原さんのほうは誰にでも受ける人ですが、室井佑月さんの方は、好む人と好まない人とに別れるでしょう。

 ここで、男性の方、および、海外にいらっしゃる方のために、簡単に彼女について説明をしますと、作家と言うことですが、一方で高橋源一郎氏と、結婚をしていて、お子さんも出来たが、離婚をしていると言うことで、有名でした。今は、そんな付随するエピソードよりも彼女自身の、キャラクターと能力で、のし上がっている人です。のし上がっているとは、大変失礼な言い方ですが、女流作家として、文筆の分野よりも、テレビに出演することで、その存在感が強くなっている人ですから、そう言う雰囲気を、いわく、言いがたく、嫌うと言うか、評価しない私は、のし上がるなどと言う言葉を使ったわけです。
 
 恒常的には、フジテレビの朝のニュースショーで、コメンテーターをしておられると思います。が、それは、もう見ない私ですが、今週の週刊朝日が、二日前に、私が取り上げた、上杉隆氏を、彼女も取り上げていて、その切り口が、なかなか素敵なのです。普段は週刊朝日そのものを読まない私ですが、さすがに菅新政権の発足について、各週刊誌がどう取り上げ、分析をしているかについては興味があり、立ち読みをしました。

 すると、室井佑月さんの毎週連続しているコラムのタイトルが、『上杉隆がなんとか」です。びっくりしました。最初は、『う、メルマガで取り上げようと思っていた矢先に有名人に先を越された』と言う風に残念に思いましたが、読み進めるうちに、飲み友達だと言うことがわかりました。一緒に飲んだ時のエピソードですので、『そう言う仲か? それでは、しょうがないな。書くことの内容の潤沢さとして、こちらには、太刀打ちが出来ませんもの』と諦めたのです。

 そして、読み進めながら、内心の一部で、『なるほど、マスコミセレブは、お互いに飲んだりして、交流を深めているはずだと思っていた、典型がここに現れている。後発の文化人(もしくはコメンテーターと言うかライター)として、ポジションが同じぐらいなのであろう。年齢もおなじぐらいなのかな? お互いにうまく、仲間を選び取っているなあ?』とも感じたのです。

 でもね。一頁大のコラムをさらに丁寧に読み進むうちに、ちょっと、感動すべき表現があったのです。それは、上杉隆氏が、必ず車を使って、移動をしていて、せっかく二人で、飲むはずが、彼の方は、飲めないのだけれど、その理由について、室井佑月さんが、深遠なる推定をしているからです。そこに感性の鋭さを、初めて感じました。今までは鈍感なぐらいにしたたかな人だとしか思っていなかったのに、鋭いところもある人です。『上杉隆が、今、身の危険を感じているはずだ』と言う推定なのです。私から見れば、大丈夫でしょう。彼は、もっとも危険な組織からは、身を守られていますよ。鋭いといっても、もっとも、危険な方向で書いているわけではないから』と思えるのですが、でも、いろいろリスキーな事を、書くことからくる緊張感を、総身に漂わせているのでしょう。それを、察して、『そうだ。電車に乗ったら、ホームで突き落とされるかもしれないし』と、想像をたくましくしてあげる室井佑月さんは、よい友人です。上杉隆氏が、お酒を一緒に飲みたくなるほどの、よい友人と言えるでしょう。

 私だったら、近しい友人の事は書かないでしょうが、そこがプロと言うか、室井佑月さんのたくましいところです。そして、上杉隆氏も、こう言う風に書いてもらった方が、自分にとって得でしょう。書くという行為に対して、どれほど、真剣であるかを、自分ではなくて、他人が、公に広めてくれるのは、最高の援助です。

 この===既成の権力にはおもねらない方向性を持って、物事を書くと、危険である===ということは、実は、私でさえ、日々感じていることです。特に三年ぐらい前は、軍産共同体の悪意ある動きについて、まだ、ここまでの事を書いていなかったからこそ、余計に、狙われていたと感じます。徐々に徐々にですが、自分が実際に考えていることを、はっきりと、かつ思い切って書くようになって、それで、かえって安全になったかな? または、暗殺されても、ここまで言えているのだから、思い残す事はないと、覚悟を決めているからかな? むしろ、すっきりしているところです。
 
 ただし、メルマガの方が、送信先のアドレスの、すべての人には、届いていないそうです。それを、相手と出会ったときに聞いていて、それゆえに、そう言う形で、ライターとしては、擬似的に、すでに、暗殺されていると言えば言えます。ブログの方だって、今グーグルが、検索記録と言う項目を私のブログタイトルへと、付随させていますが、その数値がまったく間違っています。もっと、順位はゼロが数個分、高いですが、非常に低いと宣伝をされています。

 だから私自身、すべてにおいて、大変です。そう言う自分の事情から照らし合わせて、この回の、室井佑月さんのコラムには惚れました。

 私がもし、ブログを書かなくなったり、メルマガを送信しなくなったら、その裏になんらかの事故===(身体的にであれ、パソコンなどの環境上のものであれ、友人に裏切られたなどの精神的なものであれ)===があったと、お考えくださいませ。それは、もちろん、国際的軍産共同体、もしくは、民主党の誰かさんに、やられたということと成ります。もしくは、彼らが金銭や名誉を与えて、飼っている存在に。(後注1)

 さて、そんなに、みなさんを心配させる事を書いては、暗くなりますね。そう言う時期に、ある程度以上に能天気で図太い室井佑月さんの言動に接すると、あっけらかんとした、笑いまで誘われます。

 それは、オペラ『アイーダ』に関する言動なのですが、そちらの詳細は、明日お知らせをさせてくださいませ。   

(後注1)副島隆彦さんの本を読むと、世界を今、牛耳っているのは、ジェイソン・ロックフェラー氏のようです。ジェイソンは、私より、数歳年上のはずですが、大学院へ留学という形で、国際キリスト教大学へ留学しています。だから、一、二年は、同じキャンパスを歩いたはずなのです。ジェイソンも、『え、あの大学を出た人間が、そういうものを書き始めたのか?」と怒ったり不満を抱いているかもしれませんが、不思議なことに、英語ができて、アメリカが好きだと、こういう風に分析ができるようになってしまうのです。ニューヨークにいる元、日本人である、知識人も大体、非常に大胆です。

 堤みかさんや、村上春樹さんもそうですが、政治評論をしている人たちもそうです。久米宏氏が、一時期、いろいろ、怖がっておられたそうですが、その態度やスタンスは、実際にアメリカで暮らしたひととは、まるで、違うのです。方向性もまるで違います。大橋巨泉さんもアメリカに家があるそうですが、でも、アメリカ人と直には付き合わなかったのでしょうね。ずいぶん私とか、堤さんとかとは、違います。

 でも、上杉隆氏は、カリフォルニア大学で、ディベートとか、されたんでしょう。これから、どう変わっていくか、私は注目します。
 明日はもっと、緩やかに、のんびりとアイーダについて、述べますのでご安心くださいませ。            2010年6月10日    雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カリフォルニアは、民主党にとっての、パワースポット(?)です

2010-06-09 20:58:24 | Weblog
 最初にタイトルとして、「カリフォルニアには、洗脳基地がある(?)」といたしました。でも、以下のような前言を置き、反省しました。

 ***いや、こういうセンセーショナルな書き方はしては、いけないのです。文章が下品になります。結果として、ブログもメルマガも下品になる可能性があります。***

 で、温和な上のようなタイトルへと変更したわけですが・・・・・

 民主党と、カリフォルニアが、密接な関係があることには、ずいぶん前から気がついていたのです。それを詳細に検討すると、民主党がもっとも、アメリカ(この場合は、国際的軍産共同体に牛耳られていル国という意味で使っています)からかわいがられている党であり、好ましく思われている党であるというのもうなずけることとなります。

 アメリカの諸活動の中心はニューヨークにあると思われています。

 金融がそこに集中しています。国際的軍産共同体の主たる目的はお金を稼ぐことです。富を自分たちに集中させ、自分たちが特権的、贅沢な生活を享受し続けることにあります。あらゆる現象は、それを、強化し保持し続けることへ還元をされます。

 そして、その富を、得るためには、一般の庶民の幸せなど、ほとんどといってよいか、一切関係がありません。この地球が汚染しまくり、特に日本などという人口密集地に、プルトニュームを送り込みまくり、100年後、その処置に日本人が困り果てるとしても、「そんなことは一切、こちらには関係がありませんよ。私たちは、火星に生活拠点を移すのですから」というのが彼らの本音の模様です。

 その、===特権階級だけは必ず救済されるのだ===という発想は、映画『ソイレント・グリーン』の中で見事に描き出されています。半年前には、映画『ソイレント・グリーン』に関する情報はインターネットの世界で大量に出ていましたが、今ではどうかな?

 といっても、上の鍵カッコ内は、私のオリジナルではなくて、普通の庶民としての日本人、の発言です。ただし、一種のインテリです。でも、男性ではないし、社会的な肩書きもない人です。つまり、日本人は、すべての庶民が賢いのです。相当なレベルで賢いのです。乱暴でも野蛮でもない。特に戦争状態などにないときは、ごく平和な国民性を持っているものですから、我慢を重ねますが、だからといって馬鹿ではない。

 そういう国に向かって、シーシェパードを、攻撃の種に使ったり、映画『コーヴ』を上映することなど、『寝た子を起こすことになる』と、考えた一派がいて、それで、映画『コーヴ』は上映中止になったのだと、私は思っています。

 そうですね。彼らはあまりにも安易に日本人を見くびっていたと思います。今現在テレビや新聞の世界をにぎわわせているマスコミ・セレブを篭絡することが簡単だったので、すべての日本人は容易に支配できるのだと判断をしたのでしょうが、マスコミなど、まったく自分には関係がないと思っている、上品な中流階級の日本人が、本当のことに続々という感じで、気がつき始めているのです。

 私が突出しているわけではなくて、ごく、普通の日本人がすべてを、わかってきているのです。それは小沢さんをあまりにも安易に甘やかした結果でもありましょう。禁煙運動の著量跋扈など、『おかしいな』と感じている日本人は、たくさんいるのです。

 で、冒頭に戻ると、自民党の代議士で、アメリカ留学済み、特にカリフォルニアにいたことがあるという人材を知りません。

 しかし、民主党には、あまたいるのです。それに、そのシンパとしてのライター(=政治評論家)を加えると、カリフォルニアに縁がある人が本当に数・多いのです。

 ニューヨークに呼びつけて洗脳しちゃったら、それはあまりにもあざといし、わかりやすい構図になる・・・・・と考えてそうなったか、たまたまの現象かはわかりませんが、例の上杉隆氏をはじめとして、鳩山元、総理大臣もそうですし、

 何よりも、もっとも顕著だったのは、大橋巨泉氏が、出馬して、代議士当選をした途端に、職務を放り出したあの選挙のころです。

 では、今日はこれで、簡単に終わらせていただきます。実証例が少なすぎると、自分でも思います。でも、恐れ入りますが、ほかの仕事をしなければなりません。
 どうか、ご容赦を。     2010年6月9日  雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上杉隆 氏は、どういう風に、転がっていくか? 勢いがある人だが

2010-06-08 17:18:49 | Weblog
以下の文章は、昨年の12月5日に書いていて、アップしないで保存をしていたものです。ダイヤモンドオンラインで公開された記事を、goo news がインターネット上で公開したものです。

その一行をワン・クリックしてくださってもよいのですが、本日の私の文章の論点は別のところに、移動をしていきます。ので、この下記の記事は、「そういうヒステリックな時期もあったね」という一種の証明として、ここにおかせてくださいませ。

今後ろで、テレビ画面が管新首相の記者会見を伝えています。小耳に挟んだ中では、「全員が普通の家庭の子である。サラリーマンか、自衛業者とかの混合では、あるが、(富豪の二代目とか、世襲議員ではない)」ということをおっしゃっています。

 私もやっと、日本の実情に合った政府(内閣)が、できたと、感じています。

 自民党は、都市のサラリーマンの代表とはみなされては、いませんでした。私は、数代前から都市のサラリーマン(江戸期の侍もそうですから)の生まれだから、民主党を好むはずでした。ただ、ずっと、民主党をけなし、自民党を擁護してきたのは、民主党のほうには、国民の精神まで縛るような悪政を、実行するところがあるからです。たとえば、禁煙運動です。これは、喫煙者側からは、ファッショだと言う声ががっていますが、まさに、そうで、あの件で実践された、国民の自由を束縛する動きは、構造だけでも確立されたので、次から次へと、別の分野で実行をされる可能性はありました。

 少し穏やかになった、普通になったと思っています。

小沢幹事長による陳情一本化が、日本の利権政治を変える可能性【週刊 上杉隆】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

 で、これが発表をされた直後も読み、今も読み返したのですが、発表時に、私がここに個人的につけた、コメントでは・・・・・権力は集中しないと上杉はいっている。小沢支援の方向でものを言うという、いつもと同じ伝だ。タイトルだけ気を引くようにグーがつくっているなあ。・・・・・と、判断がそえられています。

 というのも、上杉隆氏が、強く私の興味を引いた記事は、田中真紀子さんのお子さんの離婚を取材して、週刊文春に書いたことがきっかけだったからです。

 あのとき私は、ものすごく憤慨して、あれこれ、文章を書いています。そのころ、上杉氏は、顔写真も公開していませんでした。で、経歴も明らかになっていなかったので、私は立花隆氏が、下世話なポイントで、文章を書く際の第二ペンネームではないかとさえ、AOLのメルマガの世界で書いています。

 ところで、上杉隆氏は、その後で、急にいろいろ、マスコミの世界での上からの支援が下ってきて、ご本人も自信をつけられたのか、まず、経歴が公開されました。顔写真はまだでしたけれど・・・・・

 そうすると、都留文科大学の出身で、アメリカ・カリフォルニア大学・留学済みと出ていました。それゆえに、立花隆氏の第二ペンネームではないかと推定した、私の推定は間違っていたわけです。ここで、それについては、AOLのメルマガの読者の方にはお詫びをして、訂正しておきます。

 私は、そのときに、『あ、なるほど、それゆえに小沢派なのだ』というか、『この人も、現代の大マスコミに加入できる、お墨付き、(=国際的軍産共同体のご認証つき)のライターであり、小沢一郎氏を、支援する方向で、書いていくのであろう』と、メモだけですがPC内におとしたのです。

 都留文科大学は、金丸信氏と、何らかの関係があって、創設をされたと、私は推定しています。そして、優秀な学生が、カリフォルニア大学へ、推薦留学をできるということも、その推定を裏付けています。小沢一郎氏は、金丸氏とは、通々でした。

 私は、小沢氏こそ、アメリカ、特に国際的軍産共同体ともっとも、近くて、相手側から信頼されている政治家だと推定していますが、そのリンクというか、コネのついた筋道には、金丸氏が大きな、サポートというか、支援というか、働きというかをなしていると推定しています。

 そして、そういう渦というか、システムの中から生まれたのが、上杉隆氏だと考えています。

 しかし、
 上杉隆氏は、どんどん進歩をしています。

 さすがカリフォルニア大学出身だと思われる活動は、記者クラブの解放・要求(改善活動)でした。これにも、もしかすると、裏があるのかもしれませんが、それでも、KY(空気を読んで、事なかれ主義で、出世を目指すタイプ)ではない模様です。

 そして、最近は、お顔も公開をされました。前に想像していたよりもずっと、よいお顔です。まじめな日本人顔。腐った雰囲気は見当たらない。で、ずっとこれからこの人を、フォローをし、観察をしていきましょう。・・・・・と思っているところです。

 ただ、ここで、ひとつ付記すれば、田中真紀子さんは、小沢幹事長をどう思っておられるのでしょう。そこに、いろいろなブレというか、超がつくほどの、政治的な思惑を感じます。または、小沢幹事長が・・・・・女心を、持て遊ぶのが上手すぎるのか。そして、真紀子さんは政治家であるよりも単なる、お嬢様であるのか? 

      2010年6月9日    雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井戸を掘った人・・・・・小平

2010-06-07 05:59:25 | Weblog
 今、日中関係は相当好転しました。一時期、最悪で、日本に対する内政干渉も大きくて、それゆえ、私は、中国を、大陸中国と呼んで、いろいろ分析をしたほどです。

 その悪意は、小泉さんが、靖国参拝を決行したことによって、起因したことですが、その参拝をあれこれ、恐れて、大騒ぎしたのは、実は、国際的軍産共同体であり、そちらが、本音としてあれこれ言うことができないので、中国を裏から動かしたと、私は見ています。なぜ国際的軍産共同体が、靖国参拝を恐れるかというと、たぶんですが、東京裁判に後ろめたさを感じているからでしょう。

 だけど、その後、北京オリンピック、上海万博と、行事が目白押しになった中国は、それらの成功のために、諜略行為を捨てて、自然な外交の流れに従い始めたので、やや温和な外交表現となってきました。日本人としてはほっとするところです。それに現在の中国の首脳陣が、本質的にインテリ傾向が強そうですね。お品がよい人たちの模様です。

 今、中国の内情に関しては、ずいぶんと事実らしきものが、外国へも伝わってくるようになりました。で、1945年以降の内政についても、相当な事実が明らかになってきています。
 中で、いわゆる紅衛兵の乱暴を武器とした文化大革命のおぞましさと毛沢東の実像はそうとうに明らかになってきています。

 一方で理性もあり、まともだった政治家(中には、粛清された人が多いのだけれど)に対する評価も、上がってきています。

 その中でも、衆目の一致する立派な政治家が、周恩来首相と、小平国家主席(首席?)の二人です。私は2009年の秋から、2010年の初夏までの日本のマスコミの異常さは、中国で言えば、文化大革命に匹敵するほどだと考えています。
 異常な熱狂で、小沢幹事長をもてはやしました。

 すこし、熱気が冷めていますが、本質がどう流れていくのか、じっと注目する必要があると思っています。小沢氏が、闇の帝王になっていくという観測ですが、田中角栄氏とは、その意味がまったく正反対です。民族派として国際的軍産共同体に、刺された結果として闇の帝王になっていく流れと、国民的総意に嫌われて、ひっそくし、闇の帝王になっていくかの違いです。特に、国際的軍産共同体の支援を得ているから、嫌われたというポイントが、正反対なのです。

 その没落した田中角栄氏を見舞った人として、記憶に残るのが小平氏です。気骨ある政治家というべきでしょう。毛沢東の悪意からからくも逃れきった人ですから、よい意味でのしたたかさがあったと思われます。

 なお、昨日、映画、コーブの部分は、アップしないつもりだったのに、アップされていました。ので、誤変換が各所に残っておりました。お詫び申し上げます。では。
    2010年6月7日                     雨宮舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将来はどちらへ向かう?、ポストと現代の論調

2010-06-06 10:38:51 | Weblog
 週刊現代は、現在電車の中吊りを出していないみたいです。新聞を読む暇もない私は月曜日と、木曜日は必ず電車で東京へ向かうので、車内の中づりで===現在の日本がどうなっているのか===を、点検をしているのです。新聞で見逃した広告も、木曜日には、週刊新潮と、週刊文春がありますし、木曜日にはAERAとか、女性週刊誌とか、サピオとかほかにも出ていますし。

 さて、本日は日曜日です。以前ですと、なかったはずの週刊誌の広告が出ています。鳩山辞任がきっかけとなっていて、人々が週刊誌を買うだろうという思惑で、一日早まった出版と広告になっているのかどうかは、知りません。昔だったら、駅の売店で買うのが、週刊誌の買い方だったけれど、どんなサラリーマンでも主婦でも、近年では、ちょっと歩いたところにあるコンビニで、買うことが可能ですから、月曜日に出版しようが、日曜日に出版しようが、売り上げに変わりはなくなったのかしら?

 まあ、以上はほんの導入です。大切なことは、小沢辞任について、二つの週刊誌の主張と力点の置き方がまったく異なっていることです。

 私はいまだ、それについて、さまざまな可能性を探っていて、観察中であり、どちらの主張が将来、正しいものになるかを待っているところです。

 五年先で、正しくなるのか、10年先で正しいものだったとなるのか、30年先、50年先、100年先と、どんどん、判断と評価は異なっていくでしょう。
~~~~~~~~~~~~

 ところで、映画『コーヴ』(いるか漁を残酷なものという視点で描き出し、アカデミー賞を撮ったドキュメンタリー)が、東京と大阪で、公開が見合せとなったらしいです。

 私は心情としては、もちろん、見に行きたくはないのですが、国際的軍産共同体というものを研究するためには、見に行くつもりでした。

 彼らの悪意、そして、資金をどう使って、日本に対する悪宣伝を、どう行っていくのかの実例ですから。そして、パールハーバー(見ていない)、靖国(見ましたが、ひどい映画です。ただ、こういうものに、文化庁が支援とのこと、文化庁の当時のトップは誰でしたか?、それを、考えると、また、大いなる勉強となります。文章を書くための種、と、構造を自分に取り込むことができます)TOKTO(特に第二部のレオス・カラックス監督の部分がひどいです。これも文化庁から800万円出資とのこと。だが、今では一切の情報が、インターネットの世界からも消えています)

 最近、東京を舞台として、また、麻薬やらギャングが登場する映画ができたらしいです。まだ、見ていないが、一応同じ路線で製作をされているでしょう。

 そして、この「コーヴ」です。逆説的ですが、公開したらよいのです。国際的軍産共同体のすべての、悪意が明らかになり、それから、また、小沢元幹事長の天皇悪用(病気だからといって、そのご発言を、封じていて、しかも反対に、シュウ近平氏に突然、面会をさせるなどという乱暴が、どうして、誰によって行われているかが、一般国民の目にも明らかになるからです。

 国際的軍産共同体の、ストラテジストなどといっても、私がPC不調(時には壊れる)被害をこうむった流れや経験から言うと、それほど、頭脳レベルは高くないです。だから、諜報として、これで、だませると思っていても、日本人ならその真実のメッセージを正しく読み取り、やがて、その悪の全貌に気がついていくでしょう。

 いやね。コーヴが、突然、上映禁止になったのは、私の意見もさることながら、私の友達たちもほとんど、同じレベルで真実を知っていることが、ある機会国際軍産共同体側にも、たぶんですが、非常に高度な、盗聴システム(我が家ないにかけられているのではない・・・・ものを通じて)にわかってしまって、ちょっと、恐れを抱いているところだと推定できます。

 つまり、私は決して突出した存在なのではありません。私がここで、発言をしていることなど、ほとんどの、日本人がすでに推察済みのことなのです。攻撃している側の頭脳が幼稚すぎるということを証明するだけなのです。

 コーヴという映画を作ったこと自体、幼稚な発想ですが、それを、アカデミー賞で権威付けるという発想も用地なら、さらに、日本で公開しようという発想も幼稚です。そして、今度は、それを、急に引っ込めると言うのも幼稚です。連続して、幼稚な発想を見物することができました。

 その点では、自分の信念をさらに、固めるに役立ちましたけれど・・・・・では、今日はここで。
   2010年6月6日    雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅さんが、新首相になられました。

2010-06-05 01:41:27 | Weblog
 私は午前中は、なるべく、テレビを見ないようにしているのです。見るとしたら。録画しておいた美術や音楽の番組を家事をしながらみるぐらいで、同時進行的に見るのは、主人がいる夜が主です。しかも午後中、外出していたので、テレビ映像として、首相になった菅さんの映像は一切見ておりません。記者会見も見ておりません。

 しかし、民主党が政権をとったら、菅さんが首相になるものだと、去年の段階から思っていましたので、やっと、普通の体制になったということで、ややほっとしています。

 小沢一郎幹事長は、見るからに古い体質の人です。どうして、朝日新聞をはじめとして、NHKも含めたメディアがもてはやすかが不思議でならず、それを、考察していくと、結局は小沢さんの後ろにいる、国際的軍産共同体が見えてきてしまいます。

 民主党とは、菅さんや岡田さんが作った党だと思っていますが、いつの間にやら、小沢さんにのっとられたという感覚で見ていました。その小沢さんが一番、仲良しというか、動かしやすい人が、鳩山さんであり、それゆえの、小鳩政権だったと、感じています。

 菅さんだと、少し、雰囲気が変わってくるでしょう。だけど、インターネットの世界が燃え上がっていません。鳩山さんの辞任時と、同じくらいに冷静というか、冷淡です。

 しかし、私はそのほうが、より普通であり、好ましいと思っております。

 小沢さんを、豪腕だとか、辣腕だとか言って、大マスコミがそろって持ち上げた去年の、11月ごろはまったく日本も日本人も、政治家、国民を含めて、狂っていたと感じています。世間がヒステリー状態で、くるっていました。

 天才的政治家に支配される国なんて、国民は悲惨なことになるのが、落ちです。歴史がそう証明をしています。首相になる人は、ご自分の人間的な限界を知っていて、他人にある程度を任せられるひとでないと、国なんて、きちんと、まともに運営をされません。そのくらいでないと、心理的な余裕も生まれず、ご本人がおかしくなります。したがって国もおかしくなります。

 まあ、きちんと見守っていきます。そして、国民のほうも冷静に、しかし、尊敬を持って支援をしましょう。自分たちの宰相をこ馬鹿にするのは、自分たち自身を、貶め、馬鹿にすることと同じです。

 では、簡略ながら今日は、ここで、お別れいたします。2010年6月5日 雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢(ゲーム)にまで追いかけてくる、敵どもを、どうしましょうか

2010-06-04 09:39:28 | Weblog
 今朝、早朝も早朝、鼻血が出ました。あわてて、電気をつけて、時計を見ると、午前3時40分。多分二時ごろ眠りについていますので、一時間半で目覚めたこととなります。

 今の今まで、夢を見ていたことに気がつきました。しかも夢の中で、『これを、ブログに書かなければならない』と思いつつ、文案を練っているのです。それを今、現実にパソコンに向かって再現しようとしていますが、今は、すでに、8時間程度経過をしていますので、新鮮でかつ面白い文章が書けるかどうかは、疑問です。が、夢にまで追いかけてくる敵の存在は、私にとって重要だから分析していきましょう。

 つまり、政治について分析し、そして、たぶんですが、真実を書くと、相当にしんどい思いをすると、いう現実を書いていくのです。が、ご安心ください。私はその苦労を今では、ほとんどゲームとしてとらえているほどです。

 だからでしょうか。夢の中での私は液晶画面に向かって、ブログ、もしくはメルマガを書いていますが、その画面は、白黒のテキスト形式ではなくて、カラフルなものとなっています。そして、ニュースからコピーアンドペーストした項目が、すべて、水滴というか、丸となって、連続して、ころころと、落ちていき、消えていきます。『これは、困るぞ、コピーアンドペーストができないと、ニュース分析ができないぞ。これを、どうにかしてやめさせることはできないかな』と思ったとたんに、息苦しくなって、潜在意識の中で鼻の穴を拡大しようと思ったのでしょう。

 現実に半睡状態で鼻の穴をほじっているうちに、無理にかさぶた状の鼻くそをはがしたらしいのです。冬に乾燥がひどいと、鼻がいたむので、常に鼻血を出しています。だけど、今朝は、ちょっと大量に出たらしくて、手にぬるっとした感覚があり、望んでもいないのに、目が覚めてしまいました。

 で、覚醒した状態で、夢の分析を瞬時にします。今、マイクロソフトのワードが、コピーアンドぺーストがやりにくいという形での攻撃を、現実レベルとして、受けています。実際に起きていることを、夢は、すこし、改変して、出現したのです。

 こういう攻撃が誰からやられるかといえば、もちろんのこと、国際的軍産共同体、と、その諜報機関、または、その配下にいる日本の組織でしょう。主に、AOLとマイクロソフトに頻繁に障害が現れるので、そのように考えています。

 また、今ではNTT(OCNまたは、goo ニュース)そして、グーグルも加わって、さまざまな障害がおきるので、日本支配のレベルは深いなあと考えます。だってNTTって、日本の根幹のインフラでしょう。

 これらの攻撃が起こす障害ゆえに、かえってはっきりと、国際的軍産共同体の動きが分析しやすくなっていて、そして、発言もはっきりしてくるのです。つまり、『日本は被・植民地国家である』と言う例の、一つ覚えみたいな発言ですが、信念を持って、身を挺して発言をしています。影に大きな犠牲を伴っていますので、それゆえの自信が生まれるのです。今のところ、補償は、一切なされていませんので、それも、また、信念を強めます。
~~~~~~~~~~

 私のほうには、もちろんのこと、怒りはありますよ。『ざっと見積もっても、被害総額は2000万円を超えるな』という攻撃を、すでに受けています。正しく箇条書きにしたら、もっと、高額になるかもしれません。

 ただし、『被疑者不詳で、訴えを起こしても、どうにもならない』と、見越しているので、他者を訴追する方向では、何も動かず、ただ、ただ、自分でできる方向で、ひたすら防衛に努めています。知恵の限りを尽くしてです。
 丁々発止というほどの、攻撃と防衛の繰り返しであり、その過程で、組織対、個人として、自分を磨耗させないためには、一種のさとりも必要だと思っているわけです。この攻撃の中で生きていく。それが、今の私のスタンスであり、愚痴も言わなければ、訴訟も起こしません。

 しかし、『しっかりと、観察を続け、発言は続けましょう』と思っていますが、敵もさるもの、ひっかくもの、で、私が発言できないように、どんどん、攻撃が強まっていっており、その中で、私の工夫もさらに、技術的に向上をしていっています。

 特に本を自分で作ることができますでしょう。これを敵は異常に恐れていて、データの保存ができないように取り計らっています。データの保存ができなければ、私のパソコンから、印刷所へデータを移動できないと敵は思っているのです。大容量データ送信システムというのを印刷所で教えてもらいましたが、今では、そのサービスもどうしても、受けられません。

 CD書き込みができない。とか、大容量、外付けハードディスクが読み取れないなどの、動作不良が、次から次へと起こってきて、そのたびに、私の防衛用のパソコン技術が向上し、秋葉原のベテラン、店主でさえ、『えっ』と、驚くほどの、技術を持ち始めました。

 これは、結構愉快です。海外でも、アジア人のおばさんが、結構上品な英語を、かつ流暢に話すので、外見との落差にいつも驚かれます。そして、驚いた後で、必ずといってよいほど、発音をほめてもらえるのも、愉快です。RとLの違いとか、th と、Sのちがいがきちんと表現できるから、それが、洗練をされているように見えるのでしょう。英語の語彙は少ない(普段勉強をしていないし、どんどん忘れるので)ものの、ほめてもらえることとなります。

 だから、秋葉原で、ベテラン中のベテランの人が、私のPC技術について驚いた顔をするのを見るのも、非常に楽しいです。もちろんのこと、若い人にもびっくりしてもらえますよ。

 AOLのメルマガが送信できないことはしょっちゅうありますが、・・・・・しかも相手に届いていないこともしょっちゅうありますが、・・・・・100%の成功を求めない生き方を、悟ってからは、気にしないことといたしました。そして、技術的には、AOLのメルマガも送信可能にしてしまいます。どうしたら、それが可能かは、敵の手前、明かしませんが、パソコンの原理とか、構成システムを、考え抜くと可能になります。

 過去の三年間は、常に、攻撃に対しては、私のほうが上手だったので、『幼稚な発想の、頭脳レベルの低い敵どもめ』と怒りをもって、パソコン内に、メモに落としていました。もちろん、ハッキングを受けていることを承知で書いていたのです。一種の裏返しのラブレターというわけです。

 ところが、敵も相当向上いたしました。真剣にまともに、考えるようになってきました。最初は、『これが、あの強大なCIA(と、その配下の日本側組織)が、やることですか? 』というほど、幼稚だったのです。『東大を出ているでしょうにね。おかしいわね。発想が幼稚で』と、相手方の頭脳レベルの低さを笑っていましたが、私側と相手側が、ほとんど同じ、レベルとして、対峙し始めています。

 面倒くさい人生ですが、仕方がないのです。私の場合、手相も、生命線、頭脳線、感情線がすべて二本ずつあって、複数の仕事を同時並行してできると出ていますし、

 運命線というのも晩年に向かえば、三本もあります。しかも両手に。

 これは、小さい世界であって(つまり、大衆社会には有名とはなれなくても)、複数の仕事を同時にやっていくことを示していますので、まっとうな創作の方向と、一方で、この裏側の隠された任務も引き受けて、同時に、こなさなければならない、そういう人生なのさ・・・・・と、悟り始めているわけです。  では。今日はこれで。          2010年6月5日   雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳩山さんが、辞任を、なさったが・・・・・

2010-06-03 00:36:26 | Weblog
 鳩山さんが辞任をなさったのについて、私は何も言わないでおこうと決意していたのです。どうしてかというと、大勢の人が監視していたり、注目をしていたり、観察をしていたり、考えを述べていることについては、私は関与しないでよいと、思っているのです。

 ただし、それでも、一項目を起こしたのは、インターネットの世界のあまりにも、冷静なことに驚いたからです。いやね。冷静というよりも冷淡というべきか?

 私は6月1日の深夜、パソコンを閉じて、ほぼ、10時間あけなかったのです。で、2日の午前11時半にあけましたところ、鳩山さんの辞任でインターネットの世界が大騒ぎです。その後でテレビをつけて、新聞を読む。

 それから、また、パソコンを閉じて、8時間ぐらい、インターネットの世界へ接しなかったのです。すると、あれっと思うほど、ニュースがありません。続報がないのです。そのことをいぶかしく思うのです。一国の総理大臣が辞任をする。しかも任期の途中です。これって大変なことですよ。

 だけど、インターネットの世界では、一切、3日の早朝、(というか、二日の深夜)には、報道がない。芸能人に関するニュースと同列で、福田康夫元首相の辞任の時と同じく、発言の批判が、大きなタイトルとして、出ています。それで、気になってあけてみたところ、ある人のブログの紹介として鳩山さんの本日の発言の、揚げ足取りが、大きく、一項目として出ているのです。

 福田康夫・元・総理大臣のときは、記者に向かって、「私はあなた方とは違うんです」とおっしゃったことを、『切れた』という文脈で、嘲笑の対象としたのです。それは、大変何度も繰り返して報道をされました。今度は、「私は先見の明があるので、(大衆に理解をされないので)辞任をする」とおっしゃったらしいことが、批判の対象です。だけど、記者連中の総意というよりは、ある個人の発言として出ています。これは、やや、軽い批判であり、揚げ足取りです。
 ということは、民主党および、鳩山政権はもっともアメリカに通じていたという私の観察を裏付けます。アメリカが好んでいる、内閣が、鳩山内閣でした。

 ところで、発言をしないでおこうと思いながら、辞任のもっとも大きなきっかけは、福島瑞穂社民党党首の閣内離脱ですよね。これが、福島さん個人の意思かなあ?

 普通というか、まともに考えるなら、総理大臣と一閣僚では、重みが違います。だから、これは、大きく批判をされることでしょうが、あまりというか、ほとんど、メディアから、批判をされません。というのも、鳩山政権を辞職させたい、グループにとっては、これが、役立ったからです。そのグループが大マスコミを握っています。操作しています。だから、ことの一般的な意味での、軽重を問わず、そのグループの意向が、尊重をされます。

 私はそのインターネット(Livedoor のトップ頁にあったブログの紹介記事)の世界で、揚げ足取りがあったあたりに、大変、引っかかります。総理大臣と一国民では、言動の重みが違います。日本では、あまりにも総理大臣を軽く扱いすぎています。労苦に報いていません。
~~~~~~~~~~
 でもね、海外でも同じらしいです。アメリカでも同じです。オバマ大統領は、去年ノーベル賞をもらいました。だけど、辞任はありえます。特に任期途中の、辞任もありえます。

 どうしてかは、今はいえません。特にアメリカ内部のことを、一日本人である、私ごときが分析しては、いけませんでしょう。だけど、一国のトップが国民の総意で、決定して選ばれる、かつ、総意で、辞任にいたるとは限らないのです。

 むしろ、隠れたる大権力者の意向かな。グローバリズムを、喧伝される現在の世界の大権力者とは、だれか? それらが、秘匿をされていますが、私および、私以外の、一部の人々には、実は見えるのです。この一部の中に、日本人以外の人も含めましょう。ただし、どういう風に見えてるかは今は言いません。       2010年6月3日 早朝、              雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする