サッカーで日本が勝ったという気持ちのよい文章の後で、非常に後味の悪い例の女子高生コンクリート詰め殺人事件に戻って、申し訳ございませんが。
この事件がおきたときに、私は、朝日新聞と毎日新聞をたまたま二紙、取っていたのですが、事件の報道が、朝日はまるで、だめで、伏せてあるのです。もしかしたら、この舞台となった家庭のご夫婦が共産党員だったのではないかと、いう推定もなされるようになって、きます。そして、それを、かばったのかなあ?と思いました。もちろん、上品な朝日新聞にはとても、載せられませんよ。まるで、三流週刊誌の記事みたいですからという気持ちもあったと思いますが・・・・・
今、念のために、インターネットサーフィンをしてみたら、私が当時推定したことが堂々と、明らかにされていました。両親が労働運動で忙しくて、トイレ等で拉致された初期に一階に降りてきた少女を、助けられなかったそうです。という記事だけを見て、推定したことは当たっていました。それもあってか、朝日新聞には、この事件に関する報道がほとんどなかったです。
特に酸鼻極まりない事件の被害の、サディスティックな詳細は告げられませんでした。このときに、実名報道があったり、また、新聞社がしっかりと、追求すれば、その後で、頻発した、少年少女による、リンチ殺人事件は、ほとんどが、抑えられたと思います。
ところで、驚いたことに、現在は実名がインターネットの世界でも、報道されています。ただ、それを、追求するほど、彼らの実態には興味がなくて、ただ、心理学的にいろいろ、考えるだけですが・・・・・
事件は、無辜の少女をいたぶりぬいて、死に至らしめたということと、トイレの件で、その家の両親と出会っているのですから、その両親の責任は問われるべきで、もっともっと、詳細に報道されるべきでした。
あまりにも忌まわしいから報道をしないという姿勢が合ったとも思いますが、その後模倣犯が、多発したのですから、最初に厳しく、追及するべきでした。
当時、存在したフォーカスで、事件の現場の家の写真が載ったぐらいでしたね。もちろんその後、関係者はそれぞれ、引っ越したり、して、その現場の家、は、すでに取り壊されている模様です。
よく、受験のプレッシャー関係で、親が子供に殺される事件も続きましたし、いじめっ子がいじめられっこの反逆にあい、殺される事件も大阪で初発しました。が、この最初の『少女コンクリート詰め殺人事件』はあくまでも、いたずらの延長と言う発想で行われ、事前の、加害・被害の条件が一切ない間柄ですから、絶対に、社会問題として、大きく研究されなければならなかった問題です。
宮崎勉事件は、最大限に研究されたが、あれは、特殊な例で、模倣犯もそれほど、現れなかったのに、少年少女による、リンチ殺人事件は、その後、多発のきわみを見ました。
そして、この日本に住んでいる人々の精神を暗くしました。シーシェパードに攻め立てられるのも、この日本に住んでいる人々の精神を暗くしますが、この種の少年・少女リンチ事件の数々の内容に接するたびに、どんなに、心が暗くなり、
無責任という言葉と、そういう人間を生み出す組織の恐ろしさを、あらためて感じさせられるのでした。数はちからですが、私のように一人で生きている人間からみると、いやな役目をするものでしかないです。そしてそれらに利用されて、人間性を失った両親の家で、あの衝撃的な事件は起きたのでした。その場所を提供しなければ、ある意味で、事件は起きなかったのです。あらゆるサディスティックないたずらを思いついた主犯の両親の責任も重いけれど、事件現場となった家の両親の責任も、そして、彼らをそういう風に育てた組織も恐ろしいことでした。 2010年6月17日 雨宮 舜
この事件がおきたときに、私は、朝日新聞と毎日新聞をたまたま二紙、取っていたのですが、事件の報道が、朝日はまるで、だめで、伏せてあるのです。もしかしたら、この舞台となった家庭のご夫婦が共産党員だったのではないかと、いう推定もなされるようになって、きます。そして、それを、かばったのかなあ?と思いました。もちろん、上品な朝日新聞にはとても、載せられませんよ。まるで、三流週刊誌の記事みたいですからという気持ちもあったと思いますが・・・・・
今、念のために、インターネットサーフィンをしてみたら、私が当時推定したことが堂々と、明らかにされていました。両親が労働運動で忙しくて、トイレ等で拉致された初期に一階に降りてきた少女を、助けられなかったそうです。という記事だけを見て、推定したことは当たっていました。それもあってか、朝日新聞には、この事件に関する報道がほとんどなかったです。
特に酸鼻極まりない事件の被害の、サディスティックな詳細は告げられませんでした。このときに、実名報道があったり、また、新聞社がしっかりと、追求すれば、その後で、頻発した、少年少女による、リンチ殺人事件は、ほとんどが、抑えられたと思います。
ところで、驚いたことに、現在は実名がインターネットの世界でも、報道されています。ただ、それを、追求するほど、彼らの実態には興味がなくて、ただ、心理学的にいろいろ、考えるだけですが・・・・・
事件は、無辜の少女をいたぶりぬいて、死に至らしめたということと、トイレの件で、その家の両親と出会っているのですから、その両親の責任は問われるべきで、もっともっと、詳細に報道されるべきでした。
あまりにも忌まわしいから報道をしないという姿勢が合ったとも思いますが、その後模倣犯が、多発したのですから、最初に厳しく、追及するべきでした。
当時、存在したフォーカスで、事件の現場の家の写真が載ったぐらいでしたね。もちろんその後、関係者はそれぞれ、引っ越したり、して、その現場の家、は、すでに取り壊されている模様です。
よく、受験のプレッシャー関係で、親が子供に殺される事件も続きましたし、いじめっ子がいじめられっこの反逆にあい、殺される事件も大阪で初発しました。が、この最初の『少女コンクリート詰め殺人事件』はあくまでも、いたずらの延長と言う発想で行われ、事前の、加害・被害の条件が一切ない間柄ですから、絶対に、社会問題として、大きく研究されなければならなかった問題です。
宮崎勉事件は、最大限に研究されたが、あれは、特殊な例で、模倣犯もそれほど、現れなかったのに、少年少女による、リンチ殺人事件は、その後、多発のきわみを見ました。
そして、この日本に住んでいる人々の精神を暗くしました。シーシェパードに攻め立てられるのも、この日本に住んでいる人々の精神を暗くしますが、この種の少年・少女リンチ事件の数々の内容に接するたびに、どんなに、心が暗くなり、
無責任という言葉と、そういう人間を生み出す組織の恐ろしさを、あらためて感じさせられるのでした。数はちからですが、私のように一人で生きている人間からみると、いやな役目をするものでしかないです。そしてそれらに利用されて、人間性を失った両親の家で、あの衝撃的な事件は起きたのでした。その場所を提供しなければ、ある意味で、事件は起きなかったのです。あらゆるサディスティックないたずらを思いついた主犯の両親の責任も重いけれど、事件現場となった家の両親の責任も、そして、彼らをそういう風に育てた組織も恐ろしいことでした。 2010年6月17日 雨宮 舜