今週の私は室井佑月(さん?)と、三連発で出会って、びっくりしていて、そこから何らかの意味を感じているところです。といっても、直接会ったわけではなくて、メディアの世界でのことです。週刊朝日で、月曜日に出会って、火曜日には朝の主婦向けNHKのダイエットが話題の番組に、彼女がコメンテーターとして呼ばれていて、画面上で会いました。その後で、録画をしていた、オペラの番組(これも、NHK教育チャンネルですが)を見たら、コメンテーターとして彼女が出ていたので、今週の前半、三回も彼女を、しかも強烈に、意識させられたのです。
私は彼女を決して好きではないのです。ものすごくしたたかな感じがします。だけど、それゆえに、大物であると言えば、大物であり、一種の女流文化人として、のし上がっていき、将来は、今の瀬戸内寂聴さんが占めている位置を、占めるかもしれないと、今週(つまり、2010年の六月の第一週)に思いました。もちろん、そこにいたるまでには、もっと、何らかの苦労が必要かもしれません。でも、手元において、お子さんを育てていらっしゃるから、そこは強いです。
西原理恵子さんも、最近大当たりの人ですが、ちょっと、ニュアンスが違います。西原さんの方が、より純粋で繊細な感じがする。西原さんのほうは誰にでも受ける人ですが、室井佑月さんの方は、好む人と好まない人とに別れるでしょう。
ここで、男性の方、および、海外にいらっしゃる方のために、簡単に彼女について説明をしますと、作家と言うことですが、一方で高橋源一郎氏と、結婚をしていて、お子さんも出来たが、離婚をしていると言うことで、有名でした。今は、そんな付随するエピソードよりも彼女自身の、キャラクターと能力で、のし上がっている人です。のし上がっているとは、大変失礼な言い方ですが、女流作家として、文筆の分野よりも、テレビに出演することで、その存在感が強くなっている人ですから、そう言う雰囲気を、いわく、言いがたく、嫌うと言うか、評価しない私は、のし上がるなどと言う言葉を使ったわけです。
恒常的には、フジテレビの朝のニュースショーで、コメンテーターをしておられると思います。が、それは、もう見ない私ですが、今週の週刊朝日が、二日前に、私が取り上げた、上杉隆氏を、彼女も取り上げていて、その切り口が、なかなか素敵なのです。普段は週刊朝日そのものを読まない私ですが、さすがに菅新政権の発足について、各週刊誌がどう取り上げ、分析をしているかについては興味があり、立ち読みをしました。
すると、室井佑月さんの毎週連続しているコラムのタイトルが、『上杉隆がなんとか」です。びっくりしました。最初は、『う、メルマガで取り上げようと思っていた矢先に有名人に先を越された』と言う風に残念に思いましたが、読み進めるうちに、飲み友達だと言うことがわかりました。一緒に飲んだ時のエピソードですので、『そう言う仲か? それでは、しょうがないな。書くことの内容の潤沢さとして、こちらには、太刀打ちが出来ませんもの』と諦めたのです。
そして、読み進めながら、内心の一部で、『なるほど、マスコミセレブは、お互いに飲んだりして、交流を深めているはずだと思っていた、典型がここに現れている。後発の文化人(もしくはコメンテーターと言うかライター)として、ポジションが同じぐらいなのであろう。年齢もおなじぐらいなのかな? お互いにうまく、仲間を選び取っているなあ?』とも感じたのです。
でもね。一頁大のコラムをさらに丁寧に読み進むうちに、ちょっと、感動すべき表現があったのです。それは、上杉隆氏が、必ず車を使って、移動をしていて、せっかく二人で、飲むはずが、彼の方は、飲めないのだけれど、その理由について、室井佑月さんが、深遠なる推定をしているからです。そこに感性の鋭さを、初めて感じました。今までは鈍感なぐらいにしたたかな人だとしか思っていなかったのに、鋭いところもある人です。『上杉隆が、今、身の危険を感じているはずだ』と言う推定なのです。私から見れば、大丈夫でしょう。彼は、もっとも危険な組織からは、身を守られていますよ。鋭いといっても、もっとも、危険な方向で書いているわけではないから』と思えるのですが、でも、いろいろリスキーな事を、書くことからくる緊張感を、総身に漂わせているのでしょう。それを、察して、『そうだ。電車に乗ったら、ホームで突き落とされるかもしれないし』と、想像をたくましくしてあげる室井佑月さんは、よい友人です。上杉隆氏が、お酒を一緒に飲みたくなるほどの、よい友人と言えるでしょう。
私だったら、近しい友人の事は書かないでしょうが、そこがプロと言うか、室井佑月さんのたくましいところです。そして、上杉隆氏も、こう言う風に書いてもらった方が、自分にとって得でしょう。書くという行為に対して、どれほど、真剣であるかを、自分ではなくて、他人が、公に広めてくれるのは、最高の援助です。
この===既成の権力にはおもねらない方向性を持って、物事を書くと、危険である===ということは、実は、私でさえ、日々感じていることです。特に三年ぐらい前は、軍産共同体の悪意ある動きについて、まだ、ここまでの事を書いていなかったからこそ、余計に、狙われていたと感じます。徐々に徐々にですが、自分が実際に考えていることを、はっきりと、かつ思い切って書くようになって、それで、かえって安全になったかな? または、暗殺されても、ここまで言えているのだから、思い残す事はないと、覚悟を決めているからかな? むしろ、すっきりしているところです。
ただし、メルマガの方が、送信先のアドレスの、すべての人には、届いていないそうです。それを、相手と出会ったときに聞いていて、それゆえに、そう言う形で、ライターとしては、擬似的に、すでに、暗殺されていると言えば言えます。ブログの方だって、今グーグルが、検索記録と言う項目を私のブログタイトルへと、付随させていますが、その数値がまったく間違っています。もっと、順位はゼロが数個分、高いですが、非常に低いと宣伝をされています。
だから私自身、すべてにおいて、大変です。そう言う自分の事情から照らし合わせて、この回の、室井佑月さんのコラムには惚れました。
私がもし、ブログを書かなくなったり、メルマガを送信しなくなったら、その裏になんらかの事故===(身体的にであれ、パソコンなどの環境上のものであれ、友人に裏切られたなどの精神的なものであれ)===があったと、お考えくださいませ。それは、もちろん、国際的軍産共同体、もしくは、民主党の誰かさんに、やられたということと成ります。もしくは、彼らが金銭や名誉を与えて、飼っている存在に。(後注1)
さて、そんなに、みなさんを心配させる事を書いては、暗くなりますね。そう言う時期に、ある程度以上に能天気で図太い室井佑月さんの言動に接すると、あっけらかんとした、笑いまで誘われます。
それは、オペラ『アイーダ』に関する言動なのですが、そちらの詳細は、明日お知らせをさせてくださいませ。
(後注1)副島隆彦さんの本を読むと、世界を今、牛耳っているのは、ジェイソン・ロックフェラー氏のようです。ジェイソンは、私より、数歳年上のはずですが、大学院へ留学という形で、国際キリスト教大学へ留学しています。だから、一、二年は、同じキャンパスを歩いたはずなのです。ジェイソンも、『え、あの大学を出た人間が、そういうものを書き始めたのか?」と怒ったり不満を抱いているかもしれませんが、不思議なことに、英語ができて、アメリカが好きだと、こういう風に分析ができるようになってしまうのです。ニューヨークにいる元、日本人である、知識人も大体、非常に大胆です。
堤みかさんや、村上春樹さんもそうですが、政治評論をしている人たちもそうです。久米宏氏が、一時期、いろいろ、怖がっておられたそうですが、その態度やスタンスは、実際にアメリカで暮らしたひととは、まるで、違うのです。方向性もまるで違います。大橋巨泉さんもアメリカに家があるそうですが、でも、アメリカ人と直には付き合わなかったのでしょうね。ずいぶん私とか、堤さんとかとは、違います。
でも、上杉隆氏は、カリフォルニア大学で、ディベートとか、されたんでしょう。これから、どう変わっていくか、私は注目します。
明日はもっと、緩やかに、のんびりとアイーダについて、述べますのでご安心くださいませ。 2010年6月10日 雨宮 舜
私は彼女を決して好きではないのです。ものすごくしたたかな感じがします。だけど、それゆえに、大物であると言えば、大物であり、一種の女流文化人として、のし上がっていき、将来は、今の瀬戸内寂聴さんが占めている位置を、占めるかもしれないと、今週(つまり、2010年の六月の第一週)に思いました。もちろん、そこにいたるまでには、もっと、何らかの苦労が必要かもしれません。でも、手元において、お子さんを育てていらっしゃるから、そこは強いです。
西原理恵子さんも、最近大当たりの人ですが、ちょっと、ニュアンスが違います。西原さんの方が、より純粋で繊細な感じがする。西原さんのほうは誰にでも受ける人ですが、室井佑月さんの方は、好む人と好まない人とに別れるでしょう。
ここで、男性の方、および、海外にいらっしゃる方のために、簡単に彼女について説明をしますと、作家と言うことですが、一方で高橋源一郎氏と、結婚をしていて、お子さんも出来たが、離婚をしていると言うことで、有名でした。今は、そんな付随するエピソードよりも彼女自身の、キャラクターと能力で、のし上がっている人です。のし上がっているとは、大変失礼な言い方ですが、女流作家として、文筆の分野よりも、テレビに出演することで、その存在感が強くなっている人ですから、そう言う雰囲気を、いわく、言いがたく、嫌うと言うか、評価しない私は、のし上がるなどと言う言葉を使ったわけです。
恒常的には、フジテレビの朝のニュースショーで、コメンテーターをしておられると思います。が、それは、もう見ない私ですが、今週の週刊朝日が、二日前に、私が取り上げた、上杉隆氏を、彼女も取り上げていて、その切り口が、なかなか素敵なのです。普段は週刊朝日そのものを読まない私ですが、さすがに菅新政権の発足について、各週刊誌がどう取り上げ、分析をしているかについては興味があり、立ち読みをしました。
すると、室井佑月さんの毎週連続しているコラムのタイトルが、『上杉隆がなんとか」です。びっくりしました。最初は、『う、メルマガで取り上げようと思っていた矢先に有名人に先を越された』と言う風に残念に思いましたが、読み進めるうちに、飲み友達だと言うことがわかりました。一緒に飲んだ時のエピソードですので、『そう言う仲か? それでは、しょうがないな。書くことの内容の潤沢さとして、こちらには、太刀打ちが出来ませんもの』と諦めたのです。
そして、読み進めながら、内心の一部で、『なるほど、マスコミセレブは、お互いに飲んだりして、交流を深めているはずだと思っていた、典型がここに現れている。後発の文化人(もしくはコメンテーターと言うかライター)として、ポジションが同じぐらいなのであろう。年齢もおなじぐらいなのかな? お互いにうまく、仲間を選び取っているなあ?』とも感じたのです。
でもね。一頁大のコラムをさらに丁寧に読み進むうちに、ちょっと、感動すべき表現があったのです。それは、上杉隆氏が、必ず車を使って、移動をしていて、せっかく二人で、飲むはずが、彼の方は、飲めないのだけれど、その理由について、室井佑月さんが、深遠なる推定をしているからです。そこに感性の鋭さを、初めて感じました。今までは鈍感なぐらいにしたたかな人だとしか思っていなかったのに、鋭いところもある人です。『上杉隆が、今、身の危険を感じているはずだ』と言う推定なのです。私から見れば、大丈夫でしょう。彼は、もっとも危険な組織からは、身を守られていますよ。鋭いといっても、もっとも、危険な方向で書いているわけではないから』と思えるのですが、でも、いろいろリスキーな事を、書くことからくる緊張感を、総身に漂わせているのでしょう。それを、察して、『そうだ。電車に乗ったら、ホームで突き落とされるかもしれないし』と、想像をたくましくしてあげる室井佑月さんは、よい友人です。上杉隆氏が、お酒を一緒に飲みたくなるほどの、よい友人と言えるでしょう。
私だったら、近しい友人の事は書かないでしょうが、そこがプロと言うか、室井佑月さんのたくましいところです。そして、上杉隆氏も、こう言う風に書いてもらった方が、自分にとって得でしょう。書くという行為に対して、どれほど、真剣であるかを、自分ではなくて、他人が、公に広めてくれるのは、最高の援助です。
この===既成の権力にはおもねらない方向性を持って、物事を書くと、危険である===ということは、実は、私でさえ、日々感じていることです。特に三年ぐらい前は、軍産共同体の悪意ある動きについて、まだ、ここまでの事を書いていなかったからこそ、余計に、狙われていたと感じます。徐々に徐々にですが、自分が実際に考えていることを、はっきりと、かつ思い切って書くようになって、それで、かえって安全になったかな? または、暗殺されても、ここまで言えているのだから、思い残す事はないと、覚悟を決めているからかな? むしろ、すっきりしているところです。
ただし、メルマガの方が、送信先のアドレスの、すべての人には、届いていないそうです。それを、相手と出会ったときに聞いていて、それゆえに、そう言う形で、ライターとしては、擬似的に、すでに、暗殺されていると言えば言えます。ブログの方だって、今グーグルが、検索記録と言う項目を私のブログタイトルへと、付随させていますが、その数値がまったく間違っています。もっと、順位はゼロが数個分、高いですが、非常に低いと宣伝をされています。
だから私自身、すべてにおいて、大変です。そう言う自分の事情から照らし合わせて、この回の、室井佑月さんのコラムには惚れました。
私がもし、ブログを書かなくなったり、メルマガを送信しなくなったら、その裏になんらかの事故===(身体的にであれ、パソコンなどの環境上のものであれ、友人に裏切られたなどの精神的なものであれ)===があったと、お考えくださいませ。それは、もちろん、国際的軍産共同体、もしくは、民主党の誰かさんに、やられたということと成ります。もしくは、彼らが金銭や名誉を与えて、飼っている存在に。(後注1)
さて、そんなに、みなさんを心配させる事を書いては、暗くなりますね。そう言う時期に、ある程度以上に能天気で図太い室井佑月さんの言動に接すると、あっけらかんとした、笑いまで誘われます。
それは、オペラ『アイーダ』に関する言動なのですが、そちらの詳細は、明日お知らせをさせてくださいませ。
(後注1)副島隆彦さんの本を読むと、世界を今、牛耳っているのは、ジェイソン・ロックフェラー氏のようです。ジェイソンは、私より、数歳年上のはずですが、大学院へ留学という形で、国際キリスト教大学へ留学しています。だから、一、二年は、同じキャンパスを歩いたはずなのです。ジェイソンも、『え、あの大学を出た人間が、そういうものを書き始めたのか?」と怒ったり不満を抱いているかもしれませんが、不思議なことに、英語ができて、アメリカが好きだと、こういう風に分析ができるようになってしまうのです。ニューヨークにいる元、日本人である、知識人も大体、非常に大胆です。
堤みかさんや、村上春樹さんもそうですが、政治評論をしている人たちもそうです。久米宏氏が、一時期、いろいろ、怖がっておられたそうですが、その態度やスタンスは、実際にアメリカで暮らしたひととは、まるで、違うのです。方向性もまるで違います。大橋巨泉さんもアメリカに家があるそうですが、でも、アメリカ人と直には付き合わなかったのでしょうね。ずいぶん私とか、堤さんとかとは、違います。
でも、上杉隆氏は、カリフォルニア大学で、ディベートとか、されたんでしょう。これから、どう変わっていくか、私は注目します。
明日はもっと、緩やかに、のんびりとアイーダについて、述べますのでご安心くださいませ。 2010年6月10日 雨宮 舜