さて、せっかくご紹介したのに、夏木マリさんが、司会をするオペラの紹介番組は、昨日、11日の金曜日は面白くなかったですね。それは、蝶々夫人という存在に、出演者が三人とも、感情移入ができなかった模様で、それゆえに、盛り上がらなかったのです。
ただ、大評判のオペラだから、はずせなかったという感じでした。メトロポリタンオペラの、マダムバタフライが、NHKで、放映されたときに、案内役が、フレミングでしたが、彼女が、この役が難曲の連続で、ソプラノにとって、非常に難しい演目であると、いうことを、主役と一緒になって、視聴者に説明してくれましたが、
有名なアリア、『ある晴れた日に』が、美しくかつドラマチックなことも、このオペラを有名にしているのでしょう。同じ、NHKでロッシーニの『ランスへの旅』というのが放映されましたが、そちらなど、あまり上演をされない演目だそうです。
ひとつには、そちらは、フランス王の戴冠への祝祭が主な公演目的であったので、王族、家来、客人格・役としての出演歌手が多くて、14人ぐらいがほぼ、平等に重んじられるのだそうです。絢爛豪華なことは、豪華なのですが、お客さんは、集中ができにくいですね。それに比べると、つらいし、切ないが、蝶々夫人など、主役二人(ヒロインとその女中)に目をひきつけること、疑いなしです。
ただ、私としては、トスカよりは、見るに耐える、演目です。トスカは筋がつら過ぎる話です。しかも蝶々夫人よりはるかにリアリティがあります。だから、余計につらいです。
~~~~~~~~~~~
ところで、先週の『アイーダ』の回は、大変盛り上がりました。トークも勢いがあって、間髪を入れぬやり取りで、面白いこと、このシリーズの中では、随一でした。
よく、男女の関係で、化学変化が生まれるというでしょう。恋が生まれる瞬間をさします。それが、その回の出演者、女三人の間でも、生まれたのではないかと感じるほどでした。この番組は脚本はなくて、進行します。すべて、夏木マリさんが、頭の中で組み立てながら話題を進めるのですが、それでも、収録の前にお茶のみ程度の打ち合わせはあって、そこで、論客の間で、ヒロインへの肯定役と否定役程度の、役割分担はするのだと思います。その準備段階で、夏木マリさんは、今夜のお客とは、『馬が合うな』と感じたのでしょうね。
彼女自身が乗りに乗って、驚天動地の質問を最初に二人のゲストに向けたのです。「オペラを見たことあります」って。すると、ゲストが異口同音に「見たことありません」と答えたのです。山口もえさんという、天然ボケキャラを売りにしている若いタレントさんだと、それは頷けます。子供のときから忙しかったでしょう。しかも今はお母さんですって。なおさら忙しいでしょう・・・・「舞台へ、往復の時間を合わせて、6,7時間も束縛をされている余裕はないでしょうね」と感じます。
だけど、教養が命の作家である室井佑月さんが、「見たことない」と断言したのには、本当に驚いて、この時点では、例の、『臆面のない人だわ』と言う彼女に対する、嫌悪感は増幅されたのですよ。世代の違いといってもよいが、私(後注1)の周辺にいる人だったら、もし、海外で、10回名公演を見ていたとしても、「私は、まだ、その任ではありませんので・・・・・」と断るはずなのです。それが、「テレビでは見ていますけれど、」とか、東劇で、映画になったオペラを見ています」と言うような弁解ひとつなくて、しゃーしゃーと、「見ていません」ですから、それにも違和感を持ちました。
ところが、室井さんの発言は、番組が進むにつれて、本音の連続で生き生きとしていること限りがないのです。それには好感を抱きました。番組シリーズ中屈指の面白さに盛り上げたのは、彼女の素直な発言の鉄砲だまのような連続だったからです。
ただし、彼女の発言は、女性全般を代表するものではありません。お子さんがあるそうですが、どうも、ご自身では育てていないでしょう。ご自分の両親が都内に住んでいて、そこに24時間預けっぱなしにしていて、時間が空いたときだけ、お母さんとして接触すると言うような、バリキャリ向けスタイルで生きていらっしゃる模様です。
こうなると、かえって、子供に足を引っ張られません。ご自分の手で、育てている場合は、たとえ保育所を使っても、なんらかの労力が、心身ともに、求められるものなのです。
現在進行形で、それを、表現しているのが、西原理江子さんと、柳美里さんです。そして、思春期の難しさを明らかにしているのが、勝間和代さんと、田部井淳子さんです。母であるということと、仕事をする女性であるということは、両立しがたい時期が、ある。必ずあるはずなのです。
室井佑月さんにその子供があるゆえの、縛りとか、束縛とか、がないということは、一種の特権階級で、あることを証明しているので、そこが女性視聴者とか、一般の女性読者からの、好感度を、得られないポイントとなるのではないかと、感じるときがありましたし、今もあります。
それに思い出してみましょう。そもそも、そのお子さんの誕生にいたる結婚そのものも略奪婚だったのですよね。それは、相手の、高橋源一郎氏の性格やら生き様が50%反映していることだから、室井さんの罪だけではないけれど、でも、単純に言えば、女性の敵の一人です。俵万智さんとか、柳美里さんとは違う。
その点で、特殊極まりない、環境にあるので、そこが私なんか懸念の的で、男性に受けがよいから、これほど、もてはやされているのだ・・・・・だけど、将来何らかの形で、挫折とか、ネックが訪れるのではないかという風に捕らえていたのです。この日までは。
つまり、現代日本でも、メディアの現場で製作を担当している裏方は、ほとんどが男性で占められています。それらの男性陣にとって、動きが軽やかで、番組に花を添え、穴を開けないタレントは貴重です。彼女の方が、時間が自由に使える人だから、打ち合わせ等もお茶のみ、お酒入り、とうとう、自由に設定できる。その点で同じくテレビの世界に長くいて、誰とでも、おくめんなく付き合った瀬戸内寂聴さんの二代目を張れる立ち場に、進歩していく可能性のある人だ。とも感じました。
最先端の立場になると、書物から情報を得るわけでもないのです。人付き合いが大切です。会話による学び、と、切磋琢磨が、人を育てていきます。その条件に彼女は恵まれている。もちろん、二人の個性は相当に違います。室井さんの方がより健康で、ひなたっぽい、それゆえに、エロチック度はより少ない。だから、小説を書く作家として大成するのはどうかな? だけど評論家系のライターへと、進むのなら、現在の生活はぴったりです。世間全般に、重石がきく、文化人となっていく可能性は大きいです。
だけど、失礼ながら『若いうちが花なのよ。それで、終わりでしょう』と、今まで見ていた私が、今週の月曜日と、火曜日(録画をしておいた、オペラ『アイーダ』の啓蒙番組を見たとたん)に、ちょっとおいうか大いに、考えを変えたのでした。
ひとつには彼女の衣装選びのセンスに、参ったからです。形としては若者向けのTシャツが上半身です。ニット系のものは、小柄(たぶんですが、そうです。そして、)でむっちりした肉付きをかわいく見せます。そして、スカート部分は埴輪スタイルで、足はこれもニット系のタイツで、これまた、細からず太からずの足をきれいに見せます。いつもと、形としては同じです。
しかし、その日だけは、値段が高いことが見事に察せられる一そろいでした。質がよいということが、靴まで、スカートと、同じプリント模様の生地が使われていることでわかりました。知る人ぞ知る、わかる人だけにはわかる、高価さ。だけど、一見すると普段着。
オペラ紹介番組だから、一種の贅沢さが裏にあるわけです。その番組の目的やら、種子を見事に捕らえて、その方向にあわせているのです。一見すると、自分の普段の様式を失わず、かつ、番組に敬意を表した、衣装選びなのです。うまいし、頭がよいです。『あれ。彼女って、これからの、息が長いかもしれない。そして、女性、特に現代に生きる女性の、一種の指標となっていくのかな?』とは思いましたよ。憧れの対象としてもね。
ただ、平凡な立ち位置にいて、平凡な意識と才能の女性にとっては、一種の毒としての見本でもあるのですけれど。というのも誰にでも、まねすることができる立場ではない。ご本人の努力や才能・いかんもあるが、回りの人の引き立てやら、選択が大いに寄与している生活だと思われますし。・・・・・
(後注1)世代が違うので、あまりいうと、意地悪ばあさんとみなされるはずです。ただし、横浜の丘の上の公立小(私学進学率が長らく、全国一だったそうですが)をでて、横浜国立大学付属中学、御茶ノ水女子大付属高校、国際キリスト教大学を道を経た私には、知人の間のどこを見回しても、こういう発想で、こういう断言をする人はいないのです。常に客観性を伴って、自分を見る人が多いので、自分に対する評価は低いです。オペラを見たこともないのに、オペラの紹介番組に出て、しかもあっけらかんと、「見たことないです」と、断言するほど、ご自分への評価が高くて、自信に満ちた表現をする人はいないです。 2010年6月12日 雨宮 舜
ただ、大評判のオペラだから、はずせなかったという感じでした。メトロポリタンオペラの、マダムバタフライが、NHKで、放映されたときに、案内役が、フレミングでしたが、彼女が、この役が難曲の連続で、ソプラノにとって、非常に難しい演目であると、いうことを、主役と一緒になって、視聴者に説明してくれましたが、
有名なアリア、『ある晴れた日に』が、美しくかつドラマチックなことも、このオペラを有名にしているのでしょう。同じ、NHKでロッシーニの『ランスへの旅』というのが放映されましたが、そちらなど、あまり上演をされない演目だそうです。
ひとつには、そちらは、フランス王の戴冠への祝祭が主な公演目的であったので、王族、家来、客人格・役としての出演歌手が多くて、14人ぐらいがほぼ、平等に重んじられるのだそうです。絢爛豪華なことは、豪華なのですが、お客さんは、集中ができにくいですね。それに比べると、つらいし、切ないが、蝶々夫人など、主役二人(ヒロインとその女中)に目をひきつけること、疑いなしです。
ただ、私としては、トスカよりは、見るに耐える、演目です。トスカは筋がつら過ぎる話です。しかも蝶々夫人よりはるかにリアリティがあります。だから、余計につらいです。
~~~~~~~~~~~
ところで、先週の『アイーダ』の回は、大変盛り上がりました。トークも勢いがあって、間髪を入れぬやり取りで、面白いこと、このシリーズの中では、随一でした。
よく、男女の関係で、化学変化が生まれるというでしょう。恋が生まれる瞬間をさします。それが、その回の出演者、女三人の間でも、生まれたのではないかと感じるほどでした。この番組は脚本はなくて、進行します。すべて、夏木マリさんが、頭の中で組み立てながら話題を進めるのですが、それでも、収録の前にお茶のみ程度の打ち合わせはあって、そこで、論客の間で、ヒロインへの肯定役と否定役程度の、役割分担はするのだと思います。その準備段階で、夏木マリさんは、今夜のお客とは、『馬が合うな』と感じたのでしょうね。
彼女自身が乗りに乗って、驚天動地の質問を最初に二人のゲストに向けたのです。「オペラを見たことあります」って。すると、ゲストが異口同音に「見たことありません」と答えたのです。山口もえさんという、天然ボケキャラを売りにしている若いタレントさんだと、それは頷けます。子供のときから忙しかったでしょう。しかも今はお母さんですって。なおさら忙しいでしょう・・・・「舞台へ、往復の時間を合わせて、6,7時間も束縛をされている余裕はないでしょうね」と感じます。
だけど、教養が命の作家である室井佑月さんが、「見たことない」と断言したのには、本当に驚いて、この時点では、例の、『臆面のない人だわ』と言う彼女に対する、嫌悪感は増幅されたのですよ。世代の違いといってもよいが、私(後注1)の周辺にいる人だったら、もし、海外で、10回名公演を見ていたとしても、「私は、まだ、その任ではありませんので・・・・・」と断るはずなのです。それが、「テレビでは見ていますけれど、」とか、東劇で、映画になったオペラを見ています」と言うような弁解ひとつなくて、しゃーしゃーと、「見ていません」ですから、それにも違和感を持ちました。
ところが、室井さんの発言は、番組が進むにつれて、本音の連続で生き生きとしていること限りがないのです。それには好感を抱きました。番組シリーズ中屈指の面白さに盛り上げたのは、彼女の素直な発言の鉄砲だまのような連続だったからです。
ただし、彼女の発言は、女性全般を代表するものではありません。お子さんがあるそうですが、どうも、ご自身では育てていないでしょう。ご自分の両親が都内に住んでいて、そこに24時間預けっぱなしにしていて、時間が空いたときだけ、お母さんとして接触すると言うような、バリキャリ向けスタイルで生きていらっしゃる模様です。
こうなると、かえって、子供に足を引っ張られません。ご自分の手で、育てている場合は、たとえ保育所を使っても、なんらかの労力が、心身ともに、求められるものなのです。
現在進行形で、それを、表現しているのが、西原理江子さんと、柳美里さんです。そして、思春期の難しさを明らかにしているのが、勝間和代さんと、田部井淳子さんです。母であるということと、仕事をする女性であるということは、両立しがたい時期が、ある。必ずあるはずなのです。
室井佑月さんにその子供があるゆえの、縛りとか、束縛とか、がないということは、一種の特権階級で、あることを証明しているので、そこが女性視聴者とか、一般の女性読者からの、好感度を、得られないポイントとなるのではないかと、感じるときがありましたし、今もあります。
それに思い出してみましょう。そもそも、そのお子さんの誕生にいたる結婚そのものも略奪婚だったのですよね。それは、相手の、高橋源一郎氏の性格やら生き様が50%反映していることだから、室井さんの罪だけではないけれど、でも、単純に言えば、女性の敵の一人です。俵万智さんとか、柳美里さんとは違う。
その点で、特殊極まりない、環境にあるので、そこが私なんか懸念の的で、男性に受けがよいから、これほど、もてはやされているのだ・・・・・だけど、将来何らかの形で、挫折とか、ネックが訪れるのではないかという風に捕らえていたのです。この日までは。
つまり、現代日本でも、メディアの現場で製作を担当している裏方は、ほとんどが男性で占められています。それらの男性陣にとって、動きが軽やかで、番組に花を添え、穴を開けないタレントは貴重です。彼女の方が、時間が自由に使える人だから、打ち合わせ等もお茶のみ、お酒入り、とうとう、自由に設定できる。その点で同じくテレビの世界に長くいて、誰とでも、おくめんなく付き合った瀬戸内寂聴さんの二代目を張れる立ち場に、進歩していく可能性のある人だ。とも感じました。
最先端の立場になると、書物から情報を得るわけでもないのです。人付き合いが大切です。会話による学び、と、切磋琢磨が、人を育てていきます。その条件に彼女は恵まれている。もちろん、二人の個性は相当に違います。室井さんの方がより健康で、ひなたっぽい、それゆえに、エロチック度はより少ない。だから、小説を書く作家として大成するのはどうかな? だけど評論家系のライターへと、進むのなら、現在の生活はぴったりです。世間全般に、重石がきく、文化人となっていく可能性は大きいです。
だけど、失礼ながら『若いうちが花なのよ。それで、終わりでしょう』と、今まで見ていた私が、今週の月曜日と、火曜日(録画をしておいた、オペラ『アイーダ』の啓蒙番組を見たとたん)に、ちょっとおいうか大いに、考えを変えたのでした。
ひとつには彼女の衣装選びのセンスに、参ったからです。形としては若者向けのTシャツが上半身です。ニット系のものは、小柄(たぶんですが、そうです。そして、)でむっちりした肉付きをかわいく見せます。そして、スカート部分は埴輪スタイルで、足はこれもニット系のタイツで、これまた、細からず太からずの足をきれいに見せます。いつもと、形としては同じです。
しかし、その日だけは、値段が高いことが見事に察せられる一そろいでした。質がよいということが、靴まで、スカートと、同じプリント模様の生地が使われていることでわかりました。知る人ぞ知る、わかる人だけにはわかる、高価さ。だけど、一見すると普段着。
オペラ紹介番組だから、一種の贅沢さが裏にあるわけです。その番組の目的やら、種子を見事に捕らえて、その方向にあわせているのです。一見すると、自分の普段の様式を失わず、かつ、番組に敬意を表した、衣装選びなのです。うまいし、頭がよいです。『あれ。彼女って、これからの、息が長いかもしれない。そして、女性、特に現代に生きる女性の、一種の指標となっていくのかな?』とは思いましたよ。憧れの対象としてもね。
ただ、平凡な立ち位置にいて、平凡な意識と才能の女性にとっては、一種の毒としての見本でもあるのですけれど。というのも誰にでも、まねすることができる立場ではない。ご本人の努力や才能・いかんもあるが、回りの人の引き立てやら、選択が大いに寄与している生活だと思われますし。・・・・・
(後注1)世代が違うので、あまりいうと、意地悪ばあさんとみなされるはずです。ただし、横浜の丘の上の公立小(私学進学率が長らく、全国一だったそうですが)をでて、横浜国立大学付属中学、御茶ノ水女子大付属高校、国際キリスト教大学を道を経た私には、知人の間のどこを見回しても、こういう発想で、こういう断言をする人はいないのです。常に客観性を伴って、自分を見る人が多いので、自分に対する評価は低いです。オペラを見たこともないのに、オペラの紹介番組に出て、しかもあっけらかんと、「見たことないです」と、断言するほど、ご自分への評価が高くて、自信に満ちた表現をする人はいないです。 2010年6月12日 雨宮 舜