銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

例の、女子高生殺人事件の主犯の、悲しみに思い至れば

2010-06-19 00:32:12 | Weblog
 岡田ジャパンは、オランダ戦を控えています。中村俊輔がどこで使われるか、使われないのかの論議がかまびすしいです。また、ゴールキーパーは誰が勤めるのか?
 こういう華やかなクルーの中でも競争があり、対敵にもストレスはあるが、内部にもストレスが充満しているでしょう。でも、それは、選ばれた者の恍惚と不安という類のもので、乗り越えやすいし、乗り越えるべきであり、みんなきちんと処理できるはずです。なにしろ、サッカーという特殊な才能を生かしきっての今があるわけで、親も子も、ここまで来ることができた人生をうれしく思い、天に感謝しているはずです。

 しかし、世の中には、少年・少女時代にすでに、闇にうずもれてしまった子供もいるのです。例の女子高生の悲しみを思えば、もちろんのこと、胸がふさがります。しかし、想像を深かめていくと、主犯の少年の悲しみこそ、救いがたいものがあります。

 そして、年月がたち、彼は大人になっています。どういう風に成長をしたかしら。ここで、それをいってしまうとマスコミがそれをかぎつけるからいいたくなかったのですが、すでに出所している可能性があります。彼は、まともな大人へと成長をしているでしょうか。従犯の少年は、また、犯罪を起こしていると出ていました。
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 さて、その主犯の少年の悲しみとは、親の愛を信じられなかったことに主な原因がありますが、具体的にはどういう風に進行をしたかを推定してみましょう。

 その少年の生まれた年度から、考えると、社会に強い競争意識が蔓延していたので、主婦としてのお母さんは、ピアノ教師であることを、何よりも優先していたと思われます。ピアノ教師であるという肩書きは、普通の立場よりも優れているからです。

 ここで、どうして、お母さんが、自宅で教えなかったのかは不思議です。結構掃除ができないタイプだったりして。それで、自宅へ人を招くのがいやだったのかな?・・・などと推定します。

 妹のほうはおとなしくレッスン中にも遊びながら待っているタイプだったのでしょう。で、つれて歩いていたみたいですが、男の子の方は、待っていることに耐えられなくて、最初に騒いだりぐずったりしたと思われます。で、家においていかれて、結果として、相当なレベルでの、放任となりました。ご近所様の証言として、放課後、鍵がないときがあって、窓の下でしゃがんで待っていたと、あります。それは当時の毎日新聞にも出ていました。

 今インターネットの世界では、父親が妹を偏愛したので、それに傷ついていたとも出ています。これはフロイトも言っているようにありがちなことです。でも、普通の場合は、母のほうは男の子が好きですので、バランスが取れるのですが、このお母さんはきついタイプで、ぽんぽん命令をしたりすることが多かったと仮定すれば、それが、愛情不足として少年の方には受け止められていた可能性はあります。
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 この少年は東京の区部に住んでいますので、小学校内で、中学受験が多かったと仮定をします。20%以上の子がそれに取り組むと仮定をすると、お母さんがピアノ教師であり、お父さんが一流企業の社員なら、必ず受験をするはずです。二親とも四年制の一流大学を出ている可能性はありますし。

 で、親のほうは結構安易に考えます。自分たちが通ってきた道だから、子供も成功して当然だと考えます。ところが、この主犯の少年が、12歳ごろは、子供の数が多い上に、中学受験をする子供の割合が増えていたので、競争が厳しさを増していたのです。

 しかも小学校時代によい成績を上げるためには、『親に愛されている』という、気持ちと、『親が悲しんだら大変だ。親はあんなに働いているのに』という気持ちの両方がないと、エネルギーが沸きません。この少年には、その両方が欠けていて、それで、失敗をしたと仮定をして見ましょう。クラスメートとのバランスから、相当に深く傷ついたと思われます。ところが、外見はそれ以前と変わりません。まだあどけないです。だから、親は安心して、ひどい言葉や態度を示してしまいます。特に父親が、「二流の私立中学ならいかなくてよい。どうせ、大学でお金がかかりそうだ」といったと仮定をして見ましょう。子供は恥じ入っていますので、反発をしませんが、深く親を恨んでしまいます。

 となると、戦前の家庭やら、日本の長い歴史の中で培われてきた、親に大切にされている環境の中で、親の労働過剰をかわいそうに思う精神が、まったく失われます。電化製品の普及ほかで、家事労働が楽になっています。そして、父親は会社という目に見えない組織で働いているので、子供の心には何も訴えてきません。感動がないので心の交流がとぎれます。その日々の中で、昔なら育ったであろう、やさしさや美を尊ぶ心が失われていきます。勇気や前向きの精神といったものも失われていきます。

 高校受験の時だって、中学受験のときと同じですから、がんばる前向きの精神がないので、親の卒業大学から考えると、信じられないほどの、低いレベルの高校へ進学するということになり、『ここで、挽回できなかったあいつは、徹頭徹尾、だめなやつだ』と言うぐらいのことは、父親から言われた可能性があります。

 本人も高校生活に理想が見出されないので、中退してしまいます。でも、本来なら、能力が高いはずですから、それが、リーダーシップとなって、現れていたのですが、思いつくことがことごとく、悪意に満ちたものでした。
 それは、その少年が、深い絶望の中にいたことを示しています。将来が見えませんし、今現在もやることがないのです。それゆえに、根源的なものである、セックスに浸り、それを、刺激することだけを追及することとなったのでした。その世界では人間は誰もが平等ですからね。そこに逃げたのです。彼にとってはそこが、自尊心が傷つかないですむ世界だったのです。

 でもね、事件現場の家が、食料を提供しなかったり、それらの少年たちの親に、「実は我が家に、お宅の子供たちが、入り浸って、困っています」という電話連絡でもしたら、この事件はその発生が防げました。または、主犯の両親が、「うちの子は今、どこで、何をしているのだろう」というやさしい思いやりを発していたら、この舞台の家に迷惑をかけていることを知り、恥ずかしく思って、引き取るはずです。

 だけど、実際には、「帰ってこないけれど、便りのないのはよい便りだ。あいつは失敗した人生を送っているが、町工場でも何でも、働いて収入を得て生きていってくれればそれでよい」と見放して考えていたのでしょう。

 少年は中退のあとで、いったん町工場に勤めたのですが、それも事件当時は、辞めていた模様です。でも、その事実は、両親には伝わっていなかったと思われます。生活費を両親の所へもらいに行くことができるような関係でも、すでに、なくなっていたのでしょう。

 この主犯の両親は、数千万円かな、当時のお金としては相当に高額なものを、被害者側に賠償金として、支払ったはずです。しかし、後の祭りです。それ以前に、主犯が16歳から、19歳ごろに、毎月の生活費を援助するなり、してあげる心構えがあったら、それは数百万円ですむことであり、しかも、少女は殺されることはなかったのでした。

 なんとも無残なことですが、根は頭のよいだろう(というのは、次から次へと悪さの限りを思いついたわけですから)少年を絶望させた、物心ついた後の16.7年間の日常の、小さな欠損の積み重ねが、悪い爆発を生起させたのです。

 親になるということは、ものすごい覚悟のいることですが、それを、教えてあげる場所も人もいなくなっていたのでしょう。それは、今も続く、大問題ですよね。幼い子を虐待する両親の話は数多く伝えられてきています。

まあ、CREAの中で、室井佑月さんと、千秋さんが、母親としての心構えの大切さをママともづきあいという一部分に限ってですが、語っているようになっただけでも、あの事件当時よりは進歩かなあ? 主犯の少年の母親は、ご近所様の間では、ママともづきあいをしていなかった模様です。

つまり、彼女は、枠の中でしか、生きられなかった不器用な人間である可能性はあります。ピアノの先生と、生徒の母親では、上下関係があります。それは、楽な人間関係のひとつです。普通に、ママともと付き合うほうが、難しいし、親の方に、我慢が要ります。
何か、一芸に秀でるためには、集中力が必要で、それを獲得する過程で、落としてきたものもあったでしょう。音楽(または各種の仕事力)の能力と、子そだての知恵は連動をしません。
特にご近所で、ママともを作ると、過去の生活の違い等から生まれる価値観の違い等もあって大変ですが、それが、一番よいことで、普通なのです。
                 では、2010年6月18日   雨宮 舜
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