銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

『貧乏人は麦を食え』・・・・・日本のマスメディア1

2009-02-13 17:52:34 | Weblog
 この文章群も随分中国と離れて行っております。しかし、出発は、中国の日本、および日本社会へのバッシングの象徴たる(しかし、意外な逆効果ももたらした)映画『靖国』にありますので、バッシング、のこと、特にマスコミとの関連を、これから、述べて行きたいと思っております。

 『歴代総理へのバッシングは日本社会へ何をもたらしたか?』を問いたいからです。特に最近ですが、『あらたにす』というウエブサイトが、立ち上がりました。私はこれを、大変心配している存在です。これは、もしかすると、あらたな、大政翼賛会への、動きに繋がるのではないかと考えているほどです。しかし、この件は大きすぎるので、後回しにして、まず、池田勇人首相の失言癖を取り上げましょう。

 特に、『貧乏人は麦を食え』と言う池田勇人首相の発言が、マスコミが日本の総理大臣を揶揄するきっかけを与えたと思うからです。

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 それでね。また、また、珍しく予習を致しました。Wikipedia に拠ると、この発言の原型は、こういう言葉ではなかったということがわかります。新聞社の見出しだったということが判ります。しかも首相時代ではなくて、その10年ほど前、第三次吉田内閣の大蔵大臣に抜擢をされた新人時代の、予算委員会での発言となっています。

 議事録の正確な再現では、野党の質問に対して、それなりの礼節を尽くした言葉でありますし、戦後五年目のことですから、「収入の少ない人は、麦が多く入っているご飯を食べなさい」と言うのは、考えてみると極く当たり前の表現の様でもあります。でも、その頃のマスコミの主流派は、民主主義路線を突っ走った時代で、貧乏人が大切な時代でした。

 以前にも申し上げましたが、四民平等の実践、カースト制度(実際には華族制度の廃止)、農地解放(大小の地主制度の廃止)などで、上流と、中流階級が消滅した時代なのです。

 そこを、かいくぐってうまく生き延びた人たちが、成金と、こちらも、揶揄と嫉妬を交えて、世間の中では、呼ばれた時代です。

 池田首相は、その二年後の1952年に、通産大臣として、もう一回失言をしています。そちらも原型は、丁寧な発言でしたが、マスコミの表現は大げさで、「中小企業の5人や10人が自殺をしても構わない」ということになっております。

 一回目はともかくとして、この二回目は、失言と呼ばれるに値しますので、これが辞任に繋がります。しかし、秘書官、宮沢喜一氏(この人も首相になった)によると、「池田勇人氏は、辞任後、非常にさばさばした様子だった」とあります。そして、これに懲りて、首相になったら、料亭とゴルフには行かないと宣言をして、それを、実行したそうです。つまり、金持ち階級の象徴たる、料亭と、ゴルフは、自分は総理大臣になったからには、近寄らない』と、その意味をちゃんと判っていた人ではあります。

 それゆえに、池田派は、一時期大きな派閥でした。そして、旧大蔵省の銘版は池田勇人氏の筆によるものだそうです。

 また、この人は後妻の満子夫人が、賢妻であり、よく夫を支えて、大衆社会との接点を構成していたでしょう。

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 しかし、私が本当に不思議なことは、今のマスコミ、または、マスメディアの論調が全く異なってきていることなのです。

 つい、この間、09-2-7にもウエブサイト上で、以下のニュースが流されました。
一部、 そのままに、コピーアンドペースト(ただし、出典はニフティのMoneyzine)を、させて頂きますと,

・・・・・純金融資産の全体の2割は国民の上位2%(90.3万世帯)が保有しているのだ。この2%は純金融資産1億円以上を持つ人々で、マーケットでは「富裕層」と呼ばれている。
・・・・・
 
 このような記事が誰でも眼を通せるウエブサイト上に堂々と登場する時代へと、今の日本は変化しているのです。そして、テレビ番組自体もつい、一年前には、セレブと呼ばれるリッチ層に関する番組が多かったのです。今回の文章の冒頭タイトルにもなっている、「貧乏人は麦をくえ」といった見出しが、どれほど、庶民を煽り立てたかと言う時代と、隔世の感があります。

 そして、繰り返しとなりますが、池田勇人首相は首相時代には失言は無いのです。しかも高度成長経済政策・・・・・(所得倍増計画)・・・・・を採り、それが、6年後実現をします。

 それは、貧乏のどん底におちた日本と言う国を、再生する役には、立ったでしょう。私はことの本質を大切にしたいと思っています。日本国の総理大臣とは、日本と言う国と日本の国民を守らなければなりません。そういう意味で結構重要な総理大臣だった池田勇人氏が、ただ、単に、「貧乏人は麦を食え」といった宰相として喧伝をされた、時期が確かにあったと記憶をしており、それが、この怒涛のごとき現在の、*首相をからかうムード*を強めたと思っている次第です。

 ところで「もはや、戦後ではない」と言うキャッチコピーは、何時、生まれたのでしょうか?

  2009年2月13日   川崎 千恵子 (雨宮 舜)
コメント
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