銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

村上春樹(文学)と、村上隆(美術)の共通点と違い

2009-02-23 23:51:02 | Weblog
以下の文章は、日本時間の23日の朝書いたのです。しかし、お昼に「おくりびと」と短編アニメが、受賞と言う話です。そういう祝賀ムードの日には合わないお話となりました。読むのを抜かしてくださっても、仕方がないでしょう。私はそれを、静かに受け止めましょう。

 最近、村上春樹氏が、イスラエル賞の授賞式でなさったスピーチの内容が、世界中で話題になった模様です。それが、英語で発言をされたために、判り易かったからでしょう。

 と言っても、テレビの映像、および、インターネットの世界で、回った英語の文章(池田信夫ブログ)の両方を私なりにチェックしても、暗喩で表現をされています。イスラエルのガザ攻撃を、批判していると、すべての人々は取ったのでしょうが、原文は、戦争や、それをもたらす政治をシステムと言う言葉で先ず表し、それをさらに再表現をして、壁と仰っています。そして、その戦争に巻き込まれ、被害を蒙る普通の庶民を卵として、「壁にぶつかれば、卵はつぶれる」と表現し、「その卵の側に自分は立つ」と、表明しておられるのです。

 私は無名の小物です。しかし、表現者として、最近、不自由な事が続いており、それは、<<<政治に関する文章を書く事も原因であろう>>>と、考えているので、結果として、芸術や、心理学のフィルターを通して、それを、描くという用心を重ねております。戦争に関しても絶対にストレートにはそれに触れないと、しているし、ましてや核兵器に対してはなおさらのこと、触れないと決めております。

 しかし、先日来触れている、村上隆氏は、ニューヨークでの個展のタイトルを、『リトル・ボーイ』としたし、今回、村上春樹氏は、暗喩ながら、自分は「ガザ侵攻には、反対だ」と仰ったわけです。

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 この二つの現象から、私はさまざまな枝葉に発展して物を考えます。

先ず、一番大切な結論から言ってしまいましょう。普段と全く反対ですが、それを、言ってしまいます。それは、<<<芸術家と言うのは、気づく人だ>>>ということです。この二人が、両方とも・・・・・その世界の成功者であり、守護されているから、安心して発言が出来た・・・・・という側面もあるでしょう。しかし、この二つの表現は、心の奥底までを、のぞかないと、そして、相当な覚悟を決めないと、外に出せないものでしょうに、それでも、発言が行われたということは、彼らが、どうしても、気がついてしまう人だということを示しています。

これは、私自身長らくメルマガを経営していて、痛感していることですが、アーチストからのご返事メールは、文章が面白いのです。個人的なメールを書いて下さっているのでも、面白いのです。絵や版画を制作する人は、言葉を使った領域でも、表現者としてとても、優れている、と、私は確信しています。しかし、日本では専門分野主義であり、その発言力が低くみなされております。

絵や版画を制作するためには、テーマの取得の折には、(それが数十年前のことでも)一瞬にして、全体像と細部を、同時に把握しなければならないので、相当な洞察力を持っているのです。

村上隆さんの方はそれで、よし。――――――――――ただし、村上春樹さんのスピーチがこれほど、話題を呼んだのは、彼が、そのアーチスト的な瞬間的な根源の、把握へ(もっとも、前衛たる作品は、論議を呼び起こさなければ成らない)近づいたと、考えているほどです。

 上の発言は、もちろん、文章筋の人からは、たたかれるでしょう。それに、私は美術の方面からも、得体の知れない人として、警戒をされています。しかし、それらの事を乗り越えて、「真実はこうです」と、主張をしたくなっています。

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 その次のポイントはだいぶ下世話な領域へ落ちます。普段なら、こちらを、先に持ってくるのですが、・・・・・

 それは、不思議なことですが、村上隆氏の、ニューヨークの個展では、そのタイトルが、この村上春樹氏のスピーチほど、話題にならなかった、と言うことなのです。それが、どうしてなのかを、これから、考察していきたいと思います。

 『リトル・ボーイ』と言うのは、日本に投下された原爆の愛称です。それが戦後60年経っていて、忘れている人が多いから、それで、問題にならなかったということなのでしょうか?

 私はアメリカに対して、深い関心を昔から持っている人間で、ニュースは丁寧にチェックしている方ですが、アメリカ滞在中に感じた、<<<特殊な懸念>>>については忘れる事ができません。
『アメリカと言う国は、日本には、気を許していないのだ』と、感じる現象が多かったのです。まず、<<<ポケモンを「戦略的に、アメリカの子どもを支配する道具だ」と、規定する発想で、そのアニメ映画を見ると、害悪を受ける子どもが多い>>>というニュースが、アメリカ中を席捲しました。今は、その論調は消えています。

そして、<<<愛媛丸事件等が起こって、「リメンバー・パールハーバー」の大合唱が起こったり、結果として映画が、作られたり>>>、<<<基礎医学の研究に従事していた学究がご自分の実験材料を、帰国時に持ち帰ろうとして、機密保持のために、拘束をされた>>>事件などが起こりました。
 
 その種の現象を、実際に見聞きした身としては、緊張を持って、身構えて、アメリカを眺めないと、いられません。それなのに、ニューヨークで、「リトル・ボーイ」と言う総タイトルで、村上隆さんが、個展を開くことが出来る、そのことの不思議さ・・・・・

 そして、それが世間的なニュースとしては、あまり話題にならなかったことの、不思議さ。そして、今回の村上春樹氏の、スピーチの方は速やかに世界中を駆けめぐったことへの、違いの原因を探りたいと思う思い・・・・・

 私は今、この二つの現象に関して、熟考を重ねております。まだ、解析中であり、しかも、ブログで、発表できるかどうかを、危ぶむ分野です。ただ、問題定義として、ここに、ぽんと投げ出すことをお許しくださいませ。

              09-2-23     雨宮舜(川崎 千恵子)
コメント
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