銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

永田町―09-2-23

2009-02-26 12:04:19 | Weblog
 今日は、このブログで主に書きたいと目指している外国での観察ではなくて、日本の東京のしかも一種のへそである永田町での観察をお送りさせていただきたいと思います。

 しかも、いつもの会話体ではなくて、小説みたいな突き放した文体で書きたいのです。どうしてかと言うと、一人の国民としての、私の深層に訴えかけてくるものがあったからです。それを会話体で、あなたに話しかけるのは、さらけ出し型で知るひとぞ知る私でも、恥ずかしいなあと感じますから。

 ところで、この文体と、それから、主人公を別名として、まるで他者であるみたいに書くのは、本を作るときには、よく使っている手法です。本と言うのは、経済的に作り上げるためには、頁数が、16または、32の倍数でつくりあげたほうがよく、そのために、字数を制限しなければならず、こういう文体になります。では、どうか、よろしく。
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 百合子は、横須賀線の車中にいるときから、どうやって、すばやく、永田町の国会図書館に行き、そして次の目的地の銀座へ、これも、すばやく出られるかを考え抜いていた。最近外出が自由に出来ない事情ができて、そのため、時間は貴重そのものだった。去年の秋に出した五冊目の本の納入が、まだ、できていなかったぐらいなのだ。郵便で送ってもよいのだけれど、自分の本を子供のごとく、いとおしく思う気持ちが、『直接納本にいきたい』と、強く、自らに願わせていた。

 『新橋で銀座線に乗り換えて、丸の内線で引き返す。これが、一番早いでしょう』と結論を出す。しかし、丸の内線に乗り換えた後で愕然とした。銀座線で、溜池山王駅で降りると、国会議事堂前駅と、連動しているのだ。『うううん』とひとまずうなる。が、『まあ、いい。まあ、いい』と自らを納得させる。

 しかし、国会議事堂駅構内の掲示板は注意深く見た。おのぼりさんみたいなので、普通はこういうことを遣らない。でも、帰途、最も効率的に動けるのは、どういう道だろうと考え抜くために必要だった。出口も、どれを選んだら、最も効率的であろうかと考え抜く。

 で、1番を選んで出ると、48年前樺美智子さんが、亡くなった日に、そこへ、出た出口だった。しかし、今は拡幅をされており、エスカレーターがついている。ただ、のぼりだけで、くだりは無い。今日は銀座の画廊めぐりをするから、すべてを合計すると、一千段近い階段を上り下りするのだ。帰りはここを使うと、きついなあと思いながら、でも、一方で、『地下鉄サリン事件が起こったときに、この階段は、既に拡幅をされていたのだろうか』などとも、想像をしてみる。

 樺さんが亡くなった日は、百合子は高校生で、丸の内線を利用する友人たちと、ただの見物に行っただけだった。だけど、今では<<<クリントン国務長官が来日して、日米安保の、何とか、を、首相との会談の中で、条項確認だけで、済ませた>>>という記事を見る。すさまじい懸隔だ。国民は、あの時代との差に気がついているのだろうか?

 そして、あの大騒ぎの中に存在しながら、今でも現代アートの世界他で、大活躍をしている秋山祐徳太子氏と、それ以外の、散ってしまった人々の差を考えたりする。そして、百合子は、自分がこれから、とるべき道についても、考察を重ねてみる。

 何を取捨選択すべきかは、重い課題である。絵や版画に専念すべきか、文章を書いていく方向で生きていくのか、それも、どういうテーマを選んでいくのか?

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 既に午前中の、豪雨に近い雨は終わっているが、霧雨風に残っている湿度があって、首相官邸が、煙っている。

 『ああ、繊細だなあ。弱々しいなあ』と思う。この裏手に、翻訳の仕事を貰う機関があって、昔よく傍を通った。あの、官邸の懐かしい赤レンガは、いまだ、公邸の方に残ってはいるが。・・・・・『まさかねえ。日本国の首相の権限を小さくするために、こんなに、繊細で、弱々しい建物を選んだわけでもないでしょうにねえ』などと、小さく内心で、つぶやいてみる。でも、議員会館を、『以前より大きいな』と感じるほど、首相官邸は、こぶりではある。

 比較して、国会議事堂そのものは、裏側にせよ、堂々としている。1919年に設計が選ばれて、実際に完成したのは、1936年だとデータにはある。

 ・・・・・この建物に入るために、そして、そこで、権力を振るうために、さまざまな人々の抗争があるのだ。自分はそういうところには一切関係がないけれど。数百メートルにわたる道を、百合子は淡々として歩いていく。

 すると、前方から、拡声器の音が聞こえた。『あれ、右翼の街宣車がいるのかしら? 何を抗議しているの』と、興味を引かれる。が、近づいてみると、赤旗がひらめいている。そして「ガンバロー」のシュプレっヒコールも聞こえた。

 『う、左翼だ。何を抗議しているのだろう?』と不思議に思う。ハンセン病の、患者さんと、その支援者が、官邸前に座り込んだという映像を見て以来、この永田町で、赤旗を、翻している人がいるなどと、テレビで放映されているのは、見た事が無い。

 70メートルぐらいの近さになった時に、どうも、それが、永田町にサラリーマンとして勤務している人たちの団体らしいと気がついてくる。「私たち、永田町で働いているものたちは、なんとか、かんとか」、と聞こえたからだ。が、40メートルぐらいに近寄ったときに、突然彼らは、撤収を始めた。

 『どうしたのだろう?』 ・・・・・<<<まさかとは思うが、小泉さんの靖国を、違憲とする集団訴訟を『おかしい。普通の国だったら、国の首相に反対したら、つかまるはずなのに、かえって、英雄扱いだ』と疑問を呈した私が近寄ったから?>>>・・・・・などとも一瞬考察するが、原因もわからないうちに、その人たちは、蜘蛛の子を散らすように、ともかく、撤収してしまった。

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 それで、彼らの演説の内容が、わからなくなった。が、労働条件の改善を求めているのだろうし、それは、自分たちのことではなく、例の、派遣労働者等の、急に雇用条件が悪くなった人々への連帯をも、訴えているような、気がした。

 百合子自身は、団体行動と言うのは、自分には、向いていないと思っていて、参加しないほうだ。特に、・・・・・自分はチェ・ゲバラじゃあない。若くもないし、男でもないし、ともかく医者〔社会的に尊敬をされる)でも美形でもないし・・・・・などと、思うから・・・・・静かにおうちで、パソコンに向かっているぐらいがせきのやまだ。

 けれど、『世の中には、着々と、動いているというか、こつこつと遣っている人もいるんだなあ、今でも。こんな雨の中なのに、赤旗をふって。だけど、数は少なくなったなあ』と、ちょっと、感動気味に、その人たちのことを捉え直してみる。
 
 特に自分のことだけではなく、他者のことのために、赤旗を振って、何かを主張をしているのなら、立派なことだ。自己犠牲の精神が溢れている。だけど、本当の事と言うか、詳細はわからない。

 そして、これを見たのは、今の日本の大問題である、『「雇用のこととか、労働の条件の悪化について、その原因を、あなたも、考えてみなさい」と、天が促しておられるのかなあ』などと、考えても見る。小さな兆しにも、意味を見出す百合子だった。

 2009年2月25日               雨宮舜(川崎 千恵子)
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