銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

映画『靖国』日本とドイツの違い・・・・・私と中国8

2009-02-12 23:16:12 | Weblog
 前日も述べましたように、戦犯を裁く裁判は、第二次世界大戦をきっかけとして大々的なものとなりました。ドイツに関しては、ヨーロッパ各地に進軍をしたので、その結果としての惨禍を目撃した人が多く、論調として、ヨーロッパ全土が反ナチでしたから、『ニュルンベルグ裁判が、未だに問題になっている』ということは寡聞にして聞いておりません。そして、物理的にも精神的にも追い詰められたヒットラーは自殺をしました。

 それに、アウシュビッツほかがあって、ユダヤ人に対する弾圧もすさまじく、それも映像として残っているし、生き残った証言者が大勢います。それに主たる責任者であるヒットラーが自殺をしております。後は心理学の領域として、ナチス党幹部が、一種の集団ヒステリー状態で起こしたことを、裁く過程です。日本だったら、よく精神鑑定が摘要されますが、本当にあれは、精神鑑定が必要な分野でしょう。

 ナチズムで、ドイツ全土が、共鳴をしてしまったのは、大衆への心理操作のきわみの結果です。しかも、ドイツには原爆が落とされていません。それで、戦後のドイツ人は、慫慂として、あのニュルンベルグ裁判を受け入れていると思います。時々世界の片隅で、あの裁判を逃れた主要な人物が、見つかったとか言う事が、大ニュースとして報道をされます。その時に現代のドイツ人は痛みを感じるかもしれません。

 また、何度も繰り返して、ユダヤ人を、弾圧したことが、映像(大衆的なレベルで大量動員される娯楽映画)となっております。戦後65年を経ていますが、それでも、その責任を、追及をされています。
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 日本では、甘粕大尉(これは、通称、当時は満鉄の要職のはず)が物理的にはまだ、逃げられる状態だったでしょうが、愛人も伴わず、しかも後で、自室に火をつけることもせず、自殺しました。東京裁判で裁かれたA級戦犯とされた人々は、日本国内にいて、危機感が足りなかったのでしょうか?。甘粕大尉はさすがにパリに留学した人で、責任感とか、欧米の責任追及の感覚がわかっていたのでしょうか?

 だけど、与えた被害、および、その質において、日本がドイツが近隣諸国へ、与えたのと等しいほどの、迷惑をアメリカに掛けたかというと、それほどでもないのです。

 そして、戦中から戦後へ飛びますが、ドイツの政府の幹部が、日本ほど、貶められていて、メディアの攻撃の対象になっているとは思えません。それから、他国との外交関係においても、現在の実力で処遇を受けていると思います。

 そして、被害の方ですが、ドイツも大量の爆撃を受けていますね。しかも戦後は分断・国家となりました。それは、大変お気の毒です。しかし、日本は原爆投下、および、東京大空襲(京都だけは空襲を免れてよかったですね)などで、相当な死者(多分、アメリカ側の200倍以上の死者)が出ています。

 しかも経済的な損失も全国に及び、反対に、日本がアメリカの市民を脅かしたのは、パールハーバーだけです。硫黄島、アッツ島、が戦場となりました。が、兵士同士の衝突であり、しかも装備においてあっとうてきに勝るアメリカは手もなく、勝利を収めました。

 敗戦となって、日本では、国民一人一人が、大変な苦しみを受けたのに、さらに、日本国、および、日本人への侮辱の総体もしくは象徴として、時の総理大臣が、60年後にも、これほどバッシング(簡単な言葉で言えば、いじめに)あいます。行動の自由がありません。そして、それが、同胞日本人(新聞記者や、テレビのコメンテーター)からの侮辱と言う形で、それを、受けます。この点については、最後に、追伸の形で、さらに言及します。

 特に靖国参拝に関して自由がありません。これが、なぜかと言うと、A級戦犯合祀が一番の原因だそうです。私は物事を、先ず、一番目は直感として捉えます。それで、<<<A級戦犯がそれほど、問題視されるのは、東京裁判になにか問題があったのだろう>>>と、考えるわけです。<<<むしろ、さばいた側にトラウマが残っているのだ>>>と言う風に考えます。つまり、あの裁判は、肉食人(そして一神教の論理に従う人)の、乱暴さが現れている裁判なのです。

 日本人は特に、1945年ごろは、草食系の人種で、穏やかで、他者に対して寛容なタイプの思考をもっていたのです。だから、東京裁判の結果に対して違和感を持っているのが普通です。ましてや、戦後65年もたって、その屠所の羊のごとき、映像が繰り返し流され、それを、悼もうとする、小泉さんが、かくもシヴィアーに攻め立てられる。

 これは、本当におかしいぞ。『もしかすると高度な(?)陰謀ででも、ありましょうよ』と、考える次第です。

 すると、物事がすこぶる明瞭になってきます。戦後65年もたっているのに、この事がかくも激しく、繰り返され、攻撃の対象になるのは、それだけ、・・・・・その裁判を牛耳った連合国側、に、潜在意識的な恐怖があり、・・・・・それが、裏返って、東京裁判と、そこで、被告とされたA級戦犯を憎みぬく、・・・・・そういう構造が出来ていると思うのです。

 『しかし、それを、当事者である連合国側、特にアメリカが主張をするのは、あまりにも見え見えで、幼稚です。だから、日本の新聞社を使って、・・・・・靖国問題を大事(大げさな論題)に仕立て上げる・・・・・のだ』と考えているのです。

 昔、小泉さんが第一次、内閣を組織して、その全閣僚のお披露目・記者会見があったときに、それは、五月だったのですが、「朝日新聞の記者です」と名乗る人が、すべての閣僚に対して、まるで、ロボットのように、「靖国参拝をしますか?」と、それだけを、質問をしたときに、これが、大変大きな踏み絵であり、<<<それを、またいで通らない限り、『これから、朝日新聞はこの内閣を攻撃しますよ』と言う宣戦布告だ>>>と、私は考えました。

 それは、テレビ朝日でも同じ現象が見られます。ですから、『朝日新聞系列のメディアは、アメリカの意をていしているのかなあ』と、その時に、確信に近い推定を持つまでになったのです。でね、先ほども申したように、アメリカは原爆を投下しています。それに対する、内々の、報復への恐れを持っている。<<<それゆえに、別の側面で日本や日本人をたたけるだけ、たたいておこう>>>と言う一種の手立てとして、この靖国参拝問題が利用をされていると、看破・・・・・(いや、大げさですが、あのA級戦犯合祀を、責める論調が大げさだと私は考えるものですから、つい、それをまねしました)・・・・・・しました。

 同じ事が、反捕鯨問題やら、海がめ保護(それは、キューバに対する経済制裁の一環として行われているらしいのですが、日本のべっこう細工は、壊滅的な打撃を受けているそうです。材料が輸入できなくて。私はべっこう細工の花嫁セットを友人の家で、見ていますので、こういう文化が失われることをひどく悲しみますけれど)の問題のヒステリックな映像にもよく現れている現象です。

 原爆投下は、既に行われたことです。しかし、靖国問題をこれからも、おもちゃ、または、踏み絵として使うのなら、日本人の心はやがて、その真実の諸相すべてに、気がついて行くことになるでしょう。

 それは、アメリカにとって、有利なことですか? むしろ不利なことではありませんか? 歴史を修正していく。特によいほうに修正していくためには、正しい方向で動かないといけないのではありませんか?
    2009年2月11日 これを、書く。送るのは、2月12日の夜。


 追伸;
 三権分立と言っても、首相が、自ら先に、新聞社に抗議をして、有効な勝利を得る訴訟を起こしたなどと言う話を聞いた事があるでしょうか。靖国違憲集団訴訟についても、先鞭をつけたのは、市民と言う名の、信じられない集団です。

 インテリ風を装っております。だけど、普通の国なら、これほど、全国的に同時に動きがあるほどの、反体制運動が起こったら、必ず弾圧をされ、逮捕されます。なのに、反対に、まるで英雄ででもあるかのごとき、扱いをテレビ各局はして、「勝訴」と言う白い大きな紙を振りかざす、人間を大写しにします。
  
 とっても、不思議な現象です。それで、私はこれは、陰謀ではないかと思ったほどです。<<<日本と言う国で、国民と政府が、一致団結して、自国と、自分の国民を守ろうとするときに、それを、させないために、国の政治のトップをからかいぬく。こういう姿勢をとることを、誰か、漁夫の利を得る存在が、奨励している>>>それも、同胞合い争う形を取らせる。

 そう言う陰謀の結果として長年の商取引と言う形で築き上げた、イランとの石油開発の権利さえ、放棄せざるを得ず、

 生産し、流通させた当時は、非常に好評であった、小型旅客機、YS11の生産もやめざるを得ませんでした。こんな現象を見ていると、『日本は本当に独立国であろうか』と、それさえも、疑われるほどです。こういうことは、敗戦国の日本であればこその屈辱でしょうが、戦後65年です。そして、戦勝国のトップであるアメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争。アフガン紛争。対イラク戦争と、他国の領土へ侵入する多くの戦争を、未だに繰り返していて、その基地として、日本の各地が使われ、その整備および、人件費は、日本国政府が思いやり予算として、未だに支払っているのです。あぜん、呆然とするような支配・被支配関係ですね。

 それは、さておき、東京裁判の被告に対して、あれほどの、侮辱的な映像が、繰り返し今でも、流される。それに対して、ある種の『これも、変だ』と言う感覚を持つのです。

 だって、<<<戦争の責任とは、日本人一人ひとりすべてがそれなりに、分担して負うべきなのです>>>から。一種の象徴的なスケープゴートとして、あの映像が利用をされているなあと、感じられるほどです。特に昭和天皇が、全く平和にお暮らしになっておられますし、大政翼賛会当時の新聞記者が、何の処分も受けていないのは、片手落ちです。

 同じ手法で、日本を攻め立て、日本人を萎縮させ、恥じ入らせるために、南京大虐殺の映像も利用をされています。ドイツ人に対するユダヤ虐殺の記録を、テーマにした映画群と同じ潜在的な目的を持つ現象でしょう。

 日本人とは、もっと、穏やかで寛容な国民のはずです。戦後65年もたって、この一億の国民が真面目に、あのA級戦犯の罪を未だに、そしり、うらんでいるとは思えません。普通の国民である、私が、考えることは他に一杯あります。だから、あの問題が、自分の生活やら、思考にとって、新聞紙上であれほど、大問題とされる事が不思議で、『これもためにする陰謀だわね』と考えている次第です。人間の時間は、365日×24時間あるのです。その間、あれほど、重要なこととしてそれを、考えていますか? あなたも?

 だから、最近はニュースをほとんど見ません。特にニュース・ショーと言うのを見ません。あそこは、ひどいレベルで、大衆向けの、心理操作の場と化しております。

                川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
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