今は、19日の夜10時です。誤変換は多少残っていると思いますが、完成とさせてくださいませ。昨日の二倍以上になっています。
*1、・・・・・バスの中で、大変上等なセーターを着た人がいた。娘が編んでくれたのですって・・・・・
皆様、私は本18日は、11時間も東京に居て、夜の9時半に帰宅しました。これでは、長くてしっかりしたものは書けません。で、短いものを書かせてくださいませ。
本日はあるご夫婦に注目をしたのです。知らない人ですが、1時間半ぐらいずっと、傍にいて、どうしてか、私の注目を、激しくも引いたご夫婦なのです。
私の文章をよく読みこんでくださっている方々が、『人間がすきなのですね』と、おっしゃるが、まさにその通りです。バスの中、電車の中。本当に観察し続けています。
今から話すことは、上に挙げたご夫婦とは別のご夫人の話です。数日前かな? 鶴岡八幡宮前というバス停から大船駅まで乗ったときの話です。腰が曲がり、背中も曲がった、おばあちゃんが乗ってきたのです。相当な年に見えました。
しかし、彼女の着ているセーターが抜群にいいものなのです。あとで、「お嬢さんが編んでくれたのだ」と聞いて、なるほどとおもいましたが、極細という毛糸で、編み、たくさんの模様が上品に入っているものです。もしそれを銀座の和光で、買ったとしたら、18万円ぐらいするのではないかというほどの良いセーターなのです。
しかし、ほめた後で、私はちょっと困ってしまいました。私とその人は隣同士です。だが、喜んだ彼女は、バス中を巻き込んで、知らないひとですが、彼女と年齢が近い人に話しかけるのです。ものすごい大声で。そちら様二人は、いかにも鎌倉夫人という風情です。本当なら話に乗ってこないタイプの人たちでしょうが、私が、すでに、和やかに先鞭をつけているから、それにならって、親切にしてあげています。で、バスの中で、三角形の形で、大声の会話が始まったのでした。
鎌倉には最近引っ越してきたのですって。で、本当は友達が居なくて、さびしいひとなのでしょう。そう言う人が盛り上がっちゃったから、ものすごい大声なのです。
で、内容的に、あまりにも、繰り返しが多いので、・・・・・ということは、はっきり言ってしまうと、少し、認知症気味である・・・・・ちょっと、話題を変えるつもりで、「おいくつですか?」と聞いたのです。すると、「70です」とのこと。私も、顔色が変わってしまいましたが、三角形に位置している、ほかの二人の鎌倉夫人(=そう思われるほど、ピシッとしたおしゃれの夫人たちで、きっと75歳以上のひと)たちも、内心で、顔色が変わったと思います。既に、80歳ぐらいだと思って、ほめるつもりで、年を聞いたら、私より若かったのです。これは、参りました。決して馬鹿にするわけではないが、年の取り方も、自分の、毎日のあり方が反映するので、気持だけでも、若さを保ちたいと、願ったものです。
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*2、・・・・・反対の方向で、すごい女性も居る。63歳にしか見えない75歳の女性・・・・・
銀座を歩いていた時のことです。ものすごく、いい雰囲気の着物姿の女性を見つけました。しかし、バーのマダムという感じでもないのです。バーのマダムの着物もすごいのですが、この人は、めがねをかけていて、いかにも、まじめそうであって、お色気があるという方ではない。だけど、着物姿が、すばらしくて、もう、「ただ、ただ、抜群に美しい」としか言いようがなく、『もしマダムとか、ミセスという雑誌が、読者モデルを新に募集をするなら、応募したらよかろうに』と思うほどなのです。特に色あわせがすばらしい。上質な着物は、白系統で、帯がこげ茶色。油絵の世界でも通じる色のセンスです。
私は常に、女性のおしゃれには興味があって、美しいものを着ている人は、必ず、ほめる事にしているので、その時も話しかけて、あまりにも姿勢が良い(=背中がぴーんと伸びている)ので、「これから、私が生きるときの参考にしたいので、教えてください。60代ですか?」と聞くと、「いいえ、75です」って。もうびっくり仰天です。
「ご主人様が、お金持ちなのでしょうね」というと、「いいえ、主人は15年前に、亡くなりました」ですって。唖然呆然として、思わず、ひるむと、「きょうだいたちが、とても良くしてくれます。今日も、今から食事を一緒にします」ですって。それは、夕方五時半ごろであって、彼女は、六時ごろからの会食の前、銀ブラをしていたのでした。「は、はーっ」と言って引き下がりました。きっと、一万円以上の、夕食がでて来るところでの会食なのでしょう。その種のレストランに入るための、ランクの着物でした。
この二人の女性には、同じ日の午後、たった、2時間ぐらいの間隔で、であったので、しみじみ『毎日が大切なのだ』と、思い至りました。
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*3、・・・・・藍って、醗酵臭がするのですよ。で、私は濡れ衣を浴びていました。・・・・・
上の二人の女性に、であったのが、つい最近のことだったので、私も大いなる刺激を受けて、それ以降、東京に出かける時は、気を付ける様になりました。私はね。30代までは、非常におしゃれだったのです。が、画家人生が始まると、そちら方面に、お金がかかるものですから、洋服はほとんど買わない主義になっています。しかし、かずだけは、抜群にたくさん持っています。捨てない主義だし、「もし、あなたが、捨てるものが有ったら、頂戴ね」と、妹や、娘にも頼んであるので、セーターやカーディガンなど、『何十枚あるかしら?』というほどなのです。そして、今のものは痛まないでしょう。だから、どんどんたまるし。画家であるということは、材料費や交際費にも、抜群にお金がかかりますので、さらに大切にしてそれらを着ます。が、その上、本も作り始めました。そちらでも、抜群にお金がかかります。で、個展をするのはやめましたし、洋服を買うのもやめました。
しかし、その・・・・本を自分ひとりで、出版できる・・・・という事が、また、敵さんたちの、大いなる警戒心を招来する源泉であって、そこが、また、攻撃を招くので、それをカバーするためにも、お金が必要です。本日も外で、長時間かけてwifiが自由に使えるかどうかを試してみました。で、喫茶店代ほかが、かかるわけです。それからづ同窓会に行くのに、パソコンやらワイファイの充電器やらの大荷物を抱えて行くのも変なので、ロッカーを借りますしね。そう言う悪い方の刺激にも、会い続けているわけで、『おしゃれなんか、どっちでも、いいわ。清潔にしていれば』・・・・・という感じになってしまっていました。
ところで、ここで、清潔の話から、急に挿入に入って、・・・・・主人が『お前はくさい』と以前に、いったのは、濡れ衣だった・・・・・という話をしましょう。交通事故の後、聖路加病院で、どうしてか、皮膚の裂け目を縫ってもらえなかったので、後頭部に、ざっくりと真っ赤な割れ目が有ったのです。自分では見えませんが。で、水でジャブジャブとは、洗髪ができないので、2度沐浴剤で,洗った後で、『もう,坊主にするしかない』と思って美容院に行ったら、「そこに、ばい菌が入りそうで、とても怖くて、カットできません」と断られてしまって、仕方がなくて、自分で切ったのです。無論のこと、虎刈りになってしまって、さすがに主人が、びっくりして、修正をしてくれました。特に後ろを。
しかし、二週間目ぐらいから、「何か、家の中が、どぶくさい」と主人が言うので、私も本当に参りました。私の頭がにおっているのだろうと、二人とも思い込んだわけです。で、つい、ブログにもそれを書いてしまいました。が、なんと、それは、濡れ衣だったのです。実は、最近買った(あ、買わない。買わないといっていながら、時々は買うのですね<笑い>)藍染めのコートの臭いだったのです。主人はジーンズを履かないひとなので、初めて藍染の匂いをかいで、醗酵臭に、びっくりしてしまったらしいのです。で、二度ぐらい洗濯機で、強く、洗ったのですが、「まだ、駄目だ」というので、ベランダに干しっぱなしにしてあります。そのうち、風に曝されて、醗酵臭も抜けてくるでしょう。今年の秋には、着用できるかな? ともかく、良かった。頭がにおうのではなくて。
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*4、・・・・・本日の私は、まるで、佐藤忠良制作の『帽子の女』という風情で、外出しましたが・・・・・
上の*1~*3に書いた種々の刺激があったせいで、私は、本日はバシッとおしゃれを決めて外出しました。特にお茶の水女子大付属高校の一種の同窓会だったので。そこには、美形の、才女がいっぱいなので。
ただ、私のすごいところは、そう言う特別な会があっても、何も新しいものを、買わないというところなのです。気張ったところに出かけるにしても、新しいものとか、高価なものを買わないで、おしゃれして外出できるいうところが、得意にしているところです。私の長所というか、最も誇りにしているセールスポイントは、色あわせです。色については、自分で言うのも恐れ入りますが、とても、感覚が鋭いので、色あわせで、見映えよくする事ができます。
そして、交通事故後、坊主頭にしたので、他の人を驚かさないがために、帽子をかぶっています。それが、時によって、絶妙の効果を挙げてくれます。
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帽子を普通の日本人女性がアイテムとして使うのは、難しいものです。仮に、グレース・ケリーが、パリの、ドゴール空港の待合室で、帽子をかぶって、立っていたら、それが、小さめのカジュアルなものでも似合うでしょう。
でも、日本人女性が帽子をかぶっている時には、それは、たいてい、老人であるということと結びついています。ですから帽子の下はたいていずんぐりむっくりの、体形であって、美とは程遠いと思えてしまうし、スリムな体に、上等な服を着て、帽子も上等なものをかぶっている老人で、かつ女性である人は、それは、それで『金持ちであること固有の、いやみ臭を辺りに振りまいている』ものです。いずれにしろ、突出する事を好まない日本の風土では、帽子は、あまり、美しくは見えないものです。
私もそれを知っているのですが、坊主頭で、突然に、淑女達を脅かしてはいけないので、帽子をかぶって出かけました。しかし、その日だけは、首からしたの装いに気を配ったので、やや見栄えがよく見えて、『おー、これは、佐藤忠良の帽子の女(NHKの、山根基世アナがモデルだといわれているもの)風に、まとまりましたね』というぐらい決まった姿に、なりました。しかし、ここで、私が言いたいのは、それで、餃子を食ったというアンバランスを言いたいのです。別に、おしゃれが決まっていた事を威張りたいわけではなくて、それで、380円の餃子を食べた事が、問題なのです。いえ、別に問題ではないが、次の章へ続く門口になるのです。
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副題5、『北区の、飛鳥山公園に初めて行ってきました』
山根其世さん風に、バシッとおしゃれを決めている私が、380円の餃子を食べるというのは、本当ならやりたくないことでした。ところが、お昼が、ステーキ風(70グラム程度の小ささだが、抜群においしかった)のメインディッシュのフレンチコースで、美しい前菜と、これまた、充実したスィーツが、そろっていたので、おなかはいっぱいだし、贅沢を続けることへの、申し訳なさも感じて、餃子だけで、済ませたのです。おうちへ帰れば夕食はあるわけですから。だが、wifiが外で使えるかどうかの検討は、相当に面倒くさい仕事で、結局は妨害を突破できませんでした。それで、どっと疲労が出てきたのでした。
その前に王子の紙の博物館にも行ってきましたし。北区の、飛鳥山公園とは、初めて行きましたが、旧渋沢栄一邸ですよね。ただし、別荘だとか? 見ておいてよかったとは思います。下から山の上に上がるケーブルカーが、カタツムリ風のデザインで、アスカルゴと命名されているのには驚いたし、本物の、D51(蒸気機関車)がおいてあるのにも驚きました。
今都電で、唯一残っている荒川線は、渋沢栄一が、自分のために作った様なものでしょうね。昔は自家用車を持っている人が少なかったから、
この前のブログで、星野リゾートの旧猫魔ホテル内で、自分のwifi器具が使えず、それに対して、小さな怒りを感じたと書いたら、すぐ、それをさらに拡大してやろうとして、ずっと、使えない風になっているのです。これはNTTのクロッシーも同じです。やってきていますねと、思います。お昼のフレンチは、霞ヶ関ビル内にあるレストランで、食べたものですが、そこへ上がるエスカレーターがすべて、修理中でした。これは、計画が決まっている外出には、すべて、狙われる妨害です。何度も何度も狙われています。
『お前の郵便はすべて、気が付いているのだぞ』といいたいのでしょう。それに、同窓会関係は、すべて把握をされていて、いじめるための、機構としても利用されています。だけどね。彼らはそれで、勝てると思っているみたいですが、そう言う事をすることすべてが、人権無視だし、又、それを、私に対してやると、喜ぶ連中が誰かを考えると、私はますます、、字分が書いている事が正当であり、書く権利があると、考えます。
そうすると、二次利用されたり、三次利用をされたりして、私の目の前で、妨害やら、いじめをやってきた人が、私のブログ内で、槍玉に上がる事になるのに、そう言う頭脳の、複雑な回転はできない模様です。だから、霞ヶ関ビルのエスカレーターの停止が、誰によって命令されたかを、知りたいわけですが、今のところ、私の方は、動いていません。いずれ、こう言う事も調査したり、する日が来ると思いますが、今は、動いていません。
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副題6、片山容疑者に、付いて、いろいろ書いておりましたが、次の章へ移動をさせました。
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副題7、『惚れ惚れするほど、上品な服装のご夫婦が、私から、4m離れたところで、ラーメンを食べていた』
さて、片山容疑者の話は、頭の中にありましたが、この河川敷のニュースが出てくる前までは、触れないで置くつもりでした。私はこの章は、温和な話題で、終始する予定だったのです。おいしいフレンチを食べ、お話を聞き、
ただし、そのお話中に、また、奥島孝康氏が、動いていた話を推察できましたけれどね。それは、まだ、外部へは出しません。奥島氏は、私に関しては、大相撲だけではなく、既に、三回も別の場所で、いじめる方向で、動いている事を、私は把握しています。
元へ戻ります。2,3年前は、非常に疲れやすく(それだけ、あれこれやっていた事も確かだが、)昼に同窓会などがあったら、そのママ帰宅するところですが、飛鳥山公園に行って、髪の美術館にも行ったのですから、それなりに体調が言いと判断をしています。wifi器具(e-mobile)が、使えないことにも、突破する方法については、ある程度、めぼしはつけています。ただ、それをすぐやるかどうかは別問題です。
ともかく、それは、嫌なことであり、疲れはしたけれど、以前ほど、疲労感もなく、また疲れすぎない様に、予防をする技術も向上し、・・・・・というわけで、新橋で、餃子を食べたのです。山根基世まがいのおしゃれをしているのに、380円の餃子では、ミスマッチですが、既に、それも気にしないほどの、心の貫禄が有ってね。ところが、斜め前に、非常に上品なご夫婦が、ラーメンを食べているのに気が付きました。
この文章の狙いの一つは、そのご夫婦が、鎌倉まで、一緒であって、鎌倉の人だった事に驚いたという部分なのです。それで、その夫婦のおしゃれの詳細を語る事ができません。一回り若いので、たまたま、この30年間交流がなかったのですが、どこで、どう、つながるかもしれないので、あれこれ、詳細に、語る事ができないのですが、質の良いもので、色も最高に、品の良いものを、きていたのです。そのラーメン屋は、最近リニューアルして、インテリアがきれいなのですが、たまたま、隣に、もう少し高いラインの中華料理店があって、こちらが、800円+税ラインなら、そちらは、1400円+税ラインという感じです。
私はその夫婦を見ていて、『ご主人は医者か学者だろう。隣の、値段が高い方の中華料理屋に入る方が適切なのに、こちらの方がおいしいのを知っているのだろうね』などと考えてはいたのです。
さて、私の方がその夫婦より、15分程度早く入店していて、先に出ました。そして、横須賀線に乗りました。すると、びっくりした事に、その夫婦も、同じ車両のほぼ同じ位置に座ったのです。それが、ドアをはさんだ、斜め前の席なので、相手には気が付かれない形で、ずっと観察を続けました。
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副題8、『その夫婦には、私が既に捨ててしまった懐かしい生活の匂いがした』
私が格別に興味を引かれたのは、その夫婦には、私がとっくに捨ててしまった懐かしい生活の匂いがしたからです。父や母の生活、または、私と私の主人がやっていた生活とそっくりでした。私達二人は、彼らより、もう少しラインが低い洋服を着ていましたが、やっている事がそっくりでした。週末お昼を食べてから、外出する。
彼らの場合は、銀座を歩いて、歌舞伎を見たか、映画を見たかで、横須賀線に乗るために、有楽町を避けて、新橋まで、返ってきて、自宅で料理を作らずにラーメンを食べて横須賀線に乗る。
一番の、特徴派は、給料生活者として、切り詰めるところはつめて、そして、お洋服には、お金を使う。本を買うとか、歌舞伎を見るとか言うことは、お金を使うが、ともかく、きるものにはお金を使う。
日本の職業のうちで、最も数が多いのはサラリーマンです。その生活の最も基本は、安定した雇用の中で、できるだけ、自分が上流であると、他人には、見せて行くこと。そのために自分の持ち家を買い、子供を大学へ行かせ、常に上質でデザインの良い洋服を着る。それは、江戸時代の武家生活の名残でもあろうと思いますが・・・・・
私、それをぜんぜん批判をしていません。だけど、『自分は、はるかに遠いところに来てしまったなあ』とは、思っております。ニューヨークなんかで、芸術家生活をしていると、みんな洋服の質などにこだわらないのです。それから中古品を使うことにもこだわらないのです。貧乏と、他者から見える事も平気になるのです。
前日に匂いと、総タイトルにこめていましたが、それは、比ゆ的に言っているので、4m離れている彼らから何かが、におってくるわけではありません。だが、しみじみと感じるのは、その後夫婦が、ある生活スタイルを持っていて、それを守っているということです。だけど、冒険につぐ冒険をやってきた私には、生活スタイルにこだわっていては、やるべき事ができません。この奥様はネットカフェなど、入った事がないのだろうなあと、思いながら、じっと、見つめ続けていました。ここに書いた以上のいろいろな思いに打たれて、見ても見ても見飽きませんでした。
二人は私の視線には、何も気が付かず、奥さんは本を読み、ご主人は転寝をしています。だけど、北鎌倉をすぎてから、なんとなく、私も『この人たちは、鎌倉で下りるのではないか』と思い始め、その時に、彼らも何かを気が付いたみたいなのです。私はただ、彼らという目の前の、リアルな生活から、種々の思考に入っていたわけで、二人に対して、個人的な関心があるわけではありません。だが、集中して見つめると、その念波は、通じるらしくて、二人は、さーっと、前のほうに、移動をしていきました。
しかし、彼らが前の方に移動をしたとたんに、私は、これは、あるチャネリングだと気が付きました。そして、これを文章に書こうと感じたのです。だって、横須賀線って、長いのです。全部で、15両もあります。そして、新橋駅からどのエスカレーターを選ぶかは、また、それぞれです。私は前から2両目を選んだのですが、彼らも同じ車両の同じドア付近を選んだのです。そして、その直前に、小腹を満たしたラーメン屋さんも同じなのです。これは、注目してもいいでしょう。
そして、最後に付け加えさせてくださいませ。私は別に、彼らに負けたとは思っていないのですよ。「彼らが持っているものを、もう、私は持っていない」といっても、それが、すなわち否定的なことでもないのです。融通無碍で、そして、自己肯定する気持、なんと自由でしょう。だけど、他者と自分は違うのです。あの人たちはあの人たちで、自己肯定をしているのでしょう。それが、個性です。そんな気づきを与えてくれた新橋のラーメンや、直久から始まり、鎌倉駅まで続く、1時間20分でした。
2014年5月18日に上半分を書き、19日夜に、下半分を書く。
推敲をしておりませんが、署名を入れておきます。雨宮 舜 (本名 川崎 千恵子)
・・・・・・尚、このブログの2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、2208090です。