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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

フランスでは、服や靴を捨ててはいけないそうだ。それには驚いた。だけどパリのフランス人を尊敬する。ところで、日本の廃棄物規制法案と関係あるかな

2025-03-20 21:38:12 | 政治

 今日の章は、おとといのユジャワンの章と似ていて、ちょっと、このブログの世界の本流から外れます、逃げているわけではない・・・・・・と、言いながら、本流の文章を書くと疲れ切るから、体や、頭に復活と、エネルギー充電を与えるためです。つまり、精神的には、逃げているわけではなくて、続きは必ず、書きます。が、そのための休息が、本日は必要だと、考えるわけです。

 そこへもってきて、格好の話題が、目に飛び込んできました。特に本日の、夜飛び込んできたのです。一般の方は、気が付かない話題だろうと思って、だからこそ、私が取り上げる価値があるだろうと、考えています。

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 それは、朝日新聞の、本日の朝刊23頁、左隅のコラムです。コラムの連続するタイトルは、air mailです。なお、私は、そのコラムの今日初めて気が付いたのですが、もしかすると、それが、初めての、総タイトルだったかもしれません。で、初めてのコラムだったかもしれません。エアメールなんて言うコラムだと、国際関係大好きな私は、絶対に読むはずです。しかし、今まで、気が付かなかったということは、以前は、なかったコラムかもしれません。これは、図書館で、古新聞を読めばわかるでしょう。

 そして、本日だけのタイトルは、

 パリ・・服や靴、捨てずに直す 国も支援  です。

記事の中身は、ものを大切にしましょう・・・・いわゆるもったいない精神を、服や、靴に応用しようというもので、五年前に施行をされた、循環経済法が、それを推進していると、書いてあります。

 私は、この記事を見て、5つぐらいのことを考えました。

*1) 本当に実行できるの? 人々は、紙に包んで、外からは見えない様にして、服や靴を捨てる様になるのではないのかなあ?と、言うことが第一の気づきです。

 でね。もったいない精神を、広めましょうと、言うキャンペーンならわかるけれど、法律で、服や、靴を捨ててはいけないといっても、これは、アメリカの禁酒法と同じで、みんな守らないと思います。

 では、なぜ、こういう記事が本日出たのか?

 そこですが、日本における、・・・・・焚火をしてはいけないという法律と、それに関連した、雪ノ下二丁目の、小さな谷戸の町内会【=うぐいす会】における、大騒動を、思い出せ・・・・・と、言いたい、伊藤玄二郎ら、一派が朝日新聞に銘じて、この記事を、本日、掲載させたと、考えています。

 こういう想像が、真実であったら、また、このブログの本流に戻って、安野智紗夫人が作り上げた、この山の女性たちのヒエラーキーが、岸田淳平夫人を、使役して、

 私を誤謬で、攻めた、または、責めた話に戻らないといけません。それは、過去に、10度ぐらいすでに書いていて、さらに、しっかりと、書き表そうとしたのが、あと註3なのですが(あとで、見つけておきます)

 昨日、25-3-19「に書いた以下のブログが、これまた、すさまじい真実なのです。

奈可川を、伊藤玄二郎は、かように利用する。その手法が、やまゆり園事件とか、平成の八墓村事件の真実を私に教える

2025-03-19 23:08:16 | 政治
 
 これをあと註1とする。に書いていることが

 すさまじくも深い真実なので、私をやっつけて、心を鈍らせる、ことが出来る現象なら、何でも利用するという目的で、そのパリのごみ事情についてのコラム記事が、生成されたと、見ています。

 で、それに、こちらも飛びついて、山間の煙というエッセイに書いたことをさらに詳細に、分析していくのも一手法というか、目的にかなうのですが、・・・・・

 本日は、この山の主婦軍団のあくどさについて、特に廃棄物処理法案の改悪について、関連して触れるのは、うんざりです。

 ただ、二日目に、ここに、青色のフォントで、挿入します。我が家の真下(東側・・30mした)が、鶴岡八幡宮様の、個人用駐車場(南側)です。そのさらに南側の家が、川口順子・元・外務大臣の母上の家でした。瀟洒な数寄屋造り一階建ての家です。門は木造でした。法務局に行けば、時期は正確にわかるのですが、多分1990年ごろ(今から、35年前)に売りに出されたのです。その35年後の今は、結局八幡宮様がお買い求めになって、鴬吟亭という名前の接待所になっています。

 私の想像では、上皇様、上皇后さま、または、天皇陛下、皇后陛下、秋篠宮様、ご夫妻などがお見えになったら、ここで、お茶の接待を、受けられるのではないか?と、推察しています。が、それを見物した過去はなくて、最近、よく見るのは、舞殿で行われる結婚式の花婿花嫁、または、親族などの出席者の控室として使われている様子です。お支度は、多分鶴岡会館内の、着付け(+美容)部門などで、行うのでしょう。

 しかし、問題は、その前なのです。一時期、横浜市北部に住んでいる土建業者が買ったと思います。ベンツで、毎週乗り付けてくる男でした。非常にお金があるらしく、数億円出して買った、であろう、このお屋敷が得意でならなくて、

・・・・・・まあね。その道一本隔てて、南にある、川合良一邸(鎌倉市の史跡になっていて、植木等の手当ては、鎌倉市がやっているでしょう)と、この旧白井邸は、大正時代、同じ人が、広い敷地を買ったと、推察しています。で、川合邸と、白井邸は、昭和初期のお子様(女の子だけだったと、推察している)で、苗字が変わったけれど、親戚でしょう。ただ、白井邸の子孫殿は、誰も、今は、ここにいないので、お売りになったのです。

 お隣の鶴岡八幡宮の駐車場に、大型クレーン車を入れて、非常に大きな庭石を運び込んだのです。そして、門を古びた板塀から、ブロンズ製の、フランスの田舎の古いお屋敷に使ってある様なものへ取り換えたのです。「自分は、金持ちです。金持ちです」と誇ること、誇ること。そして、やんちゃな性格で、焚火が大好きです。門前に、高さ1mぐらいに夏草と、落ち葉(ドングリや椎の身を落とす照葉樹は、5月と6月が落ち葉の季節です)を山と積んで、焚火をするのです。

 まあ、その段階はまだよかった。だけど、そのうち、プラスチック製品を燃やす様になったのです。今はね、キッチンやバスタブなどの水回り設備も、みんなフィルムで、覆われて運ばれてくるのです。そのうえで、段ボールに入ってくるのです。その段ボールが、30年前は、これまた丈夫なプラスチックテープで、止められていました。ベンツで乗り付けるのだから後部座席と、荷物室程度の、プラスチック類ですが、だんだん横着になって、古い家を壊した廃材なども燃やし始めたかもしれません。燃焼用、焼却炉を買って、山の中腹に設置して、雇人に燃焼をさせていました。私は、自宅の真下だし、山火事になったら困るなあと、思って、その男と、雇い人の様子は、買い物に行く度に、注目をしていたのです。

 で、その家のことはよく知っているのですが、我が家以外の人は、その男に注目をしていなかった模様です。で、ある日、

突然井上夫人から、「川崎さん、ものを燃さないで。すすが出て大迷惑です」という大声の電話がかかってきたのです。上の赤い家が我が家で、この話は、30年は前ですから、黄色い家も青い家もまだ建っていませんでした。その黄色い矢印の家と青い矢印の家の間に挟まれているのが、樹木に囲まれた井上邸です。

 我が家の南側から、下で燃やされている石油製品が、煙として立ち上ってきて、大量のすすをばらまいているのですが、その煙がたまたま、我が家の南側から、立ち上っていたのでしょう。國學院大學の講師をしている、前田清子さんが、その日は講義がなかった日だとしたら、彼女が音頭をとったのだし、渡辺夫妻が、すでに、伊藤玄二郎の会社の仕事をリモートでやっている時期で、私悪口をさんざん聞いていたころだったと仮定すると、あの夫婦が音頭をとったのかもしれません。つまり、上の写真は、赤い矢印の我が家を、前田家前から、撮影をしたものです。また、渡辺家は、この写真のちょっと右側にあるのですが、我が家が100%見えます。しかし、それ以外の人は、井上夫人(=岸田淳平夫人)を含めて、我が家の庭から出ているみたいに見える煙は目撃できません。で、渡辺夫人ですが、このころ(=30年は前です)は、まだまだ上品で、私は外語大卒ぐらいの学歴で、実家では、【婦人之友】をとっていたでしょうと感じるぐらいだったから、彼女が音頭を取るとは考えられません。

 結局は前田夫人でしょう。石川和子さんは、外でも教えているから、家にいたかどうかは知りません。前田清子さんは、まず、安野夫人を味方につけて(といっても、安野家からは、15m以上高い我が家は、まったく見えないのですが)次に大原夫人。平木さんの前の住民などを、味方につけたうえで、当時班長(お当番)だった井上夫人に、タイ・わたくしお叱りの電話をかけさせたのです。

 あのね、私、「違います。見に来てください」と言って五分待ちました。だけど、来ない。さあ、私は完璧に怒った。で、委細を手書きで、A4の紙にまとめて、下に降りて、コンビニでコピーを20枚ぐらい取ってきました。それは、1999年より前で、パソコンを使っていなくて(自宅にNECとか、アップルのブラウン管型パソコンはありました。が使っていなかった。で、プリンターもなかったのです。でも、足はまだ、丈夫でしたから、で、そのコピーをもって、一軒一軒事情を説明して歩いたのです。ただし、井上夫人にだけは持っていきませんでした。だって、彼女に、五分待ったし、その後文章を手書きしている間の15分、コンビニに行って帰ってくる時間を入れて、一軒一軒、回っている時間を数えれば、ほぼ、一時間です。その間、井上夫人は私を捕まえて、ごめんなさい。川崎さん誤解をしました。許してください」と言えば、残りの10間ぐらい回らなかったかもしれません。私と何かトラブルが起きたら瞬時に対応しないとだめですよ。私は、非常に仕事ができる人だから。

 ここで、少し私自身のことを開示します。私は1955年横浜国大付属中学入学、1958年卒です。そのころのその学校はフェリスの中学よりも栄光の中学よりも上でした。星光は、私が中三ごろ建設された後発の私学です。そして、その中学の入学式総代、卒業式総代です。そして、神奈川県からただ一人の子供としてお茶大付属高校へ入学しました。その後、ICUへ行きます。ICUって、今は、人気が落ちています。学費が東京都一高いですって。それは、ダメですね。だけど、そのころは、アメリカからの寄付が多大にあって、学費が、年4万円でそれは、慶応と国立大学の中間でした。そして、その後東大に勤務するのです。先生とセックスなどしていませんよ。だけど、辞めなければ、将来必ず、東大教授になれるといわれたほど、頭がいいのです。

 でも、私のことなど、誰もこの山の人は知りませんから、井上夫人のあの怒鳴り方が生まれてしまうのでした。

 ところが、ここで、ミスター井上の教養の高さが、井上夫人を苦しめることとなるのでした。

 どうしてかというと、ミスター井上(=ペンネーム岸田淳平氏)は、関西学院大学卒なので。。ミッション系大学卒です。やっぱり違うのです。キリスト教について学ぶついでに、ヨーロッパ文明についても学びますよね。それも、知識としてではなくて、血肉として学びます。

 ミスター富沢なんて、栄光慶応卒なのに、アルキメデスの原理さえ忘れているのですよ。駄目でしょう。そんなんじゃあ。上から命令されたとおりに動いたらだめです。命令する人間があほだから、あなたもあほになるのです。私を怒らせるとあなたのあほさ加減が丸裸になってしまいます。

 あなたが、久里浜駅近辺の核燃料棒製造工場の立ち上げにかかわっていて、それ故に、核の被害にあっているなんて言うことは、あなたがバスに乗るときに、わざと大きな声で、「障碍者手帳一級を持っています」といっただけで、わかるのです。どうですか? 1960年代の入学試験難易度だけで、一生を図ってはだめですよ。

 私は一生勉強を続けています。さて、井上夫人はわたくしの本当の姿はわからない。しかし、この騒動があって、私は、再初期には、名前を伏せて、【山間の煙】というエッセイを書くのです。すると、伊藤玄二郎とか、酒井忠康氏は、メルマガ時代から、私の文章を、手に入れていますので、当然、井上さん(=岸田淳平氏)は届けられ、井上さんは、それを手に入れます。

 でね。ご主人は自らを守るために奥様に、この山の女性の誰とも付き合うなと、忠告し、お買い物の行き帰りも山の上下は、ご主人が付き合う様になります。ご主人は大ヒットを飛ばして、1980年代にすでに、7000万円の一時金が手に入ったそうですから、さらりーまんではないので、奥様の買い物の、山の上下に付き合うことが出来たのです。

 ところがご主人に比べると、あんなに威張っていたのに、意外にも奥様は弱いのです。で、がんを発症し、ご主人より、30年ぐらい若い時期に亡くなります。

 さて、それが、私のせいだと、言われていて、私が悪人にされているらしい。しかし、家の上夫人に間違った電話をかけさせたのは前田夫人を棟梁とする悪しき、この前の、ヒエラーキーですよ。その集団性と、ボス化が、プレッシャーになるのでしょう。

 さて、この問題は第二はがあるのです。今度の主役は東大卒の白井夫人です。むろん、後ろに安野夫人と前田夫人がいての攻撃ですが、一度目の、騒動が、1990年代半ばだったので、その29年後の話です。これから先は、紫色のフォントでかきます。

 私の主人は、2016年4月9日に心臓に大きな血栓があることがわかって、入院してカテーテル手術で、散らしてもらいます。しかし、それが、成功する前に、先生から、50%は、死亡の確立があるので、覚悟をしてくださいと、言われました。

 そのうえ、主人が鍼灸医となっていて、レントゲン等を取らず、食道がんであると、自己診断をしていて、自分で治すつもりだったので、心臓の下半分が、硬化しているとのことでした。つまり、どっくん、どっくんと動悸を打たないのです。

 で、北久里浜に空き家としてキープしている古い家の方は、車が横付けできる家です。救急車でも、タクシーでも横付けできます。で、そちらに引っ越さないとだめだと判断をしました。でも、鎌倉雪ノ下の方は、163段の、石段や、階段を上がらないとテレビが置いてある居間にはたどり着けません。

 でね、引っ越すことを考えました。ただ、ものを処理しないといけません。ここは車が横付けできないので、鎌倉市の職員が六人ぐらい来て、粗大ごみを引き取ってくれます。

 しかし、ずっと外に置いていて、園芸用品置き場にしていた古いタイプ(デコラ張り)の食器戸棚が、あまりにも土埃にまみれていて、鎌倉市の職員に運んでもらうのに恐怖を感じました。「これでは、失礼すぎるだろう? たとえ作業衣を着ていても」と思ったので、困惑のみぎりでした。

 その時、同時ぐらいに、この山で、最も頭の良い人であり、かつ、未亡人になってしまった花輪夫人が、男手の必要なことは、大原さんにアルバイトでやってもらうのよと、言っていました。で、ダメで元々、花輪夫人から、大原さんに、手伝ってもらえるかと、聞いてもらえました。すると、やってあげるとのことでした。

 不思議なことでした。だけど、裏があったのです。でも、その複雑な裏は、ここでは書きません。先にもっと大変なことがあるからです。

 さて、大原さんが、なたでぼんぼん割ってくれて大量のごみとなった古い食器戸棚を、私は南側の庭で、焼き始めました。この時、井上夫人は、もう亡くなっています。でね。山の下の土建業者が、焼却炉まで作って燃やしていた産業廃棄物とは、量がまるで違います。渋谷東急百貨店(もう無くなっている。渋谷駅上にあった)で、買ったものです。だから、安くはないものですが、当時のデザインとしてデコラが張ってありました。デコラって、プラスチック製品です。で、石油からできています。で、やはり、におうのです。すると、白井夫人が自宅の庭の最南端から、顔を出して(つまり、また、ちゃんと我が家に入ってきたわけではない)のですが、大声で、

 「川崎さん、川崎さん、警察を呼びますよ。臭いから、もう焼くのはやめてください」といったのです。

 これは、2016年です。この三年前に、政府が、産業廃棄物処理法案というのを作ったのか、改変したのかは知りませんが、焚火をしてはいけないこととなったのだそうです。

 私は全く知りませんでした。

 だから、白井夫人がどうしてそういう意地悪を言うのかを瞬時に考えて、激しい前田夫人の復讐行為が乗り移っていると考えました。

 これは、当たらずとも言えず、遠からずです。国会を動かすのは、2013年だと、安倍晋三総理大臣の時で、安倍さんは谷垣禎一さんと大の仲良しでした。谷垣さんは2016年に頸椎を損傷するのですが、この廃棄物処理法案で、私を苛め抜いたことも天からの処罰を受けたということになるのかもしれませんよ。

 ともかく、この山の主流派、前田夫人は、井上ひさしと親しいので(共産党員だと、確信している)政府を動かすことが出来るのです。国会議事堂内では、共産党議員は、数が少ないので、それほど影響力がな様に見えます。しかし、こと、CIAエージェントの動きに結び付くと谷垣さんと、大の仲良しにすでになっていた伊藤玄二郎の、意思や考えで、国会は動くのでした。で、2010年4月9日に、公的には、自分を死んだことにしている井上ひさしは、実際にはまだ、生きていて、私が過去に書いたものの中から種を拾って、攻撃用アイデアとして役立てているのです。

 でもね。焚火をしてはいけないなんて、人間の本当の生活にとって不合理極まりないです。本日主人が録画でカンボジアの恐ろしい過去のいきさつをみて居ました。この焚火をしてはいけないという法律がまかり通るなんて、日本もカンボジア化しそうですね。

 元へ戻ります。私は、その法律のことを知らないので、白井夫人が私の状況を理解してくれるはずだと、思って、「主人がかくかくしかじかで、入院中で、北久里浜に引っ越す可能性があるので、この焚火をしているのです。どうか、見逃して」と、言いました。だけど白井夫人は「だめです」の一点張りです。

 ここから先の詳しい状況は、今では、忘れてしまいましたが、白井夫人はどこかに行ったのです。で、残された私は最後まで、全部を焼いたと思います。それはね。たとえ前田夫人の復讐行為だとしても、天に問い合わせれば、ここで焼くなという方が意地悪なのです。主人が生きるか死ぬかの瀬戸際で、今普通に生活をしているのは、どれほどに私がいいものを食べさせているかの証明です。一日八時間もお料理に費やしています。朝、起きると第一番にすることは、ブログを書くことではなくて、お料理なのです。主人とはしょっちゅう大喧嘩をしています。泥棒がいるから、そこに対する解釈の違いで、しょっちゅうの大げんかです。

 セリなんかでも、四分割して根元の方を、一分茹でたら、次の束を入れ、葉っぱのところなど、三分後に入れます。すべてにおいて、そのくらいに気を使っています。さあてね、白井夫人がどうしていなくなったのかはわかりません。ご主人は、まだ勤務中でしたね。8年前ですから。昼間は居なかったでしょう。でも、休日だったのかしら? それとも前田夫人か、安野夫人に、「どうなった?」と、質問をされたので、答えるために、自室へ帰ったとも考えられます。白井夫人と安野夫人、また前田清子さんは、本当に警察に電話を掛けたかもしれませんよ。

 でね。鎌倉警察署の方が、この法律が私狙いのものだったと、知っていたらですよ。むしろ、警官を派遣しないでしょう。白井夫人はわたくしのブログを読んでいないのです。自分は東大卒で頭がいいから、芥川賞をとっているわけでもない人の文章など読みませんよと、意気がっているでしょう。安野夫妻は、読んではだめだと警察から命令をされていると思います。

 やはり、これを読んでしまうと、警察の命令など聞くことはできなくなります。前田夫人がどっちだろう。わかりません。まあ、いいでしょう。でも白井夫人って、もう、腰骨のあたりがおかしいよ。右15度ぐらい曲がっていますよ。夫婦で歩いても妻の方が圧倒的に年取って見えるということになりますよ。私をいじめると、そういう結果になります。でもね。お読みいただいていないので、平気で省。あ、そうですかと言っておこう。

 ともかく朝日新聞の記事(コラム)は、やはり、普通のニュースではなかったと、結論付けます。私を脅かす嫌がらせニュースでした。

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 で、このパリの記事は、大げさすぎて、実際問題として、古い服や、靴をこっそりと捨てる人はいるはずだと思います。

 パリには、骨董市がたくさんあります。だけどああいう場所で、洋服や靴を、しかも、中古を売っているのは、見たことがないです。主に家具(シャンデリアとか、室内灯)とか、アクセサリーとか、食器とか?

 ニューヨークは、リユース(中古)の洋服は、売っている店があります。結構数多くあります。でも、パリでは、骨董市はあるけれど、中古の洋服は売れないと思いますよ。個性が大切な国で、「あれ、あの人、私の古着を着ているわ」と誰かに思われたらいやじゃあないですか? だから、古着の売買は、盛んでないと思います。

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 ここで、CIAエージェントたちの分析はひとまず置いておいて、

 やっぱり行ってみると、日本で想像していたのとは、違うねということがあって、まず、ぱりを歩いている人は、意外と背が低いです。

 それから、障害があると、外見からわかる人に対して、非常に親切です。片足がないとか、そういう障害ではなくて、顔を見ると、いかにも知的障害があるねと、言う、、そういう障害者に対しても、心から親切です。

 それから、私が接した人々(大体がアーチストで、文化的素養が高いが)の、根底に、キリスト教精神があるということでした。

 私は、日本で、公開されたひっと映画【例えば、死刑台のエレベーター】などで、すっかり、キリスト教精神など、捨てているのだと、考えていました。

 だけど、行動の選択において、それがあることを知り、驚きました。これは、ニューヨークでも同じです。頭がいい人だけかもしれないけれど、行動の規範にキリスト教があるのです。でね。東大卒よりもミッション系大学を出た人の方が、教養が高いと、いうのは、

 この時の白井夫人を指して言っています。主人が入院して生きるの死ぬのという段階にあることは、電話が盗聴されていて、それが安野家に入っているので、この山全員が、知っているでしょう。で、北久里浜に引っ越していこうとしているのを阻害することとなり、

 それは、あまりにも人間性が低いですよ。東大卒? それがどうした? と言いたいです。

 

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