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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

覚園寺・・・・・(明治以降の苦難と、その不思議な結果)

2010-01-09 15:33:42 | Weblog
 覚園寺さまはグーグルの検索でたくさんの項目があります。それももちろん読みましたが、今回の文章は、まず、私固有の直感に基づいて考えたことを先に話させてください。
 30年以上も前、最初に覚園寺をたずねたときに、お寺側の解説を聞きながら『このお寺は足利尊氏の支援を受けたそうだから(創建は北条氏)戦時中は大変だったのではないだろうか?』と、感じました。南朝側の護良(もりなが)親王を幽閉したのは、足利尊氏でしたでしょう? 鎌倉宮には護良親王の幽閉跡があります。明治期には新政府の廃仏毀釈の影響で、すべてのお寺は苦難に直面させられたのですが、それ以上の苦難が、覚園寺さまを襲ったと推察しています。

 そして、鎌倉宮の境内の相当部分はもと、覚園寺の寺園ではなかったかと思い至ったのです。薬師堂(私が前回本堂と言った部分ですが)の内部の見かけ上の格の高さから考えて、もっと、立派な参道があっても、おかしくないと感じました。でも、それが見当たりません。

 それで、・・・・・寺の領地の、南に向かって、東側、観光客から見れば、向かって右側は、鎌倉宮に取られ、左側は、その後で覚園寺さん側が借地か売り地として、民間にお渡しになり普通の住宅が建っている・・・・と、感じたのです。

 今、WIKIPEDIAを開くと、その件は出ていませんが、別のいじめの件が詳しく出ています。薬師堂(現在ではそれが本堂とみなせる)の天井の梁に、足利尊氏自筆の修繕(火災後の再建、の)寄付者であることの証が貼ってあるそうですが、それを戦時中の軍部が「撤去せよ」と迫りました。史実上大切なものだという判断からでしょうが、それを、断った覚園寺さまは、近所の子供たちからも石を投げ込まれるほどのいじめに遭われたそうです。

 それで、1950年ごろまでは寺園は相当荒れていたと、あります。岩波の写真文庫が出ていて、それによるとそのことがわかるそうです。
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 私は領地の問題とは別に、覚園寺さまの特殊な見学方針、も、そのつらいいじめられた時代を反映した、防衛ごころの表れではないかと、感じても、いました。鎌倉では大仏様も、塀に囲まれています。自由には入れません。入場料を取られます。でも、それは、・・・大仏が大きいし、相当の見世物ともなっているから、観光システムが構築されているのでしょう・・・という感じで不審感なく、見学者に受け入れられています。四時半までしか入れないそうで、それは、遠くからの見学者には不親切ですが・・・・・
 覚園寺さまは塀がある上に、一時間に一度しかもまとまった形でしか入れません。朝の十時から午後の三時までだったと思います。そして、お正月とか、連休時には開けない。

 このシステムこそ、苦難の時代を経た、覚園寺さんが編み出した独特の様式だと感じました。それが、第一回目の訪問時の感想です。

 しかし、その結果、観光寺化が避けられ、寺苑内の、清潔さと自然が保たれました。それは思いがけない幸運とも言うべきでしょう。

 でも、今回お正月篇の私の文章群は『神社仏閣の観光寺化と、お金儲け主義の弊害』をテーマにしたわけですが、それから、この覚園寺さんでさえ、逃れられない模様です。私は最近は行っていないのですが、最後の段階で「見学をなさった方は、ご寄付をください』といわれるその金額が300円から500円に変更となっていて、しかもとても強制的であるとのことです。鎌倉市民は神社仏閣にはタダで入れるパスがあるそうですが、それを示しても「そちらは効きません」といわれるのだそうです。その際のお客側の気恥ずかしさとか、面目を失った感じは、とても切ないことは私には共感できます。お寺側が、普通の人にそういう感覚をおあたえになってはいけないでしょう。

 そういうことが重なれば、前回の冒頭に私が言った、「鎌倉市民としては一番好きな寺ですよ」という敬愛の気持ちを込めて、そこへ遠来の客を案内する人の数が減ると思われるのです。それは長い目で見れば損失です。

 でも、もっとも不思議な事は、苦難の時期を耐えた覚園寺さまが今では一種の傲慢さを示す側に立っていらっしゃることです。禍福はあざなう縄の如し・・・・・の典型例だと感じます。

 また、案内人が最後に御札を進めますが、それが違和感を強烈に抱いたあの日光方式と酷似しているのです。

 ここからは瑣末で些細な提案ですが、解説者(案内人)が、「御札を買うように」と言わないほうがよいと感じます。そして、御札の前には、別の人が待っていて、お金のやり取りをする・・・・・今はお客さんが多いので、既にそのシステムになっているかもしれませんが・・・・・、

 よく「終わりよければすべてよし」というでしょう。日光で衝撃的だったのは、立派な内陣の中の最後で、わなのように・・・お札を買うように・・・薦められる・・・その形式だったのです。もちろんお金を集めることのシステムの構築は難しいです。
 
 覚園寺さんは他のお寺の御仏を集めたり、廃棄される可能性のあった、民家を移築したりして、将来への文化遺産の蓄積をなさっておられます。そして、現在の寺苑内の美しさは、なんと言っても鎌倉一番の可能性はあるのです。それを、大切に生かし続ける際に、人の心のあり方への配慮は、必要だと感じます。一種の演出ですが、演出があるようでないように見える、そういう難しい関門をクリアーしていただきたいと感じます。2009年1月8日 雨宮舜
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