銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

解雇されたり、お店がつぶされたり・・(炭鉱とは?)-1

2010-01-27 21:23:14 | Weblog
 ずっと外出していました。今帰宅したばかりですが、後ろでクローズアップ現代が、放映されています。本日は内橋克人さんがゲスト出演で、正社員が辞めさせられる社会になった、恐ろしさを放映しています。組合として、組織されている人が、18%で、組合とかには、既にほとんどの人が、助けてもらえません。

 このことですが、あいまいにこうなったのではないのです。すべては、仕組まれて、怒涛のごとく、さまざまな分野で、用意がなされ、準備がなされて、こうなりました。

 たとえば、今、電話帳は、非常に薄くて、各・区だけで、一冊が形成されています。昔はNTTの支社は、門戸解放で、ロビーに全国主要な電話帳が置いてあったものですが、今は支社が、ほとんど無くなったり、ドアを一般向けには閉鎖してあって、だれか、名前だけ知っている人の電話番号を知ることは、普通の人には難しくなっています。

 一方で、鎌倉の豊島屋さん(鳩サブレーで、有名な大きなお菓子屋さん)で、お中元を贈ろうと考えると、電話番号だけで、住所がわかりますといわれます。そういうビジネス用のソフトはあっても、ある人が困っていて、『そうだ、学生時代のお友達に相談しよう。あの人は弁護士になったはずだよね。だけど、最近では、ずっと、生活様式が違ってきてしまって(つまり、私は貧乏だから、付き合い切れない感じで)付き合っていないので、年賀状も交換をしていない。どこに住んでいるのかなあ。たぶん、多摩川園だったって聞いているけれど、詳しい住所を知らないなあ』なんて思ったときに、昔だったら、都内の電話帳を調べれば、すぐ、個人名で、自宅がわかったものです。

 今は、”プライヴァシー尊重、プライヴァシー尊重”で、ビジネスソフトを買うような余裕の無いひとには、助け手を求める手段さえ奪われているのです。

 この、”プライヴァシー尊重、プライヴァシー尊重”のムーブメントは、一見すると大切なことで、正しいことのようです。しかし、この現在のぎすぎすした社会を生んだのも、その用意周到に用意された、日本人をお互いに交流させないで、孤立化させ、反抗をさせないで、働き蟻、もしくは牛や馬のごとく、自分たちとはまったく異なった、下にいる意見の無いものとして、働かせたいと思う宗主国があれば、これこそ、都合のよいことなのです。

 日本人が一人一人が、どんなに、苦しもうとも、宮殿のような豪邸に住み、夏は、リヴィエラか、モナコなどに、大型クルーザーで、遊びに出かける宗主国側の人たちにとっては、どっちでもよいことだからです。

 ここで、宗主国というのは、アメリカを指すわけではありません。ガンジーがいた時代のインドでは、宗主国は、イギリスであり、ベトナムも宗主国がフランスであった時代もありました。しかし、今では、大企業は、本社を、スイスとか、そのほか、さまざまな国へ分散しているので、どこかの国が日本を支配しているとは、目に見えてきません。だから、日本人は自らを独立国であると信じているみたいですが、本当の独立国の人たちはもっと元気です。今では韓国人、中国人の方が日本人より元気です。それは、そちらが、どこからも支配を受けていない独立国だからです。

 そして、アメリカ人もフランス人もたいていのヒトは元気です。日本人よりはるかに元気です。しっかりしていて、自分に対して誇りを持ち、したがって、他人に対して親切であります。
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 ところで、マイクロソフト社のビルゲーツ社長は、大金持ちの典型としてよくニュースに取り上げられます。でも、あの人は新参者で、しかも能力で大金持ちになったので、例として、取り上げても美しいし、どこにも問題が無いから、安全パイとして、取り上げられます。そして、ああいうヒトになれる場合もあるのだから、貧乏なヒトはおまえ自身の責任だと、突き放される、最大の例として使われています。

 でも、問題は、もっと別の形で昔から特権を持っていた大金持ちです。庶民には見えない形で、存在するたくさんの大金持ちが、日本からの還流金(金融資産の目減りや、電気代として取り上げられている)で暮らしている可能性はあるのです。

 その流れをずっと、キープするために、ありとあらゆる、・・・・・私の言葉で言えば、用意、または、策略・・・・・が弄されています。そして、何よりもいけないのは、日本人の心そのものも誘導されていることです。

 そして、それらの工作の、ひとつひとつは、その理由も根源も目に見えて来ません。 たとえば中国ではまだ、炭鉱が生きています。でも、日本では次々と閉山をされました。これが、何を意味するかというと、日本にある資産を一切使わせず、海外からエネルギー源を買えと、命令をされていることと同義語です。そして、日本人はそこからもお金を吸い取られてしまっています。
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 かつ、私が特に、心配している二つの傾向があります。それは、KYという言葉で代表される・・・・・『意見を述べることを<ださい>とか、馬鹿げたことだ』とする風潮です。

 もうひとつは、お金持ちを敬い、貧乏人を馬鹿にする傾向です。それに毒された青少年が、多摩川の河川敷に住んでいる貧しい老人を殺したりします。本当に心凍る文化(?)が広まってしまいました。
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 私は、ある時には、「誰とも付き合っていません」といったり、別の時には、「常時、2000人の人と付き合っている」といいます。どちらも、ある意味で本当です。今、グルメ本を見ていると、スイーツ(お菓子)のバイキングが、大流行です。お昼のランチバイキング(または、ビュッフェランチ)というのも大流行です。それは、50代以上の女性が、友達と出かけているのです。週にニ回以上一緒に、映画を見たり、買い物をしたり、楽しんでいます。専業主婦もいますが、働いている主婦もお小遣いがあるので、小旅行に女同士で出かけたりしています。だけど、私はそういうことはやってはいません。でも、銀座で絵を見ることを中心として、しょっちゅう出かけています。

 その出かけ先で、すばらしい出会いがあるのです。画家だけではありません。

 駅にいれば、ふと、荷物を持って階段を上がってくれる人に出会ったり、ありとあらゆるところで、人の親切に出会います。林住期という言葉があるそうで、仏教の世界ではある年齢を超えたら、すんでいるところとか、財産を捨てて、旅に出て、人と交流することで、修行を果たすという学び方が、あるそうです。私は天才ではないし、宗教家でもないので、家を捨てたりはできません。食べたり生活をしたりしなくては成りません。

 でも、絵の世界での、ポジションをキープしたり、出世することを捨ててしまっていて、そういう意味では、無一文です。そして、日夜、日本とか、日本の普通の人が幸せになることを祈っています。すると、そのことへの天からの、お返しだと推察するのですが、しばしば、ヒトの親切に出会うのです。

 ですから、毎日、毎日、あらたなエネルギーを与えられます。で、そういう一期一会のヒトも入れれば、総勢五千人と付き合っていると豪語できます。

 そして、そういう普通のヒト、無名のヒト、そして、親切なヒトこそ、もっともよき、日本人だと気がつきます。
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 それなのに、まったく違うタイプのヒトにも、出会ったりします。こちらがやむを得ず体がぶつかったりすると、突然怒り出す男性とか。・・・・・そして、テレビのヴァライエティ番組でもしょっちゅう見ますが、ヒトをいじめることで笑いを取る人たち。これが社会全体にどれほどの悪影響を与えているでしょうか? これをストップできるほどの英傑が出てきません。政治家を敬わない風潮があるので、真の英雄が出てこないのです。小沢幹事長など駄目ですよ。自分の身内に対しても、やくざのしごきまがいの圧迫を与えているのは、方々から聞こえてくる、真実です。

 そして、その集大成として、貧しいことや、どこか、平均以下であることを、極端に嫌い、目をそむける風潮が出ています。それらは、その個人の責任であるかのごとく考えて、救いの手を伸べることとか、それを、自分のこととして考える風潮が一切失われつつあります。

 これは、つい、150年前から、60年前の日本人には、無かった傾向だと思います。それが残念です。どうして、そうなったかを今日は述べませんが、・・・・・・
                      2010年1月27日   雨宮 舜
コメント
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