銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

日光の2・・・・・(堕落は、案内人制度から生まれたのか?)

2010-01-03 22:33:58 | Weblog
 ブログでは、昨日深夜、日光神域の運営に関する批判文を上げました。それは、長いものと成りました。まあ、最後の一節はきれいなところで終わったと自負していますが、冗長とも思われる長さに成ったのは、躊躇があったからです。私は一個人であり、日光の神域に関わる人々は大勢です。多勢に無(武)勢で、何を言っても効果がないであろうと思うし、また、自己の立場を勘案すれば、遠慮もあります。
 
 だけど、世界遺産に選定をされた、大観光地であり、外国からのお客様が多い模様ですので、海外の遺跡も訪れたことも多い私には、不満が残る点が多いし、心配なポイントも多いのです。『これは、まずいなあ』と、しかと感じました。

 昨日も触れましたが、一番の問題点は、立派な文化財の出口で、お札を売っていることであり、そのお札を買うように、文化財の説明文の最後に、宣伝が付随してしまうことです。宗教と金儲けが混在しているようで、それは、一種の堕落の気配に通じるからです。

 私自身は美術品を文化財として拝見したくて、観覧券を買って入っているわけです。しかし、堕落の気配を感じてしまっては、文化財の美が素直には、心に伝わってきません。すると、寺(または神社)園内のあらゆることが、薄汚れて見えてしまうのです。これは、非常に残念なことです。

 『そういえば』と思い当たるのですが、鎌倉に関してはテレビ局が何十回も案内番組を作ります。そこは、人気のある観光スポットとなっているわけです。それでも、『食堂など、観光地値段のところがあるわね』と感じるところもありますが、チェーン店も多いのでリーズナブルなお値段で、お昼を食べることができます。名物レストランは、それなりの出費を覚悟して、そこを目的に出かければよい、そういう場所です。ほとんど、一ヶ月に、数回は、その案内番組がテレビに出ます。

 しかし、同じように東京から一時間(東武を利用すれば、そうらしい)で、行くことができる、日光について、番組が一月に何本も企画されることがありません。それは、意外と、普通の人には、人気がないということを示しているのではないでしょうか? リピーターがいないということ。

 『遠くから来た、修学旅行生と、中国等からの団体客が、いっぱいだから、これで、いい』という考えが、市や観光協会や、何よりも寺社仏閣に存在しているように感じます。どこか、お金・ぶったくり主義という気配を感じさせるからです。

 一番いやなことは、輪王寺の本堂(または、阿弥陀堂というのか?)の内陣にお客を入れるが、その出口に隘路として、または、トラップ(わな)として、お札の販売所が設置されており、そこを通るときに、そのお札の値段を見てしまわざるを得ないことです。同じことが東照宮の薬師堂(鳴龍の天井で有名なところ)でも、繰り返されます。

 その御札の値段ですが、2千円の模様です。普通の寺社仏閣ではお札とは、守り札として、錦の袋に入れて売っていて、500円から、1000円の間です。だから、まず、お高いという感覚を得ます。

 もちろん、山伏修行の地で、密教だから、ご利益が高いといっても、それならそれで、信仰の対象と成るわけですから、それが、こんな安易な方法で売られていては興ざめです。それを狙うなら、ちゃんとした、形で、一万円以上をお払いして、祈祷を受け、きちんとした、木の札をもらう、他の寺社仏閣の制度のほうが、よほど、清潔です。

 もう、固まってしまった形式でしょうが、改良をなさることを望みます。
昨日言った様に、このスペースに観光客を入れないこと・・・・・それによって神秘性を保つ・・・・・・今では、神々しさは微塵も感じられず、したがって、二千円のお札も、西洋中世の免罪符のごとき、軽々しさと、まがまがしさを感じさせます。宣伝文もいけないのです。「あなたの一生をお守りします」と大げさですので、参ってしまうのです。

 われわれは騙しやすい子供ではありません。みんな心の中を、澄ませていて、ものを考えている存在です。たった、二千円を出した紙切れで、一生を守ってもらえるなどとは誰も信じないでしょう。ご利益はせめて、一万円以上のお金をお支払いすることで得られると感じます。だから、あの御札販売は、あの形式では、やめて欲しいものです。

 ともかく、清潔さを感じさせることが寺社仏閣では大切です。それは、お金儲け主義を目立たせては、それだけで、不潔さを呼び、堕落を感じさせるものと成ります。あの、日光神域では、目玉商品たる二つのお堂内で、お金のやり取りが行われています。これは、止めてほしいものです。

 鎌倉では大きな方である妙本寺(これから、観光地化しそうで、心配ですが)も、光明寺も御札販売の場所は目立ちません。もっと小さなお寺ですと、玄関を開けないと、御札の販売が見えない形さえあります。

 それぐらいの、たしなみの心が、必要だと感じました。東照宮のトップとか、輪王寺のトップは、神社庁のサラリーマンとしては、上のほうの方でしょう。しっかりとした宗教観を示していただきたいものです。『惰性に流れすぎておられる。それは、無責任というものだ』と感じました。

 付け加えれば、徳川家康のお墓へ、向かう石段は清潔なのに、頂上にも御札の販売所があったことも問題です。あそこだけでも清潔さを保って欲しいものです。また、その山への入り口に、有名な左甚五郎の招き猫の欄間があるのですが、そこへ、統一入場券では入れないというのも、『あれ、一種の騙しみたいだわ。わなに引っかかった』と感じさせられてしまいます。なお困ったことは、消費税込みらしい、520円という値段設定です。それにも大いに疑問を感じさせられます。『徳川家康のお墓って、商品なの?』と感じさせられるからです。

 ともかく、随所、随所に、お客様を子ども扱いにした、換言すれば・・・馬鹿扱いをした・・・措置がみえるので、残念至極です。

 東照宮宝物館ですが、館長もしくは学芸員と思われる中年の女性が、懇意なお客に、長々と個人的な挨拶をロビーでやっておられるが(それは、他の美術館でもあることでしょうが)肝心の展示品が、模型とか、レプリカが多いので、その挨拶さえ、怠慢の姿勢の表現と見えてしまいます。

 しかも入館料が五百円なのに、展示品に関するチラシ等が置いてありません。これは、パソコンプリントアウト、二枚程度でもよいから、きちんとタイトルと、制作年ぐらいの、データを開示して受付で、自由にいただけるようにするべきです。八つ当たり気味ですが、三室あって、模型が多いので、『これもいやだなあ。高いわ』と感じます。
 日本刀などは美しいのですが、重要文化財が三点あるはずなのに、一点しか展示していないし、他の二点が、どこにあるのかを、私なんかは知りたいと感じます。

 そして、私程度の要望を持っている、海外からのお客様は多いと感じます。ちょっと館側が、勉強不足です。努力不足です。館長さんは、立場に、安住しすぎです。
~~~~~~~~~~~~
 で、総合して、何が問題なのかを考えると、お金儲け主義が前面に押し出されすぎていて、それが、お客の満足度を、そいでいることです。

 どうして、こうなっているかを考えると、もしかすると案内人制度に問題があるのかもしれません。輪王寺への裏参道を登っているときに、門の右側に「何とかの合同庁舎」という看板が出ていて、門の左側に、『何とかの案内人共同組合』という看板が出ている近代的な建物がありました。

 これは、公の組織と民間の組織が同じ建物を使っている珍しい形式です。が、それが、精神的な癒着というか、何かに連なっていたら問題です。ところで、あの説明文を読む人たちが、お坊さんとか、神官であろうと考えた私が、もし、間違っているとしたら、案内人という人たちなのかもしれません。だから、商売っ気を出すことに,良心のやましさを感じないのでしょうか?

 そして、御札そのものの売り上げ・利益が、案内人に入ることになっているのかしら? 一種の歩合制で・・・・・これらは推察の域を出ません。もちろん、今日光神域で、生きている人すべての、生活を保障することは大切です。

 それは、日光神域全般の収入を、上手に分配することにかかっていると考えます。それについても、トップには、大きな責任があると感じます。

 改革は大変でしょうが、今の状況は、日本有数の文化財を展示する場所としては、まずいことがいっぱいあります。ぜひ、改善して欲しいです。
    2009年1月3日     雨宮 舜
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急提言(澤田美喜)BSジャパン、夜七時、推奨

2010-01-03 13:45:08 | Weblog
 既に、ご覧になったでしょうか? 本日(2010-1-3)夜七時(日本時間)で放映される『トンネルの向こうは僕らの楽園だった』は、すばらしい番組です。最初は地上波(テレビ東京)で、放映されました。

 新聞の予告編を見ると、一行だけですが、『日本放送文化大賞受賞』とあります。それで、お正月向きではない番組ですが、ここで、放映されるのでしょう。

 お正月向きでないという意味は、登場人物が派手な人たちではないからです。60年以上前に、混血児としてこの世に生を受け、さまざまな苦労をされた普通の日本人が登場するからです。しかも、彼らは既に老境に達しています。

 そういう意味では、お振り袖を着て司会者や発言者が現れる、お正月番組とは一線を画するものです。だから、録画等をしていただいて、後日に、ごらんをいただきたいと感じます。
~~~~~~~~~~~~~~
 日本という国が内包する差別の問題を克服するためには、差別を受けた側からの発言は大切です。それと、澤田美喜さんと言う一人の立派な人間の姿が立ち上がる、設定と結果になっていますので、生きる勇気を与えられます。

 澤田美喜さんの存在と、業績は長く記憶にとどめ置かれるべきもので、この
様な番組が2009年に制作放映されたのは、とても、ありがたい、そして、誰にとっても大切なことだったでしょう。では、おせっかいながら。

 なお、今日は昨日の深夜アップし、12時間で更新してしまった、日光の寺社運営への疑問の文章が下に残っています。そちらもどうか、ごらんをいただきたく存じます。では、ここで、2010年1月3日  雨宮 舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする