銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

映画『牛の鈴音』に、癒されて、帰宅をしました。

2010-01-26 12:47:36 | Weblog
 2010-1-25日の夜、韓国映画『牛の鈴音』を見てきました。現在ブログやメルマガで書いている政治的なことと、離れますが、よい仕事をしている人を、いろいろな人へ伝えたいおせっかいな思いもありますので、ちょっと、感想を書かせてくださいませ。

 予想ほど、涙は出ませんでした。新聞(日経も朝日も)の批評はすこぶるよくて、涙が出るのだろうと思っていましたが、それほど、涙は出ませんでした。私が年だからなのでしょう。鈍感に成っているのかな? 若い人なら、泣くかなあ?

 私はある映画評論家の方から、「どんな映画が好きなんですか?」と銀座の画廊内で問い合わせられたときに、「涙がぽろぽろ流れる映画が好きです」と答えたのですが、この『牛の鈴音』では、ぽろぽろとは出ませんでした。
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 だけど、悪い映画かというと、全然そうではなくて、考えさせられる、そして、何よりも癒される映画です。『癒しが大切だ』と言うのが今のトレンドですが、本当に心が癒される映画です。

 私の場合、最近、『命を食べる』という映画も見ていて、(それは劇場公開よりずっと後で、鎌倉の公会堂での自主上映会ででしたが)、肉を食べることの罪深さをとことん、自覚をさせられた後ですから、(間にフランス映画『メスリーヌ』の前・後篇をはさんだかな?)

 こころから癒されてありがたかったことです。『命を食べる』は欧米が舞台で、監督もスイス人(だったと思う)ですが、野菜や果物をはじめ、ほとんどの食料が、効率を追って大規模生産をされている現場を、バックミュージックと、ナレーションなしで、淡々と、披露をしたものです。

 今回の『牛の鈴音』もまったく同じ手法(ナレーションなしで、判音もなし)で作られています。が、お互いの提示するものが圧倒的に違うのです。どちらが、悪いとか、よいとか、言っているのではなく、牛への扱いがまったく違うのです。欧米の映画の方では、鶏、豚、牛が、子供のときから100%管理されて育てられ、食肉になる過程もショッキングなこと限りが無い、処理で、進みます。

 だけど、こちらの『牛の鈴音』内では、現実にはありえないほどの、理想的な形で、牛が扱われます。だけど、ここに登場するご夫婦は実在の人たちで、かつ、老い切った役牛を飼っているのも、本当のことで、監督がそういう素材を探していたら、誰かが見つけて教えてくれたそうです。
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 これから、先は、この情報を得た後にご覧になる方のために、邪魔にならない形で、ニ、三、周辺の事実を、書かせていただきたいと存じます。

 まず、プログラムによると、韓国での公開一ヵ月後に、大統領ご夫妻が、普通の映画館に見にいらっしゃったそうです。すばらしいことですね。私は上野の博物館に天皇ご夫妻がいらっしゃったときに、すさまじい警備がなされていること知ったので、日本では、こういうことが起こりえないのをさびしく思います。韓国国民は幸せです。

 それと、在日(日本)で育ったイ・ミョンバク大統領の民主主義的な、性格を示していて、ちょっと、誇らしいです。日本の戦後のよい時期の雰囲気を身につけていらっしゃって。

 比較して、金正日総書記をお考えください。国民に不自由と貧窮を強いながら、自分だけは特別映写室を持っていて、海外の優良な映画を見放題だそうです。だけど、国内からよい映画は、出てくるはずも無いです。

 私は創作者の片割れとして、『だから、自由が必要だ』と考え抜いていて、『神奈川県知事が率先している禁煙運動の高まりなどは、まったく不必要で、国民を苛め抜く恐怖政治の始まりだ』と考えています。それも、民主党政治に、大きな危惧を抱いているゆえんです。

 ちょっと、油断をすると、日本だって、すぐ、北朝鮮になります。小沢幹事長の横柄と言うにきわまる態度を見ていると、そう感じます。そして、日本、および世界中の、マスコミが、小沢幹事長を、持ち上げきっている姿を見ていると、末・恐ろしいです。

 韓国・国民は、は今のところ、本当に、幸せです。
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 他にも、監督の牛の観察がするどいことにも感心しました。監督は別の機会に、偶然取材した牛の売買市場で、売られた牛が、(肉に成るわけでもなく)、ただ、飼い主が変わっただけで、涙を流したのを見たのが、この映画を撮る動機のひとつだったそうです。だから、この映画の重要な主役は牛です。

 そして、監督の父が、農民として、労働しきって、自分を大学を卒業させて、知識人としてよい仕事をなすまでに、育ててくれたことへの感謝が、この映画制作の動機だそうで、そのコンセプトがすばらしいがゆえに、映画のできもまた、すばらしいのです。

 また、主人公のおじいさんが、数等の牛を同時に飼っていて、それらの牛の性格がそれぞれ違います。それが、対比となって、主役の牛の性格が際立ちます。それにも感心をしました。ドラマが無いドキュメンタリーなのに、ドラマが出来します。

 若い方の子育て中の牛の方が、主役の老牛より、先に夕方の草をもらいます。ミルクを出している最中ですからどうしても、気を使ってもらえます。その間に老牛のほうはつい忘れられたりします。たまたま、口には、ガード用の網がかけられていて、何も食べられません。その網が掛かったままで、口が開かないのに、おなかがすいたから、草の山に挑む、切ないほどの、かわいらしら。・・・・・おばあさんなのにかわいくて賢い牛なのです。

 草ではなくて、おからや、とうもろこし等のえさを与える飼い葉桶は、丸太をくりぬいた昔風のもので、隣の若いお母さん牛と、つながっているひとつのものです。小屋には仕切りがあるのに、若い牛は意地悪して、老牛が食べられないように、隣まで首を伸ばして邪魔します。困っちゃうのにそれをやります。

 こういうあたりの描写は、演技者が牛なので、教えられた演技ではないので、撮影したこと・そのものに、大いに感心しました。監督は偉いです。ともかく、しみじみとした、癒され状態の、一時間でした。

 『ぴあ』などでは、都心・三館上映となっています。私は、シネパトス(銀座)で見ましたが、一応2月5日までの上映が決まっているそうです。が、1月30日(土)からは、午後のみ4回上映だそうです。新宿と渋谷でも、ほとんど、同じ形式で上映を続けるのではないかしら。郊外にも回ればよいのですが、どうなるかなあ?

 もうひとつ感心したのが、タイトルロゴです。原作はハングルですが、日本語の書道は菅原文太さんの字(筆書き)だそうです。農業に興味があるので、頼まれたらしいのですが、すごくよい字です。特に『牛』という部分がすこぶる柔らかくて優しくて、よい感じです。それにも感心しました。では、今日はこれで。
             2009年1月25日に書き、送るのは、26日 雨宮舜

 
コメント
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