銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

日光の4・・・・・福王寺法林の絵が、泣いています

2010-01-05 11:23:43 | Weblog
 日光の4として、些細な話、重箱の隅をつつくような話を、さらに続けましょう。その方が私らしいし、生き生きとしたメッセージと成るはずですから。どこからもお金をいただいていないライターである私だからこそ、書ける話というのはあるのです。遠慮をしない批評、遠慮をしない分析というのができるのが、名誉もお金もない人間の唯一の特徴です。

 さて、前報で・・・・・輪王寺の宝物館だけは行きませんでした。それは、順路から外れているからです。・・・・・と書きました。が、そこで、書き落としたことがもう二つあります。
 ひとつは、東照宮宝物館が四時に終わるのです。そして、そこの出口で三時四十五分に既になっていたので、輪王寺も駄目であろうとおもったのが、主たる理由です。
 が、東照宮の宝物館の入場料が、500円であり、主人が「入るのはよそう」といったことにも影響を受けています。それを、押して、私が切符代を払って(大体、こういうデートは主人がお金を出してくれますが、今回、入場料の類二人で6千円は全部私が出しました)入館をしたのですが、その口論めいたものを、もう一回輪王寺・宝物館前で、繰り返すのがいやだったのもあります。

 私たち二人は、日光にいる間は、「この神域ではお金取り主義が蔓延していて、いやだわね」という会話は一切しませんでした。そんなことは恥ずかしい会話です。それこそ、神域内では交わしたくない会話です。ただ、その宝物館にはいるかどうかの一瞬に、主人にも潜在意識の中では、『いやだなあ』と考えているのだというのを、感じました。

 その二時間ぐらい前に、眠り猫の前で、520円を払うときにも主人は反対しました。「別に見なくてよい」といいました。

 で、お金の件でさらに言えば、私は後刻、統一入場料を二千円に上げて、すべての鑑賞者に切符を買わせる案を出しますが、ここで、お金からいったん離れて、宝物館そのものが持っている問題点に入りたいと考えます。

 私たちが退出したときに、時計を見ると三時四十五分でした。しかし、入り口のあつい木の扉(4枚のうちの3枚)が既にしまっていて、『あんたがたが、今の時間までいて、困るのよ。お正月なのに早く帰れないじゃあないの』と、言われているような気がしました。たしかに、お正月の二日に開館していただいたのは、ありがたいことでしたが、普段の日も閉館時間は、4時の模様です。これは、ずいぶんと楽な職場ですね。・・・・・最後の文章は、ちょっとした嫌味ですが・・・・・

 私はなんとなく、ピンと来て、先ほど、切符を売り、かつ切ってくれた受付嬢がいるかどうかを確認しましたが、すでに、いませんでした。デスクは空っぽです。これは内部では温情の発露であっても、外部の人に対しては、失礼極まりない措置です。

 そのときに、私は入館の際に、彼女が示した失礼な態度をも強烈に思い出しました。それは、受付のデスクの右側にチラシがおいてあるのですが、その受け渡しの際に示された無言の返礼のことです。

 そのチラシの山は一切の説明がない形で、しかも文鎮がおいてあって、とりにくい形になっています。館内には風は吹いていませんので、いかにも、『あなたには、上げたくない』という意志が示されています。

 表は何か、地図みたいで、観光案内めいていますが、私は、今、自分が67歳であり、二度と日光には来ないであろうから、ありとあらゆるものが勉強の対象であり、たいしたことの無いものでも、いただいて帰ろうと考えています。

 で、「これ、頂いていいですか?」と聞くと受付嬢は無言です。で、駄目とは言われないので、主人と二人分二枚めくってとり、「じゃあ、頂きますね」といっても無言です。こんな無愛想な受付嬢は、見たことがありません。美術館に勤めるというのは若い女性にとってはとてもよい職場で、たとえパートとしても、応募したい人は多くて、たいていはコネで決まるものです。

 だから、この美しく若いお嬢さんも日光のしかるべき有力者のお嬢さんでしょう。だけど、この無愛想ぶり・・・・・ここに、日光の抱えている、怠慢が集中して現れているとさえ感じました。

 館長さんは日光内の官僚制度の、天下りの可能性があり、美術館としての本来の使命にはなんら、関心が無いのでしょう。
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 このお嬢さんを弁護するために、せめてもの、推察を加えると、この印刷物は裏表カラーであり、裏は収蔵品(主に絵画)の説明でした。私が二報前に、説明のチラシをもらえないと書いたのは、間違いで、もぎ取った形ではありましたが、収蔵品の説明は、一応はあったわけです。でもね、部数が残り少なくて、館側としては、配りたくないチラシなのかもしれません。
 本を自分で作ったり、個展の案内状を何回も作った経験からすれば、相手が日光東照宮ですから、印刷所は安心してお金を取るから、こんなチラシでも、30万円ぐらいは、経費がかかっているのかもしれません。

 しかし、最近ではあらゆる場所で経費削減の運動が高まっています。だから、このチラシを再び、改良して印刷する予算的な余裕がない。だから、お客に上げたくない・・・・・それで、受付嬢は無愛想であった・・・・・は、は、は。想像のしすぎですが、そうとでも考えないと、無理ですね。あの無愛想がどうして生まれたのかがわかりません。

 育ちのよいはずのお嬢さんが、うちと外の区別の厳しい日本社会で、美術館の受付嬢という、体面もよく、誇りも高い職場に勤務しながら、仏頂面であることは考えられないことだからです。
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 しかし、スタッフ教育とは別の面で、もうひとつ決定的な失態があると感じました。それは、第二室に見られる現象です。入り口に、福王寺法林氏の大作がかかっています。縦五メートル横五メートル近いもので、上空から、飛行機までとばしたそうで、かつ制作に三年かかったものだそうです。ということは作家本人側からの勝手な寄贈品ではなくて、注文の上の宝物だと感じます。しかもLATEST(最も新しい)作品であろうと、推察します。

 しかし、展示の方法が、壊滅的に駄目なのです。作品に対しても失礼であり、お客に対しても失礼です。
 第二室は、小さい作品用にガラスケースが、多数おいてあるので、部屋全体が暗いのです。で、墨が多用してある黒目の作品は細部が見えません。スポットライトさえ当たっていないのです。

 しかもまずすぎることには、その絵に向かって正対したお客の背後にある湯釜に向けられているスポットライトが、絵を見る観客の芽をいるものですから、なおさら絵が見難いのです。

 『こんなばかげた展示方法を、放っておく館長とはいったい何なのだ?』
と怒りがわきます。ただ、ストレートには弾劾をしたくないので、この件でもさまざまな裏を想像してみましょう。

 ともかく、この第二室には、収まりきらない絵画です。だから、最初は別の部屋に飾る目的で、発注をされたと仮定をして見ましょう。しかし、昔、誰かが「宝物館の宝物の展示が、軽すぎる」と文句をつけたとしましょう。それで、急遽ここへ移動をした・・・・・となると、こんな無理な形の展示もありうることと成ります。でも、証明だけでも、新たな工夫をなさらないと駄目でしょう。

 もうひとつ、は、関係者全員は善意を持っていたが、たまたま、調子が狂ったのだ・・・・・という説もあげておきたいです。
 東照宮様は、発注する際に、福往寺法林さんが普段上野の美術館で発表をなさっている、縦2メートル、横二メートルぐらいの作品が届くつもりだったが、
 吹く往時三の方で、「東照宮様から、注文が来た』ということで張り切りすぎて、これほどの、大作になったという案です。

 だから、どうしようもなくて、こんな収まりの悪い形になっているという推論です。この推論がたとえあたっていても、現在の状態はいけません。何らかの工夫をなさるべきです。
 
 上の様に連綿として、文句を重ねたのはなぜでしょうか? それは、この東照宮宝物館が今のところ、唯一無二の清潔な空間であるからです。静謐です。だから、お金取り主義でがっかりした心を洗える場所なのです。そこで、この日光の遺跡を訪れた人々に最終的な満足を味わって帰って欲しいからです。、そのためには他でもお金が取られるので、ここは、入場料三百円程度にするべきでしょうね。安くして多数のお客様が入ったほうが、どちらにとっても、よりよいことだと考えます。


 なお、本日は、15時間半で昂進しましたので、夜にごらんをいただく方は、下もごらんをいただきたく。では、   2009年1月5日    雨宮 舜
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