豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

私にとっての憲法

2017-12-15 | 気になる本

岩波書店編集部(2017)『私にとって憲法』岩波書店

 はじめにで述べている通り、憲法制定70年の時に、憲法改定を目標とする安倍政権で、武器輸出三原則の見直し、特定秘密保護法、集団的自衛権を容認した安保法制の制定、共謀罪法など憲法上疑義がある事件があいつぎました。さらに、国民の議論の不十分なまま時の政権の都合で、改憲が進められようとしています。このような時こそ憲法をどう見るか多彩な人の考えを集め、憲法を考える手がかりとなる本です。以下、気になる人の個所をメモしたものです。

 憲法前文の勢いについて(藤原辰史)

 憲法の前文を読んで、絶縁状を想像する。あまりにたくさんの人が焼け焦げ、熱に溶け、飢えて死に、自殺を強要され、船と共に海の底に沈み、人々を撃ち殺し、手足を引きちぎり、毒ガスで呼吸を止めました。わが子を水につけて殺し、家屋と毒薬を飲み、手榴弾を胸元で爆発させ、海に身を投げました。わたしは悪くなかった。しょうがなかったんだ。なんてあなたはその程度の人だった。理想が簡単に実現しないなって百も承知です。

 押しつけ憲法論は無用ではないか(米倉明)

 「押しつけ憲法論」は改憲推進にとって必要なのかと思う。これらの疑問ないし欠点は、9条や25条という重要規定は日本人(幣原首相、鈴木安蔵、森戸辰男)が発案し、占領軍がこれを容れたという事実を無視しているとか、「押しつけ」があったとしても、それを招いたのは敗戦で、その敗戦は同論の論者の身内、先代先々代にあたる人物の戦争指導の誤りによるものなのに、そのことにつき何のあいさつもなしに「押しつけ」と罵り、ついてこない国民をあたかも恥知らずの愚民といわんばかりの高飛車な態度がうかがえ、どうひいき目にみても違和感を覚える論調である。

 二つの憲法危機を体験して(石田雄)

 今日の憲法危機に対処するため明治憲法とふたつの類似性に留意する必要がある。ひとつは既成事実の積み重ねによる漸次的な立憲主義否定の傾向である。明治憲法の危機は明確な転換点を示すことなく意識されにくい形で進行した。日本国憲法の危機もテロ対策措置法、イラク復興支援措置法などという形で海外派兵を繰り返した上で集団的自衛権承認に至った。今後海外での武力行使が実行されると、それが報復を生み、それによる軍事的対立の激化が内外の犠牲を増大させ、その結果国内の排外主義とそれを利用した権力支配の強化を招く。これでは敗戦前の危機の繰り返しになる。もう一つの類似性は立憲主義を否定するために愛国主義に向けて道徳的・心理的要素を動員する点にある。教育基本法の改正、道徳教育の教科化、日の丸・君が代強制など愛国心育成と、その方向でのメディアの動員という面では、戦前の国体教育と国家総動員の恐ろしさが思い出される。

 信教の自由、政教分離をどう捉えるか?(島薗進)

 国が特定宗教を支持しないという「政教分離」の理念は、日本宗教連盟が一貫して掲げてきたものである。だが、実際は靖国神社、伊勢神宮、皇室祭祀についての神社本庁、及び日本会議系の宗教団体の立場と、他の大多数の宗教団体の立場とは異なっている。神社本庁、及び日本会議系の宗教団体は、国家と靖国神社、伊勢神宮、皇室祭祀が公的な関係を持つことを押し付けようとしているように見えるのだ。

 記憶と政治、尊厳と憲法(岡野八代)

 権力者たちは、立憲主義に対抗する国家主義(個人、そしてその個人を育む家族は、国家の繁栄のために存在する)に表れている。さらにいえば、小さく脆弱な個人を石臼でひき潰すかのように苦しめても、なんら痛痔を感じない政治の特徴も表れている。その特徴とは、空間への固執と時間の軽視である。安倍政権は、領土問題を最重要課題とし、歴史を侮辱する。軍事を重視し教育を軽んじるのも、いまだトリクルダウンを信じきめ細やかな再配分にも見向きもしないのも、その表れだ。

 憲法に責任を押し付ける前に(PANTA)

 いまの改憲派・護憲派に情熱や覚悟はあるのだろうか。自分たちの情熱を真剣に注いで、「こうすれば、よい国になる」という思いをもって運動しているのか。自分の主張に対する覚悟を持てているのか。

 空文と化した憲法9条の戦争放棄条項(西山太吉)

 在日米軍は、いまや本来の目的とされた日本防衛のために駐留する軍隊ではない。米国防総省の国際軍事戦略を忠実に履行する最強の海外軍であり、その駐留維持費の約8割を日本は負担している。問題の本質は、すでに憲法9条の戦争放棄条項は、完全に空文と化しているという現実である。その空文を違憲の現実に対応させるべく、改定しようとするのか、それとも違憲の現実そのものを根本的に改造しようとするのか、いま問われるのはその選択である。

 どのように「自らのものとして」持つのか(白井聡)

 憲法をめぐる真の問題は何であるか。そのきっかけは、矢部宏治『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』である。同書の憲法問題のスタンスは長谷川正安である。「二つの法体系」論は、戦後表面的には憲法を最高権威としているが、実質においては日米安保条約が憲法に優先するものとして構成されている、と捉える見方である。

 多様性の器としての憲法(平野啓一郎)

 財政的にも逼迫し、個人のアイデンティティの拠り所としても弱体化していく国家は、その独占的な役割として、安全保障や徴税権に固執してゆく、その危機感から反動化して、個人の監視が強化され、国家権力が前面に出てくるというのが、現状です。本当は福祉こそ、国家が最後まで担うべき領域だと思いますが、そうした国家に、自己を仮託する愛国主義の循環現象も目立ってきています。

 日本国憲法はグローバル時代の救世主(浜矩子)

 「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」。よくぞ言ってくれたと思う。「アメリカ・ファースト」ではダメなのである。「我が国さえ良ければ」主義を、日本国憲法はこんなに明確に否定してくれている。

 第9条のこと(半藤一利)

 第9条の存在意義をいうなら、戦後70年わが日本は一度も戦火を交えることがなかった。日本の正規軍の兵士が他国の領土で人を殺していない。その第9条を廃絶するということは、軍隊をつくって「人の喧嘩を買って出る権利」を持ちたいということである。焼け跡でほんとうにたくさんの、人間ではない炭殻となった焼死体をみたわたくしは、死ぬまでその主張にくみしない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする