豊田の生活アメニティ

都市デザイン、街歩き・旅行、くらし

神野「地域再生と経済学」②

2024-05-20 | 気になる本

共同体の共同作業は、共同体の生産活動の前提条件を形成することにある。農村で言えば、水路を共同で建設して共同で管理したりすること、都市で言えば、街路を共同で建設して共同で維持することなどが、共同体の共同作業として実施されてきたのである。共同体の相互扶助によって担われてきた機能には、教育、、医療福祉サービスがある。

グローバル化、ボーダレス化に伴い、中央政府が張る現金給付による社会的セーフティ・ネットは綻びはじめている。それを地方自治体が現物給付による社会的セーフティ・ネットで張り替えなければ、産業構造を転換させて地域社会を再生することはできない。

人間の新しい欲求は、人間の生活から生まれる以上、生活に密着して観察していれば容易に把握できる人間の生活から遠い政府である中央政府では、こうした新しい欲求は把握しがたい。スウェーデンでは雇用と福祉を重視する伝統生かしながら、新たなヨーロッパ社会経済モデルを追求している。

「行政改革」といえば、内部効率性のみを追求しがちである。しかし地方財政では外部効率性の方が内部効率性よりも重要である。外部効率性とは、地域社会のニーズに合っているかどうかと言う効率性であり、ニーズに合ってない公共サービスをいかに安い価格で生産しようとも、それは無駄であり非効率である。(豊田市の「行政改革」は民営化や市民サービスのカットで、何億円経費削減されたかを競う。一方で、駅前開発は大金を使い綺麗になっても賑わいがない。市民の6割は効果がない、としていても失敗を認めず、今後の整備計画も「隠ぺい」である。)

地域社会の再生には二つのシナリオがある。一つは、あくまでも工場誘致という従来の戦略の延長線上で持続可能性を求めるシナリオである。しかし、工業分野では地域社会は新興工業国の新しい追い上げに直面している。もう1つは、地域社会を人間の生活の場として再生させるシナリオと言ってもよい。

日本でも環境と文化をキーワードとする地域社会再生が始まっている。1990年代から施行されている湯布院町の「麗いのあるまちづくり条例」は、湯布院町のかけがえのない資産である。高知市も人間の生活空間として都市づくりを目指している。ショッピングセンターの機能を併せ持つシネマコンプレックスの建設を拒否している。高知市は京都市について古くから路面電車を敷設した。(90年代地方からまちづくり条例ができた。真鶴町の「美の条例、豊中市、世田谷区の自主的なまちづくり協議会などである。都市計画の分権や景観法もできたが、規制緩和で容積率は緩和され高層建築は止まらず、「建築自由」で都市法は改悪され日照、景観、空地など居住環境は悪化している。)  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神野直彦「地域再生の経済学」①

2024-05-19 | traveling, town walking

神野直彦(2002)『地域再生の経済学』中公新書

「財政と民主主義」を読んでの再読である。そこには財政あっての経済とある。国家債務が危機的な状態にある中、国の失敗を国民と自治体にしわ寄せする。それでも武器の爆買い、自民党の裏金である。国民の怒りは3補選で野党勝利に表れた。以下本の抜き書きである。(  )内は私のコメント。

 工業都市が衰退しているのも、歴史が工業社会から情報・知識社会へ転換しているからである。情報・知識社会になったからといって、ものづくりが終わりを告げるというわけではない。(ものづくりは農林業も含むべきである。)生産性の向上とは、人間の知識の向上のたまものである。工業社会から情報・知識社会へと転換するエポックに、工業都市は衰退し地方都市は荒廃する。そこで都市再生が課題となる。(全国的に工業都市は衰退したが、地方都市の豊田市の工業は衰退していないけれど、人口減や下請け企業と農林業の衰退などがみられる。)

 ヨーロッパの地域再生とは、市場主義によらない地域再生であり、それは市民の共同の経済である財政による地域再生と言うことができる。都市再生のキーワードは環境と文化である。自動車の侵入しない人間が歩きたくなる市街地の地価は上昇し、高級ブランド店やフランチャイズ店が進出して商店街は活況を呈している。市場主義による都市再生によって市街地の地価が下落し、かつ商店街が荒廃している日本の現状とは好対照をなしている。(現在はEUでは移民が増え右翼ナショナリズムが台頭。豊田市では再開発で高層ビルが出来、人口が増えても既存の商店は追い出され、百貨店、スーパーも閉鎖に追い込まれている。それでもイベントを軸に都市整備をトヨタと進めている。)人間的都市に優秀な人間が集結し、新しい産業が芽生え、ストラスブール(フランス北東部の都市)では雇用も増加している。

 失敗に学習することなく、今また市場主義に基づく都市再生が展開している。大地の上に巨大な構造物が竣立するけれども、大地の上から人間の生活は奪われ、無機質な死せる都市が誕生するだけである。地域再生とは、人間の生活の場の創造に他ならない(豊田市では駅前再開発で高層マンションは増え、綺麗になったが賑わいがない。地元商店は追い出され、ついにメグリアまで撤退に追い込まれた。それでもイベント型の都市整備をすすめる。失敗に学ぶことがない)。サスティナブルシティは人間の生活の場としての持続可能性である。つまりサスティナブルシティとは工業の衰退によって、荒廃した都市の生活の場としての持続可能性(sustainable)を目指す都市に、再生しようとする動きである。(豊田市のすすめる「コンパクトシティ」は駅周辺に人口や都市施設を集約するが、農山村は放置し衰退している)。地域社会再生は帝国を目指す覇権国アメリカが、推進するグローバリゼーションへの対抗モデルでもある。グローバリゼーションこそ自然破壊の最大の脅威であり、人類の生存を脅かす破壊者でもある。良好な自然環境とともに人間的接触(交流)を可能にする公共空間が提供されなければ、地域文化を沸き立たせることはできない。(スタジアムのある中央公園は、農地を潰し洪水浸水区域に木をたくさん植える公園計画で、スタジアムのための大駐車計画でありPFIでトヨタ系会社が作ろうとするものである。市民に知られては困り、情報が未開示である)。市場主義を拒否した地域再生とは、市民の共同の経済である財政による地域再生であることを意味する。地域再生とは「公」を再生し大地の上に、人間の生活を築く戦略だと言うことができる。

 農業では生活の場は生産の場と一致する。農業社会の都市とは農村の余剰生産物が取引される市場であり、周辺に配置されている農村の交流の場ということができる。都市には、二つの顔がある。一つは市場という顔で、もう一つは自治という顔である。

 終わろうとしている大量生産・大量消費の工業社会は、国民国家の時代でもあった。このエポック(時節)には、国民国家の時代も激しく動揺しているということができる。国民国家が競争原理に基づく市場経済を、福祉国家を形成して制御することで実現した大量生産・大量消費の工業社会が行き詰まっているからといって、それが失敗だったというわけではない。歴史的使命を終えたということができる。

 生産性上昇の恩恵にあずかれるものは、企業に雇用されているものだけである。働いていない失業者や、働くことのできない疾病者あるいは高齢者などは除外されてしまう。そこで政治システムが所得再分配を実施する。例えば埼玉県が、所得再分配を強化すれば埼玉県に貧しい者が流入し、豊かなものが流出してしまう。これが地方自治体が所得再分配を実施しても意味がない、という理由である。所得再分配国家の前提だったブレトン・ウッズ体制は、1971年にアメリカの一方的な通告によってもろくも崩れることになる。一環としてドルと金の交換を停止し、実質的にドル切り下げとなる輸入課徴金賦課を発表したからである。

 工業では自然が排除され、合成ゴムに限らず自然には存在しない多くの合成物質が、現在では利用されている。そうした合成物質が自然の再生力を奪い、ひいては人間の生活を破壊して行くことになる。「ヨーロッパ・サスティナブル都市最終報告書」も「市場メカニズムに依存していたのでは、都市の持続可能な成長は実現できない、と述べている。

 リストから財政学が継承した思想は大きく二つにまとめられる。第一に、市場経済の外側にある非市場経済をも考察の対象とするということである。第二に、コミュニティつまり地域共同体を重視するということである。 1980年代になると、ブレトン・ウッズ体制が崩れ、金融自由化が進み、資本は一瞬のうちに租税負担の低い国民国家へとフライトしてしまう。逆に貧者に手厚い現金給付を施せば、貧者は流入してくる。そうなればたちまち財政は破綻してしまう。そこで第二次大戦後のブレトン・ウッズ体制の下では資本の自由な動きを制御する資本統制の権限が、国民国家に認められていたのである。

 社会的セーフティ・ネットが存在し、努力しないでいい敗者になったとしても救済されてしまうから、モラルハザードが働く。努力した者が報われる社会を形成しよう。効率の悪い者が破れ、効率のよいものが勝者となる 頑張った者は報われる、競争社会が活力を生む、という新自由主義社会である。

 やがて皮肉な事に、唯一の地場産業として地方には公共事業が残るだけになった。地方都市が唯一の地域産業である公共事業に、縋らざるを得ない状況が出来上がってしまったのである。(豊田市の財政は恵まれているが、ハードと大企業優遇である。自民党は普通建設事業300億円以上を要望し、市はそれを実施している)。

地域社会に根ざした食文化を失えば、自給率は急速に落ち込む。日本は食の文化を破壊して、食料自給率を落ち込ませてきたけれども、工業製品を輸出することで食糧の輸入を確保してきた。工業製品を製造する工場は1990年代に海外へとフライトをし始めた。(みよし市の食料自給率は9%と議会答弁しているが、豊田市で聞いても教えてもらえない。以前は15%と聞いたことがある)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神野「財政と民主主義」③

2024-05-14 | 気になる本

5章 人間らしく生きられる社会へー地域の協働と民主主義の再生

「量」の経済が「質」の経済へ転換するということは、交換価値よりも人間の生命活動という根底から見た使用価値を重視することを意味する。人間を含めて地球上の生命体は緑色植物が太陽エネルギーを捉えて蓄積したエクセルギー(exergy)を分かち合って生命を維持している。

持続可能な都市の創造は、地域の生活機能の再生から。生活様式とは文化である、ヨーロッパでは「環境」と「文化」を合言葉にした、生活の場としての地域共同体の再創造運動が展開して行く。持続可能な都市の模範生としてフランスのストラスプールでは、自然環境の下で営まれてきた伝統的な生活様式としての文化を復興させていった。ポスト工業社会では生活機能が生産機能の磁場となることを教えてくれる。水の都ストラスプールでは、1989年市長に就任したカトリーヌは市街地への自動車の乗り入れを禁止し、LRTを市街地に導入することに踏み切った。市内はいる路面電車の駅にはパークアンドライドで自動車の駐車場が設けられている。市街地を自動車が走らないので、歩きたくなるような公園のような都市になる。商店街は自動車で走り抜けられるよりも、歩いて訪れてもらった方が活況を呈する。ストラスブールの人口は23万人程度だが大学の学生数は5万5千人である。

(豊田市もバスの一部乗り入れを禁止し、市駅前広場を作ろうとしている。これまで駅前開発は30年1000億円以上投資してきたが、賑わいはない。しかし、中心市街地の空き店舗は増えるばかりである。イベントの時にスタジアムまで、市外の観客が歩ける街にするのか、整備方針が不明である。今後の整備計画について、市長の経営戦略会議の議事録を公開請求しても、全て非公開である。)

公園のような都市づくりが、ドイツの工業地帯ルール地方にある。公園のようなランドスケープを作り出すとともに、住宅を整備し、生活環境を整えていく。生活の場として地域共同体を再生させると、そこに新しいタイプの知識集約産業が展開してくことになった。(各務ヶ原市では「公園都市」を掲げていたが、市長が代わったせいか現在はトーンダウンしたようだ。)

日本では2007年に荒川区長は豊かさを示すGDPに代わって、幸福度という新しい社会指標を追求する「幸福実現都市あらかわ」を掲げ、都市開発によって無機質な高層建築物が林立し地域共同体における人間の絆を失われていく。存在欲求の充足を意図した2009年に荒川区自治総合研究所を設置して、荒川区民の幸福度を開発する。「幸せリーグ」に加盟している自治体は2023年78である。

コメント

ポスト工業社会から知識集約社会へとあるが、豊田市は高収益をあげるグローバル企業トヨタのある都市では、まだ次世代が見通せない。未だに幹線道路の推進、都心整備でハード重視の企業都市まちづくりである。大企業のトリクルダウンが無くなり、車輸出の反動で農林業が衰退し、非正規拡大で若者が転出超過であることは、人口減少にも顕在化している。ものづくりは車だけでなく、米や野菜も含めるべきである。食料自給率の自治体目標を持つべきである。中小企業支援、非正規改善で定住が緊急課題である。総合計画の見直しの時期であり、人口減少を踏まえコンパクトシティからサスティナブルシティに変えても良いのではないか?スタジアムの駐車場に利用するような中央公園新設より、既存の毘森公園整備を急ぐべきである。何よりも中央公園の計画、都心整備の方針など、経営戦略会議の議事録を公開すべきである。豊田市の食料自給率の算定と公表、議事録の公開は住民参加、民主的地方自治の前提である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川崎哲(2022)『僕の仕事は平和、・・』旬報社

2024-05-13 | 気になる本

川崎哲(2022)『僕の仕事は、世界を平和にすること。』旬報社

 21世紀になって、ロシアのウクライナ侵略、イスラエルのガザ攻撃など戦争が止まりません。ロシアは核兵器の使用もありうる、と威嚇しています。アメリカと日本は「台湾有事」、と中国を「敵」として煽り、沖縄などミサイル配置を進めています。被爆国日本で核兵器の廃絶を訴えるべきなのに、核の傘や憲法9条すら変えようとしています。どうやって戦争のない平和を築くのか、著者は理想を現実に一歩ずつ地道に楽しく活動しています。世界は核兵器禁止条約を批准する国が増えています。日本はせめて批准国会議にオブザーバー参加すべきです。この本は読みやすく、若い人にお勧めです。アメリカでは大学でイスラエルのジェノサイドに、抗議活動が続いています。豊田市に原水爆禁止の国民平和行進が6月2日16時に、豊田市駅前に参集します。以下、本の気になったメモ書きです。(  )内は私のコメントです。

 ピースボードが力を入れているのは、第一に持続可能なSDGsの普及、第二に武力紛争の予防、第三に核兵器の廃絶です。武力紛争の予防は、戦争が起きる前に戦争の根っこを断ち切ろう、という考え方です。多くの国では、よその国が戦争を仕掛けてくる可能性があるから、こちらも負けずに戦えるようにしておこう、と言って軍備や兵力を持ち日日これを強めています。(武力で平和は守れない)

 日本国憲法は平和主義です。日本が戦争を起こしたことを反省し、第九条で戦争放棄し、軍隊を持たないことを決めています。日本には自衛隊があって、それが事実上の軍隊です。自衛隊は自衛のためと言いながら、実際には戦争の準備をしているという、憲法の矛盾が長い間議論をされてきました。憲法の定めと現実がかなり異なっているので、憲法を変えてしまうべきだという意見があります。

 第三世界とは、いわゆる「開発途上国」のことです。冷戦時代世界は、アメリカ側とソ連側の二つに分かれていましたが、そのどちらでもない意味で使われた言葉です。今日では「グローバルサウス」と呼ばれることもあります。スーザン・ジョージの「なぜ世界の半分が飢えるのか」という本を、みんなで読みました。南北問題で貧しいのは、怠けているとかではなく、北の「先進国」や多国籍企業が自分たちの都合の良いように、世界のルールを作っているからだ、と言うことを学びました。

 戦後の教育現場で、先生たちは「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを掲げて、民主主義や人権、平和を教えるようになりました。今は戦争体験者が社会の第一線から退くにつれ、国家が怖いものであるという感覚が薄れてきているようです。国家は自分たちを守ってくれるものと思っている人が増えてきているようです。(ミャンマーは軍が国民に発砲している。ロシアは反政府勢力を弾圧している。戦前日本は、治安維持法で戦争反対者など弾圧した。沖縄戦の教訓(きょうくん)として「軍隊は住民を守らなかった」と語りつがれている。戦後の満州では軍隊が引き揚げ、開拓団は「棄民」(満蒙平和祈念館「手記」)となった。今の日本は戦争法・安保法制で、アメリカの指揮下で戦争ができる国に準備が進む。いわゆる「新しい戦前」である。)

 50年以上生きてきて、国が言う「敵」というものがコロコロ変わります。冷戦時代にはソ連や中国など「共産主義」が敵だとされてきました。その後、「テロリスト」があるいは「イラクやイラン」などならず者国家が敵だとされました。最近では「北朝鮮だとか中国」だと言われています。変わらないのは、政府が莫大な予算を軍備につぎ込み、それで軍事産業が金儲けをし続けていることです。

 大量破壊、大量殺人というのは20世紀の発想です。核兵器はいずれなくなります。僕たちがもうちょっと運動を頑張ればの話です。今世界で加速しているのは、ドローンや人工知能など最新技術を駆使して、精密にターゲットを定める殺人ロボットの開発です。機械が人間を殺す世界になる、ということです。そして、その機械をつくりプログラミングをするのは人間です。ゲーム感覚で戦争が進められてしまいます。エラーを起こせば全く関係のない人たちが殺されます。今日の世界では戦争と平和をめぐる問題がこのように複雑化しています。暴力や戦争の動機になる問題は増えています。国内で人権が軽んじられ、民主主義が弱まる時、その国は戦争に近づきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神野直彦「財政と民主主義」を読んで、その②

2024-05-13 | 気になる本

神野直彦(2024)『財政と民主主義』岩波新書 ②

第3章 人間主体の経済システム

 財政は、社会システム、政治システム、経済システムという3っつのサブ・システムを、トータルシステムとして社会に織り上げる結節点である。福祉分野は社会システムでの人間の生活を支える社会環境を改善する。福祉と共に雇用創出分野として位置づけられているのが、環境である。それは社会環境と自然環境の破壊による根源的危機に対処するため、だと言ってもよい。コロナのパンデミックの歴史的教訓に学べば、福祉サービスも環境サービスも量とともに質の確保が求められる。質の確保には当然労働条件の改善が要請される。

 市場万能主義が生み出した弊害の解決を、社会の構成員の共同意思決定つまり民主主義に委ねるという発想に結びついていないことをも意味する。政治システムを実質的に動かす「官」と、経済システムを実質に動かす「民」との連携に、国家の運営を委ねるというのであれば、それは重症主義政策である。

工業社会の社会的インフラストラクチャーは、機械設備の延長線上に位置づけられるエネルギー網や交通網(原発、幹線道路)であった。ところが知識社会の社会的インフラストラクチャーは人間の神経系統の能力の延長線上に位置づけられる知識資本の蓄積を支援することとなる。知識資本は、個人的な知的能力と社会的関係資本という二つの要素から構成されている。従って、この二つの要素から構成される知識資本の蓄積を支援することこそ、知識社会の社会的インフラストラクチャーということになる。

新しい資本主義」のビジョンでも新自由主義を批判しつつ、「人への投資」を打ち出している。しかし、人間を成長させる知識社会の社会的インフラストラクチャー整備する視点から、教育体系を整備するという発想は乏しい

(豊田市の予算編成方針では、普通建設事業のハードに300億円以上とし、幹線道路など産業基盤の交通や土建を重視している。恵まれた財政は福祉、教育のソフト重視に転換すべきである。人口減少で出生数の減、若者の市外流出の中、奨学金助成や住宅の補助、何よりも非正規の改善が必要である。トヨタは高収益をあげているが、トリクルダウンはほとんどない。農林業や中小企業振興の地域循環型経済への転換が求められる。)

自己責任には二つの方法がある。一つは家族や地域社会の相互扶助や共同作業を活性化させることによって、対人社会サービスを充足する方法である。それは地域住民が無償労働によって、対人社会サービスを担う方法である。もう一つの方法は対人社会サービスの分配を市場に委ねることである。そうすると対人社会サービスが所得に応じて分配されてしまうので、貧困者には分配されない事態に陥ってしまう。

4章 人間の未来に向けた税・社会保障の転換

日本の社会保障給付は欧米より低い。その中身は、老齢年金と医療の二つの分野に集中している。「全世代型社会保障とはすべての世代を支援の対象とし、またすべての世代がその能力に応じて支え合う全世代型の社会保障」と唱えられている。高齢者中心の給付として捉えられていて、現役世代に頼った負担となっている、という認識である。また、子ども・子育て支援として年少世代への社会保障を充実してくことが唱えられている。それは子ども達を扶養し、教育して、人間を人間として育てていくことが、社会の共同責任だからという理念に基づいていない。あくまで少子化対策として位置づけ人間を、労働力や兵力という手段だと見なしていると考えられる。

所得税の負担構造上の最大の問題点は、所得税はすべての所得を総合合算して累進税率を適用することになっているのに、租税特別措置法によって累進税率の対象から、利子、配当などの金融所得が外されてしまっている。「1億円の壁」として問題になっているように、日本の所得税の負担構造は所得1億円をピークとして、それまでは累進的負担になっているが、そのピークを越えると逆進的になっていく。社会保障負担の高まりとともに労働所得への負担は高まっていくのに対して、1980年代から始まる法人税の引き下げ競争に見られるように、資本所得への負担は低くなっていく。格差と貧困を国際的に拡散させている重要な要素になっている。

コメント

政府の少子化対策では、2024年度から5年間に3.6兆円の財源を確保する方針だ。財源の内訳は、支援金制度の創設で1兆円程度、社会保障の歳出改革で1.1兆円程度、既定予算の活用で1.5兆円程度とされる。このうち、「支援金制度」では、政府は医療保険料に上乗せする形で財源を確保する。当初「月500円程度」が所得によって違い、1000円程度になっている。アメリカ言いなりの武器爆買いをする防衛費は、5年間で43兆円である。社会保障の枠内でなく、裏金や政党助成金、原発、リニア、万博、DXなど必要性、優先順位など、国民的議論や選挙での投票に足を運ぶべきであろう。

豊田市では2月の市長選挙をきっかけに、遅まきながら18歳通院医療費無料化、学校給食無料化、学校体育館に空調、(コミュニティバスの高齢者無料化、)補聴器補助が新年度から予算化された。本格的少子化・子育て対策には、非正規の改善、奨学金制度、住宅家賃補助、公的・2次救急医療、保健所移設など次の課題もある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神野直彦「財政と民主主義」その①

2024-05-12 | 気になる本

神野直彦(2023)『財政と民主主義ー人間が信頼し合える社会へ』岩波新書 その①

 この本は著者のおそらく体力的に最後の本であろう。これまでの多くの著作の集大成と言える。少し難解であるが、「最大公約数」的で、論理的には反論する点はなく同意できる。思想的には社会的共通資本の宇沢弘文の流れを汲む。終わりにあるように、人間を「人間として充実させるビジョン」を描く使命を背負って生きている、と学者哲学が見られる。政府は、新自由主義でとアベノミクスで失われた30年、今の日本に暮らしも平和も、若者の未来への希望も見えない。国は借金まみれで武器の爆買い、庶民は円安物価高に苦しみ、自民党の政治家は裏金の金権腐敗政治で、その人たちが平和憲法を変えようとしている。

「地域再生の経済学」の思想が現実にどう生かされたか、地方分権は仕事だけ地方に押し付け、財源と権限は国に集約されている。金子勝の「平成経済史」のように、アベノミクスをばっさり批判検証できるか?以下は本書の拾い読みである。(  )内は私のコメント。

 戦後、資源配分機能、所得再分配機能、経済安定機能という3つの機能を、有効にシステム統合を図る、福祉国家体制が先進諸国で定着していった。いわゆる「黄金の30年」であった。しかし、①1973年は福祉国家体制が崩壊してく象徴する年となった。 1973年9月11日、反市場主義を唱え、圧倒的な民衆の支持を集めてチリの大統領に就任したアジェンデが、軍のクーデターによって惨殺される。クーデターにはアメリカのCIAの関与がされており、民主主義を旗印に掲げた覇権国アメリカが、自ら野蛮な暴力でこれを破り捨てた。② 1973年には、経済システムの重化学工業化の行き詰まりを告げる石油ショックが起きた。

 第二章 イギリスの政治学者は「2008年のロシア・グルジア戦争は、最初のNATO拡大を阻止する為の戦争だった。2017年のウクライナ危機が二番目だ。三番目が起これば人類が生き延びられるかどうかはわからない。」との警告している。パレスチナにおいても始まってしまった。

 私たちは「根源的危機」の時代に生きている。「生」は偶然だが、「死」は必然である。社会環境の破壊によって、経済的危機・社会的政治的危機という内在的危機も爆発してしまっている。(地震など自然災害は防げないが、戦争、不況、食料・資源危機は政治の責任である)

 人間が生存するための生活は、家族や地域社会などという共同体を形成して社会システムで営まれるが、生存のための財・サービスは経済システムの生産物市場から購入することになる。従って労働市場で労働販売して賃金という所得を獲得し、それによって財・サービスを生産物市場から購入しなければならないのである。ポスト工業社会となり、知識集約産業やサービス産業が基軸産業になると、女性も労働市場へ進出するようになり、子どもたちや高齢者のケアに無償労働として従事する者が姿を消して行く。そうなると政府が財政を通じて育児や高齢者へのケア・サービスを公共サービスとして提供しないと、格差や貧困が溢れ出してしまう。というのも労働市場への参加形態が砂時計型に両極分離してしまうからである。コロナ・パンデミックによって日本では、エッセンシャル・ワーカーが低賃金と劣悪な労働条件の下で働いていることも再認識させられた。これは政府が対人社会サービスへのアクセスの保障責任を果たしていないことのメダルの表と裏の関係にある。1990年代日本では新自由主義に基づく労働市場改革が強行されるとともに、低賃金で劣悪な労働条件の雇用が溢れ出していたこの多くが「規制緩和」と「民営化」の掛け声とともに、本来は政府が責任を持って提供すべき公共サービスを、民間に丸投げすることによって生じたものである。(1995年「新時代の日本的経営」、正社員・終身雇用・年功序列の廃止、勤務評定など人間コスト削減。賃金低下でデフレに陥り、金融緩和で弱い日本経済に。)

 生活面よりも生産面を優先した日本の対応。社会的セーフティネットとしての社会保障には現金給付と現物サービス給付がある。現金給付には社会保険と公的扶助がある。日本の社会保険は網の目が粗く、パートや非正規という雇用形態や自営業者を充分に包摂できていない。こうした網の目の粗さによって、ポスト工業社会の社会的セーフティネットとしては、機能不全に陥ってしまう。情報メディアの発展か雇用がネットワークで組織されるため、フリーランスなどと呼ばれる雇用型自営業が大量に存在するようになる。

 バンデミック・コロナでアングロ・アメリカン諸国では、社会的危機を回復するために財政を膨張させて、多額の現金給付を実施せざるを得なくなる。福祉国家が社会的セーフティネット強化したために、それがモラルハザードとなって勤労意欲が失われ、経済停滞が生じているとする新自由主義の経済政策思想に基づいて財政を運営してきたアングロ・アメリカン諸国にとって、福祉国家なき福祉を気前よく拡大したことは財政運営方針の大転換ということである。(安倍政権のコロナ対策はどうであったか検証が必要である。医療の削減が背景にあった。現金給付は必ずしも悪いと言えない。ワクチンが日本で開発されなかった。突然の学校休校、ガーゼのマスク配布や大阪のうがい役は根拠がない。国債発行はやむを得ないとしても、補正予算、予備費の流用には問題があった。国や岡崎市長公約の現金給付はバラまきという側面もあるが、生活不安もありやむを得ない面もあった。豊田市では公的病院が少なかった。軽症感染者と家族を隔離するホテルが、市内に設けられなかった。)

 「人への投資を原動力とする成長と分配の好循環実現へ」と銘打った内閣府は、「経済あっての財政の考えのもと、経済をしっかり立て直すことが重要である」と訴えている。コロナ・パンデミックを克服するために財政は、債務残高はGDP比を大きく高まった(2.6倍)が、倒産や失業が急増する事態を回避させることができた。しかし、「ウクライナ情勢等を背景とした原材料価格の上昇や供給面での制約、金融資本市場の変動などの下振れリスクが存在している」。そのため、「感染症の影響がやわらぎ、持ち直しつつあるわが国経済を腰折れさせることがあってはならず」、「経済あっての財政」という考えのもとに、経済を成長させていく方針を主張している。歴史的教訓は、民主主義の経済である財政に委ねる「財政あっての経済」という考え方に転換することである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田「債務大国日本の危機」最終、展望は?

2024-05-08 | 気になる本

6章 今後の展望

大企業の内部留保は毎年増え続け、22年度には511.4兆円に達した。投資家も稼ぎまくり、国内の株式配当金で毎年約30兆円、海外投資からも約20兆円の利子・配当金を受け取っている。純金融資産1億円以上持つ富裕層世帯は、364兆円の純金融資産を保有する。だが、全世帯の3割はそもそも金融資産をもっていない。実体経済を脆弱化させ、円安と株高を主導してきたアベノミクスと、それを継承する政権の経済運営の結末である。日本の最大の貿易相手国がアメリカから中国に交代したのに、対米従属外交に固執し、アジアの新時代に対応した展望を見失っている

アベノミクスが始まったのは2013年度であったが、アベノミクスの検証しておこう。

第一に、世界経済における日本経済の地位が低下した。

第二に、アベノミクスは株価や株式時価総額を倍増させ富裕層の資産を倍増させた。しかし3割の世帯が金融資産を保有していない。日本社会では資産格差を拡大した。消費税は5%から8%さらに10%へと2回も引き上げ、国民所得に対する税社会保障の負担率は39.8%から47.5%へ跳ね上げた

第三に、大資本の自由と利益を最優先する新自由主義のアベノミクスは、国内での設備投資や賃金の支払いを渋る企業経営のあり方を放置してきた。大企業は内部留保を1.5倍に増やし511兆円を溜め込んだ

第四に、累積した政府債務(国債発行残高)は日本を世界トップクラスの政府債務大国に転落させた。自国のGDPの2.5倍である。

物価高の背景は、第1に世界金融恐慌のリーマンショック、さらには新型コロナウイルスのパンデミックに直面した各国政府と中央銀行が採用した大規模な財政金融政策である。不況対策や生活支援のための大規模財政出動は必要な対策である。だが各国の中央銀行が世界経済の成長をはるかに上回る大規模の資金供給を生み出したため、実体経済に必要とされる通貨量を超えた過剰な通貨が流通し、通貨価値の下落と商品価格の全般的な上昇=インフレーションが発生したからである。第2の背景は、ロックダウンによるグローバルなサプライチェーンの切断で世界生産が低迷し供給源になったこと、ロシアウクライナ戦争が資源原材料の供給減をもたらしたことである。

円の暴落を加速したのはアベノミクスと現在に至る異次元金融緩和政策である。円暴落が直撃するのは自給率が低く、多くを輸入に依存する石油・天然ガスなどのエネルギー価格、鉱物資源や原材料価格、さまざまな食料価格である。

円安・物価高の連鎖を立切り、物価高から国民生活を守るには、異次元金融緩和政策から脱出し、異常な水準の金利格差と円高を回避しつつ、賃上げ、消費税減税、家計への補助などの政策展開が喫緊の課題になっている。

日本は輸出入ともドル建て決済の割合が異常に高い。公的な外貨準備となるとドルの割合はさらに高い。日本の外貨準備高は中国に次ぐ世界第2位の1.2兆ドルの約8割を閉めるのはアメリカ国債でありその他のドル焼きも含めると9割以上は米ドルで保有されている世界経済の中心はアジアの時代である日本の輸出入総額168兆円の53.1%はアジア経済圏に依存する中国韓国インドASEAN諸国をはじめとしたアジアの国々と平和的に共存共栄する道を選択する仕事でしか日本の経済成長と繁栄はできない時代が到来したといえる。

目先の利益でマネーを暴走させ、バブル経済の膨張と崩壊を繰り返すカジノ型金融独占資本主義は「1%の金融独占資本と株主と富裕層」のための経済である。1%のための経済から持続可能な「99%のための経済」に転換することである。第一に物の取引を伴わない投機的な金融取引には課税し、実体経済から乖離したマネーの暴走を抑え込むことである。第二に国や地域の経済活動の中で稼いだマネーの一定割合は、その国や地域の発展と安定のために再投資し循環させる仕組みを確立することである。第三に中央銀行の独立性を保証し時の政権や経済界の意向に屈服せず「物価安定」の大目標を実現することである。第四に21世紀の人類敵拠点に立ち国連総会で採択された持続可能な開発目標17の目標達成できる各種政策を充実させ実行させることである。

コメント

アベノミクスの異次元金融緩和が日本財政の借金大国にし、利上げで円安を止められない。自給率の低い日本の物価はインフレに向かうであろう。裏金問題、武器爆買い問題、アメリカ従属で中国との対立強化、民主主義の崩壊など日本は危機的状態にある。新自由主義の日本経済、資本主義社会は限界で在り、大企業・富裕層だけが利益を得て、資産のないものと貧富の格差が拡大している。自民党政権は裏金、企業団体献金、政党助成金、官房機密費など金権腐敗政治である。武器の爆買いを止め、消費税減税、大企業など応分の課税、非正規の削減、日米安保廃棄、アジアの友好、9条による平和外交など進めなければ、日本の未来に希望が持てない。それには、市民と野党の共闘で政権交代しかないだろう。当面は円安・物価高を安定させられるか?食料自給率の向上、非正規の改善、少子化ストップを地域から要望を挙げることである。ふるさと納税、成果主義など競争社会から、ポスト資本主義は分かち合いの共生社会も望まれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田「債務大国日本の危機」⑥

2024-05-06 | 気になる本

GW前に日銀が為替介入し、1$160円が153円になっている。アベノミクスの反省も、「出口戦略」もなく、利上げができない日本で、これで円安が止まるか?山田博文「国債ビジネスと債務大国日本の危機」(新日本出版社)以下、抜き書きである。

5章 日本の金融 財政危機 ⑥

 国債の投資が増えると国債金利は低下(国債価格は上昇)する。従って、長期金利の水準を中央銀行の金融政策で決定することは本来不可能である。アベノミクスは日銀からのマネタリーベースを拡大すれば、自動的にマネーストックが増えたし、2%の物価目標も達成できるとの誤った理論(貨幣数量説)で失敗したが、また同じ過ちを犯す。

YCCの狙いは国債利回りに代表される長期金利を、定位固定化することにある。日本が抱えこんだ1441兆円の政府債権残高(国債・財投・地方債)などは、すでに自国の経済規模(GDP)の2.6倍に達している。その大半は一般会計を発行母体にした普通国債発行残高(1068兆円)である。財務省は財政の持続可能性を見る上では、税収を生み出す元となる国の経済規模GDPに対して、総額でどの位の借金をしているかどうか重要、と指摘する。日本は財政の持続可能性が危うくなる世界のトップクラスの「政府債務大国」と言える。日本の国家財政は歳入の4割が借金に依存し、歳出の3割弱が借金返済に費消される自転車操業(サラ金)であり、火の車状態にある。

内外の金利格差を拡大させてきた。その上国内産業の空洞化や貿易赤字の拡大は、日本経済の弱体化と日本売りを誘発し、投機的な円売り環境を誘発してきた。その結果、日本だけほぼ半世紀ぶりの円安となり、輸入価格上昇→国内物価上昇⇒国民生活破壊の悪しきメカニズムが作動することになった。

インフレ物価高、バブル経済の暴走を抑え込むには、過剰なマネーを民間金融市場から引き上げる金融引き締め政策が不可欠である。各国中央銀行はこの間連続して金利を引き上げつつ、量的金融緩和から量的引き締めへと金融政策を転換してきた。

食料品やエネルギー関係価格が高騰するのは、いずれも輸入に依存する割合が高く円相場の動向に左右されるからである。異次元金融緩和政策の十年は半世紀ぶりの円安水準を記録した。2012年から2020年の期間に1ドル79円から137円へ7割も暴落した。インフレは日本国民の貯蓄を直撃する。預金金利から物価の上昇率を差し引いた預金の購買力は、2020年には-4%を記録した。インフレ・物価高、実質賃金の低下に加えて預貯金の購買力も低下する、トリプルパンチに国民はさらされている。

政府の一般会計は、国債発行残高の過半を保有するまでになった。日銀による国債の爆買い=日銀信用の供与によって支えられた。戦後の財政法(第五条)が日銀引き受けによる国債発行を禁じたのは、戦費調達を日銀の国債引き受けに依存した戦前の不幸な教訓からであった。日銀は独立性を失い、政府の「子会社」として国債増発を(民間銀行を迂回し)支えてきた。

日銀の抱える国債の含み損9兆5081億円は、日銀の純資産額(22年9月末現在)5兆365億円を2倍近く超過して、日銀は巨額の債務超過に陥っているのである。

異次元金融緩和政策の十年で大幅に上昇したのは株価であった。日経平均株価は2012年から22年にかけて、実体経済が低迷しているにも関わらず2.5倍に上昇した。2023年8月20日現在株式市場に日銀から37兆1160億円(簿価ベース)の資金が供給されてきた。株式市場に、日銀信用が供給されることで市場実勢を超えた株高=官製株式バブルが引き起こされた。貯蓄から投資を推進する政府日銀に支えられ、株式の配当金や大企業の内部留保金もほぼ倍増した。日銀が株を買って資本金を供給してくれるので、経営が悪化しても会社は倒産しない。現在日本の一般会計歳出は、増大する国債費や2倍になった防衛費に食いつぶされ、国民の生存権を担保する社会保障関係費が削減される事態に陥っている。23年度予算では防衛関係予算が戦後最高の伸びを記録する一方で、社会保障関係費では自然増の1500億円が削減され医療介護年金の全てが圧縮された。

長期金利の上昇や金利引き上げは、株式市場や不動産市場に流入しバブル経済を膨張させていた過剰なマネーを、高金利になった国債や元本保証型の預貯金などにシフトさせるので、バブル経済の縮小、株式・不動産価格の下落を誘発する。投資に失敗し、自ら経営破綻の危機に陥った大手金融機関の場合、「大きすぎてつぶせない」ということを主張し、各国政府からの巨額の公的資金と各種の支援策を引き出してきた。

日本資本主義は、①国家財政と日銀信用へのタカリの構造で、実体経済の成長より金融市場において、多様な金融収益を追求するカジノ型金融ビジネスが優先された。②国民経済と国民生活は、株価・金利・為替相場の変動など、予測不能の経済動向に振り回され不安定化する。3生産高、売上高が減っているにも関わらず、賃金削減や資金の運用を通じて内部留保金を累増させていく企業経営が横行する。④ものづくり国家日本から株式・債券・為替等の売買取引で、キャピタルゲインを追求する金融収奪型国家へ転落した。⑤対米従属の下で、ウォール街と国際金融独占体が日本の大株主経営支配者に成長し、日本の企業と国民は内外の金融独占資本から二重の金融収奪を受けるようになった。

現在の政府の債務残高は、対GDP比は軍事調達のために日銀引き受けで国債が大増発された1945年の終戦時を上回る水準である。当時はGHQの強大な外国権力を背景に、最高税率90%の財産税が断行された。

コメント

政府に借金返済の「出口戦略」は無いだけでなく、武器爆買いで軍事費増大である。ものづくりは車だけはない、食料自給率は下がり国民の安全は保障されない。国民生活は二の次で、財界・金融界の言いなりであり自民党政権の裏金で動いている。また、アメリカのいいなりで、日本国民のくらし・平和は曲がり角にあると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河村小百合「日本銀行」再読②

2024-05-05 | 気になる本

7章 変動相場制下での財政破綻―欧州の経験

通貨が流通するのは価値が安定(信用)しているから。資金流出が止まらなくなった時、ドルなどやピットコインに変換する。国際金融のトリレンマ,①自由な資本移動、②為替レートの安定、③金融政策運営の自主性の3っつを同時に達成することはできない。

 我が国は預金封鎖や財産税、デノミを断行した。アイスランドは国民の重い税負担で、資本移動の規制解除できたのは2017年3月の8年4ヶ月の後だった。我が国の財政事情は、アイスランド、キプロス、ギリシャが危機に突入した2008年より相当悪い。何も起こってないからとして、放漫財政をこのままにして良いのか。円安が物価高騰につながるだけでなく、通貨安が金融危機になりかねない。日本は1ドル150円を超えた時、円買いをし、10年国債の金利を0.5%まで許容した(その後マイナス金利とYCCなど解除)。外貨準備があるが、持続可能だろうか。連休前から日銀・政府は円買い介入した。)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

8章 我が国の再生に向けて

わが国では、高所得者層ほど負担率は低下している。1億円の壁である。「経済成長なしで財政再建なし」で、税制も十分議論されず与党の税調で決まってしまう。1964年東京五輪から「60年償還ルール」ができた。1975年石油危機後から、建設国債から赤字国債が「特例国債」として制定された。60年償還ルールが放漫財政の主犯でないか

真に独立した中央銀行としての抜本的な立て直しを。市場メカニズムの回復として、10年国債の金利の許容範囲(現在0.5%)の拡大、0%設定している10年国債金利を徐々に引き上げる。財政再建に向けて本腰を入れる。慶応大学深尾教授が「量的緩和、マイナス金利政策の財政コストと処理方法」を書いている。

日銀が、他の中央銀行が決して採用しないYCC政策を実施した結果、短期金利を0.2%上げただけで、あっという間に「逆ザヤ」に転落する。しかもETFを買い入れている。これ以上、財務の過度な悪化を招かないよう、日銀に段階的な正常化を取り組むことを促す。

政府も財政運営を見直すこと。国債発行額を減らす(軍事費倍加の岸田政権、緩和継続の植田総裁ではそれらの姿勢は見られない)。内閣府は26年度までプライマリーバランスの黒字化はできない、つまり国債発行は続けるとしている。自民党内では60年償還ルールを80年にするなどの議論がある。国債の元本も償還する気もないのか市場の信用を失う。国債金利が急上昇するか、円安が一段と進展するかして、財政運営が行き詰まる。(いつか?)米国では国債は財源として考えられていなく、10年単位で償還を設計する。米政府もコロナ化で財政出動をやり過ぎたと認めた。政府、日銀に場当たり的でなく問題の所在を明らかにさせ、国民も甘えや無責任から脱却しなければならない

私のコメント

植田総裁は、金融緩和を継続し、「物価目標2%」評価を1~1.5年でやる、と表明し危機意識が弱い。①アベノミクスの失敗を日銀・政府、国民が総括しなければ、小手先の円安解消に為替介入ではできないであろう。②自民党は金権腐敗政治を止めること、③武器の爆買いを止めること、防衛費の拡大をしない、④無駄な公共事業(万博、リニアなど)を止める、⑤消費税の減税(もちろん0%が好ましいが、財政的根拠と野党の合意も必要である)、⑥地方自治体から少子化対策の推進などである。これら金融・財政、経済再生を国民的共通政策の柱の1つにして、政権交代しかないように思われる。

少子化対策で西三河では給食の無償化(みよし、安城、豊田、碧南予定)、コミュニティバスの無料化が進んだ。豊田市では2月の市長選挙を機に、18歳医療費の通院無料、体育館の空調設置も前進した。しかし、小中の少人数学級、大学の奨学金制度(碧南市予定)、非正規の改善(みよし市方向)、非核自治体宣言(みよし市)はまだである。国の指揮命令による地方自治改悪は許されない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河村小百合「日本銀行 我が国迫る危機」再読

2024-05-04 | 気になる本

 政府・日銀は連休前から2度、為替介入を8兆円程し、1$153円程になった。しかし、基本的に円安基調が変わったわけではない、と思う。根底に米国との金利差が大きく続き、FRBの利下げも先送りである。何よりも、日本は利上げ出来ない。河村小百合は著書で、「金利1%引き上げ2年で債務超過に」といっている。つまり、日銀には政府の債務1千兆円超を民間銀行経由で半分以上持っている。今の国家財政は歳出も歳入も借金で、返済を長期に先送りしている自転車操業(サラ金かも)である。それでもアメリカの武器の爆買い、5年間で43兆円以上の軍事費拡大である。一方で、子育て支援の財源は目処がない。円安・物価高で国民生活は火の車である。だが、自民党は政党助成金、政治献金、パーティ券など裏金で、使途不明である。国民は怒り、3補選では自民党は0となった。政権交代するには、野党の共通政策づくり(円安物価高、平和憲法など)が急がれる。以前読んだが、改めて河村小百合の「日本銀行」6章(財政破綻でどうなる)を読み直す。メモ書き、(  )内は私のコメント。

 第六章 財政破綻でどうなる

 財政破綻は起きるはずがない。という理由に、わが国には2000兆円を超える家計貯蓄がある。ギリシャと違って国債のほとんどを国内で消化している。でも名目GDP比で260%になる国債を国内で消化できるのか?昭和20年の財政再建計画では①国有財産払下げ、②財産税、③債務放棄、④インフレ、⑤国債の利率引き下げで、GHQの押しつけでなく政府の案である。基本は「取るものは取る、返すものは返す」であった。具体的には、一度限り空前絶後の大規模課税として、動産、不動産、現預金など高率の財産税が課税された。その前に預金封鎖および新円切り替えが行われた。意思決定の状況について、「昭和財政史」にある。

 戦後日本でハイパーインフレの対策では、1946年に預金封鎖および資源切り替えが実施された。政府は国内企業や国民に対して、戦時中に約束した保証債務は履行しない、国内債務不履行を強行した。財政運営が行き詰まれば、最後の調整の痛みは間違いなく国民に及ぶ。(現在は、1000兆円以上の赤字国債があり、単年度黒字にできでいなくても、借金先送りで、しかも米からの武器爆買いである。1$160円となり政府日銀は為替介入したが、基本的には金利差があり一時的にしか円高に向かわないだろう。辰巳前参議院議員のU-tubeが参考になる。)

 戦前と同じレベルまで悪化した日本財政の教訓は、①国債の元利不払いは、民間銀行の経営破綻の引き金を引く、②財政調達の穴埋めに、所得課税、法人課税、消費課税か、③政府の借金はインフレで帳消しにできる、という意見もある。(それとも軍事費削減、大企業の応分負担、無駄な公共事業削減か、金権腐敗政治の政権交代か転機にある。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする