「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

経済成長なき社会発展は可能か?

2010年08月07日 | 非戦・平和・社会
 明日は長野県知事選。参院選の直後ということもあって、民主党と自民党の決戦みたいになって、大物議員も続々応援に来たりして、情勢調査でも両者が競り合っていて、真っ先に立候補表明した松本さんは厳しいと書かれているみたいだ。こういう三つどもえの選挙のときは、自分の考えに一番近い人に入れるか、アンチ自民に勝たせる方を重視するか、いつも悩みながら投票している。今回も3日ほど前の信毎の記事でも、投票先未定が4割以上ということで、同じように迷っている人も少なくないのかな。自分の思いはツイッターの方につぶやいた。いずれにしても、明日結果が出る。

 ところで、以前にも何回か、環境問題への対応と経済成長を何とか両立させようとする施策や風潮に対して、経済はどうしても成長し続けなくてはいけないのかという疑問を書いたことがあったと思うけど、しばらく前にツイッターで、「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ」 という、朝日新聞に掲載されたラトゥーシュという経済哲学者の言葉が目に留まった。邦訳書が刊行されたというので、早速注文したものが昨日届いた。『経済成長なき社会発展は可能か? <脱成長>と<ポスト開発>の経済学』という邦題の分厚い本で、注釈もいっぱいあって、訳文も硬くて難しそうで、読むのはなかなか大変そうだけど、お盆休みに少し読めたらいいなと思っている。
 冒頭に日本の読者に向けた著者のメッセージが「『経済成長』信仰の呪縛から逃れるために」というタイトルで掲載されている。確かに「経済成長」というのは一種の信仰だよなと思った。もちろん不況で社会の底辺であえいでいる人たちがますます苦しくなるのは事実だけど、そこを社会福祉施策できちんと下支えできればという前提で、経済成長一辺倒でない在り方を模索しないと、やはり地球環境は待ったなしの状態だと思うのだけどな。ブックマークのMY本棚に早速登録(ほかの本も、ただ本棚に並べてあるだけで、レビューは全然書いてない)。

追記:「経済成長」信仰は資本主義と密接不可分な気がするけど(目次に「<脱成長>は資本主義の中で実現可能か?」とあった。中身はまだ読んでない)、日経BPの本日の必読記事に田原総一朗さんの「強欲な資本主義に「正義」はあるだろうか」という記事があった。「いま私たちは自由主義経済、資本主義経済を考え直さざるを得ない。改めて、そういう気持ちになって、私は戸惑っている」と。

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