「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

中央構造線博物館20年

2013年08月11日 | 自然・環境
 昨日は大鹿村中央構造線博物館開館20周年特別企画の第2弾として、博物館設立を提案し、展示の監修をされた松島信幸先生の講演会が行われ、今日は松島先生の案内で観察会が行われた。
 博物館はそもそも平成2年に当時の建設省から中央構造線資料館の構想が提案され、建物は平成4年に完成している。展示については松島先生の提案により徹底した現物主義が貫かれ、平成4年から岩石標本を集めたりなどの作業が本格化した。ちょうどそのころ、飯田の美術博物館で行われていた松島先生の地質講座に通っていたつれあいが、そうした作業をお手伝いすることになり、翌平成5年8月の開館後もそのまま博物館で仕事をすることになった。以来20年。当初は学芸員資格はなかったので学芸担当員と称していたが、その後、放送大学で資格を取り、平成14年に学芸員となり、博物館も平成15年に博物館法に基づく登録博物館となった。この間のいろいろなことを思い起こすと本当に感慨深いものがある。


 昨日の講演は「なぜ大河原から赤石嶽が見えるのか?」というタイトルだった。実は開館翌年の2月にも松島先生の講演が行われていて、その中でも、なぜ大河原から赤石嶽が見えるのかという話をされている。大河原からも四徳大橋からも赤石嶽が見えるのは、小渋川の谷の直線性によるもので、それは南アルプスのねじ曲がりによって小渋断層ができ、そこが弱線となって直線の谷が刻まれたということだそうだ。そんなお話のほか、後半には先生が昔撮られた大鹿村の写真が次々に映され、昭和25年ごろの青木橋(小渋橋)からの赤石とか、50年前ごろの上蔵とか、50戸くらいあったころの釜沢とか、今との比較もあり、とても興味深かった。


 今日の観察会は上青木の大沢蛇紋岩崩れや引の田の地すべりなどを見て歩いた。蛇紋岩というのはもろくてとても崩れやすい岩石で、大沢をさかのぼっていくと堰堤(谷止工)が連続して幾つも築かれている。本当に行けども行けども堰堤という感じだった。




 堰堤の前で説明される松島先生。


 そして、崩壊地。


 山腹工で手当をしてある斜面。


 壊れた堰堤。

 
 その後、2月にリニアのボーリング調査が行われたところや、引の田の地すべりなども見る。中央構造線付近で行われたボーリング調査は地質が悪いのでだいぶ苦労したみたいだ。


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