棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

芸術について-22愛欲曼荼羅

2008-11-25 09:35:03 | 大人の童話
ンド芸術論の続きだが、人間の様々な感情は8種類に集約できるとしている。
恋情・滑穰・悲愴・憤怒・気力・恐怖・嫌悪・驚嘆。
芸術家は、テクニックを駆使し、感情を表すに在る、という。
とはいっても、8種を全て盛り込んだら、低俗なバライティーショーになってしまうが・・・。
インドの芸術の目的は、人々に平安をもたらすことであり、宗教的な充実感を与えてやるものでなくてはいかんらしい。
ということは、ワシら教団の「存在する意味」と同じといえる。
先のドイツの劇作家のお説とエレー違いだが、どちらをOKとするかは 君等のかってだ。
マーーそんなところに、評論家とか 学者等が入り込んでくるのだろう。
連中だって、売りこまにゃーならないから なにかと こけおどしを言う。
「オレの説こそ、眼力・知識・キャリアからして、最高である」
と食通ぶりを披露するわけだが、たいていは焼き直し。
本当の自説など、時節を得なければ世にはでない。
己の説を権威在るものにするために、権力に媚、へつらう世渡り上手でなくてはならないのだ。
観たまえ彼らを。
研究熱心はけっこうだが、自分の火の粉もきずかない。
なんたって連中は、自分ではさみの使い方一つも できないのだからなー。

ヒエーー雪だーー

2008-11-25 09:22:54 | 山郷の暮し
昨日の夕刻の小雨がみぞれにかわる。
それもまもなくやんでホッとしたが、今朝カーテンを開ければ銀世界。
記憶の中ではこんなに早い里雪はなかった。
積雪は1CMほどで水っぽい。
賢犬サクラはピューーーと裏山にすっ飛んでいった。
明けやらぬうちから、クンーイ・クイーンとナニカを訴えていたが、獣がおりてきていたのであろう。

スキーは多少やるが、雪を待ってましたとばかり跳んでは行かない。
顔が引きつるような厳寒の中でのスキーはごめんで、むしろ、暖かくなる春先、日差しを浴びながら一杯のついでに飲酒運転スキー・・・。
ですから、里雪は少しもうれしくなく、降らないほうが生活には楽なのですが。

蒸気機関車-2

2008-11-24 14:00:22 | 山郷の暮し
先日、北信濃地を蒸気機関車の記念運行ニースについてかきました。
連休最終日は、予報の通りにお、昼頃から重い空になってしまいました。

小学1年生の冬休みにのった蒸気機関車が、しっかりと記憶にあるのには訳があります。
松本地方は、三九郎といって正月飾りを15日前後に燃やす祭事があります。
この祭事については小生の「松本歴史絵巻」を参照していただきたいのですが、東京に帰る日がその日だったのです。http://ryuomaru3.web.fc2.com/matumoto/hp39-40.html
あおばなをたらしたガキ大将連に「東京モン」とからかわれながらも、楽しく三九郎作りに参加していた。
いったいどんなことになるのか、かいもく見当がつかなかった。
そのおり手にひどいアカギレになってしまい、いまでもその後が残っている。
それはともかく、楽しみにしていたその夜に出立となってしまった。
闇の中に燃え盛る三九郎の火が、車窓に点々と現れたのを思い出す。
半べそで見入っていた私に「ごめんなさいね」母がしきりにいっていた。
   
続く

芸術って? 21愛欲曼荼羅

2008-11-24 08:47:47 | 大人の童話
術-食通ということ 
少々回りくどいようだが、肝心の「芸術って何?」の質問に、即答できないが・・・。
尊師様がワシにコレを読めと、授けてくれた古代インドの芸術論がある。

それによると、芸術とは
「俗なる鑑賞者のこころを、聖なる天上の高みに引き上げて、歓喜にみちびくこと」
「上手に作られた料理を、食通が食し、あたかもソーマの汁をあおった様な エクスタシーに達することだ」
なんとなくわかるなーー。
食通になるとは、いうまでもなく勉学・経験が必要だ。
それには、詩・文学・音楽全般・舞踏・絵画・彫刻の順で展開し、全ての知識を織り交ぜていくにある。
ということは、我が教団が目指しているそのものであるわけだ。

駄句でオソマツ様

2008-11-23 10:27:59 | 山郷の暮し
霜が降り白化粧した谷も、朝日が差し込むとたちまち消えてしまった。
わずかにうかがえるアルプス山麓が、真っ白になっています。
午前中までは冬化粧をした山々を見ることが出来るかもしれない。
国道254は連休で、途絶えることがなく車が流れています。

小春日和に窓を全開すれば、生暖かい風にのって木の葉を炊く、心地よい香りが部屋に満ちる。
連休でお孫さんが遊びに来ているお隣。
煙が消えると、お孫さんがニコニコ顔でもってきてくれました。
そこで、駄句をひねりだす。

落葉焚き ホクホク顔の 園児たち
焼いもを 園児からの おすそわけ
アッチッチッ! 手をふりつつ 芋を食う
おそまつー様

芸術は爆発だー  20愛欲曼荼羅

2008-11-23 08:44:34 | 大人の童話
師様のお考え・芸術観を 君たちにそのまま お伝えすることは、教理と同じく不可能だが、マーー曲解されない程度説明してやろう。

昔 芸術は爆発だ!!と目をひんむいて、TVコマーシャルに出演していた芸術家がいた。
かたや、ドイツの劇詩人オスワルド・マールバッハは
芸術は人を喜ばしたり、幸せにしたりするべきでない。
それは燃え上がり、そして燃え尽きていくべきである」といった。
前者と後者はエライ違いのようであるが、芸術家は焼身自殺か 爆弾テロの被害者でなくてはならないらしい。

芸術は判りにくい。だからこそ芸術なのだと芸術家はいう。
テーーことはだ、「これは芸術だ!と目玉ひんむいて言っちまえばいい」
この絶対的自信が芸術家であり、ワシラの信仰のあるべき姿だと 尊師様はおっしゃるのだ。
だかな、世情でよく言われる、
「マーーなんて芸術的なんでしょーー」と、
子供のお絵かきや 軽チャークラブのしろものは、断じて芸術作品なんかじゃーないのだ。
このへんが、研鑽を積んだ目をもたなきゃだめなんだ。

まーーー「何々的」という評し方は、言い方がわからネーから無難に言っているだけだ。
逆に「ナニナニでない」という風にも、とれるが・・・・。
そおおもわねーかー?。

蒸気機関車-1

2008-11-22 16:00:55 | 山郷の暮し
地方ニュースで、晩秋の北信濃の蒸気機関車運行を報じていました。
あの、力強いのになんとももの悲しい汽笛を聞くと、昔の東京から松本への汽車旅を思い出す。
何度か経験することになったが、最初の記憶は小学一年の冬休み、暮から正月いっぱい母の実家に滞在するための旅だった。
中央線はトンネルだらけで、そのたびに窓を閉める。
閉めそこなうと車中は煙と石炭の臭いが充満し、あちこちから怒鳴り声。
煤が飛び込んできて、目に入ることもあった。
トンネルを抜けるといっせいに窓を開ける。
その窓枠も木枠で上げ下げだった。そうだ、シートも直角でたしか木製で緑色の布張りだったと・・。
蒸気機関車に乗ると襟が真っ黒になってしまった。
蒸気機関車が新宿・松本間をいつまで運行していたのかわからないが、柄の長いピッケルを手にキスリングザックを背負い乗り込んだものだった。
アルプスの懐で、かすかに聞こえてくる汽笛に娑婆が恋しくなったものだった。 続く
 キスリング・ザック・・30年ほど前までの登山用リック。ゴワゴワした茶色のテント布
   なぜか、横に広がっており、人ごみは横に歩くことになり「かに族」とも言われた。  
 
ニースのなかで、当然始めてである子どもたちが、汽笛や機関車の音に感動をしているのが印象的でした。

19-:芸術について-愛欲曼荼羅

2008-11-22 08:54:10 | 大人の童話
師様は芸術にも造詣が深く、ワシラに教理の研鑽とともに、芸術への目を養っていけとおっしゃる。
教団の繁栄は視点を転じれば 独自な芸術観の確立でもあるというのだが、これが難しい。
どこぞの教団も美術品を収蔵し、国宝を所有しているなどと、繁栄振りをシンボル化しておる。
まーー成金趣味ではあるが、それはそれなりにいいことだとおしゃった。
ただしだ、奇岩・輝石に大枚をはたいているなんざー 正に成金そのもの。
とても崇高な精神世界に遊んでいるとはいえない。
そのてんわが教団は、芸術家を多く向かえ、援助をし育てておる。
尊師様ご自身がおっしゃっておられるが、
が教えは未来永劫伝えられ、繁栄してゆくであろうが、見える形として残ることができない。
それ故に吾らが育てた芸術家の作品をして、後世にのこさねばならない」と・・・。
いやーーそのお言葉の真意は、正直理解できなかったが、しだいにわかりつつあるのだ。

初冬の光

2008-11-21 16:43:31 | 山郷の暮し
朝から重い鉛色が立ち込めたままの一日です。
朝の2度くらいから6度と、気温も少しもあがっていません。
冷たい風が、最後の葉を吹き飛ばしています。

山裾を犬と散歩する姿も、畑の冬支度をする農夫も、山仕事の音も無い。
車のテールランプの赤色だけが、灰色の道を一時色ずけるだけ。
色彩豊かな今までの季節の色が、吸い込まれてしまったような景色になっている。

18-方便について-愛欲曼荼羅

2008-11-21 08:44:37 | 山郷の暮し
便とは、一種のシカケでもある。
かのお釈迦様も、あまりにも崇高な心理を、そのまま衆生に伝えることは不可能。
そこで、噛み砕いて教えになられた。当然 ニュアンスも変わってしまうが、しかたがあるまい。

言葉だけでは理解できない深遠な教理は 時にはし掛けが必要になってくる。
つまりだ、五感に感じさせたほうが、俗人にはわかりやすいだろう。

我が尊師様がいくら偉大な方であっても、指先がペンライトのごとく輝きはしない
重力に逆らって、ボールをそのまま浮遊させることなど、できるわけがない。
バッテリー・見えにくい紐など、様々にシカケがある。
「インチキだと」
そうかもしれないが、そおでないかもしれない。
ここからが肝心だが、様々な仕掛けを「真実だと思えば真実」なのだ。
たとえば、ダメダとして誰が幸せになり、希望ががもてる。
信ずるものは強い ツヨイ つよい!!!

この世は黄檗一炊の夢。人生朝露とはいってもやっぱり年月は永い。
今を楽しみ、シカケを楽しむ、人生であるべきだ。








ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本