棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

権力の魅力--23愛欲曼荼羅

2008-11-26 09:30:51 | 大人の童話
権力・権力といえヤツは魅力に満ちたもの。
食通ぶったナニナニ先生ばかりでなく、芸術家だって権力を欲している。
いや、独善的な彼らだからこそ人一倍権力欲が強いかもしれない。

ワシ等は権威を否定している訳ではない。むしろ、おおいにケッコーだ。
「イワシの頭も信心しだい」というが、「イワシの頭は芸術だ!」と、権威の在るゲイジュツカがいい、タレントが「そーだ アートだ」と黄色い声をあげたとたん、3匹100円のイワシは食卓から消え、TV上の飾り物になるってーもんだ。

お猿さんのお絵かきに「作為を超えた作為。全ての思考を超越した浅学非才芸術」
だと わけのわからぬこと をもっともらしく唱えた学者・評論家。
私も負けじと、スパッとお脱ぎあそばしたお嬢さん。
裸体に絵の具をぬたくって、ゴロゴロ・ペチャペチャ。
ついでに、「アハハハハーン・イヤイヤ・だめーーー」のサウンドつき。

受ける・売れる・流行る は芸術と無関係だと
受けない・売れない・流行らない ゲイジュツカは絶叫する。
「る」と「い」の違いは表裏一体といえる。

聖職者も学者も評論かも役者タレント・俗人も、みんな権力に憧れ、権力にこびるのである。
それでもゲイジュツカは、権威権力とは無縁で、自由世界に闊歩し、昼寝を楽しんでいると思いたいのは、庶民のささやかな抵抗意識かもしれない。

遠き昔、桃源郷で遊興した文人墨客の世界は、夢のまた夢だが、我が尊師様のお教えに浴すれば、夢が夢でなくなるのだ。
ゆめゆめ疑うことなかれ。




駄々っ子

2008-11-26 09:17:56 | チョット一言
甘やかされ育った者 
麻生総理は海外に行くとバカに威勢が良くなる。
江戸っ子的歯切れのよさだと評されて、人気があったが、どうも違うと思う。
当然報道でしか判らない範囲だが、彼は決して庶民派でもなく、あっ気らかんで気さくな人物ではない。
むしろその逆で、自分が一番と、人を食ったところが見え隠れする。
いわゆる良家でだいじだいじと、わがままいっぱいに育ったままの人生観だ。
ヨイショした言い方をすれば「帝王学」的な幼児教育の元に育ったのであろう。
それ故に、怖い者しらず、人にこびる必要も無いから、海外では受ける要素がある。
つまり、言いたいことは其のままいい、通ってきた人生である。
思い立ったことは即可能であったし、出来なくともケツを拭くのは自分でなくていいいのだ。
細やかな配慮などの気配りとは無縁の、必要性の無い生き方なのだ。
以前にも殿様総理(細川)から安部・福田と、タイプは全く違いますが、共通点があるのです。

国民への ばらまきおこずかいにしろ、道路税のことにしろ、どこか思いつき的だ。
わがままに育っている子が「ほしいほしい」と、ばたばたしている情景が見えてくる。
取巻きはたまったもんではあるまい。内部崩壊の兆しが見える。
三つ子の魂百までも のことわざではないが、こんな政治家が増えてくることは決してよくない。
最近の麻生総理を見ていると、北朝鮮のトッチャンボウヤのバカ長男と良く似ている気がします。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本